第二百三十三話 総理大臣
「ふぅ……」
記者会見が終わり、会議室へと戻ってきた黒田は大きく息を吐きながら椅子へと座った。既に六十代の後半に差し掛かろうというのに彼の見た目は力強さがあった。それは総理大臣としてこの国を支え続けてきた厚みに他ならない。そんな彼を持ってしても今回の事件は溜め息を吐かざるを得なかった。
会議室にはすでに各省庁のトップや重鎮たちが揃っている。そういった場で黒田が溜め息を吐くのは珍しかった。
「総理、お疲れ様でした」
最初に話し掛けて来たのは国土交通大臣の角谷である。ふくよかな体型で額には大粒の汗をかいている。年齢は四十代後半と大臣の中ではまだ若手である。彼もまた今回の件で苦労している人間の一人である。
「うむ。それで狩野くん、君の要望通りにテロリストのせいにしたが本当に問題無かったのかね?」
狩野、と呼ばれた男は防衛大臣である。先ほどの記者会見にも参加していた。そして記者会見で黒田が口にしたテロリストという言葉は狩野からの要望であった。
「ええ、ありがとうございます。実際に防衛省には今回の事件に便乗したテロ組織からの犯行声明がいくつか届いています。天使とやらの存在を公にするよりかはいくらかマシでしょう……」
「そうだな。それにしても防衛大臣である君が天使の存在を肯定するとは、正直意外だったよ」
「もちろん総理から渡された資料だけでは信じられなかったでしょう。ただこちらでもある程度、裏付けが取れましたので」
総理に対して堂々と「信じられなかった」と言い切るのは彼の長所でもあり、短所でもあった。しかし防衛大臣を担うならば、それくれいの胆力は必要だと黒田は考えていた。
「それでは今一度、資料を確認して情報を共有しておきましょう。狩野大臣の言う裏付けも含めて」
そう言い出したのは内閣官房長官を務める男。彼は部下に指示を出して室内を少し暗くさせる。そして壁に掛けてあるスクリーンにとある映像を映し出す。会議室にいる全員がそれに注目する。
流された映像は天使が暴れているものだった。画角からして、どこかの監視カメラの映像だろう。それを見て何人が唸る。
「うーむ、疑っている訳では無いですが……俄には信じがたいですねぇ」
「最近は映像技術も進歩が目覚ましいですからな。何がフェイクで何が真実か……我々、素人には判断が難しいですな」
「すでにこちらの映像については専門家に加工動画では無いというお墨付きを貰ってはいます」
官房長官は疑いの声を上げる二人にそう答える。しかしそう言っている本人ですら、半信半疑であった。
映像はそこからモザイク処理された何かが登場して、天使を倒す所まで映っていた。魔法少女やセイバーには自動でジャミングする機能があるため映像にはその姿が残らないのだ。
「加工の跡が無いという割にはモザイクがあるがね……」
「こちらは撮影をジャミングする電波のようなものが一時的に発生していたのでは無いかというのが専門家の意見です」
スクリーンには動画の鑑定をした人物からの鑑定証明書が映される。そこにあった名前は高名な映像研究者のものであった。
「それで狩野くん、君の言っていた裏付けというのは何だね」
黒田が防衛大臣にそう問いかける。すると彼は自らの背後に立っている男性へと合図を送る。その男性は素早く一歩前に出てくる。
年齢は四十代前半だろうか。がっしりとした体型でよく鍛えられているのが一目で分かる。そして彼は自衛隊の制服を着用していた。
「彼は陸上自衛隊所属の馬場村二等陸佐だ。彼の率いる小隊はすでに一度、天使と接敵している」
「「「⁉︎」」」
狩野の発言にその場にいたほとんどの人間が驚く。黒田は予め予想していた様で動揺は少ない。
「正体不明の化物が出現したのだ。調査を行うのは当然でしょう。馬場村、その時の状況を報告してくれ」
「はっ! 陸上自衛隊の馬場村です。私たちが天使を発見したのは8月7日の深夜25時43分です。大町田市にある公園にて猪の姿をした天使と接敵しました」
「そ、それでどうなったのかね……⁉︎」
馬場村の報告に、会議室にいたメンバーたちの表情が強張る。実際に天使と遭遇した人間がいるというのは彼らにとっても映像以上の衝撃だったのだろう。
「こちらの攻撃は全く効かずでした。銃火器なども全滅です。幸いにも敵の攻撃手段は突進のみと単調だったため、こちらに被害は無かったです。しかし勝利する手も無いので、一時的に撤退。その後に例の魔法少女とやらが天使を処理するのを確認しました」
「ま、街中で堂々と銃火器を使用したというのかね⁉︎ そんな事バレたら一大事だぞ!」
馬場村の報告に大臣の一人が慌てた様に立ち上がる。他のメンバーもそこまででは無いが、彼と同じ様な表情をしている。すると防衛大臣の狩野が口を開く。
「結果としてバレていないので問題ないでしょう。我々としても無作為に天使を探していた訳でありません。作戦を練った上での行動です」
天使はほとんど大町田市でしか目撃証言が無い。そのため事前に戦えそうな場所をいくつかピックアップしておき、そこの近隣住民には騒音が発生する可能性について説明していたのだ。しかしそういった作業や場所を絞ったせいで、実際の天使と遭遇するまでにそれなりの時間が掛かってしまったのだが。
「むむ……まぁ、いや……そうですな」
狩野の言葉に、慌てていた大臣の方は納得した様な、していない様な絶妙な表情をする。とりあえずは呑み込む事にしたのだろう。
「それで魔法少女とやらはどうだった?」
話を先に進めようと黒田が馬場村に尋ねる。
「あっさりと倒していました。私が見たのは青い姿の魔法少女でしたが、銃火器が効かない相手を簡単に殴り飛ばしていました」
「それほどか……」
「では次の資料にいきましょう。こちらが魔法少女とその関係者と思われる者たちです」
タイミングよく官房長官が資料を切り替える。スクリーンに映し出されたのは未成年と思われる少年少女たちの写真だった。それを見て黒田は顔を顰める。
「魔法少女と思わしき人物は五名。全員が大町田高校の生徒です。上から順に姫乃木麗奈、巴アオイ、森下緑子、神楽月音、エリス・ルーホンになります。そしてセイバーと呼ばれている少年も同じく大町田高校に通う夜島弥勒という人物です」
「神楽……ですか……」
「ルーホンというのは……」
月音の名前に反応したのは経済産業大臣である。日本が世界に誇る大企業「神楽コーポレーション」を大臣が知らないはずが無い。またエリスの名前に反応したのは外務大臣である。日本にいるルーホン家は分家だが、とある国にある本家の方は大使や外務大臣なども輩出したことのあるエリート一族だ。
「現時点で我々に打つ手が無い以上、彼女たちを支援する他ない」
あっさりとそう言うのは狩野である。彼にとって一番大切な事は国防である。そのために使えるものは何でも使うと言うタイプの人間だ。
「こんな子供たちに……⁉︎」
「こんな大人たちが何も出来ないんだから仕方ないでしょう」
狩野は笑って自分たちを指差す。国を動かしている自分たちが集まっても何も出来なかった、と皮肉を言っているのだ。
「心苦しいが、狩野くんの言う通りかもしれんな」
「総理……⁉︎」
「君の気持ちも分かる。まだ未成年の子たちに任せるには重すぎる事実だ。本来なら世界の命運なんてものを数人の少年少女たちに背負わせるべきではない。しかし、賽は投げられたのだよ」
黒田の強い意志が籠った言葉に大臣は口を閉じる。彼にも分かっているのだろう。自分ではどうしようも無い事が。
「幸いにも残る大天使とやらは一体だ。それさえ倒せれば我が国にも再び平和が戻る。狩野くん、いくつかあった懸念事項については?」
「はい。例の記事については公安から出版社に圧力を掛けてますから問題ないでしょう。ネットについても必要以上の削除はせずに例のチャンネルへの誘導に留めておきます」
「うむ、それで良い」
「それでは本日の会議はこれで解散という事で。お疲れ様でした」
話が纏まったため官房長官が会議の終わりを宣言する。すると各々、席を立ち帰り始めるのだった。




