第二百三十九話 アオイとの帰り道
「これでお皿ラスト!」
アオイは最後のお皿を洗い終わる。調理道具を片付けていたマスターはそれを見て彼女に声を掛ける。
「お疲れ様。上がって良いよ。今日はありがとね」
「はい! こちらこそお世話になりました!」
アオイも挨拶をして裏口から外に出る。そして階段を登り、二階の更衣室へと入る。誰も使っている人はいなかったため手早く着替える。
「弥勒くんたちもさっきまでホールの掃除してたよね……?」
着替え終わったアオイは更衣室から出て休憩室へと顔を出す。するとそこには弥勒と京が椅子に座りながら喋っていた。すぐに弥勒が部屋に入って来た彼女に気づく。
「アオイ、おつかれ」
「弥勒くんもおつかれ!」
「きちんと紹介してなかったと思うから紹介するわ。先輩の名張京さん。それで彼女が助っ人の巴アオイさんです」
彼女たちはホールで少しだけ挨拶していたものの、しっかりとした挨拶は交わしていないかった。そのため弥勒が紹介する。
「改めまして、巴アオイです! よろしくお願いします!」
「私は名張京。バリーって呼んで」
「はい、バリー先輩!」
体育会系のアオイは大きく頭を下げてハキハキした声で挨拶する。一方で京の方はいつもの抑揚の無い喋り方だ。
「素直な良い子。弟子にする」
「弟子?」
「私に弟子入りすればどんな男も入れ食い状態。タダ飯には困らなくなる」
「ど、どんな男も……ごくり……」
京のキャッチセールスに引っかかりそうになるアオイ。顔を赤くしながら弥勒の方を見る。彼の方は我関せずの態度を貫く。
「私はアッシーくん、メッシーくん、ネッシーくんがいるくらいモテている」
「そうなんですか⁉︎」
「いやネッシーくんはいないだろ」
アッシーは送迎だけをしてくれる男性、メッシーはご飯を奢ってくれるだけの男性の事を指す。どちらもバブル時代に流行った言葉である。
「ふぉっふぉっふぉっ、ワシに弟子入りするかね」
「よろしくお願いします、師匠!」
「ワシのことは老師と呼べーい!」
「はい、老師!」
よく分からないが、京に弟子入りする事になったアオイ。このままいけば彼女も男子達のブラックリスト入りは間違いないだろう。最も弥勒一筋の彼女からしたら、それは些細な事なのだろうが。
「帰るぞ」
「うん」
ふと我に返って真顔になったアオイを連れて弥勒はサイアミーズを出る。京はマスターの家にご飯をたかりに行くつもりらしく、まだ休憩室に残っているとの事だった。
「ふぅー、疲れたよー!」
「ははは、やっぱりバイト初日は疲れるよな」
「ずっと緊張してたからね。でもマスターも京さんも良い人そうだし楽しかった!」
「京さんは変わり者だけどな」
お店を出て二人で歩き始める。アオイにとっては初めてのバイトだった。そのため彼女の身体には普段とは違う疲れが溜まっていた。
「次はあたしとみーこちゃんのどっちが行くの?」
「うーん、久美さん次第かな。まだ落ち着くまで掛かる様ならどっちかにまた助っ人を頼むかも」
「おっけー! 次は注文取れるようになりたい!」
アオイは自分が次もバイトする姿を想像してやる気を見せる。今日は皿洗いや料理を運んだりと簡単な事しかしていない。そのため他の仕事もやってみたいのだろう。
「だからメニュー覚えないとだね!」
「それなら俺が前に撮ったメニュー表の写真送ろうか?」
「いいの⁉︎ ありがとう!」
弥勒はバイトに入ったばかりの頃、念の為にメニュー表の写真を撮っていたのだ。もし上手く覚えられない場合、自宅でも確認できる様に。
「暗記するの大変だなぁ」
「暗記といえば……夏休みの宿題ちゃんとやってるか?」
「ナツヤスミノシュクダイ……?」
暗記、というワードから連想して弥勒が夏休みの宿題の進捗状況について訊ねる。すると未知の言葉に出会ったかの様な表情をするアオイ。
「さては、やってないな。後で泣きついて来ても助けてやらないぞ」
「がーん⁉︎ 弥勒くんの部屋に宿題を写すという名目で上がり込む計画が……!」
「全部、口に出てるぞ」
「あのぉ、数学だけ……」
「却下」
「……しょぼん」
弥勒に宿題の写しを却下されてアオイは子犬みたいな表情をする。しかしそれに絆される程、弥勒も甘くない。
「お礼にあたしのパンツあげるから! ね、良いでしょ?」
「お前もかよ。ダメに決まってるだろ」
弥勒がそう言った瞬間だった。アオイの表情が一気に抜け落ちる。そして真顔になって彼をジーッと見つめてくる。
「も? 『も』って何? あたし以外とパンツの取引があったってこと? 誰としたの? いつ? どこで? まさか受けた訳じゃないよね? 弥勒くんはそんな事しないよね?」
「お、落ち着け! 取引はしていない!」
枕元に勝手に置いていかれただけで弥勒が取引をした訳ではない。何とかギリギリ嘘にならない言い方でアオイを宥める。
「ほんとのほんとに? それなら宿題も写させてくれるって事?」
「あ、ああ……今回は特別に写して良いぞ……」
「やったー! さすが弥勒くん! やっぱり出来る男は違うね」
弥勒の否定の言葉を信じたアオイ。ちゃっかり宿題を写す権利まで手に入れている。しかも数学だけとは言わなかったので全教科写し放題である。
「なら今度、部屋に行くね。晩御飯は弥勒くんのママとあたしで作るから安心して! 最近は揚げ物にも慣れて来たし!」
「へー、それは凄いな。着実に成長していってるんだな」
実はアオイは弥勒の母親と連絡先の交換をしていた。たまにチャットでお喋りする仲である。そのため弥勒の家に行けば自動的に一緒にご飯を作る流れになるだろう。
すでに自分の母親とアオイが仲良くなっている事に関してはツッコミを諦めた弥勒。料理が上達している事を素直に褒める。すると彼女も嬉しそうな表情をする。
「そうだ、今日は夕飯うちで食べて行きなよ」
「え? いきなりだな。流石に迷惑だろ」
「そんな事ないよ。ママもまた弥勒くんに会いたいって言ってたし、きっと喜ぶよ!」
アオイはポケットからスマホを取り出して母親へと連絡する。するとすぐに返信がやってくる。そのメッセージを見て彼女はニッコリする。そしてスマホの画面を弥勒へと見せる。
「ほら、大丈夫だって!」
「マジか。なら俺の方も家に許可取るわ」
弥勒もスマホを操作して母親に夕飯を友達の家で食べる事を伝える。するとこちらもすぐに了承のスタンプが送られてくる。
「おっけー、許可取ったわ」
「やったー! 弥勒くんが家にくるとメニューが豪華になるんだよね〜。ママが張り切って作るから」
アオイは弥勒が家に来る事だけでなく、晩御飯が豪華になる事も喜ぶ。初めてのバイトでエネルギーを使ったからお腹が空いているのだろう。
「ご飯の話してたからお腹空いてきたな」
「確かに! でももう少しで家に着くから問題なし! 晩御飯まで待てなかったらお菓子もあるし」
弥勒や魔法少女たちは不定期に訪れて来るヒコのために何かしらのお菓子を常備している。
途中の道を曲がってアオイの家を目指す。その間、二人はお気に入りのお菓子について語っていた。そして彼女の家に到着する。
「たっだいま〜!」
「お邪魔します」
アオイが元気良く家の中へと入っていく。弥勒もそれに続く。アオイは靴を雑に脱いで家の中へとドタドタと入っていく。弥勒は自分の靴を揃えるついでに彼女の靴も揃えておく。
「おかえりなさい。弥勒くんもいらっしゃい」
「ママただいま〜!」
「お邪魔します。すいません。突然、晩御飯を準備していただいて」
リビングへ入るとアオイの母親の桔梗が暖かく出迎えてくれる。弥勒はまず急なお願いをした事を謝罪する。
「いいのいいの。どうせこの子が無茶言ったんでしょ?」
「そんな事ないもーん」
「ありがとうございます」
桔梗は聞かずとも事情を察していた様だ。それに弥勒は感謝する。
「弥勒くんが来るって聞いて私も張り切ってご飯作ってるから、遠慮せずに食べていってね。それとアオイは料理を手伝うこと」
「えー、でも弥勒くんと部屋で……」
「アオイ?」
「はぁい……」
観念したアオイは桔梗へ台所へと連れていかれる。置いてけぼりにされた弥勒はとりあえずリビングにある椅子へと座る。そして料理が出来上がるまで大人しく待っているのだった。




