第百七十四話 霊型の大天使
「うーん……明らかに空の色も変だし、周りには何も無いし……何なのここ?」
愛花たちと一緒に行動する事になった穂波が周りを見渡しながらそう呟く。知り合いを見つけた事で少し安心したのだろう。ちょっと軽い口をきけるくらいの余裕が出てきている。
「あんまり言いたくないけどまるで地獄みたいねぇ……」
穂波が感想を溢す。赤紫色の空に枯れた大地を見ればそう思うのも不思議では無い。しかし彼女のジャーナリストとしてのプライドなのか、悲壮感はあまり無かった。
「というか私たちと同じ様に戸惑ってる人も多いわよ」
愛花たちの周りにいる人間は徐々に増えてきている。その誰もが今の状況を呑み込めずに戸惑っている。中には愛花たちにも声を掛けてくる者もいたが、穂波が軽くあしらう。
「もしかしたら探せば出口とかあるかもしれません」
愛花はここが地獄では無いと知っている。ただしそれを知っていた所でここから脱出する術はない。ただ僅かな可能性として出口があるかもしれないと考えていた。
「……そ、それって漫画とかだとボスがいるやつじゃ……」
「ボスモンスターか!」
愛花の意見を聞いた小舟が遠慮がちに意見を言う。大抵の創作物では謎の領域の出口にはボスがいる。この夢の世界もそうかもしれないと彼女は忠告する。すると凛子の方はそれを聞いて何故かテンションが上がっている。
「凛子ちゃん、そこは喜ぶ所じゃ無いよ……」
「だけどボスって聞くとわくわくする!」
「ふふ、貴女たちはなかなかバランスの取れたチームね」
そんなやりとりを見ていた穂波がくすりと笑う。三人のコントみたいなやりとりのお陰で彼女の不安も幾分か和らいでいた。
そうして四人で散策しながら歩いていると近くに愛花の見覚えのある人物を発見する。
「日菜乃ちゃん……⁉︎」
愛花たちの前にいたのは大島日菜乃だった。彼女はボーッとした様子で地面を見ていた。そして愛花に呼びかけられると、ゆっくりとこちらを向いた。
日菜乃は黒髪のショートカットで普段は優しい少女である。そんな彼女の目は虚ろになっており、焦点が合っていなかった。そんな瞳が愛花を視界に捉える。
「ひめ、のき……さん……?」
ゆっくりと愛花の名字を呟くその様子に穂波は顔を顰める。彼女はこういった表情をする人間を今まで何回か見てきた。それは生きる事から逃避しようとした人間の顔だった。
日菜乃は霊型の大天使に身体を乗っ取られてからずっとこの夢の世界に閉じ込められていた。この空間ではお腹が空く事も眠くなる事も無い。そして出る事もできない。そんな場所に既に三週間近く閉じ込められていたのだ。精神に異常をきたしていてもおかしくは無い。
「日菜乃ちゃん! 大丈夫……⁉︎」
そんな日菜乃の状態を見て愛花が慌てて駆け寄る。それに小舟と凛子も続く。穂波は彼女たちから一歩離れた場所でそれを見守っている。
「あ……わた、し……」
「ゆっくりでいいぞ。無茶はするな」
何とか喋ろうとするものの口が回らない日菜乃に凛子は焦らなくて良いと伝える。それに彼女はかすかに頷いた。
「ずっと……ここに……がっこうに……いったら……」
恐らく自分がここに閉じ込められた時の事を話そうとしているのだろう。しかし上手く呂律が回っておらず、言葉としてまとまっていない。愛花たちはそれを聞きながら頷く。彼女たちは事情を知っているため断片的な言葉でも内容は理解できた。
「うん、うん……大丈夫だよ、日菜乃ちゃん。私たちがいるから。もう一人じゃ無いよ」
「あ……うぅ……うぁ……」
愛花の言った一人じゃないと言葉を聞いて彼女は涙を流す。ずっとここに閉じ込められて精神的にかなり消耗はしていたが、まだ心は死んではいない様だった。その様子を見て穂波も少し安心する。
日菜乃が泣くとそれに釣られて小舟も泣き出してしまう。彼女は愛花や凛子と違って日菜乃とは面識が無いのだが。
「ぐすっ……うぅ……大島さん、良かったです……」
二人が泣いていることで異常な空間ではあるが、そこに穏やかな空気が流れる。
「うわぁぁー! ば、化け物だー!」
そんな感動的な空気を切り裂く様に周囲を彷徨っていた男性の一人が大声を上げる。その男性の視線の先には全身が真っ黒の人型な何かがいた。その真っ黒な人型の全身には大量の眼と口が生えていた。そして手には黒い本の様なものを持っている。
「「う、うわぁぁーー!」」「「いやぁぁー!」」
その化け物に気付いた人たちは次々と悲鳴を上げる。そして少しでも化け物から離れようと走って逃げ始める。周辺は一気にパニックに陥いる。
「な、なによあれ……」
あまりにも異形な存在に穂波も思わず固まってしまう。そして全身からは嫌な汗がぶわっと噴き出す。それは愛花たちも同様だった様で身動きが取れずに固まっている。
『…………』
しかしその肝心の化け物はと言うと虚空の一点を見つめたまま動かない。周りにいる人間たちがあれ程騒いでいるというのに、まるで関心が無い様だった。
すると化け物の身体から幽霊の様なものが次々と出てくる。それらは化け物の近くを漂いながら、化け物と同じ場所を見つめている。
「天使……」
「(天使……?)」
その幽霊の姿を見た愛花は思わずそう呟く。彼女は一度、霊型の天使に襲われているため見ただけでそれが天使だと判断できた。そう考えると、その中心にいる化け物が何かというのも自ずと想像がついた。
そんな愛花の呟きを聞いていた穂波は「天使」というキーワードに引っかかる。彼女は愛花たちの様子を出会った時からおかしいと思っていたのだ。
いくら友達と一緒とは言え、明らかに異常な空間に放り込まれて普通は冷静でいられるはずがない。彼女たちはまだ中学生である。それなのに三人とも恐怖心はあっても疑問は感じていない様だった。その事に穂波は引っかかっていた。
「(この子達は何か知ってるわね。それに天使ってキーワードは確か……)」
いつもなら穂波のスーツのポケットには手帳が入っており、そこにはメモがびっしりと書き込まれている。しかしここではそれを見る事ができない。そのため彼女は天使というキーワードが何処かで出てきたのは思い出したが、何処に出てきたかまでは思い出せなかった。
「(もしこれが夢じゃ無かったら、今後は天使について調べた方が良さそうね)」
動かない化け物を前にしながらも穂波は冷静にそう考えていた。
するとそこまで黙っていた化け物がようやく口を開く。身体に付いているいくつかの口が同時に同じ台詞を喋り始める。
『よりによって我が領域に土足で踏み入って来るとは……!』
「ひっ……」
その言葉には憎悪が籠っていた。直接向けられたわけでも無いのに愛花たちの足を竦ませるくらいには迫力があった。
『下僕たちよ、奴を必ず殺せ!』
化け物がそう言い放った瞬間、空に大きな亀裂が入る。そしてまるでガラスが割れたかの様な穴が出現する。穴の奥には真っ暗な闇が映っていた。そしてその穴から何かが飛び降りてくる。
その姿を見て真っ先に愛花が反応する。そしてそれに小舟、凛子が続く。
「セイバー⁉︎」
「……セイバーさん……」
「セイバーだ!」
飛び降りて来たのは弥勒だった。その姿は地上にいた時と同じ片喰の死神のままであった。そんな彼に向かって霊型の天使たちは大天使の命令に従い突撃していく。
「見えてるよ」
突撃してきた霊型の天使たちを見て、弥勒は大きく鎌を振るう。すると突撃して来ていた天使たちが一刀両断される。
向かって来ていた全ての天使たちを片付けると弥勒は静かに地面へと着地する。彼の視線は化け物に向いている。
「ようやく会えたな、本体さんよ」
弥勒は眼と口だらけの真っ黒い化け物にそう言う。この化け物こそが霊型の大天使の本当の姿であった。
そして霊型の大天使が手に持っている黒い本こそが「夢幻の書」と呼ばれる権能である。夢の世界に人々を誘い、惑わせたり、殺したりする能力を持っている。
『貴様……!』
部下である天使たちを一瞬で葬った弥勒を大天使は憎々しげに睨んでいる。一方で弥勒の方も愛花たちや大勢の人間を眠らせた大天使を鋭い眼差しで捉えていた。




