第三百六話 開戦
「さぁ、こちらへいらして下さい」
今までで一番の笑顔でそう言った女神。しかしその言葉に弥勒は動かない。魔法少女たちは心配そうな目で彼を見つめている。
「どうされたのですか? あなたの居場所は私の隣ですよ?」
いつまでも動かない弥勒に焦れったかったのか、女神が催促してくる。それに弥勒は冷たい表情を向ける。
「俺の居場所は俺が決めます。そしてその場所は貴女の隣じゃない」
「…………はい? 聞き間違いでしょうか。あなた様は私の使徒にして、救世主です。どこが相応しい居場所なのか考えるまでも無いですよね?」
女神は弥勒から言われた事が理解出来なかったのだろう。不思議そうな表情をしながらもう一度、弥勒を呼び寄せようとする。しかしその言葉に彼は応えない。
「無駄でやんすよ。ミロクにはミロクの居場所があるでやんす」
そこに来てようやくヒコが口を開く。ハートのサングラスを指で持ち上げながらカッコつけている。その言葉を聞いた女神の表情が抜け落ちる。
「黙りなさい。怠惰な龍神の遣いよ。あなたの主はすでにこの世に存在していない。ここに相応しいのは神たる私と彼のみです。それ以外は必要ありません」
「そうでやんすね。あっしはここに相応しく無いでやんす。ただそれは女神マリアも同じでやんす!」
ヒコは女神の言葉に反論する。彼女を指差してバーンと奇妙なポーズを取っている。きっとヒコなりの決めポーズなのだろう。全然カッコ良くないが。
「女神様、俺には俺の世界がある。それはここじゃ無いんだ。ましてや、あれだけ大勢の人間を傷付けた貴女を許す訳にはいかない」
弥勒は自らの想いをハッキリと口にする。そうしなければ彼女に伝わらないと思ったからだろう。彼からの再度の拒絶に女神は固まる。
「分かりません。あなた様は私の使徒です。つまり私のものなのです! それが何故、分からないのですか⁉︎」
ここに来て遂に女神が声を荒げる。自分が想定していた方向とは逆に話が転がり始めたからだろう。その表情からは焦りが見て取れた。
「俺は誰のものでも無い。それよりも今すぐ天使たちの派遣を止めて、地上への干渉を諦めて欲しい。何をされようが俺が貴女と一緒に進む道というのは無いのだから」
「地上への干渉はもう意味が無いでしょう。それにこうなれば私の取れる選択肢は一つしかありませんから」
女神は悲しそうな表情をする。地上への干渉に意味が無いというのは天使では弥勒を殺せないという事だろう。すでに彼は神の領域へと踏み込んでいる。生半可な大天使では権能ごと砕かれてしまうからだ。
「でもその前に……」
女神はそこでようやく魔法少女たちに目を向ける。それに嫌な予感がした弥勒はすぐさま変身する。
「セイバーチェンジ!」
宝玉が出現し輝く。そして弥勒はセイバーへと姿を変える。そのフォームは片喰の死神である。そしてそのまま彼は必殺技を発動させる。
「無慈悲な聖戦!」
瞬間。弥勒の身体が加速する。それは群青の襲撃者のスピードを超えていた。速度に自信のあるアオイですら目で追えない速度であった。
片喰の死神の必殺技である「無慈悲な聖戦」は加速能力である。思考力、つまり頭脳を強化する力を持っている片喰の死神はそれを極限まで高めると思考が加速する。そしてそれが神経回路にまで接続される事で自身の加速を可能にしているのだ。先読みと加速により相手を一方的に、そして無慈悲に追い詰める。それが片喰の死神である。
つまり今の彼にとって周りは止まっているも同然なのだ。その隙に女神へと一気に接近する。そしてフォームを切り替える。
「カラーシフト!」
漆黒の狂戦士へと姿を変える。もし女神を倒せるとしたらこの力しか無いと弥勒は考えていた。それはこの力の元が龍神によるものだからだ。女神相手に女神から貰った力で戦うのはどう考えても分が悪い。
そのまま拳に魔力を溜めてパンチを繰り出そうとする。そして無型の大天使を倒した必殺技を使用する。
弥勒は一撃で終わらせるつもりだった。女神に攻撃させる隙を与えずに。相手は神である。どんな力を持っているか分からない。そのため最速と最強の組み合わせによる攻撃を行う。
「滅拳」
弥勒は女神へ拳を向ける。集まった魔力が暴れ狂い、敵を喰らい尽くそうとする。
「…………え?」
まさに攻撃が当たる瞬間だった。弥勒の変身は強制解除されてしまう。それに彼は戸惑いの声を上げる。そのまま彼は何かに圧し潰される様に地面へと叩き付けられる。
「私が与えた力で、私を害せると思いましたか? やんちゃなのは可愛いですが、少し反省が必要な様ですね」
女神は地面に這いつくばる弥勒に冷めた視線を向ける。しかしそこに敵意は感じられなかった。あくまでバカをした恋人を叱る彼女の様な雰囲気だ。
「ぐっ……⁉︎」
更に弥勒に掛かる圧力が強くなる。女神は彼に向けて手を伸ばす。すると彼の心臓辺りから宝玉が出現する。それは吸い寄せられる様に女神の手元へと収まる。
「私が与えた力に不純物を混ぜるなんて……ああ、私はとても悲しいです……!」
女神は宝玉を眺めながら悲しそうに呟く。不純物というのは漆黒の狂戦士の力の事だろう。
弥勒は大きな勘違いをしていたのだ。彼は漆黒の狂戦士ならば女神に対抗できると考えていた。龍神から手に入れた力なら女神の力からの影響を受けないと。
しかし実際には違っていた。漆黒の狂戦士が龍神による力だったとしてもベースにあるセイバーの力は女神のものだ。女神が作ったハードに漆黒の狂戦士というソフトを入れたに過ぎない。
それ故に弥勒が女神に敵うはずが無かったのだ。彼に最初から勝ち目など存在していなかった。もし女神に勝てる可能性があるとしたら、女神から力を授かっていない者のみである。
「弥勒!」
弥勒が強制的に変身解除させられたのを見て麗奈が叫ぶ。それに続いて他の魔法少女たちも声を上げる。すると女神は再びそちらへと視線を向ける。その視線には弥勒には向けていなかった敵意が混じっていた。
「龍神の使徒というだけでも忌々しいのに、私の救世主様にもちょっかいを掛ける愚か者たち。もし今すぐに地上へと戻るというなら私もこれ以上の手出しはしないと約束しましょう。目的のものが手に入った以上、あなた方に労力を割く必要もありませんし」
女神の先ほどの不穏な気配はフェイントだったのだ。彼女たちを害する気配を見せれば弥勒は動く。そうして彼を自分の手元へと呼び寄せた。そして彼の確保に成功した以上、彼女たちにもう価値は無かった。
魔法少女やヒコは女神にとって忌々しい存在である。ただだからといってわざわざ関わり合う必要は無いと考えていた。それは天使の派遣についても同様だ。これ以上、もう一つの世界に自身のリソースを割くのは無意味である。そう結論付けた。
「ふざけんじゃないわよ! このままアンタを放置して帰れる訳無いじゃない! 女神だか何だか知らないけど、宗教なら他所でやってくれないかしら⁉︎」
「そうだよ! 弥勒くんだけ置いて帰るなんて出来ないもん! 女神様は自分勝手、猪突猛進すぎるんだよ!」
「いるんだよねー。フラれた癖にそれが理解出来てなくてしつこい人間が。みろくっちはアタシのものだし素直に諦めたら?」
「まるで彼が自分のモノかの様な言い方ね。人間はモノじゃないのよ。返してもらおうかしら、私の愛玩動物を」
「みろーくんだけ置いて帰るなんて出来ません! わたくしたちはずっと一緒にいると約束したのです。仮にも女神の名を名乗るのでしたら、誰かに依存するのは良くないと思います!」
女神にそんな事を言われて魔法少女たちが黙っている訳が無かった。むしろ弥勒を自分のものにしようとしている女神を見て全員激おこ状態であった。彼女たちは勢いよく啖呵を切っていく。自分たちの台詞がブーメランになっている事にも気付いていない位に。
「……良いでしょう。そこまで言うのなら教えてあげましょう。女神の力というものを」
魔法少女たちの好き勝手な言葉に女神はついに怒りの感情を抱く。冷たい視線を向けながらそう宣言するのだった。




