第百四十八話 酢豚
火曜日の放課後。弥勒は部活をしてから帰宅した。今日はアオイの家での料理修行は無かった。前日にチャットで彼女からそう連絡があったので、部活に行ったのだ。
部活といっても企画開発室の部室でダラダラしている事がほとんどだ。弥勒の仕事は月音の暇つぶし相手である。
ただたまに月音の実験に付き合う事もある。例えば先週がそうであった。妙な機械を頭に被せられた状態で魔法を使わされた。恐らく脳から発信されている微弱な電波を捉えるような装置なのだろうが、詳細の説明は受けていない。
最近は弥勒に構うよりも例のジャミング装置の製作に忙しいらしく、あまり彼は被害を受けていない。
「ただいまー」
部室でコーラは飲んだものの、それ以外は何も口にしていない。そのため弥勒はお腹が空いていた。今日の晩御飯は何だろうなどと平和な事を考えながら家の中へと入る。
「おかえりー」
「おかえり〜」
その二つの声を聞いて弥勒は思わず立ち止まる。明らかに二つとも女性の声だった。そのうち一つは母親の声だろう。しかしもう一つは分からない。彼は嫌な予感がした。
弥勒は恐る恐るリビングへの扉を開ける。するとそこには母親と見覚えのある少女がいた。
「おかえり、弥勒くん!」
そこにいたのはアオイだった。そして前にも似たような出来事があったのを思い出す。
「あ、ああ……ただいま」
弥勒はとりあえず返事をするものの状況への理解が追いついていない。何故か母親はこちらをニヤニヤした顔で見つめている。
「えーと、アオイはどうしてうちに?」
「夕飯のお手伝いに来たの!」
弥勒の質問にアオイは嬉しそうに答える。確かによく見ると彼女はエプロンをつけている。普段、彼女が料理修行の時につけているものだ。すると横で見ていた母親が喋り出す。
「今日もスーパーで会ってね。せっかくだからうちにおいでって誘ったのよ」
「今日も?」
「アオイちゃん、最近料理の勉強を始めたみたいでよくスーパーで会うのよ。それで今日は我が家のレシピを伝授してあげようって事で呼んだの」
弥勒は考える。母親の口ぶりからすると今までに何回かスーパーで遭遇しているようだ。そこで喋っているうちに仲良くなったという事だろう。
弥勒はチラリとアオイの方を見る。すると彼女はニコニコしている。
「我が家のレシピって、どうせネットで見つけたレシピだろ」
「だまらっしゃい」
母親の作るレシピの大半は料理投稿サイトや動画サイトなどで見つけたものだ。「我が家の」というほど昔から馴染みのあるものでは無い。それを指摘すると母親は目を鋭くする。
「まぁいいや。それで何作ってたのさ?」
「酢豚だよ!」
「なるほど。もう食える?」
「うん。あとは配膳するだけだから」
「なら頼むわ。手を洗ってくる」
弥勒は一旦、手を洗いに行く。その間にアオイと母親に配膳を頼む。アオイがいつの間にか母親に取り入っていたのは流す事にしたようだ。どうせ止めても無駄なので、放っておく事にしたらしい。
ついでにお手洗いに入ってから手を洗ってリビングへと戻ると、ご飯の準備は終わっていた。弥勒も自分の先へと座る。隣にはアオイが座っている。普段は空席の場所である。
「「「いただきます」」」
挨拶をして晩御飯を食べ始める。アオイは弥勒の様子をうかがっている。彼はそれが分かったので、まずは酢豚に手を伸ばす。
小皿に自分の分を入れて、まず一番最初にお肉を口に入れる。夜島家の酢豚は黒酢ベースである。父親はケチャップ派なのだが、弥勒と母親が黒酢派のため多数決でそうなった。
「うまい」
「ほんと⁉︎」
「ああ、美味しいよ」
「良かったぁ……」
弥勒は素直な感想を伝える。それにアオイは喜んでいる。すると同じように見ているだけだった母親も酢豚を口に運ぶ。
「うん、美味しいわね。初めでこれなら上出来よ、アオイちゃん」
「ありがとうございます!」
二人から合格を貰ったので、ようやくアオイもご飯を食べ始める。彼女の家では褒められるとすぐ調子に乗っていたが、弥勒の家ではそういった事はしないらしい。
「それにしても初々しいわね。アオイちゃんを見てると私も昔を思い出すわ」
「お義母さんの昔ですか?」
一瞬、アオイの呼び方のニュアンスが変な感じだったが、弥勒は気にしない事にした。黙ってご飯を食べすすめていく。
「そうそう。私も高校生くらいから料理するようになってね。今と違ってネットもそんなに発達して無かったから……」
そこからしばらく母親の昔のエピソードが語られるが、弥勒は興味ないのでスルーする。アオイの方は楽しそうに相槌を打ちながら話を聞いている。
「という訳でやっぱり押し倒すのが一番よ」
「ごくり……や、やっぱり……」
弥勒がスルーしているうちに話が不穏な方向に行ってしまったようだ。アオイはこちらを真っ赤な顔をしながら見つめている。
「弥勒で良ければいくらでもあげるわよ。何ならもうアオイちゃん家で引き取って貰っても大丈夫だから」
「ほ、ほんとですか⁉︎ ありがとうございます!」
「いや母さん、あんま変な冗談言わないでくれ」
弥勒はすかさずブロックに入る。普通なら冗談と分かる一言だが、世の中には冗談が通じない相手もいる。それを彼は理解していた。
「……な、なんだ冗談だったの……」
隣で小さな声でブツブツとアオイが呟いている。母親には聞こえない音量だ。それに弥勒は顔を引き攣らせる。
「にしてもアオイちゃんみたいな子がいてくれると安心よ。うちの息子なんて誰からも相手にされなそうだし」
「あはは、そんな事ないです……弥勒くん、結構モテますから……」
母親の指摘にアオイが少し曇った顔をする。
「そうなの?」
「えーと……私が知ってる限り五人くらい……」
「えぇ⁉︎ そんなにモテてるの⁉︎ コレが?」
「コレ言うな」
アオイの発言に母親は飛び上がりそうなくらい驚く。それだけ弥勒がモテているというのが意外だったのだろう。
アオイが言った五人というのは麗奈、みーこ、月音、エリス、愛花である。ただそれ以外にも弥勒を好いている人間はいるだろうと彼女は考えていた。
「私が知らない間に世界が一巡でもしたのかしら?」
母親は息子の人気を本気で不思議がっている。弥勒は一度死んで生まれ変わっているので一巡したと言えなくは無いのだが。
「なのでライバルたちに負けないように頑張ります!」
そこでアオイが力強く宣言する。母親もその宣言に賛同する。
「うんうん! 私も応援するわ! ちなみに全然関係ないんだけど私は老後に暖かい地域に住みたいな〜」
「南に別荘を頑張って買います!」
母親とアオイがガシッと握手をする。お互いに密約を結んだようだった。弥勒はそれを冷めた眼で見つめている。
「あ、そういえば弥勒くんの部屋も掃除しておいたから」
「は?」
思わぬアオイの発言に弥勒は固まる。
「私が頼んだのよ。あんたがなかなか帰って来ないから時間潰しに」
「時間潰しって……」
時間潰しに息子の女友達に部屋の掃除を頼むな、と弥勒は思うものの口には出さない。
「大丈夫、変なところには触ってないから!」
「ふふふ、これは変なところを触ってると見たわ」
「そ、そんな事ないです……!」
自信満々にそう言うアオイ。それに対して母親がツッコミを入れる。すると彼女は慌てて否定する。弥勒は怪しんだ眼で彼女を見つめる。
「ま、弥勒の部屋だから良いけどね」
「ホッ……」
「(露骨にホッとしてるし)」
そこからアオイは弥勒よりも母親と楽しそうに喋りながら夕飯を終える。彼女は皿洗いまでしっかりと手伝った。弥勒としてもそれを放置して自分の部屋に戻るわけにもいかないので、後ろから見守る。
そして洗い物も終わり、アオイが帰る時間となる。弥勒は彼女が泊まりたいと言い出さないかハラハラしたが素直に帰るようだった。
「それじゃあ弥勒くん、また明日ね」
「いや家まで送るよ」
「いいの?」
「ああ。もう遅いし、女の子一人じゃ危ないだろ」
「そっか。えへへ、ありがと」
アオイは照れながらもお礼を言う。そして弥勒は彼女を家まで送り届けるのだった。




