第二百七十話 月音とゲーム
弥勒に撫でられた後、月音は彼にギュッと抱きついた。そして顔を彼の胸でゴシゴシとしている。まるでマーキングしているかの様だった。
「ツキちゃん先輩?」
「……今は月音って呼んでちょうだい」
「……月音?」
「うん……」
名前で呼ばれると月音は少し恥ずかしそうにしながら、弥勒へと再び抱きついて来る。あまりの急展開に弥勒としても頭が追いついていない。ただ彼が口にした「赤ちゃん」という言葉がきっかけだったのは間違いない。
「パ……貴方もギュッとしなさい」
「今、もしかしてパパって言おうとしてました……?」
「ち、違うわ。パンプキンヘッドくんって言おうとしてたのよ」
「無理がありすぎる誤魔化し⁉︎」
月音の強引な誤魔化しに驚く弥勒。しかしそれ以上、ツッコミを入れるのも野暮なので言われた通りに静かに抱きしめる。
「…………」
「…………」
何となく気まずいのか、お互い無言になっえしまう。それでも月音の弥勒を抱きしめる手が緩まないのは、それだけこの行為が気に入っているからだろう。
「コーラ」
「はいはい」
彼女から指示された通りに今度はコーラを飲ませてあげる。そんなやり取りがしばらく続く。すると気付いたら月音は眠ってしまっていた。
「完全に寝ちゃってるな……何やかんやで久しぶりに学校が始まって先輩も疲れてたのかな……?」
弥勒はそーっと月音をソファへと寝かす。寝顔は普段の顔よりも幼く見えた。穏やかそうな表情をしているのもそう見えた要因の一つかもしれない。
久しぶりに学校が始まって弥勒は精神的に少し疲れていた。しかしそれは彼だけではなく、月音もそうだったのだろう。弥勒と違ってバス登校では無いといっても、夏休みからの生活リズムが学校が始まった事で崩れたのは間違いない。誰だって生活リズムが変われば最初は疲れるだろう。
「俺もコーラ飲みたくなってきたな……」
月音がコーラを二本も飲んでいたのを見ていたせいか、弥勒もコーラが飲みたくなってきていた。冷蔵庫を開けてコーラを一本取り出す。そして缶を開ける。
「うまい……」
冷蔵庫でキンキンに冷やされたコーラはとても美味しく感じた。冷房で涼しくなっている部屋にいるとはいえ、夏の暑さに辟易していた気持ちをコーラが癒してくれる。
「うーん、帰って良いものか……」
寝ている月音を放置して帰っても良いものか弥勒は悩む。とりあえず隣のPCなどが置いてある部屋へと戻る。そこで彼は一台のPCを立ち上げる。
それは月音から弥勒に渡されたPCであった。個人的なプレゼントという訳ではなく、部活中に自由に使って良いという意味でのものだ。今までは部室に来ても月音の話し相手になるだけだったので、このPCに触る機会はほとんど無かった。
しかし月音が寝ていて、勝手に帰るのも憚られる今なら時間潰しに丁度良かった。パスワードは顔認証になっているので、何もせずにホーム画面が映し出される。
「確か、いくつかゲームとかも入れてくれてたよな……」
このPCには月音が事前にいくつかのゲームをダウンロードしてくれていた。ただしそれは彼女の独断と偏見により選ばれているので、弥勒の好みに合うかは分からない。彼はゲームと書かれたフォルダをクリックする。
「えーと……『女研究者がメス堕ちするはずがないッ!』、『ラボラブ』、『スメルハンターX』、『監視カメラマスターヲリハ』……ひでぇ、ラインナップだ……」
弥勒は入っているゲームのラインナップを見て絶望する。月音の独断と偏見というか性癖といった感じのチョイスである。エロゲー、ノベルゲー、アクション、シミュレーションとジャンルは色々あるが、どれもやる気が起きないタイトルであった。
「強いて言うなら『スメルハンターX』か……?」
弥勒はとりあえずアクションゲームを起動する。すると真っ暗な画面にひらひらとパンツが一枚落ちて来る。そこに画面がフォーカスされていく。するとそのパンツには「スメルハンターX」というロゴが描いてあった。
「うわぁ……」
とりあえずニューゲームを選択してゲームを開始する。すると世界観の説明が始まる。どうやら悪の組織に拉致された主人公が狼の力を植え付けられる。そこから脱出した主人公が様々な下着泥棒たちと闘うというストーリーであった。
基本的には下着が盗まれる。匂いを追いかける。下着泥棒を倒す。という流れで道中には何故か悪の組織の手下が出現する。弥勒はそれを無心でプレイしていく。
「意外にアクション要素は面白い……」
横スクロールアクションのタイプで、操作は簡単なためすぐに覚えられた。基本的には鋭い爪で攻撃、咆哮で足止めといった感じである。ストーリーは酷いが作りはしっかりしていたので、一時間くらい「スメルハンターX」をプレイする。
「ようやく二体目のボスを倒したか……」
何度もトライアンドエラーを繰り返して二体目のボスを撃破する事に成功する。するとガチャリと隣の部屋へと続く扉が開けられる。
弥勒がそちらへ視線を向けると寝起きの月音がゆっくりとした動作でこちらへとやって来る。まだ眠そうな表情をしているのは目覚めたばかりだからだろう。
「何してるかしら?」
「ゲームです。暇だったんで」
「どれやってるの?」
「えーと、『スメルハンターX』です」
「名作よね」
弥勒がやっているゲームを確認すると、彼女は椅子を引いてきて弥勒の隣へと座る。プレイしているゲーム画面が覗き込める位置に座っている。
「どこまでいったのかしら?」
「マジシャン下着泥棒と情熱下着泥棒は倒しました」
「ならあと六体とラスボスね。まだまだじゃない」
「意外に難しいんですよ。ツキちゃん先輩はこれクリアした事あるんですか?」
「もちろん全クリしてるわ。RTAとかはしてないけれど」
どうやら月音はこのゲームをクリア済みらしい。それを聞いて弥勒は彼女がゲーム好きだというのを再確認する。
「次のボスは成金下着泥棒がオススメよ」
「なるほど。プレイしてみます」
月音に見守られながらゲームをするという流れになる。弥勒としては見られながらプレイするのは若干やりづらかったものの、拒否する程では無いと感じでゲームを進めていく。
「そこよ」「足止め」「そっちに隠しエリアあるわ」「違う。今のは一拍置いてからクロー」「今よ」「まずは避ける」「そのアイテムは取った方が良いわ」
「(めっちゃ口出すタイプ……)」
弥勒のプレイに対して色々と口を出して来る月音。彼女はこのゲームをそれなりにやり込んでいるため弥勒の初見プレイに色々と言いたい事が出てきてしまうのだろう。それを上手く聞きなしながらゲームを進めていく。
「あ……」
しかしボス戦である成金下着泥棒との戦いに敗北してしまう。しかも運の悪い事にそこで残機が尽きてゲームオーバーとなる。またステージの初めからやり直しである。それに弥勒は落ち込む。
「ちょっと貸してごらんなさい」
「はい」
弥勒のプレイを見てうずうずしていた月音がコントローラーを要求してくる。彼は素直にコントローラーを渡す。一回、彼女がプレイしているのを見るのも悪く無いと思ったのだ。
「やるわよ」
そう言って月音は迷う事なく主人公のスメルハンターを動かしていく。敵の攻撃を華麗にジャンプして避けながら進んでいく。そしてあっという間にボスにまで辿り着く。そのままあっさりと成金下着泥棒を倒してノーダメージでステージをクリアする。
「ふふ、どうかしら?」
「凄いですね!」
弥勒の前でカッコつけられたのが嬉しかったのか、月音は珍しくドヤ顔をしてくる。それを彼は素直に褒める。流石に慣れているだけあって、かなりのテクニックであった。ずっと苦戦しながらプレイしていた弥勒としては驚きである。
「なら次のステージは貴方が頑張りなさい。オススメはこの軟派下着泥棒よ」
「分かりました!」
コントローラーを返された弥勒は月音からオススメされたステージを選択する。そして彼女にあーだこーだと指示をされながらゲームをプレイしていくのだった。
結局、最終下校時刻まで残ってゲームをプレイしていた二人。ラスボスのスメル博士を倒して大満足で帰宅するのだった。




