第百八十一話 穂波への対応
どんなに憂鬱でも月曜日はやって来る。
霊型の大天使との戦いでの疲労は大きいものの、弥勒たちは普段通り登校する。昨日の戦いでは町高の生徒たちの被害はあまり無かった様だ。そのため休校などにはならなかった。
愛女も同様である。霊型の大天使は弥勒たちを愛女に誘き寄せるために幽霊騒動を起こした。あくまで囮として使われただけで、実際に昏倒した生徒は少なかった。愛花たちは大事をとって休んでいる様だが。
弥勒は教室に入って自分の荷物を机にひっかける。そして時計を見て授業が始まるまでまだ時間があるのを確認する。
弥勒が隣の机に顔を向けると麗奈もこちらが視界に入る様な方向を見ていた。そこでアイコンタクトをして彼女を廊下に連れ出す。弥勒が先に出て屋上へ続く階段の踊り場まで歩く。すると麗奈も少し離れながらその後をついてくる。
そして周りに誰もいないのを確認してから弥勒が口を開く。彼としては一度、昨日の件について擦り合わせをしておきたいと考えていた。
「朝のニュース見たか?」
「集団昏倒事件でしょ? お酒を飲み過ぎた人たちが倒れたせいで周辺がパニックにってやつ」
「ああ、そんな感じだったな」
今回の騒動を報道では集団昏倒事件として取り上げていた。大町田駅周辺でお酒を飲んでいた集団が飲み過ぎにより気絶してしまう。それにより周囲にいた人たちにパニックが広がり、過呼吸などで倒れる人たちが続出した。そう報道していた。
確かに大天使によって眠らされた人たちの中には酔っ払いもいたのかもしれない。事件当日は休日の昼間だ。お酒を飲んでいた集団がいてもおかしくはない。
真実とは大きく異なるものの、弥勒たちとしてはありがたい形の報道となった。しかしSNSを中心とするネット界隈ではやはり大町田市で連続している怪奇現象に多くの人が注目している様子だった。
その中には昏倒したらしき人の意見もあった。気付いたら地獄の様な場所にいたと。ただし周りからは嘘だと思われていた様だが。
「今回は魔法少女の目撃情報は少なかったみたいね」
現実世界での戦いは周りの人たちが眠っていた影響により目撃者は少なかった。そのため今までの大天使戦ほど麗奈たちの姿は見られていない。
「現実世界はな。夢の世界はどうか分からんぞ」
弥勒は声のボリュームを落として言う。現実世界にあまり人がいなかったという事はその分、夢の世界に閉じ込められた人が多かったという事だ。そちらでは弥勒がセイバーとして、愛花と凛子が魔法少女として戦っている。
「昨日からチャンネルの登録者が増えてきてるのよね。ドカンと増えた訳じゃないけど……」
「やっぱりそっちに影響が出るよな」
麗奈の言葉に弥勒も納得する。夢の世界にいた人たちはメリーピーチとメリーライムを見ていた事になる。彼女たちの姿は動画配信チャンネルで喋っている3Dモデルとほぼ同じだ。それに気付いてチャンネル登録をする人たちがいてもおかしくはない。
「例のジャーナリストの方はどうなの?」
「難しいな。ただ記事を書くにしてもすぐには発売されないだろ」
所沢穂波が夢の世界にいたのは昨日の時点で弥勒がメンバーに共有してある。麗奈はその対応を気にしているのだろう。
理想を言えば彼女には昨日の出来事を夢だと思って貰う事だがそれは難しいだろう。大町田駅周辺で集団昏倒が起きたというのは明らかだ。彼女だけが倒れたのなら誤魔化せたかもしれないが、同じ様な人たちが大勢いたとなったらそうもいかないだろう。
最も何か気付いたとしても雑誌の記者なので、実際に出版されて発売するまでにはいくらかの猶予があるだろう。それまでに集団昏倒の件については下火になっている可能性もある。
「そうでしょうね……」
「ただ愛花ちゃんたちが天使たちについて何か知ってるというのは勘づかれてるだろうな」
愛花たちが変身するのを穂波はあの場で見ていた。これで何も知らないと言い張る方が不自然だろう。また彼女は愛女のOGのためツテもそれなりに持っている。弥勒たちでは愛花たちへの接触を止める事ができないだろう。
「どうするのよ?」
自分の妹が巻き込まれそうな気配に、麗奈はやや不機嫌そうになる。
「こうなりゃ抱き込むしかないだろ」
「物理的に? それとも性的に?」
「どっちも物騒だな! どっちかと言ったら精神的にだよ! ある程度事情を話して味方になって貰うしか無いだろ」
弥勒の力で物理的に彼女を抱き込んだら死んでしまう。性的というのも更に論外である。麗奈の突拍子も無い発言に弥勒はツッコミを入れる。
「月音先輩なら洗脳装置とか持ってないかしら? あとは妖精の神秘とか……」
「いや物騒な考えから離れてくれよ」
麗奈としてはあまり穂波に事情を話すのは乗り気では無かった。彼女は麗奈たちと立場が違う。究極的には天使と魔法少女の戦いに関係がない存在だ。そのため事情を話した所で自らの利益を取る可能性もある。彼女としてはそこが懸念点だった。
「あんたは少し人を信じ過ぎよ。事情を話せば黙っていくれるだろうなんて希望的すぎるわ」
「それは……」
弥勒は麗奈に痛い所を突かれて口籠ってしまう。それは彼のウィークポイントだった。光の魔力を使い続けている影響で、思考がどうしても善に寄ってしまうのだ。彼としても気をつけてはいるが、それだけでどうにかなるものでは無かった。
「ベストなのは愛花たちに知らぬ存ぜぬを貫かせて無視しておく事よ。こっちから記憶を消したり出来ないなら無闇に接触すべきでは無いわ」
愛花たちが事件について何も知らないと言い張れば、彼女は夢の世界で起きた事を自分の視点で語るしか無い。そうなった時の影響力はそれほど大きくないと麗奈は考えていた。
雑誌というのは買った人しか読む事ができない。一部記事なんかはオンラインでも読む事が出来るかもしれないが、それでも数はあまり多くない。つまりテレビなどの報道に比べたら人々の目に触れる機会は少ないのだ。
「いや無視したら記事が出ちゃうだろ」
「それは仕方ないわ。大切なのはコントロール権をワタシたちが持つことよ」
「どういう意味だ?」
麗奈の言っている言葉の意味が分からない弥勒は素直に聞き返す。
「いい? 今、ワタシたちが動画配信をしてるお陰でこの街で起きてる事件に疑問を覚えた人たちはいずれ救世主チャンネルに辿り着くわ。その場合、ワタシたちの配信は一般人をコントロールするための主導権をある程度持ってるという事になるでしょ?」
「確かに」
「そしてこのままいったら彼女の書いた雑誌は8月くらいに発売されると思うわ。でもそれが分かってるならこっちは事前に動画を配信するなりして対抗策を講じれば良い。その場合は一般人に対する主導権はこちらにあるままだわ」
麗奈の言い分に弥勒は頷く。雑誌でいきなり出てくる記事よりも救世主チャンネルで配信されている動画の方が真実に近い。つまり雑誌を読んだ人たちはいずれ救世主チャンネルに吸収されるという事にもなる。
「もし彼女に真実を話してしまった場合、一時的な口止めにはなるかもしれない。でもいつか記事に書かれる可能性があるわ。その場合、彼女は真実を知っているのだから記事のクオリティは動画配信に並ぶでしょうね。更にいつ出版されるかもこちらには分からない。それって民衆へのコントロール権を彼女の方に奪われてるのと同じじゃない?」
「そう考えるとそうだな。ならこのまま無視しておくのが一番か……」
「そういうこと。ましてや夢で見ました、なんて記事が社内の校正を通るかも微妙だし。結局は中途半端な記事になるじゃない?」
麗奈の言い分に納得した弥勒は彼女の言う通りにする事にした。彼が異世界で学んだのは戦闘方法だけだ。こういった情報戦などは彼の得意分野では無い。ましてや思考が善に傾いている今、弥勒が判断するのは危険かもしれない。
「(今後こういった事は麗奈に相談するか)」
弥勒は心の中でそう決める。それから愛花たちに口止めをする様に麗奈に頼んで教室へと戻るのだった。




