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妻を愛するたったひとつの方法  作者: 椎田賢人
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とある最後の物語

 いつもの時間に看板の電源をいれる。ぼやっとした光が店のドアを照らしたら、今晩もまた開店だ。ここは私が営んでいるバー「Little Sister」。今日もまたいつものように日が暮れ夜が訪れる。脱サラして五年間お酒の勉強と修行をし、やっとの思いでオープンしたこの店も十四年が経過した。繁盛したときなど一時もなかったが、少ない常連さんによってこの店は支えられてきた。けれど、それも今夜が最後。この店は今夜をもって閉店する。理由は単純、経営難だ。今の時代、お酒を嗜む人が少なくなり、一日の売り上げがゼロという日も少なくなくない。無理をして続けることも考えたが潮時というやつだ。

 最後の夜。特別な告知はしなかった。繁盛しなかった店らしく、誰にも知らせず静かに閉店を迎えることこそがこの店らしい。今日の御客様も一組だけ。カウンターの片隅に座った名も知らぬ常連カップルだ。御二人はいつも遅い時間に来て閉店までいる。この店に来始めたのは四年ほど前。少なくとも隔週、多いときは週に二回ほど訪れてくれた。

 いつだったかイタリア旅行に行った際にはリモンチェッロをお土産にいただいたこともあった。なんでもこのお土産をきっかけに結婚することになったという。

「お酒が結んだ縁ということですか?」

 お酒を扱うバー店主としてはそういったエピソードは嬉しいものだ。

「いや、実際には違うんですけどね」

 と、男性は笑いながら言う。

「ちょっと、そういうことにしとけばいいじゃない」

 と、女性は照れくさそうに。お客様のプライベートに踏み込むのはあまりいいものではないが、こうなってくると俄然興味が湧いてくる。

「いったい、イタリアで何が?」

「実は……」

 話を聞くと帰国の際に彼女がホテルにエアチケットをお土産の袋に入れたまま置き忘れてしまい、取りに戻っている間に帰りの飛行機が出てしまったというのだ。旅行の最後ということで現地の通貨もほぼ使い切ってしまい、領事館に向かうかどうかというところで

「普段頼りない彼が、少しだけ頼りになったんです。しかもその間、まったく怒らずに」

「怒るってよりあきれちゃってね」

 その後、男性はカードで泊まれるホテルを探し出し、少ないお金で食事ができる地元のスーパーマーケットから生ハムにチーズ、ワインを調達。延泊した最後の夜をかなり快適に過ごしたらしいのだ。少し酔いが回ってきたのかすっかり饒舌になった女性は声のボリュームを上げ語る。

「そんな状況でね、責任感じて凹んじゃってる私に対してこう言ってくれたんです『こうやって泊まる機会が増えて嬉しいよ。ヨーロッパには「あなたとならばチーズと玉ねぎ」ってことわざがあるらしいじゃない? 二人なら生ハムとチーズでも十分。それどころか、ワインもあるじゃない。日本に帰っても一緒の夜を過ごしたいな』なんて」

 完全にノロケ話に発展してしまった。

「もうその辺にしとこうよ」

 と、男性が照れくさそうに遮るもテンションの上がった女性の演説は止まらない。

「それでね、私すごく感動しちゃって! ほんの数時間前まで私のミスで日本に帰れるかどうか、それどころか領事館に行こうって時だったのに怒りもしない、それどころかプロポーズしてくれるなんて。お土産、忘れてみるもんだなって……思い出すと、涙、出てきちゃうよね」

 涙目の演説はまだ続きそうだが、さすがに大きな声がほかのお客様の迷惑になりかねない。自分から話を振っておきながら私は

「大変興味深いお話ですが『結婚とは長い会話である』とニーチェが言っています。いまからそんなに大きな声で会話なされていたら、長い会話、疲れてしまいますよ」

 と、諌めた。そのころの御二人はお酒のことも知らず、男性はジントニック、女性はカシスオレンジを注文して居酒屋の延長できゃあきゃあと騒がしい時間を過ごしていたることが大半だった。

 何回か来るうちに男性の方はお酒に興味を持ったらしく、質問してくるようになった。

「いつもジントニックですいません。なにかすっきりしたジンのカクテルを」

 そう聞かれて私はジンリッキーを勧めた。以来、彼は一杯目にジンリッキーを注文するようになった。それから自分なりに勉強したのだろう。騒がしかった姿は鳴りを潜め、少し酔ってくるとマティーニを頼み最後はギムレットで締める。最後の一杯を飲み干して店を出るまで背筋を伸ばし、決して乱れることの無い気持ちのいい酒飲みになった。

 女性はいつも男性が勧めるお酒を飲んだ。いつの間にかカシスオレンジは頼まなくなっていた。代わりにアレキサンダーやホワイトレディを好んで飲んだ。最後はやはりギムレット。閉店の五分前には必ず会計を済ませドアを通った。

 今日は御二人にとって特別な日なのだろう。目の前に花束が置かれてある。男性が女性に花束を贈るというのは特別なとき。誕生日か結婚記念日など、なにか素敵なことがあったのだろう。こんなときに、この店を選んでくれるというのは店主冥利に尽きる。ましてやそれが閉店の夜ならなおさらだ。

「すいません、マティーニを」

「私はキス・イン・ザ・ダークを」

 最後の時間が近づいている。きっと御二人ともギムレットを頼むだろう。グラスが空になったらライムを絞ろう。バーズネストでそれを濾し、特別丁寧にするわけでなくいつも通りシェイカーを振ろう。十四年間やってきた動作を、できるだけいつも通りに。最後の一杯に特別な思いはあるけれど、いつもの味を提供するのが私の仕事。

「すいません。お会計を」

 この突然の発言に私は耳を疑った。この四年間必ず最後に頼んでいたギムレットを飲まずに会計を告げられるとは。

「それから、これを」

 そういって彼女はカウンターに置いてあった花束を私に渡した。

「十四年間お疲れ様でした。私たちがお世話になったのはほんの四年ほどですが、大変素敵な時間が過ごせました」

 私は嬉しいというよりも驚いてしまい。花束を慌てて受け取ろうと女性の手に強く触れてしまった。女性はとっさに手を引いて、ちょっと痛そうにしていた。

「なぜ、今日が閉店ということを?」

「実はこちらへお酒を入れている酒屋さんが知り合いなんです。話を聞いてみると今日が閉店と言うじゃないですか。だから、今日はお礼に伺いました。それからこれを」

 と、いって彼はカバンからバルヴェニー十四年を取り出した。

「このお店の歴史と同じ十四年熟成のモルトです。閉店した後、ゆっくりと十四年の時間を味わってください」

 お酒を提供する側の私がお酒を提供されるとは思ってもみなかった。

「ありがとうございます。ではせめてものお礼として私からギムレットをおごらせていただけませんか? 本日はお召し上がりなりませんでしたので……」

「ギムレットは結構です。それを飲んでしまったらあなたのお酒を今後飲む機会がないように思えるのです。また、いつかどこかであなたのお酒をいただきたいと思っています。そのときには是非ギムレットを注文させてください。それに、もう閉店の時間です」

 私がありがとうと感謝の気持ちを伝えると、その倍の謝辞が返ってきた。そしていつものように閉店五分前に御二人はドアを通り、その五分後に私はネオンの電源を落とした。

 閉店後、カウンターに座りバルヴェニーのボトルを眺めながらグラスをゆっくりと傾けた。明日からまた新しい日がはじまる。きっとまたぱっとしない日々だろう。それでもこんな夜がある。素敵な出会いがあったこの店と、新しくはじまる日々に、乾杯。

 

――とあるBARの閉店。新しい朝のはじまり――


(つづく)



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