第三百十四話 龍華樹の根本にて
「まだ、です……! まだ終わらないのです!」
女神は崩れ落ちた身体を支えて、弥勒を睨む。そこには強い意志が宿っていた。弥勒はその瞳に呑まれないように見つめ返す。
女神が手を前に出す。そして周りに残っていた力の残滓をかき集める。それを魔法球として弥勒たちへと向ける。それは普通の存在であれば一撃で葬れる様な強力な攻撃だ。
「分かってる。終わりにしよう」
弥勒はそう言って銀の剣を振るう。それにより呆気なく魔法は散ってしまう。その光景を見た魔法少女たちは唖然とした表情を浮かべる。
「あ……」
女神は短く声を上げて倒れる。弥勒はそこにゆっくりと歩いて近寄っていく。彼の目に敵意は無い。ただ女神を真っ直ぐと見つめている。
「一つ聞きたい」
「……なんでしょうか?」
女神は地に伏しながらも弥勒へと視線を向ける。その表情は虚ろであった。自身の力の中核を斬り裂かれたのだから憔悴状態になるのも当然だろう。
「もし俺があの時、元の世界に帰らず神界に残っていたらどうしてた?」
その質問に女神は少しだけ沈黙する。そして彼から目を逸らして質問に答える。
「もしそうなっていたらどれだけ幸せだったでしょう……そうですね……私の使徒として、あなた様には働いて貰っていたでしょう」
「その場合、元の世界にいた俺の存在はどうなるんだ?」
「元の世界にはあなた様の代わりの人形を派遣していたと思います。コピー体の様なものでしょうか。神の望みを叶えた人間の存在を無碍には出来ないですから」
弥勒は龍神を倒すという女神の願いを叶えた。その報酬を出す必要が女神にはあった。そして元の世界の弥勒の家族を悲しませる訳にはいかないため彼のコピー体を作り送り込んでいたという。
「まぁ尤も、あなた様の偽物など不愉快なので、いずれ機を見て破壊していたでしょうけどね」
「そうか……」
女神が悪びれもせずに笑う。その答えを聞いて弥勒は自らの仮説が正しかった事を確信した。
弥勒は自分が「異世界ソロ⭐︎セイバー」の世界の主人公に転生したと思っていた。そしてそれは「やみやみマジカル★ガールズ」の世界と連動しており、そちらが主人公不在のため弥勒が代わりをやっていると考えていたのだ。
しかしそれは違っていた。元々、二つの作品は連動した世界観として設定されており、ミロク・ヨシマという存在は両作品の主人公だったのだ。
物語はこうである。中学を卒業して異世界に召喚されたミロク・ヨシマ。彼は女神の依頼通り、ソロでダンジョンを攻略する。そして龍神を討伐する。それにより彼は女神により報酬を貰う権利を得る。
そこで彼は女神の使徒となる事を選択する。ここで「異世界ソロ⭐︎セイバー」の原作が終了する。
するとミロク・ヨシマがいた元の世界には彼の代わりとなるコピー体が女神から送られる。これはミロクのいた記憶や証拠などを世界中の人間から消したりするよりも、それっぽいものを送り込んだ方が労力が少ないからだろう。
そしてミロク・ヨシマのコピー体が高校に入学する。そこから「やみやみマジカル★ガールズ」の原作が始まる。
人類の環境破壊に怒った神により、天使が遣わされる。それに魔法少女たちが対抗する。表向きはそうなっている。しかし全ては女神が気に入らないコピー体を破壊するための工作だった。だから原作では主人公が死ぬと天使との戦いが終結したのだ。
だからこそ「異世界ソロ⭐︎セイバー」の主人公にはミロク・ヨシマという名前があったが、「やみやみマジカル★ガールズ」の主人公には名前が無かったのだ。
戸籍上は「夜島弥勒」かもしれないが、その実態は女神によって造られたミロクのコピー体である。つまりその存在には本当の名前など無いのだ。だから原作では名前が存在していなかった。
ノベルゲーだから主人公に感情移入しやすいように名前を付けていないと弥勒は考えていた。しかしそれは違ったのだ。本当に主人公には名前など存在していなかったのだ。
弥勒はようやく全ての真実を知った。それにより自らの中にあった枷が外れていく気がした。
「私をどうするつもりですか」
女神は上半身を何とかして起こす。そして気丈にも弥勒を睨み付ける。その瞳には様々な感情が見て取れた。諦めに、失望、後悔、怒り、期待などが混じっている。
「安らかに眠って欲しい」
女神に向かって弥勒はそう言った。その台詞に魔法少女たちはギョッとした表情を浮かべる。しかし言葉とは裏腹にその声には今までで一番の優しさが含まれていた。
弥勒と女神が会うのは今回で三度目である。一度目は異世界に召喚された時。二度目は異世界から帰還する時。そして今回が三度目である。
|龍と宝が眠るダンジョンの底《龍華樹の根本》にて弥勒はようやく女神に救いを言い渡す事ができた。三度目の正直とも言えるかもしれない。たとえそれが彼女自身が望んだもので無かったものだとしても救いなのだ。弥勒が神として与えた救いである。
祈った神にすら救われなかったマリアは、ようやく神から与えられるのだ。それは彼女の心を満たしていく。
弥勒は剣を振るう。それにより彼と女神との間に亀裂が入る。そして女神がいる地面が崩壊していく。そこから覗いているのは次元の狭間である。
女神の身体が虚空へと落ちていく。権能を斬り裂かれた彼女に抵抗する術は無い。いやもしあったとしても抵抗などしなかっただろう。
弥勒はそれを穏やかな表情で見送る。すると彼の傍を何かが通り過ぎた。それは女神を追う様に虚空へと落ちていく。
「ヒコ……⁉︎」「ヒコくん⁉︎」
麗奈とアオイが後ろで叫ぶ。弥勒の横を通り過ぎて行ったのはヒコであった。闇の妖精はくるりと反転して得意げに笑う。
「これであっしの本当の目的が果たせるでやんす!」
「そうか。行くのか……」
「ミロクのお陰でやんすね。ありがとうでやんす!」
「ああ、またな」
ヒコはそう言って女神を追って虚空へと落ちていく。弥勒はそれを再会の言葉で送り出した。
ヒコの本当の目的は女神を止める事などでは無かった。女神と最期まで一緒にいる事だったのだ。
それが何にも干渉しなかった龍神が唯一選択したイレギュラー。自らを誰よりも信じてくれた少女への手向けであった。
そもそもいくらダンジョンに封印されているからと言って借り物の力しか使えない弥勒に神である龍神が敗れるだろうか。その答えはここにあったのだ。
龍神は自らを信じたが故に狂ってしまった女神マリアを救うために力を使ったのだ。弥勒と戦いながらデータを収集して、魔法少女という力を作った。リソースをそちらに割いていたが故に借り物の力しか持たない弥勒に敗れたのだ。
「ちょ、ちょっとみろくっち! ヒコが……⁉︎」
「良いんだ。あれがヒコの出した答えなんだから。見送ってあげよう」
「そんな……ヒコちゃん……」
ヒコが視界から消えていく。その事にみーこもエリスもショックを受ける。他の魔法少女たちも同様だ。それはヒコが愛されていた証である。いつも好き勝手に遊んでいるヒコだったが、いつだって誰よりも真剣に天使との戦いについて考えていた。それはここにいる全員が知っている事だ。
悪友、というのは大げさ過ぎるかもしれないが、そんな存在の消失に魔法少女たちは言葉を失う。
こうして弥勒と女神、魔法少女たちの戦いは終りを迎えた。それから彼らはしばらく何も見えなくなった虚空を見つめて立ち尽くすのだった。
身体が落下していく。
女神はほとんど動かなくなった身体でぼんやりと今までの人生について考えた。
それがどれくらい続いただろうか。
数秒か、それとも数年か、あるいは数十年かかもしれない。時間の感覚が曖昧でよく分からなかった。
ふと自らの腹部に何かの温かさを感じた。彼女はそれをそっと抱きしめた。
それはかつて抱いた祈りにも似た温かさであった。
彼女はその温もりに、ようやく眠れそうだと感じた。
ゆっくりと目蓋を閉じる。
救いというのは案外簡単なものだったのかもしれない。
薄れゆく意識の中で、彼女はそう思った。
もう怖いものなど何も無かった————




