第三百十二話 夢の中の少女
弥勒はいつの間にか夢を見ていた。
それは泣いている一人の少女の夢だ。誰かを助けたくて、それでも助けられなかった少女の夢。弥勒はそんな少女をずっと見ていた。
彼の精神状態はいつもよりスッキリしていた。女神からセイバーの元となる宝玉を取り除かれたからだ。それは彼の力の大幅な弱体化を示す。しかしプラスになった事もあったのだ。
副作用により歪まされていた精神の一部が回復した事である。弥勒の副作用は思考が善人のものになっていくというものであった。それは光の魔力による侵食という風にヒコとみーこから聞いていた。しかし厳密に言えばそうでは無い。
女神の魔力による侵食である。力の大元である女神の思考に、弥勒の思考が片寄っていくというものである。つまり女神の誰かを助けたいという想いに弥勒が引っ張られていたのだ。それがセイバーの力の消失により、身体から抜け落ちた。そして弥勒の思考をクリアにさせた。
弥勒は目の前で泣いている少女を助けてあげたいと思った。それは自分がヒーローだからでは無い。正義のためだからでも無い。
単純に目の前で泣かれていると困るからだ。弥勒の中に元から存在した優しさなんて言うのはその程度のものである。彼は自分を犠牲にしてまで、誰かを助ける様な特異な人間では無い。たまたま転生してしまっただけの普通の人間である。
すると弥勒は今まで見る事しか出来なかった夢の世界で、動ける様になっている事に気付く。試しに彼は歩いて泣いている少女に近寄って行く。
「どうして泣いてるんだ?」
弥勒は目の前の少女にそう問い掛ける。すると泣いていた少女は弥勒へと視線を向ける。灰色の髪をした少女は真っ直ぐに彼を見つめる。
「助けられなかったの……」
少女は弥勒を見てそう言った。その瞳は真剣で、幼い少女には不釣り合いなくらいに大人びていた。弥勒はその視線を真っ直ぐに受け止める。
「助けたかったのか?」
弥勒は「助けられなかった」と言っている少女に対してあまりにも酷な台詞を言う。しかし彼も何も考えずに喋っている訳では無い。
「うん。いっぱい……みんな、助けてあげたいの……」
「全員を助ける必要なんてあるのか?」
「え……?」
弥勒からの質問に少女は目を丸くする。今まで一度も考えた事の無い言葉を言われたからだろう。固まったまま動かなくなる。
「でも、困ってる人は助けないと……」
「そりゃあ無理だろ。俺たちは人間なんだから限界はあるさ」
「違うよ……マリアもお兄さんも神様だよ」
少女は首を横に振って、自身と弥勒を指差す。彼女は自分と弥勒が人間を超越した存在である事を知っている。
「違うよ。俺たちは人間だ。だから誰かを助ける事が出来る。人間を助けられるのはいつだって人間だけなんだ」
「でも……」
弥勒の反論に少女は戸惑う。そして足元にある地面に魔力を与えて花を咲かせる。それを指差す。この力が自らが神である証明だと言っているのだろう。
「それはただの力だよ。俺も君も大きな力を持っただけの人間だ。世界を創造した龍神だって大きな力を持っただけの龍だ。人々の願う神様なんてものは、きっと人々の中にしか存在しないんだよ。仮に神様の席ってのに座るとしたって俺たちの根本は変わらないさ」
「なら私たちはどうすれば良いの……?」
「己の限界を知れば良いんじゃないか? 俺たちにだって限界はあるんだ。全てを助けるなんて出来やしない」
それが弥勒の出した答えであった。龍神の様に全く手出しをしないという訳では無い。女神の様に全てを救おうという訳でも無い。
自らの尺度で、自らの出来るレベルで人々を救う。それが彼が力を手に入れて出した答えである。世界平和のためよりも、自分の住んでいる街である大町田市を守ると考えた方がやる気が出る。そういった自分勝手な答えである。
「それじゃあきっと、長くは続かないよ……?」
何を助けるか、何を見捨てるか。それを自分勝手な判断で決めるという弥勒。それに少女は不安そうな表情をする。神様は平等であるべきだと考えているのかもしれない。
「その時は文句を言って来たやつにやらせれば良いさ。だったらお前が神様やってみろって。この世界に永遠に続くものなんて無いんだから」
世界を続けさせるためにはきっと神様の席というものは必要なのだろう。ただそれは誰か一人がずっと居れば良いという訳では無い。その席に座る存在もまた時代によって変わっていくべきだと考えていた。
龍神から始まり女神へと渡った神様の座は、弥勒も含めてきっとこの先も続いていくだろう。変わる時が来れば、それに相応しい存在が生まれる。
「そっか、お兄さんはそう言う考えなんだ……私には分からないや……」
少女は悲しそうにそう言った。そして弥勒に背を向ける。少女は泣き止んだ。それは少女が望んだ方法では無いかもしれないが。
「行こ、りゅーちゃん」
「ピー!」
するといつの間にか少女の肩には小さな白い龍が乗っていた。そして一人と一匹は歩き出して、幻の様に弥勒の視界から消えてしまった。
すると世界にヒビが入る。弥勒は遠くから自分を呼ぶ声が聞こえて来た。彼は少女と龍がいた場所から視線を外す。そして声がした方を向いて目を閉じた。
「みろくっち!」
目を開けるとそこは神界へと戻っていた。激しい戦いだったのだろう。地形は来た時よりも大きく荒れている。そして近くにはみーこが泣きそうな顔をしながら立っていた。ヒコも嬉しそうに近付いて来る。
「悪かったな。心配かけて」
「ホントだし!」
「ヒコ、他のメンバーにもポーションを使ってやってくれ」
「合点承知でやんす!」
弥勒はそう言って回復ポーションをアイテムバックスから取り出す。そしてヒコへと渡す。するとヒコは回復ポーションを持って魔法少女たちの元へと急ぐ。
みーこがあの状況から回復したのは弥勒が事前に仕込んでいた策が功を奏したからであった。回復ポーションをいくつかヒコに持たせていたのだ。ヒコもアイテムボックスを使えると分かったので、念のために回復アイテムを分割していたという訳だ。
そしてヒコは女神に近寄る際に、魔法少女たちの上をわざと飛んで回復ポーションをみーこの上に落としたのだ。彼女を選んだ理由は遠距離攻撃により、起死回生の手段として弥勒を取り戻せるかも知れないと考えたからである。
事前に回復ポーションを弥勒とヒコで持っておく事を魔法少女たちは聞いていた。みーこもポーションにより意識が戻り、すぐさま状況を把握した。そして女神が油断している隙に弥勒を包んでいる籠を破壊したのだ。ヒコの時間稼ぎが上手くいった結果でもある。
「あなた様はあくまでそちら側につくという事ですか……」
女神は弥勒がみーこのそばに居るのを見て辛そうな表情をする。彼女にとって弥勒はたった一人の救世主である。そんな心の拠り所である弥勒が自分の味方をしてくれないというのは辛いのだろう。
「違う。俺はあなたも助けたいと思っている」
「私を助ける……? 私はすでにあなた様に救われているのです。それなのに何を助けると言うのでしょう?」
「まだあなたは救われてなんか居ない。だから俺がここに居る」
女神は本気で何を言っているか分からないといった表情をする。しかし弥勒はそれを気にしない。そして目を瞑り、意識を自らの内部に集中させる。
「どちらにしろあなた様に勝ち目はありません。セイバーの力を失ったあなた様に私を止める力など無いのですから」
「やっぱり戦うしか無いじゃん……!」
女神が再び戦う意志を見せた事で、みーこも構える。チラリと後ろに視線を送ると既に麗奈とアオイは回復ポーションにより意識が目覚め掛けていた。もう少し女神からの攻撃を凌ぐ事が出来れば、態勢を立て直せると彼女は考えた。
すると目を閉じていた弥勒の身体から魔力が溢れて来る。突然の魔力の奔流に女神とみーこの意識はそちらに向く。その力強さに女神は目を見張る。
「セイバーチェンジ」
そして弥勒の身体が大きな光に包まれた。




