第七十二話 アオイの帰り道
強力なライバルが現れた。
アオイは森下緑子と初めて会った時にそう思った。彼女にとって夜島弥勒というのは特別な存在だ。今でも彼とのランニングは続けており、それは走る事へのモチベーションにもなっている。
だからこそ彼に近付く女性には注意していた。そこに現れたのが森下緑子だった。彼女は明るくお洒落でアオイが自分に欠けていると思っている女の子らしさに溢れていた。
人並みにSNSをやっているアオイとしては彼女の存在は前から知っていた。一年生女子の中でも人気がある生徒だったからだ。だから彼女のアカウントに弥勒との写真が載っていた時にはあまりの衝撃でしばらく固まってしまった。
それ以来、彼女のSNSは必ず朝と夜に確認している。弥勒と何かしていないか確認するのはアオイの日課となった。
GW中に弥勒と緑子が遊園地に行った事を知ったアオイはとにかく羨ましかった。それと同時に自分は家族旅行に行っていたとは言えライバルに差をつけられたのが悔しくもあった。そこで自宅デートを何とか取り付けた。
緑子に負けたく無い一心でお土産の人形に盗聴器を仕込もうかと考えもした。しかし調べてみるとアオイの家まで盗聴器の電波が届かなそうだと分かったので諦めた。
一応、他の方法が無いか調査はしている。彼女にとってのベストは弥勒のスマホにGPSアプリを入れる事だ。
そして家デートでは弥勒の部屋に興奮して彼がいない間に枕に顔を埋めて匂いを堪能したりもした。しかしそれだけでは収まりが付かず、結局は水族館デートまで要求してしまった。
少しがっつき過ぎたかもと反省もしている。しかしそれ以上に弥勒と水族館に行けるのは嬉しかった。
「今日は楽しかったな〜」
そして今日が水族館デートの当日だった。鴇川駅で待ち合わせをして二人で水族館を満喫した。色々な魚を見て盛り上がったのでデートとしては成功だろう。
既に弥勒とは駅前で別れていて、アオイは帰り道を一人で歩いている。楽しいデートだったので余韻を楽しんでいるのだ。アオイとしてはぬいぐるみ交換が上手く行った事が嬉しかった。
「ねー、ミロク!」
アオイは手提げ袋の中に入っているナマズのぬいぐるみに声を掛ける。ミロクは間抜けそうな表情でアオイを見ている。
「でもナマズなのにお風呂はダメなんだよね〜」
ぬいぐるみのため素材的にお風呂はNGである。アオイとしては一緒にお風呂に入ったりしたかったようだ。
「ふへへ〜」
顔がとろけているアオイは不審者のようになっている。そして家にはすぐに帰らず遠回りをして熱を冷ます。
辿り着いたのは毎朝弥勒と一緒にランニングしている公園だ。夜のため人気はほとんど無い。アオイはガラガラのベンチに一人で座る。
「そうだ、弥勒くんにメッセージ送っとかないと!」
そう言ってスマホを取り出す。チャットアプリを開いてメッセージの入力をしていく。
『今日は楽しかったよ、ありがとう!』
とりあえずそこまで入力して手が止まる。
「うーん、この後どうしようかなぁ。またぬいぐるみの話をしたらしつこいかもだし……」
しばらく考えてからメッセージの入力を再開する。
『休校が明けたらまたランニング再開だからね! 忘れないよーに』
出来上がった文章が変じゃないか確認する。そして深呼吸をしてから送信ボタンを押す。するとチャットアプリに文章が送られる。
「よし、これでおっけー! さぁ帰ろう」
メッセージを送ってひと段落した気分になったアオイはベンチから立ち上がる。そして家に帰ろうと歩き出す。すると手に持っていた水族館の袋の持ち手が突然切れる。
ボスン、という音がして袋が地面に落ちる。その衝撃でナマズのぬいぐるみが袋から出てきてしまう。
「え……?」
突然の事態にアオイは言葉を失う。そして背後を振り返るとそこには何もいない。しかし声らしきものは聞こえてくる。
「wuuuuu!」
「メランコリー! ハートチャージ!」
いきなりのためアオイもまだ事態が飲み込めていないが敵がいる事は間違いない。そう思ってアオイは指輪を出してキスをする。するとアオイの全身が光に包まれる。
髪型がお団子ヘアへと変化する。髪と瞳は青くなりメイクが自動で施される。服装もいつものフリフリのものへと変化する。足元のブーツはややスポーティーである。
「勇気の輝きは全ての活力! メリーインディゴ!」
いつもの魔法少女姿になる。そして落ちているぬいぐるみを袋へと戻し一時、その場から離れる。そして目立たない場所に袋を置く。
「ごめんね。少しだけ良い子にして待ってて」
そう言ってからアオイは元の場所に戻る。するとすぐに何やら不穏な気配を感じた。アオイは咄嗟に右へ跳ぶと、先ほどまでアオイがいた地面が弾ける。
「敵がいない⁉︎」
攻撃は起きているのに敵の姿が見えない。アオイはその事に動揺する。しかしすぐにある可能性が思い浮かぶ。
「まさか……」
アオイは魔力を全身から放出させて神経を研ぎ澄ませる。そして再び攻撃が来る瞬間に備える。
「……っ!」
アオイに向かって放たれた攻撃を持ち前の反射神経でかわして、その軌跡を辿る。全力で足に魔力を込めて走り出す。
前へ進んでいくと僅かに景色が揺らぐ場所がある事に気付く。アオイはそこに全力の蹴りを入れる。何かが奥へと吹き飛ぶ。
「wuuu⁉︎」
すると何も無い空間から突然天使が出現する。それはカメレオンの姿をした天使だった。大きさは軽トラほどもある。
「カメレオンの天使……」
敵はアオイの想定していた通りの天使であった。カメレオンの天使は一応、分類上は鳥型の天使に含まれる。かなり強引な分類ではあるのだが。
「嫌だなぁ……」
姿を現したカメレオンの天使を見てアオイは呟く。彼女がカメレオンの存在に気付けたのは今日のデートのお陰である。そしてカメレオンの天使を見て思うのは今日のデートの事である。
「せっかく楽しかったのに……」
カメレオンが口を開ける。すると凄い勢いで光が伸びてくる。アオイはそれを避ける。先ほどまで彼女を襲っていた攻撃の正体はこれだろう。
「ああ……もう……」
「wuuuu!」
攻撃が当たらない事にカメレオンはイラつきの声を上げる。その声を聞いてアオイは敵を睨みつける。
「イライラするなぁ!」
アオイは再び天使へと接近して魔力を纏った拳を相手にぶつける。カメレオンがよろけたのを見て殴り続けていく。
「全部台無しだよ! せっかく気分だったのに!」
アオイにとって今日は最高の日だった。それを天使に壊された。しかも水族館で弥勒と一緒に見たカメレオンの姿で出てくるという形で。それが彼女には許し難かった。
初めて天使に襲われた時に始まり、学校襲撃、そして今回の事件である。彼女の我慢の限界はとっくに超えていた。
殴る、殴る、殴る、殴る。
殴る、殴る、殴る、殴る。
尻尾も、お腹も、口も、目も、関係なくただひたすらに殴っていく。それは拳の雨だった。
「ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく」
その結果、カメレオンの天使は何も出来ずに消滅する。光となって消えていくカメレオンをアオイはつまらなそうに見つめる。
「最悪……」
最後に怒りをぶつけるように近くにあった木を殴りつけるアオイ。魔力を纏った拳により木が折られる。そして地面に倒れる。
アオイはふと自分の拳を見る。すると天使を殴り過ぎたのか指の辺りが真っ赤になっている。
彼女はその後、袋を置いた場所へと戻り変身を解除する。そしてナマズのぬいぐるみを取り出す。一度、地面に転がったため砂を手で払って落としてあげる。
「ごめんね、ミロク。痛かったよね」
ぬいぐるみは喋らない。変わらない間抜け面でアオイを見ているだけだ。それでもアオイはぬいぐるみを見て満足そうな表情をしている。
「さぁ私たちのお家に帰ろっか!」
そのままアオイとミロクは家へと帰るのであった。




