第二百十一話 バイト二日目
「おはようございます!」
「おー、おはよう」
弥勒は元気に挨拶をして店内へと入る。すると既にそこにはマスターがいた。店内で何やら作業をしている。彼女も弥勒に向かって挨拶をする。
「今、上で久美が着替えてるから少し待ってて」
「はい」
弥勒はマスターの指示に従って一階で待機する事にする。下手に二階へ上がると久美という女性と鉢合わせする可能性がある。まだ面識が無いため、最初はマスターに間に入ってもらった方がスムーズに挨拶できる。
「昨日重いもの運んだでしょ? 筋肉痛になったりした?」
「いえ、大丈夫でしたよ」
「うわー、凄いね。私なんて筋肉痛は一日遅れで来るからね。歳って嫌よね」
昨日、弥勒は大きな氷の塊を運んだりしていた。そのためマスターは彼が筋肉痛になったと思っていたようだ。しかし弥勒がその程度で筋肉痛になるはずもない。
「マスターって母さんとどんな知り合いなんですか?」
弥勒はふと疑問に思ったことを聞いてみる。彼としては自分の母親と目の前にいる女性の接点が見出せずにいた。
「え? 同級生だけど」
「同級生……? 母さんの後輩とかでもなく?」
彼女の言葉に驚く。紬の見た目はかなり若く見える。弥勒としては彼女の年齢は母親よりも五つくらい下だと思っていたのだ。そのためまさか同級生とは思ってもいなかった。
「あら、聞いてないの。愛女で同じバレー部だったのよ。愛女って愛原女子のことね」
「母さんって愛女出身だったのか……」
弥勒は自分の母親が愛女出身だと聞いて驚く。愛花たちが通っている学校である。しかもバレー部といえば先日の霊型の大天使騒動の被害者、大島日菜乃が所属していた部活だ。
そんな話をしていると裏口の扉が開く音がした。そしてすぐに一人の女性が姿を現す。黒髪のおかっぱ頭に白いメガネを掛けている。身長は170cmくらいでスレンダーな体型だ。眼つきが鋭く、年齢は京と芽衣よりも上に見えた。
「お待たせしました」
「お、来た。久美、この子が例の新入りよ」
「夜島弥勒です。よろしくお願いします!」
マスターの発言に合わせて弥勒は久美と呼ばれた女性に頭を下げて挨拶をする。すると彼女の方も口を開く。
「三本松久美よ。よろしく」
「今日は最初にレジを教えてあげて」
「分かりました」
マスターの指示に久美は頷く。そして黙々と開店の準備を始める。昨日の二人とは打って変わって物静かなタイプである。
「弥勒くんも着替えてきて良いよ」
「はい」
挨拶も済んだため弥勒も着替えに二階へと上がる。芽衣は時間的に遅番でやって来るという事だろう。更衣室のプレートを「男性使用中」へと変えてから素早く着替えを済ませる。そして店内へと戻る。
「夜島くん、レジについて教えるから来て」
「はい」
久美に呼ばれた弥勒はレジの前へと行く。そこでレジ操作について説明を受けていく。まずは現金の取り扱いとQRコード決済について習う。その後に電子マネー、最後にクレジットカードでの支払いについて学ぶ。
またサイアミーズではポイントカードを発行しているため、それについても説明を受ける。五回来店で飲み物が無料になるというシンプルなものだった。
「ポイントカードについてはこんな感じ。本当は二回目の来店に何かしてあげた方が良いと思うんだけど……」
飲食店というのは二回目の来店がかなり重要になって来る。ここを乗り越えてくれるとお客が定着しやすいのだ。そのため二回目の来店に繋げるサービスというのがあると集客に繋がる。
久美はそれを気にしているらしいが、マスターの方はあまり気にしていないという事だった。
「説明はこんなところ。何か分からない所とかあるかしら?」
「大丈夫です」
「なら後で実践ね。最初は一緒にやってあげるから」
「ありがとうございます!」
そこから店内の掃除をしていたマスターに報告して、開店を待つ事にする。すでにお店の外には並んでいるお客が何人かいる。若い女性がほとんどだ。
「よし、少し早いけどオープンしますか」
「「はい」」
マスターがそう言って入口の扉を扉を開ける。そしてお客を店内へと入れていく。
「「いらっしゃいませ」」
弥勒と久美はまずお客を座席に案内してからお冷を準備する。そして同時にオーダーを取っていく。マスターはオーダーに従って料理を作っていく。
「はい、3番と8番ね」
「はい!」
そして出てきた料理を指定されたテーブルに運んでいく。特にミスをする事なく順調にオーダーを捌いていく。
「ごちそうさまでーす」
「ありがとうございます!」
会計のために立ち上がったお客に弥勒が反応する。それから彼はチラッと久美の方に視線を向ける。すると彼女も頷く。
「ポイントカードはお持ちですか?」
「持ってないです」
「よろしければお作りいたしましようか? 五回来店でお飲み物が無料となりますが……」
「大丈夫です」
習った通りに会計を進めていく。近くで久美が見守ってくれているので、弥勒としても安心して作業が出来た。
「「ありがとうございましたー」」
無事に会計を終わらせてお客を見送る。それから久美が弥勒の方へと向き直る。
「問題無さそうね。もし分からない事があったら遠慮なく聞いてちょうだい」
「分かりました」
そこからしばらくはお互いの仕事をしていく。するとお昼近い時間になって芽衣がやってくる。
「お疲れ様ですぅ」
「おつかれ。弥勒くん、お昼休憩入っていいよ」
マスターから言われて弥勒はお昼休憩に入る。裏口から出て二階へと上がり、休憩室に入る。そして冷蔵庫に入れておいたおにぎりを取り出す。これは朝、自分で握ったものだ。ご飯を炊いたのは母親だが。
具材は何も入っておらず、ただの塩むすびである。拳くらいのサイズと平均より少し大きめで、それが三つある。具材を入れなかったのは冷蔵庫の中に適した食材が入っていなかったからだ。弥勒としては食べられれば問題ないので、気にしていない。
「いただきます」
鞄に入れておいた水筒も持ってきて、ご飯を食べ始める。金欠のためバイトしているので外食をしてしまうと手に入る金額が少なくなってしまう。そのため下手くそなおにぎりをわざわざ作ってきたのである。
周りには誰もいないので黙々とおにぎりを食べ進めていく。スマホを開くとそこにはエリスからチャットが入っていた。
『こんにちは。どちらのアクセサリーの方が素敵だと思いますか?』
写真と共に別々のネックレスを付けたエリスの写真が送られてきていた。一枚目は猫の形をしたもので、二枚目はリボンの形をしたものである。
「リボンの方が可愛いかも、です」
弥勒はそう考えて返信する。これは定期的にやってくるエリスの二択問題である。何かを購入する時などに意見を求めて来る事が多い。彼はそれに気楽に答えている。
そして休み初めて30分くらいで部屋に久美が入って来る。どうやら彼女も休憩に入った様だ。
「お疲れ様です」
「お疲れ様」
久美はそう言って彼女も冷蔵庫からお弁当を取り出す。そして弥勒の近くに座ってご飯を食べ始める。
「まだ二日目だけど、少しは慣れたかしら?」
「はい。何とかやっていけそうかなって思ってます」
「それなら良かったわ。芽衣と京が何かしてきたら言ってちょうだい。私から注意するから」
「あはは……ありがとうございます。でも大丈夫だと思いますよ」
久美の口ぶりからして芽衣と京の自由さに手を焼いているのだろう。弥勒を心配する素振りを見せて来る。それに彼も感謝する。
「なら良いんだけどね。あの二人も仕事はしっかりしてくれるんだけど、それ以外の言動がね……」
「確かに独特ですよね。でも一緒にいたら楽しいですよ」
「それはきっと最初のうちだけよ。でも夜島くんみたいな真面目なタイプが応援に来てくれて助かったわ」
「そう言って貰えると嬉しいです!」
そこから弥勒は久美と少しお喋りをしてから仕事へと戻るのだった。そして早番で入ったため閉店時間の少し前まで働くのだった。




