04.
家に帰ると、シャムスディンはほっと安堵した。
玄関のドアと閉じると、ざあざあと豪雨の音が遠ざかる。突然の雨にびしょ濡れになり、服が重い。もともと、装飾できる魔導具を複数身に着けている彼だが、そこからさらに重量が増すのは耐えかねた。大魔導士の会合ということもあり、正装だったことも間が悪い。
「洗濯が面倒だって、リルに怒られるなぁ」
煩わしさを感じながら、正装の上着を脱ぐ。脱衣所に向かう道筋には、ぼたぼたと水が滴る。床の掃除の手間を増やした件でも叱られることだろう。
そんな憂鬱さを吐息とともに落とし、浴室に続く脱衣所のドアを開けた。彼は気付いていなかった。自身が歩く前から、床が濡れていたことを。
目にした光景に、シャムスディンは一瞬息をするのを忘れた。
後から入ってきた師を認め、衣服を半分脱ぎかけていたリルは睥睨した。
「ノックぐらいしたらどうですか」
「……え、あ。ごめん?」
恥じらうでもなく冷静な弟子に、シャムスディンの方が目を丸くする。指摘されたのもノックがなかったことだけだ。
師の様相を下から上まで眺め、リルは脱ぎかけていた分の上半身の服だけ洗濯籠へ入れた。
「先生の方が濡れていますね。わたしはサラマンダーで乾かすので、お先にどうぞ」
「いやいやっ、リルは女の子なんだから、ちゃんとぬくもらないと!」
濡れた状態ではサラマンダーも本調子がでないことだろう。先にいたのはリルの方なのだし、順番としても彼女が優先されるべきだ。師としてゆっくり湯船につかるよう厳命して、シャムスディンは脱衣所のドアを閉じた。
閉じたドアに背もたれ、彼女がでないように防ぐ。それから、自身の口元を手で覆った。さきほど呼吸を忘れた口だ。今は問題なく呼吸をしている。
自分は呼吸を忘れるほど、何に驚いたのか。自問自答する。思い出すのは、今しがた目にした弟子の姿だ。
腰が細く華奢な身体で、肌は滑らかだった。ちらりとしかみていないが、女性用下着を身に着けていた。つまり、それが必要なだけの膨らみがあるということだ。弟子の身に着けていた下着を、自分は買った覚えがない。そういえば、少し前から服は自分で買うようになっていた。その理由をようやく理解する。
「女の子なんだよなぁ」
自身が口にした言葉を反芻する。
少女だと理解していたはずだが、弟子の成長を目の当たりにして自身が思っていたより大きくなっていたと知った。背丈だけではない弟子の成長に、対応に弱る。
気の回らない自分の代わりに、弟子に気遣われてしまった。あの態度は半ば呆れられているのではないだろうか。男親では及ばない配慮を、彼女は最初から期待していなかったようだ。大事に、それはもう大事に育ててきていたつもりが、至らない点が露見して残念に思う。
これだから嫌われるのだ。気遣いが足りない相手に反抗期になるのも頷ける。これからは今までと同じ扱いはできないと、シャムスディンは悟る。かといって、女の子扱いとはどうするべきなのか。
首を傾げ悩んでいると、ゴンと後頭部にドアが当たった。
「そんなところで待つぐらいなら、譲らなければよかったのに」
振り返ると、厳命通りにきちんとぬくもったのだろう、血色のよいリルが自分を見上げていた。頬が染まった様子は、幾分かいつもの冷徹さが和らいでみえる。安堵が零れるとともに、鼓動の音が妙に耳についた。
「しかも、びしょびしょの服をきたまま……」
リルのことを考えていたら、服の重量などすっかり忘れていた。呆れた眼差しを向けられ、そんな理由を信じてもらえないだろうなと口をつぐむ。
「えっと、動いたら余計に床濡らしちゃいそうで」
「今さらです。片付けはわたしに任せて、先生もお風呂入ってください」
「はい」
洗濯や掃除を一任するように指示されれば、シャムスディンは弟子に従うより他ない。魔術以外に対して、彼は雑なのだ。リルがした方が格段に早く、かつ丁寧に済ませることだろう。魔力量や魔術知識では弟子を上回れども、それ以外のことは彼女の方が勝っている。はじめてこの家に迎えいれたときも、よくこれまで一人で生活できたものだと、散らかりように愕然とされた。
そういえば、幼い頃からしっかりしていたな、と湯船に浸かりながら思い出す。シャムスディンは、今までも見落としていたことがあったのではないかと、見解を改めるのだった。






