第二百七十九話 車の中での会話
日曜日の朝、チャイムが鳴ったので弥勒は玄関を開ける。するとそこにはエリス家の車を運転している運転手がいた。時刻は9時30分。彼女と約束した時刻である。
「お迎えに上がりました」
「おはようございます。わざわざありがとうございます!」
弥勒は運転手が開けた扉から車の中へと入る。彼が乗り込んだのを確認して、運転手は運転席へと戻る。そして車を静かに発進させる。
弥勒が車の中に入ると、そこにはエリスが微笑みながら待っていた。一目見てお金を持っている人間だと分かる優雅さである。
「おはようございます。今日は晴れて良かったですね」
「おはようございます。雨じゃなくてホッとしてます」
エリスはベージュのニットワンピースを着用している。これが弥勒がリクエストしたことになっている服だ。ニットという服の影響かいつもよりも胸が強調して見える。そして靴も弥勒が選んだ黒いスニーカーを履いている。
弥勒の方も美術館に行くという事もあって綺麗めな格好をしている。ネイビーのセットアップに白いTシャツを着ている。そして靴にはエリスとお揃いの黒いスニーカーを履いている。
「洋服、似合ってますね」
「そうですか? そう言っていただけて嬉しいです。みろーくんのお陰ですね」
弥勒が洋服について褒める。流石に彼が選んだ以上、何も触れないというのは不自然だ。そのため彼は少し緊張しながらも感想を口にした。それにエリスも喜ぶ。
「前から不思議に思ってましたけど、エリス先輩って俺に色々聞いて来ますよね。自分で選んだりはしないんですか?」
弥勒は前から気になっていた事をこの際、聞いてみる事にした。エリスは洋服に限らず、食事のメニューや、雑貨のカラーなどを弥勒に選ばせている。何故、自分で選ばないのかという疑問だ。
「お恥ずかしい話なんですが……わたくし、昔から選んだりするのが苦手なんです。それで頼れる人がいるとついつい聞いてしまうんです。ご迷惑でしたらもう致しませんので……」
エリスが少し曇った表情で答える。彼女は昔からモノを選ぶという事が苦手だった。それは好みが無いという訳では無い。好みはあるが、一人で何かを選んで決断するという事が苦手なのだ。
「いえ、全然迷惑とかじゃ無いですよ。むしろ頼ってくれて嬉しいです。ただエリス先輩の好みじゃないものを選んじゃってたら申し訳ないなと思って」
「本当にご迷惑じゃ無いですか……?」
弥勒が慌ててフォローをする。しかし彼女はそれでも心配な様で彼に伏し目がちに問いかけて来る。
「大丈夫ですよ。むしろエリス先輩ならどんと来いって感じです、ははは……」
「わたくし、そんな優しい事を言っていただけたの初めてで……とっても嬉しいです! ではこれから全部お聞きしますね!」
「え……?」
再度、エリスを安心させるための言葉を言う弥勒。すると今まで落ち込んだ表情だったエリスの顔に活気が戻る。そして嬉しそうにそんな宣言をした。予想外の言葉に弥勒が戸惑いの声を上げる。
「わぁ、良かったです! これからみろーくんに全部聞いて良いなんて……! 後で持っているお洋服のお写真も全部送っておきますのでよろしくお願いしますね!」
「あ、はい……」
どうやら今後の洋服のコーディネートは全て弥勒が決める事になった様だ。彼は自分が大きな判断ミスをした事に気付いて無表情になる。しかしエリスは浮かれていてそれには気付かない。
「そ、そういえば俺、個展って行くの初めてなんですよね」
「そうなんですか? 個展はとっても楽しいですよ。その画家さんの世界観をしっかりと感じる事ができるので」
「へ〜、芸術に疎い俺でも分かりますかね?」
とりあえず話を逸らす事を選択した弥勒。話を本日のメインイベントである個展についてへと切り替える。エリスも特に疑う事なくあっさりとそれに乗っかる。
「もちろんですよ。個展は誰でも楽しめますから。それにわたくしだって、そこまで芸術に詳しい訳では無いんですよ?」
「え、そうなんですか?」
エリスの意外な言葉に弥勒は驚く。お金持ちは芸術に詳しいという謎の方程式が彼の中では存在していた。そのためエリスも芸術には詳しいだろうと考えていたのだ。しかも彼女は美術部に所属している。
「ええ。美術部に入ったのもお父様やお母様から絵を褒められた事があったからですし」
「そうなんですね。てっきりエリス先輩は芸術関係は詳しいんだと思ってました」
「ふふ、わたくしが詳しいのは妖怪についてくらいですよ?」
「いや、それはそれで凄い様な……」
彼女が妖怪を好きなのは弥勒どころか、魔法少女たちもみんな知っている。何故ならコスプレの選択肢にいつも真っ先に妖怪を挙げているからだ。
「お父様からは審美眼を養えとは言われてますが、なかなか難しいです。壺とか全部一緒に見えます!」
「あはは! 確かに壺なんて全然分からないですよね!」
エリスの言葉に弥勒は笑いながら賛同する。異世界でも有名な絵画や骨董品などは見た事あるが、彼にはどれもよく分からなかった。古代文明のオーパーツ的なものくらいしか彼には凄さが分からなかった。
「エリス先輩って美術部ではどんな絵を描いてるんですか?」
「風景画ですね。人を描くのはちょっと苦手です。表情とかが上手に描けないんです……」
「確かに人間って難しいですよね」
人の絵などほとんど描いた事が無いが、弥勒はとりあえず同意する。そもそも彼は絵自体ほとんど描いた事は無い。絵のレベルでいうと下手でも無ければ上手くも無いという一番面白く無いポジションである。
「でも今度みろーくんを描いてみるのは面白いかもしれないです!」
「いやー、絵画のモデルって何時間もじっとしてないといけないんですよね? 何かちょっと大変そうです……」
弥勒の中では絵のモデルは何時間も同じポーズでジッとしているイメージだ。それをわざわざやってみたいとは思えない。
「そうですか……残念です……」
「エリス先輩が描いた絵とかってどこかで見れたりしないんですか?」
再び落ち込み始めたエリスのために話を少し変える。彼女はわりとテンションの変動が分かりやすいタイプのため、フォローがしやすい。
「そうですね……美術室には何枚かあるかもしれませんね。少し恥ずかしいですが、今度お見せいたしましょうか?」
「はい、ぜひ!」
「分かりました。今後はどこの風景を描いたら良いかみろーくんに決めて貰わないといけないですからね。一度、見て貰うのも大切だと思います!」
どうやら今後、彼女が描く風景を選ぶのも弥勒の仕事の様だった。彼はそれを聞いて曖昧に頷く。
「部活はいつまで続けるんですか? 三年生って普通はどこかで引退しますよね?」
「そうですね……わたくしは推薦組ですから、二学期の終わりまではいると思います」
エリスは受験組ではなく推薦組だ。大学についてはこのまま行けば問題なく合格を取れそうという事だった。そのため部活をわざわざ早めに引退する必要は無かった。
「ただ部長職は10月には後輩に譲ろうと思ってます」
「エリス先輩って部長だったんですね。知らなかったです」
「皆さんに何故か勧められて断れなかったんです……でも良い経験でした!」
エリスは美術部部員からの全会一致で部長職へと就いている。しかし部長といっても彼女の場合はほとんどお飾りで、実務は副部長が行っていた。単純に美術部の女神という広告塔ポジションである。
「何か部長って格好いいですよね」
「ほんとですか⁉︎ それならみろーくんも部長になってみると良いですよ?」
「いやいや、俺は部活とか入ってませんし」
自分が企画開発室に所属している事をすっかり忘れている弥勒。尤もあの部活は月音ありきのものなので、彼女が卒業したら自動消滅する部活である。そのため彼が部長になる事は無い。
「それでしたら、魔法少女部の部長というのはどうでしょうか?」
「いやそれは何かヤバい気がします!」
その肩書きでは完全に不審者である。弥勒は慌ててツッコミを入れる。それにエリスが笑う。そんな和やかなムードなまま二人は美術館まで向かうのだった。




