08.
「先生が変なんだけど」
納得のゆかない表情で、リルはぼやく。隣には友人のジャイルがいる。
「大丈夫だって言ったのに、過保護になったわ」
「過保護ねぇ」
噴水のある広場で、二人でベンチに座りジュースを飲む。リルの腕には、防犯用の魔導具のブレスレットが。これをしなければ、友人と外出するのにも同伴する可能性があった。
これまでリルがひとりでお使いをしていた行き先に、シャムスディンは付き添うようになった。そうして家に帰れば、妙に青褪めておりぶつぶつと独り言を呟いて悩むことがある。
何かあれば報告すると約束したが、あれ以来どこに行くにも彼が同伴しているため報告するようなことは起こっていない。
「わたし、信用されていないのかな」
「お師匠さんのアレは、リルがどうって訳じゃねぇよ」
ジャイルがわかったようなことをいうので、リルは首を傾げる。自分の方が長く師といるのに、どうして友人の方が彼を把握できるのか。
「なんで言いきれるのよ」
「だって、俺も男だもん」
シャムスディンと同性であるからだと主張されても、リルは納得がゆかない。世間一般では、友人も彼も男性だ。けれど、師にとって自分が異性でない以上、リルにとって彼は男ではない。
友人は、シャムスディンが親代わりの使命感に燃えているだけと感じているようだが、ジャイルには違ってみえる。あの男は今現実をみているのだ。自分が目を離しているうちに、成長した弟子が周囲からどういう目でみられているかを知っただけのこと。
リルは絶対零度の弟子と噂こそされているが、一見すると愛らしい少女だ。口を開かないとその冷徹さはわからない。彼女の普段の態度を知っていても、むしろ自分にだけ笑いかけてもらいたいと焦がれる者もいる。尊敬する師にすら態度を変えないから、余計に我こそは、と名乗り出る男が後を絶たないのだ。
友人の自分といるときにも防犯対策をするようになったのは、ジャイルにとって良い兆候といえる。
「オレの守備範囲が年上でよかったな」
「何よそれ」
実はリルの現状を思い知ったシャムスディンが、単身でジャイルに念押しにきたことがあったのだ。友人の自分まで彼女に邪まな感情を抱いていないか、と。その際、リルが好みの女性の範疇外だと明言しておいた。そうでなかったら、彼女と二人きりになど彼は許可しなかっただろう。
シャムスディンの天然を通り越した朴念仁ぶりに慣れきっているため、リル本人が気付いていないのが面白い。これまで彼に女性扱いを受けてこなかったから当然といえば当然だ。
「リルをこれだけ荒ませたんだ。報いを受けてるんだよ」
ジャイルは、因果応報と断じた。友人を無自覚で傷付け続けてきた張本人なのだ。彼としてはシャムスディンが困るのは大歓迎である。自分だって、友人が荒むのをみていい気分はしない。どうせなら笑っていてほしいと願っている。
今、友人はシャムスディンの変化に何の希望も見出していない。それだけの態度を彼はしてきたのだ。
友人と笑い合える未来を知っているのは、ジャイルだけだ。その前に、多少文句をいわれるかもしれないが、それでもいい。
「楽しみだ」
「何かあったっけ?」
近々、祭りの予定などあっただろうか。わくわくとした様子の友人をみて、リルは直近の行事を思い出そうとする。しかし、特段思い当たる行事はないのだった。
ジャイルと談笑して家に帰ると、玄関のドアを開けてすぐにシャムスディンが待ち構えていた。
「おかえり、リル」
「ただいま帰りました」
明らかに待っていたとわかる場所にいたので、リルはキッチンに向かいエプロンを手にする。
「何が食べたいんですか?」
「や、ご飯じゃなくて……、大丈夫だった?」
夕食の催促かと訊ねるも、シャムスディンは空腹だった訳ではないらしい。ただ遊びにいっただけで心配され、リルは首を傾げる。
「何もないですよ」
「でも、リルは可愛いから」
最近、用法が変わってきた。これまでも彼はことあるごとに自分に可愛いといってきたが、近頃は自分を構う口実として口にするようになった。リルの行き先に同伴する理由にはかならず使う。まるで子離れできない親のようだ。
考えた表現がしっくりきてしまい、リルは苛立つ。用法が変われど、結局自分の感じてほしい可愛さじゃないではないか。
「先生、なんなんですか。わたしは小さい子どもじゃないんですよ。逐一傍にいてもらわなくても大丈夫です」
「子どもじゃないから危ないんじゃないか!」
苛立ち交じりに吐き捨てると、シャムスディンは理屈のわからない反論をしてきた。
「僕は、師匠として……」
「先月、魔術師免許くださいましたよね」
師である魔法使いからの認定ないし、国が設ける試験に通れば、一人前の証明である魔術師免許が授与される。魔術師免許があると、単身で国外へでることも可能だ。師弟関係がある者は基本、師である魔法使いから認定を受ける。シャムスディンも、彼女の実力を認め国外の依頼もこなせるよう免許を与えたところだ。
リルには、単独行動を認めておいて、同伴しようとする意味がわからない。
「お、親代わりだし……」
「先生は、実の親じゃありません」
大事にしてくれるのはありがたいが、最早ありがた迷惑である。いい加減、保護者ヅラされるのに耐えられない。彼が傷付くと思い、これまで口にしてこなかったが、リルはそれを口にしてしまうほど荒みきっていた。
ぐぬ、とシャムスディンが下唇を噛む。リルの断言が効いたのか、よろめいて後退し、食卓の椅子に腰を落とした。
「リルは、女の子だし、可愛いから……、そうだよ。女の子なんだよ……」
どんどん自分への言い訳というよりは、ただの呟きのようになり、シャムスディンは頭を抱えた。
「リル、よく無事でいられたね!?」
「頭でも打ちました?」
驚愕するシャムスディンに、リルは冷静に問うた。どこをどうしてそんな結論にいたったのか。
「だって、だって、僕、男だよ!?」
「そうですね」
焦った様子で述べられたのはただの事実なので、リルは肯く。だからなんだというのだ。
「危なくない!?」
「先生が?」
シャムスディンに危害を加えられるはずがない。自分に何かあれば、真っ先に相手を氷漬けにするのは彼だ。望んでいる形ではないが、リルも大事にされている自負はある。彼の手を煩わせないため、自身で先に焼き払うようになったのだ。
あり得ないと顔に書いていたのだろう。シャムスディンは、息を詰める。
親代わりだと否定され傷付き、保護者でしかないと断定されて悲しむなんて矛盾している。いや、親ではないと否定されて困るのは、大義名分がなくなるからだ。親代わりだという名目がなければ、ひとりで何でもこなせるようになった彼女の傍にはいられない。
「リル……」
「はい」
名を呼べば答えてくれる弟子の手をとる。その手へ、懇願するように額を当てた。
「リルが大丈夫でも、僕が大丈夫じゃないよ」
彼女の行き先に同伴するようになって、理解した。可愛い弟子は、他の人間にも可愛いのだ。道行けば何人かは彼女の花の顔に目を奪われるし、邪まな視線を送る男もいた。なかには同年代の少年が、彼女と言葉を交わしただけで頬を染めていた。その様子を見守るしかできない身が苦々しく感じる。彼女に欲情する者すべてを氷漬けにしてしまえたらどんなにいいか。
彼女はそんな視線も意に介さず、何かあっても自身の炎で対処できる。それを知りながら、自分は居ても立っても居られない気持ちになるのだ。
友人のジャイルですら彼女の傍にいると不安になる。彼がリルを好きでなかったとしても、彼女の好きな人とやらがジャイルである可能性もあるのだ。
彼女はいっていた。好きな人には可愛いと思ってもらえないのだと。
あんなに愛らしい笑みをみせていた彼女が、笑う意味もなくすほど想っている相手がいる。一体誰なのかと考えたとき、彼女を友人としてしかみていないジャイルが当て嵌まった。そうだった場合、シャムスディンは彼女の想いが届かないことに、ほのかな喜びを覚えてしまった。
彼女の想いが実を結ぶのを祈ってやれない時点で、親代わり失格だ。きっと彼女が誰を想っても、自分は応援できないだろう。
「……先生。いい加減、はっきり言ってくれませんか」
さきほどから要領の得ないことばかりで、リルは焦れはじめた。破門にしたいのか、家から追い出したいのか知らないが、さっさと断定してもらいたい。荒んだリルの想定では、前向きな回答など浮かばない。
断言しろといわれ、シャムスディンは彼女の手を握ったまま立ち上がる。
「僕は……、リルの親でもなんでもないけど、ずっとリルの傍にいたい」
「先生の弟子ですから、傍にいますよ」
「そ、そうじゃなくて……っ」
覚悟を決めて伝えたものの、まったく伝わらなかった。これ以上を口にするのは恥ずかしく、じわじわと頬に熱が集まる。それでも、掴む手は離せない。
「リルは可愛いから、誰でも好きになると思う。けど、僕だけのリルでいてほしいんだ。好きなんだ。その、お嫁さんにしたい意味で……」
大の男がするにはたどたどしい告白。それでも、彼には一世一代の告白だった。
リルは、呆然と頬を染めた男が目を瞑る様子を見上げる。いわれた意味を理解するのに時間を要した。脳内で反芻し、意味を理解しても、到底その言葉を信じられない。だって、想いを告げてもなしのつぶてだった相手だ。
自分に都合のよい解釈をしている可能性が大いにあると、リルは確認する。
「先生、わたしを抱きたいんですか?」
「だ……っ!?」
顔を真っ赤にし瞠目する師を真っ向からみつめる。世の中には、娘に将来結婚するのだといわれて喜ぶ男親がおり、一生嫁にだしたくないと独占欲を働かせる場合もある。シャムスディンも親心の延長線上のそれを、血が繋がっていないゆえに誤解したのでないか。リルの疑念は尽きない。
口をはくはくさせ弱りきったシャムスディンは、彼女の眼差しに耐えかねて視線を逸らした。
「リルはまだ十四だし、すぐには……、けど、ゆくゆくは……」
観念して欲情できると明かす。弟子の反応が恐い。冷徹な眼差しでロリコンだと断じられた日にはもう立ち直れないかもしれない。
シャムスディンが怯えて目を合わせられないでいると、頬を思いきりひっぱられた。
「いひゃっ、ふぃふ?」
どうして抓られたのかわからず、弟子を見遣ると、瞳にいっぱいの涙を湛えていた。
「わたしが、どれだけ……っ!! 本当ですね?」
悔しげに零す言葉と涙。確認され、シャムスディンは肯く。
「本当の本当ですね?」
再確認され、信じてもらおうとシャムスディンは何度も縦に頷いた。
そこまでして、ようやく証明できたようで、リルの手が頬から離れる。
「ふふ、ざまぁみろ」
可笑しそうに、そして心底嬉しそうにリルの表情が綻んだ。ひさしぶりにみた笑顔。いや、初めてみる笑顔にシャムスディンは見惚れる。
「これから、いっぱい困らせたいです」
そういってリルは背伸びをして、彼の頬に口付ける。彼女が幼い頃なら喜んで受け入れていたそれに、どっと心臓が脈打った。
「困ってくださいね?」
すでにこれだけ参っているというのに、彼女のお願いは末恐ろしい。自分の未来を宣言されたようなものだ。
数年後、彼女といる自分に同情を禁じ得なかった。
fin.