第二百十話 サイアミーズ
「期待の新人連れてきた」
一階に降りて裏口から中に入った瞬間、京がそう口にする。すると調理場で皿洗いをしていたマスターがそれに反応する。
「あら、もうこっち出れそうなの? 早いじゃない」
「私が育てた」
マスターの言葉に京が腕を組んで偉そうにしている。いつの間にか弥勒は彼女に育てられていた様だった。
「それはむしろ不安要素ね。とりあえず基本的な事を説明してあげて」
「合点承知」
二人は流しで手を洗ってからホールへと出る。すでにそこには一人の女性が接客をしていた。まだ弥勒が挨拶を済ませていない人物である。
「はぁい、抹茶小豆とダブルベリー&ミルクですね。ありがとぉございます」
肩より少し長いくらいのウェーブした髪。色はオレンジブロンドと明るめだ。垂れ目に少しのんびりとした動作、喋り方をしている。制服のエプロンに少しフリルを付け足している。身長は150cmを超えたくらいだろうか。胸は一目見て分かるくらいには大きい。
京はそちらには触れずにホールでの仕事の説明を始める。まず彼女はカウンター席へと手を向けた。指差さないのはお客もいるからだろう。
「カウンター席を奥から1〜5で割り振ってる。二人席が奥から6〜10になってる。それでテーブル席が11〜13。会計とか料理を届ける時に使う。伝票にも書く番号だから覚えておいて」
「はい。もしテーブル席を二人ずつ使う場合にはどうなりますか?」
「11-a、11-bになる」
「なるほど。ありがとうございます」
弥勒は各テーブルの番号の割り振りの説明を聞く。これが無いと会計や料理を運ぶ時に困る。それから注文の取り方や、後片付けについて説明を受ける。
「大体こんな感じ。もし食品の産地とか聞かれたらこっちに振っていい」
「分かりました」
弥勒が返事をすると京はもう一人の女性の方へと向かう。
「芽衣、休憩いいよ」
「はぁい」
京に芽衣と呼ばれた女性は休憩室へと向かうためにカウンター側に行こうとする。すれ違いざまに弥勒は頭を軽く下げる。お客のいるホールでのんびりと自己紹介をする訳にもいかないので代わりに頭だけ下げたのだ。すると彼女の方もパチっとウインクをして通り過ぎる。
するとかき氷を食べていた女性二人組が立ち上がる。お会計の様だ。それを見ていた京がレジへと向かう。弥勒は言われた通りに二人分の食器を下げる。カウンターの中へと入り、流しに浸ける。そして再びホールへと戻る。
「すいませ〜ん」
「はい」
「トッピングの小豆って今からでも注文できますか?」
お客に呼ばれた弥勒はすぐさま接客に入る。かき氷を食べていた女性が追加でトッピングを欲しくなった様だ。
「大丈夫ですよ。ただし別皿のご提供になってしまいますが、よろしいですか?」
「それで大丈夫です」
「かしこまりました」
弥勒は一礼してから調理場にいるマスターへと声を掛ける。彼は先ほど説明を受けた番号に気をつけながらオーダーを伝える。
「7番小豆トッピングの追加でお願いします!」
「はいはいー」
注文を聞いたマスターが返事をする。それにホッとする弥勒。特にオーダーの受け方に問題は無かった様だ。
「はい、6番」
「ありがとうございます」
そしてすぐに別のかき氷が渡される。弥勒はそれを受け取り伝票を確認する。そして6番のテーブルにかき氷を運ぶ。
「お待たせしました。キウイ&ヨーグルトとブラッドオレンジ&マスカルポーネになります。伝票はこちらに置いておきますね」
「可愛い〜!」
「美味しそうだね」
かき氷を運んだお客が嬉しそうな反応をする。それからすぐに一つ前の小豆を追加したお客に小皿を持って行く。
そこからしばらくはそういった事の繰り返しであった。幸い訪れていた客のほとんどがかき氷目当てだったため弥勒としてもそれほど苦戦せずに済んだ。
数時間、ホールでスタッフとして働く。レジこそ出来ないものの、基本的なオーダーや後片付けなどは対応できる様になった。そうして客足が落ち着くまで慌ただしく過ごした。
「お疲れ様。バイト初めてにしては動き良かったわね」
「ありがとうございます。まだ色々、覚える事も多いので頑張ります」
マスターから声をかけられた弥勒はそう返事をする。
「うんうん。精進したまへ、若者よ。そういえば芽衣とは挨拶した?」
「いえ、まだです」
「そっか。ちょっと待ってて」
芽衣というのがもう一人の女性の名前なのだろう。マスターはカウンターから出て彼女を呼びに行く。するとすぐに彼女はやってきた。
「新人くんだねぇ。あたしは美旗芽衣だよぉ」
「初めまして。夜島弥勒です。よろしくお願いします」
「弥勒くんかぁ。よぉしくね」
「芽衣はこう見えてうちのスーパーエースだから。チラシのデザインからクレーム対応まで何でもごされって感じ」
お互いに自己紹介した所でマスターが芽衣について補足をする。その説明に表情こそ変えないものの弥勒は驚く。
「そんな事ないですよぉ。京ちゃんの方が素早いですしぃ」
「素早いて何よ。まぁいいわ、とりあえずラストまでもう一踏ん張り頑張りましょう!」
「「はい!」」
マスターの号令に二人で頷く。それから閉店まで四人で忙しなく働く。閉店する頃には初めてのバイトという事で弥勒も久しぶりに疲れを感じていた。ただこれはどちらかというと精神的なものである。肉体的には一週間徹夜をしても問題ないレベルで動ける。
「ふぅー」
そしてようやくお店が閉店した事で弥勒も大きく息を吐く。するとそこに他の三人がやってくる。
「どうだった、初日は?」
「緊張して少し疲れました」
「あはは! 初々しいね。あんた達には無い若さじゃない?」
マスターは弥勒の台詞に笑ってから他の二人に話を振る。すると芽衣と京は首を横に振る。
「えー、若さが無いのはマスターだけですよぉ」
「そう。マスターは若作りしてるけど実は結構なオバサン」
「あんたら、しばき倒すわよ」
お互い遠慮なく言い合っている光景に弥勒は笑いそうになってしまう。仲が良いのが十分伝わってくる。
「でもうちとしては即戦力だったからありがたいかな。明日もよろしく頼むよ」
「はい!」
「明日のシフトはあたしとくーみんだねぇ」
「久美は弥勒みたいなタイプ、好きそう」
「少なくともあんたらのコンビよりは気にいるだろうね……」
明日は久美と呼ばれた女性がシフトに入っている様だった。マスターの物言いはどうかと思うが、確かに弥勒から見ても目の前の二人は中々クセが強いとは思った。
「とりあえず後は私がやっておくから皆、今日は上がりな」
「「「ありがとうございます」」」
後片付けを引き受けてくれたマスターにお礼を言って弥勒たちは二階へと向かう。陽が傾いているとは言え、真夏のため外はかなりの暑さとなっている。
「うちの制服を男の子が着たのは初めて見たけどぉ、なかなか可愛いねぇ」
「オスのシャム猫」
「シャム猫?」
京に突如、オスのシャム猫と言われ首を傾げる弥勒。すると彼女が解説してくれる。
「ここのお店の名前の『サイアミーズ』ってシャム猫って意味。マスターの飼ってるシャム猫が由来」
「制服もねぇ、シャム猫をイメージしてるんだよぉ」
「だから私たちはある意味、マスターのシャム猫って訳」
「「にゃ〜!」」
「な、なるほど……」
二人で揃えて招き猫の様なポーズをする。いきなりの事に弥勒は驚いて上手く返せなかった。
制服のワイシャツとパンツがクリーム色、エプロンが茶色なのはマスターの飼っているシャム猫の色という事だった。説明を聞いて納得する弥勒。
「あれぇ? コンパでは百発百中の必殺技なのにぃ……」
「脳みそまで猿な大学生と弥勒は違う」
「ほぉほぉ、どぉして?」
「私が育てた」
「きゃー!」
二人はそんな会話をしながら更衣室へと入った行った。弥勒はその間、休憩室で待機する。初めてのバイトではあったがマスターも含め、周りの人間は良い人が多そうだった。クセが強いのが玉に瑕だが。
そして二人が着替え終わると弥勒も更衣室で着替えて自宅へと帰るのだった。マスターの言っていた通り、翌日もバイトが控えているのでその日は早めに就寝した。




