03.
「よぉ、リル。今日も荒んでるな」
気安く声をかけられ、リルは相手をじとりとねめつけた。
「開口一番にそれ?」
失礼だ、と非難する言葉を投げるも、相手は気にした様子はない。彼に堪えないとわかっているからこそ、リルも辛辣さを緩和させずにいた。
「それで、今日は何が入用だ?」
「これ」
冒険者ギルドの受付にたどりつくより前にジャイルから声をかけられたので、そのまま彼にメモを渡した。品目が多いので、口頭でわざわざいうより早いとリルは判断した。師と自分の魔術研究に必要な材料は、自ら採取することもあれば冒険者ギルドを通じて得る場合もある。同年代のジャイルは、最寄りのギルドの受付見習いだ。彼の父親がこのギルドの長のため、家業を手伝うために経験を積んでいるところだ。
歳が近しいこともあり、二人は友人である。それぞれ追う背中があるため、性格は違えど意気投合しやすかった。
メモを受け取ったジャイルは、軽快な足取りで素材保管庫へ向かい、しばらくして同じ足取りで素材を抱えて戻ってきた。
素材のひとつひとつを手に取り、リストアップしたものと相違ないかリルは確認する。その間、ジャイルは向かいでそれが終わるのを待っていた。
「鱗はいいけど、この皮、傷が多くない?」
「ランク昇給受注のときのだから、文句言うなよ。狩猟できただけでよし。ま、色付けてやる」
割安にしてくれるときき、リルは承諾した。今回は外装に使う訳ではないので、問題はない。提供側の品質基準への指摘だったが、ジャイルに説き伏せられてしまった。
「剥げる状態なだけマシよね。わたしだったら黒焦げにしてしまうし」
「おお、おっかねぇ」
あえて怯えるそぶりをみせるが、ジャイルは可笑しげだ。彼は討伐依頼であれば、リルも冒険者に劣らずこなせると知っている。
友人のおちゃらけた態度に、素材へ落としていた視線をあげ、リルは不満そうにする。年頃の乙女に似つかわしくない形容詞を用いられ、いい気分などしない。しかし、非戦闘要員のジャイルと比較した際の強さは、あきらかに自分の方が上のため、否定できないのが口惜しい。
ジャイルの友人に対する扱いを不服に感じながら、代金の入った袋を渡す。金額を確認して彼は、まいどあり、と笑った。
「で、またお師匠さんか」
荒んでいる理由をいい当てられ、リルの目はさらに据わった。
「余計なお世話よ」
「愚痴ぐらい聞いてやるのに」
持ち帰る素材の量はひとりで抱えるには多いだろうと、ジャイルは運ぶ手伝いを申し出る。リルは収納魔導具を用意していたので、本来は不要な手伝いだが、話し相手になる口実だと二人には暗黙の了解だった。
二人で一袋ずつ抱え、街を歩く。いっても何の解決にもならないと知りながら、リルは吐露した。
「……別に、いつも通りだっただけよ」
幼い頃から彼女の師は変わらない。目に入れても痛くないというほどにリルを可愛がる。それが彼女には不服なだけだ。
小さな嘆息とともに、肩に軽い衝撃がぶつかる。
「おっと、失礼」
「いえ」
人の多い通りのため、行き交うひとりにリルはぶつかってしまった。これはどちらが悪いという訳ではないので、彼女はそのまま相手の謝罪を受け取り去ろうとした。だが、相手は瞠目したあと彼女へ微笑みかけた。
「お嬢さん、重そうだね。手伝おうか?」
「結構です」
きらめく金糸の髪にエメラルドの瞳の青年は、にべもなく断ったリルに驚いた様子だった。きっとこれまで声をかけた女性に断られた試しがないのだろう。それが窺えるだけの整った顔だった。
予想外の反応をされ、虚を突かれたものの青年は食い下がる。
「君のような可憐な女性が、そんな重そうなものを持っているなんて見ていられないんだ。俺のために手伝わせてくれないか?」
さりげなくリルの抱える袋に青年は手を伸ばす。しかし、届くまえにちりっとした痛みが走り、彼は反射的に手を引いた。
感じた痛み、というより熱に驚いた青年。気付けばリルの肩には、淡く光る外皮の蜥蜴がのっていた。炎がそのまま外皮となっているようで、ゆらりゆらりと模様が揺れる。
「その綺麗な髪を消し炭にされたくなければ、消えてください」
絶対零度の表情で頭上に業火を浮かべる少女に、青年は蒼白になる。肩のサラマンダーと出現した炎で、彼女が本気であることは明白だ。青年は一目散に逃げ去っていった。ついでに、炎とサラマンダーをひっこめたあともリルの周囲に多少の空白ができた。道が歩きやすくなっていい。
「最近、増えたよな」
「侮られやすいのも困りものね」
ジャイルには見慣れた光景だったので、感想ひとつで済ませる。友人の自己評価が湾曲してるのもいつも通りだ。
「今年に入って何度目だ? お師匠さんに相談した方がいいんじゃね?」
「必要ないわ。対処できるもの」
それはそうだが、とジャイルは濁った頷きを返す。可憐な容姿と、少女の域をでかけた危うさもあり、友人のリルは色香をまとうようになった。彼女が異性に魅力的に映るようになった要因として、乙女らしい悩みも要因のひとつだと彼は知っている。
「誘っているだなんだと勘違いする阿呆はどうでもいいけど、そんな誤解されてるなんて先生に知られたくない」
シャムスディンに軽蔑されたくないと主張する彼女は健気だ。これが彼女の乙女らしい悩みだ。
「可愛がっているリルが未遂とはいえ、そんな目に遭ってるって知ったら、さすがのお師匠さんも焦るんじゃね?」
「ただ心配するだけよ。それなら要らない」
知れば師が危惧することは、想像に容易い。それは親代わりとしてリルの身を案ずるだけのこと。心配の他の感情などありはしない。リルが師を焦らせたいのは、そういう意味じゃない。
「可愛くないことばっか言ってると、お師匠さんに嫌われるぞ」
「大歓迎よ」
友人を脅すつもりで発した言葉は、その効果を発揮しなかった。ジャイルは、友人の苛烈さをはかり違えていたことに気付く。
リルは火の精霊を従えるだけあり、苛烈な性質をもっている。シャムスディンが気付いていないだけだ。ジャイルからすれば、絶対零度という二つ名の方が失笑ものだ。
「嫌ってくれたら、やっと嫌いになれるもの……」
自分から嫌うことができないリルの表情は、苦渋に歪んでいた。
純粋に慕っていた頃のことなどもう覚えていない。リルは、師から可愛いといわれるたび、業火のごとき苛立ちと冷や水を浴びたような心地を覚える。だって、思い知らされるのだ。自分のほしい可愛いではないと。
冷静になるようで、胸中ではマグマがどろりと渦巻く。
「先生以外の男にしか効かない可愛いなんて意味ないわ」
シャムスディンに可愛いと微笑まれるたび、その事実が信じられなくなる。本当にそう定義されるだけの価値が自分にあるのなら、どうして彼は何も感じないのか。自分ばかりが求め、鼓動を跳ねさせ、割に合わないではないか。
響かない可愛いがくりかえされすぎて、いつか、と期待できるような芽すら、とうに潰れてしまった。
いつしか、リルにとって可愛いは無価値なものへとなった。
求める百が手に入らないのなら、零とする。その極端な価値観を苛烈といわずして、なんというのか。
「ほんとこじらせてるよなぁ」
彼女は師のこととなると、本来の性質がむき出しになる。なんて表情をするのだろうと、ジャイルは友人の横顔を眺めた。
友人をこじらせた張本人は、いつか思い知る日がくるのだろうか。
ジャイルは、想像してみるもあのぽやぽやした男が嫉妬に焦がれる様は浮かばなかった。だから、応援もできず、難儀なことだと同情した。