第八十七話 訪問者前編
その日の放課後、弥勒は小腹が減っていたためラーメン屋へと寄り道をした。気分は塩ラーメンであった。
そして最寄駅に着いてからコンビニでポテチを含めたお菓子の調達をする。最近はあまり来ないが、ヒコが来たらあげる分のお菓子である。ポテチはピザ味だ。あの妖精はコッテリ系が好きなのだ。
スーパーに寄れば同じものが安く売っているのにコンビニで買うあたり彼の金銭感覚はまだまだの様だ。
コンビニ袋を揺らしながら自宅へと帰る。玄関を開けて靴を脱ぐ。すると見慣れない靴が置いてあった。サイズやデザインからして女性ものだろう。
「誰か来てるのか……?」
するとリビングから女性の笑い声が聞こえてくる。恐らく一人は母親だろう。弥勒はとりあえずリビングへと入る。
「ただいま」
「あら、おかえり」
「弥勒くん、おかえり〜」
弥勒の挨拶にまず反応してきたのは母親だ。そして次に反応してきたのはアオイであった。予想外のアオイの登場に弥勒も驚く。
「アオイ⁉︎ どうしてここに⁉︎」
「お父さんが出張に行っててお土産たくさん買って帰って来たから弥勒くんに分けてあげようと思って」
「うちの前を女の子がウロウロしてたから声を掛けたのよ。そうしたら弥勒に用があるって言うじゃない。だからうちに入って待っててもらうことにしたのよ」
アオイの説明を母親が補足する。お土産を渡しに来たは良いものの弥勒が家にいないから立ち往生していたのだろう。そこをたまたま母親に見つかって家に招かれたのだ。
「それにしてもあんたにこんな可愛い彼女がいたなんてね〜。この子が噂のランニングの子かしら?」
「か、彼女だなんてそんな……」
母親がニヤニヤしながら言ってくる。それに弥勒は嫌そうな表情をする。アオイは母親からの言葉に照れている。
「いや彼女じゃないから。それより噂って何だよ」
「あんたが毎朝、可愛い女の子とランニングして一緒に登校してるのがご近所ネットワークで話題になってるのよ」
主婦の朝は早い。中には朝の公園でウォーキングなどをしている人や家の前を掃除している人もいる。ゴミ出しをするのにも外に出る。そういった主婦たちは周りをしっかりと観察しているものだ。
そして話題のタネを見つければ次の井戸端会議で話される事になる。弥勒のランニングの件もそういった所から広まったのだろう。
「恐るべし、ご近所ネットワーク……!」
弥勒は知られざる主婦の実態に戦慄する。まさか自分の行動が周りから母親の耳に入っているとは思っていなかったのだ。
「さぁーてそれじゃあお母さんは買い物に行ってこようかしら。一時間くらいは帰ってこないからね」
母親は背伸びをしてわざとらしくそう言う。
「あ、あのありがとうございました!」
アオイは買い物に行こうとする母親にお礼を言う。すると母親もそれを聞いて喜ぶ。
「こちらこそありがとね。この子、学校での事とかあんまり話さないから上手くやれてるか心配だったのよ。これからも弥勒をよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします!」
そう言って母親はお財布と鞄を持ってリビングから立ち去る。母親がいなくなって弥勒も一安心する。これ以上、色々と言われるのは彼としても気まずかった。
「ふぅ……これで少し落ち————」
「あ、そうだ。避妊だけはきちんとするのよ。お互いまだ学生なんだから」
急にリビングの扉を開く。そこから母親が顔だけ出して弥勒たちに忠告する。その顔は悪戯を楽しんでいるような笑みが浮かんでいた。
「さっさと行け!」
弥勒は母親の発言にツッコミを入れる。するとすぐに母親は居なくなった。そして玄関の扉が開く音がした。今度こそ本当に出て行ったのだろう。
「ま、全く……あの母親は何を言ってるんだろうな。あんまり間に受けるなよ、アオイ」
弥勒は気まずくなった空気を誤魔化す様にそう言う。すると真っ赤になっていたアオイが喋り出す。
「あ、あの……あたし初めてだから……や、優しくしてね……!」
「いやいやしないから! そもそも付き合ってないんだし!」
アオイの発言に弥勒は先ほど以上に慌てる。母親のせいでとんでもない状況に追い込まれる弥勒。
「…………し、しないの?」
「しないわ! そういうのはきちんと付き合ってからだから」
「そ、そうだよね……! そういうのは付き合ってからだよね」
弥勒の説得によりアオイがいつもの状態へと戻る。
「とりあえず部屋行くか。ゲームとかもあるし」
「うん! でもその前にお手洗いを借りて良い? やっぱり脱ぐ前に身だしなみを整えておきたいから」
「いや脱ぐなよ⁉︎」
弥勒は何故か脱ぐ気満々なアオイにツッコミを入れる。しかし彼女はそれに返事をする事なくお手洗いへと行ってしまう。
その間に飲み物やお菓子を準備する。先ほど丁度、コンビニで買ったお菓子から使えそうなものを取り出す。そして残りは茶棚へと入れておく。
弥勒は先に部屋へと行ってお菓子と飲み物をテーブルに置く。そして簡単に部屋を片付ける。元々、部屋にモノはそれ程多く無いためいきなり人を入れても問題ない状態だ。
「ごめんね、お待たせ」
するとすぐにアオイが弥勒の部屋へとやってくる。前にも一度、来ているため迷わずに辿り着けたようだ。そして彼女は何故か弥勒の隣にピッタリとくっついて座る。
「えーと……アオイさん……? 何故こっちに?」
弥勒は正面ではなく隣にくっついて来たアオイに疑問を口にする。
「え……? 何でって何で?」
弥勒が何を言っているか心底分からないといった表情をするアオイ。その瞳に弥勒は何も言えなくなる。
「お、お土産ありがとな! わざわざ届けに来てくれて」
何だか気まずくなった弥勒はお土産の件に関してお礼を言う。彼女が持って来たのはさくらんぼだった。それは母親が既に受け取って冷蔵庫に入れている。
「ううん、お父さんがいっぱい買いすぎちゃってあたしの家族だけだと食べきれなかったから」
「さくらんぼって小さいから食べやすいよな。スイカとかだと一回で食べる量が多くなるだろ?」
さくらんぼだと一回に食べる量を調整しやすい。スイカやメロンは一度切ってしまえば急いで食べなくていけなくなる。
「確かに! 食後のデザートとしても罪悪感ないし」
「食後のデザートは別腹だもんな」
「そうそう。デザートなら無限に食べられるから! あと愛花ちゃんとのデート楽しかった?」
「ああ、楽し……ん……?」
話の流れで頷きそうになった弥勒は違和感を覚えて踏み止まる。弥勒はアオイとさくらんぼの話をしていたはずなのに一瞬で愛花とのデートの話に切り替わった事に気付いた。
「そっかぁ。楽しかったんだ? 羨ましいなぁ、あたしにも何か楽しい事あるかなぁ?」
弥勒の方を向いて首を傾けながらアオイは問いかけてくる。眼が全く笑っていない。
「ははは……今もなかなか楽しいと思うんだけどな……」
「今も楽しいよ? でもね、今だけじゃダメなの。これから先も楽しくないと!」
アオイには焦りがあった。それは森下緑子という強力なライバルが現れた時にも感じたものだ。そのライバルがまだ弥勒を諦めていないというのに更に姫乃木愛花というライバルまで現れてしまった。それが彼女の不安へと繋がっていた。
「今だけじゃダメ……」
弥勒はアオイからの言葉に考え込んでしまう。今まで弥勒は天使を倒して世界の危機が去るまで恋愛をするつもりは無かった。そのため魔法少女たちへの対応はどうしても後手に回ってしまっていた。彼女からの言葉に弥勒はそれを指摘されている様な気持ちになった。
「そうだよな、今だけじゃダメだよな。よし、何かアオイはしたいことあるか?」
弥勒の急なスイッチの入り具合に今度はアオイが戸惑う。先ほどまでの威圧感も霧散する。
「え……? 急にどうしたの?」
「いや今だけじゃダメなんだろ? だったら何がしたいか教えてくれ!」
「う……え、ええと……」
不安により行動を起こしていたアオイはいざ何がしたいか聞かれると戸惑ってしまう。彼女は半分パニックになりながらも考え込むのであった。




