夫が王宮勤めを辞めてきた
私はプルミア伯爵夫人と申します。夫は当然プルミア伯爵なのですが、先程、寝耳に水の話をされ、家族会議が始まったのです。
寝耳に水の話とは何かといいますと、夫が私に何の相談もなく、王宮での立場ある職を辞してきたとのことでして。
家族みんなが集まった晩餐での話だったものですから、さあ大変。私、娘のセチアーナ、息子のマイアー。同時にカトラリーを手から滑り落とす羽目となったのでした。
「旦那様。あなたに冗談をいう才能があったのを、今まで知らなくてごめんなさい」
私は頬に手をあて、ただでさえ眠たそうに見えるらしい目をたれさせました。夫と結婚して、かれこれ二十年近く経つというのに、申しわけないわ。
「お父様、それは本当なの!? それじゃあ、私舞踏会には当然……」
娘は夫を問い詰めるように、椅子から立ち上がったけれど、しだいに気が抜けたらしく、へなへなと椅子にもたれ掛かりました。
娘は社交界に友人が多く、舞踏会に行けなくなってしまうのが、残念なのでしょう。どうにかしてあげたいのですけれど、私にはその力がありません。はがゆいこと。
「父上。熱を測らせてください。なさそうだな。じいや! 街から治療師を呼んできてくれ!」
いつもはのらりくらりと過ごしているマイアーも、夫の今回の発言には、真面目な反応を示していて、私は少し安心感を覚えました。
社交界で、息子の浮名が聞こえてきた時は、どうしようかと悩みましたが、杞憂におわりそうですね。
そんな感じで、普段このような冗談を言わない夫なので、てんやわんやの大騒ぎになってしまったのです。
「三人とも落ち着いてくれ。じいやは、街に行こうとしなくていい」
夫がまだ冗談を続ける気配をみせるので、たまにはいいでしょうと、私ものってあげることにしました。
「旦那様。王宮勤めを辞めたのはどうしてですの?」
「私の母方の実家に呼ばれたからだ。領地を継いでくれとな。陛下には既に許可をいただいた」
「待ってくれ、父上。だとすると、この家はどうなるのです? まさか私に任せるなんて言わないですよね」
「後を継ぎたがらないお前に、重荷を背負わせる訳がないだろう? 伯爵位は陛下にお返し申し上げた」
私プルミア伯爵夫人ではなくなっていたようです。驚き過ぎて逆に冷静になりましてよ。
「旦那様。ということは、私たち辺境伯家になるということですわね」
「ああ。リュシー、君には悪いがもう既になっているんだ」
まあ! なんてこと。私たちがもう既にグラミリア辺境伯家になっていただなんて。
「私に一言の相談もなく全て終わらせてしまうだなんて、ひどい人ね」
「すまないリュシー。君には面倒をかけたく無かったんだ。分かってくれるか?」
「それでも、匂わせぐらいはして欲しかったのよ」
「リュシー。そんな顔をしないでくれ。私が悪かった。じいや、話は終わりだ。私たちは部屋に戻る」
「かしこまりました」
ふてくされる私をなだめるために、夫は家族会議の終了を告げ、夫婦の寝室に私をエスコートしたのでした。
あら? 結局いまの話は、本当の話だったという事なのかしら。大いなる疑問を私の中に残して、その夜は過ぎ去ったのです。
結論から申しますと、夫の話は本当の事でした。決して悪ふざけや冗談などではなく。
王都の屋敷を引き払うにあたって、雇っていた侍女や侍従など、代々仕えてくれている人たち以外の者に、他家への紹介状を渡して暇をだしたりしているうちに、瞬く間に日が経ち、私たちは息をつく間もなく、グラミリア領に旅立ちました。
グラミリア領に来て早半年。大分辺境での暮らしに慣れてきた今日この頃です。
王都での暮らしと辺境での暮らし、生活水準に差はほとんどありませんでした。グラミリア領は辺境とは言っても肥沃な大地と、穏やかな気候のおかげで、領民はおおらかですし、もしかしたら、王都よりも暮らしやすいのではとも考えられます。
変わった事と言えば、私たち一家のそれぞれの性格くらいでしょうか。
まずは旦那様。私の夫。夫のラスティンは、元々執務室に引きこもり体質の、真面目な男性だったのですが、今では、領民たちと共に畑を耕し、放牧を手伝い、更には森に狩りに出かけるという、騎士のような肉体労働派となっておりますの。
夫は子どもの頃の性格に戻ったんだと言っております。
文官然とした前の性格も好ましいものでしたが、新しい一面も見れて、惚れなおしました。
次に娘と息子。娘のセチアーナは、元々、夜会や舞踏会、お茶会が大好きな、これぞ王都の貴族令嬢という性格の娘だったのですけれど。こちらでは、なかなかそういう機会がないせいか、草原を馬で駆け回るお転婆な性格になりまして。私は誰に似たのかしらと首を傾げることになりました。
娘いわく「お母様。勘違いなさっているみたいですが、私は元々、社交界が苦手だったのです。あの晩餐の日だって、緊張していた舞踏会に参加しなくていいと知って、心底安心したのです」とのことで、そのまま遠乗りに行ってしまった娘を見送りながら、呆然としてしまいました。
息子のマイアーにいたっては、王都での悪い評判が嘘のように、好青年になっているのです。
王都では、夜会の度に、やれあの令嬢と抜け出した。その令嬢とこの令嬢がマイアーを取り合って取っ組み合いをした。など他にもあれやそれや、頭の痛い浮名の勢ぞろい。
この領地でもそうなるかと、戦々恐々としていたのですけれど。
身近に王都の貴族令嬢のような、華やかな女性が居ないせいかしら、夫と一緒に領民と接しているおかげで、大変評判のよい、爽やかな若者になったのです。
これまた息子いわく「母上。私はそのように軽い男ではありませんが。どこから耳にされた噂ですか? 夜会でドレスを汚した令嬢を助けて広がった噂か、学友の修羅場に巻き込まれた時の噂ですか、それとも……」長々と続きそうだったので、私はもう分かったと息子を制止したのでした。
最後に私についてなのですが、私自身はほとんど変わってないと思うのです。
そう晩餐の席で話していたら、三人から見つめられました。
「一番変わったのはリュシー、君だよ」
「お母様、自覚がないの?」
「母上にとってはそうなんですね」
三人全員から変わったと言われると、どこが変わったのか気になります。
「君は王都では、屋敷からほとんど出ることがなかったじゃないか。だが、今ではどうだ? 毎日のように外に出て、領民に声を掛けているだろう」
王都でもそうだったわよ? 屋敷の庭師や厩番、下女に下男。屋敷のみんなに声を掛けていました。
「お母様は、王都では貴婦人のお手本のような生活をしていたわ。まるでよくできた人形のように。ここでは違うのよ。生き生きとして、明るくなったわ」
だって、王都は魔境だったのだもの。どこから悪い噂をたてられるか、分かったものじゃないのよ。必然、細心の注意を払いながら生活することに慣れていたの。
「私が思うに、我が家はみんな、王都より、グラミリア領での生活が肌に合うということなのでしょう」
息子の言う通り、私たちは辺境での生活の方が、のびのびできて良いみたい。
夫が王宮勤めを辞めたときは、先行きが不安でしたけれど、なるようになるものね。
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