第百四十六話 公園のベンチ
弥勒は図書館でお目当ての本の貸し出しの手続きをする。手続きといってもスキャナーの上に本を置くだけだ。そうすると自動で何の本を借りるのか読み込んでくれるのだ。
「よし」
手続きが完了したのを確認して、先ほどまで勉強していた机に戻る。そこで荷物をまとめる。問題集や筆記用具をカバンにしまい、消しかすを集めてゴミ箱へ捨てる。最後に忘れ物が無いかチェックをして図書館を出る。
「すまない、お待たせ」
「は、はい」
図書館の入口で待っていた小舟と合流する。そして目の前にある公園に入っていく。六月も中旬にさしかかるという事で徐々に気温も暑くなってきている。
弥勒は途中にあった自動販売機の前で立ち止まる。そして後ろからついて来ている小舟へ振り返る。
「小舟ちゃんも何か飲む?」
「だ、大丈夫です。水筒持って来てるので」
「休みの日にも水筒持参なんて偉いね」
「ありがとうございます……」
弥勒が褒めると小舟は恥ずかしそうに顔を伏せる。彼はそれから自販機で自分の分のお茶を買う。
「場所はあのベンチで良いか……」
ちょうど木陰にあるベンチが空いているのを見て、二人はそこに座る。日差しが上手い具合に遮られていて風が心地よく吹いている。
「小舟ちゃんは小さい頃からPC得意だったの?」
「はい。母曰く暇さえあればパソコンばっかり触ってたらしいです。私は覚えて無いですけど……」
「それは筋金入りだね」
小舟の言葉に弥勒は少し笑う。弥勒は転生というアドバンテージがあったが、やった事と言えば本を読むくらいのものである。転生者である自分よりも幼少期を活かしている小舟に驚く。
「救世主チャンネルの動画とかは基本的に小舟ちゃんが編集してるんだよね?」
「そ、そうですね。最近は愛花ちゃんにも手伝ってもらう事が多いですけど」
「へー、愛花ちゃんもそういうの出来るのか」
「愛花ちゃんが自分もやりたいって言い出したので、少しずつ教えてる感じです」
その言葉に弥勒は納得する。愛花は麗奈と違って好奇心が強いタイプである。近くで複雑な作業をしている小舟を見て面白そうだと思ったのだろう。
「凛子ちゃんの方は?」
「凛子ちゃんはよくお菓子くれるので……」
相変わらず凛子は賑やかし以外の役割は貰っていない様だった。そこで弥勒は彼女が近いうちにメリーライムとして動画に出演予定というのを思い出す。
「でも凛子ちゃんも近いうちに動画に出るんだよね?」
「はい! メリーライムっていうキャラクターなんですけど。う……ごめんなさい、今パソコンとか持ってないので姿は見せられないですけど……」
「大丈夫だよ。お披露目まで楽しみにしておくから」
小舟はメリーライムのデザインを弥勒に見せられない事を謝る。弥勒としてはそこまで大袈裟なものでは無いので軽く流す様にする。
「あの……夜島先輩は怖く無いんですか……?」
少しの沈黙があってから不意に小舟が尋ねて来た。それに弥勒は考える。
「それは、戦う事がって事で良いのかな?」
「は、はい。私、初めて天使を見た時、怖くて動けませんでした。それなのに夜島先輩や麗奈先輩はそれに立ち向かってます……どうして立ち向かえるのかなって……」
小舟は初めて天使と会った時のことを思い出しているのだろう。肩を僅かに震わせている。彼女にとって天使というのは絶対に敵わない相手だ。恐怖を覚えるのは不思議な事ではない。
その質問に弥勒は自分の時の事を思い出す。天使と初めて会った時にはすでにセイバーとしての力を持っていた。そのため「不安」や「恐れ」といった気持ちは無かった。
どちらかというと面倒だという気持ちの方が強かったかもしれない。「異世界ソロ⭐︎セイバー」というゲームのエンディングに到達したら新たな物語が始まったのだ。騙された、という気持ちの方が当時の弥勒は強かった。
そこから更に遡り、自分が異世界に召喚された時の事を思い出す。しかしそこにも「恐怖」といったものは存在していなかった。初めてモンスターと戦った時も同様だ。
「怖くは無いかな。ただ意味があるのかなって考える事はある。他の誰でも無い、俺が天使と戦う意味っていうのがあるのかもしれない。時々、そんな風に考える」
「夜島先輩が天使と戦う意味……」
「つまり天使と戦う役目を持っているのは小舟ちゃんじゃないってこと。だから君は天使を恐れて良いんだと思う」
「天使を恐れて良い……?」
弥勒は自分でも言っている事がまとまっていないと分かっている。しかしそれでも小舟はそれを汲み取ろうとしてくれている。
弥勒はお茶を少し飲んでまた考える。彼はまだ知らない。自分が何故この世界に転生してきたのかを。そこには大きな理由や運命といったものがあるのかもしれない。あるいはそんな大それたものなんて無いという可能性もある。
たまたま転生しただけ。たまたま力を授けられただけ。
どちらが正解なのか弥勒には分からない。その答えが分かる日が来るのかも分からない。だから弥勒はあまり転生について考えない様にしている。それでも時折、そういった事を考えてしまうのは人として仕方のない事なのだろう。
「小舟ちゃんは誰かを助けるために救世主チャンネルをやってくれてる。その力を使う事は怖い事かな?」
「そんな事ないです。むしろ私なんかが誰かの役に立てるなら……」
「ならきっと同じだよ。俺たちもそう思ってる。俺は天使と戦うよりも、天使のせいで誰かが傷付く方が怖い。でもそれは小舟ちゃんや愛花ちゃんたちが頑張ってくれてるお陰で減らす事ができる。だからそれで良いんだと思う」
弥勒の言葉に小舟は難しそうな顔をする。自分に出来ない事を恐れるのは当然である。それでも同じ方向に進んでいく仲間がいるから大丈夫。彼が言いたいのはそう言う事だ。
「何だか分かったような気がします……ちょっとスッキリしました。ありがとうございます」
「まぁ何となくで良いさ。俺もそんな感じだから」
「ふふ、何ですかそれ」
最後に弥勒が締まらない言葉を言うと小舟は笑う。
「あ、あともう一個お願いがあるんですけど……」
「なに?」
「これにサイン貰っても良いですか……?」
小舟が恐る恐る鞄からポーチを取り出す。そこにはセイバーのストラップが付いていた。デザインとしては灰色の騎士を少しデフォルメした感じとなっている。
「(いつのまにかこんなグッズを……)」
「ダメ……ですか……?」
小舟が純真な瞳で見つめてくる。麗奈や愛花と違って何も企んでいない雰囲気のため弥勒としても断り辛い。
「い、いや……大丈夫。何て書けば良いんだ?」
「マントの内側に大吉って書いて貰えると嬉しいです!」
小舟は一緒に筆箱に入っているマジックペンを渡してくる。弥勒は表情を引き攣らせながらもストラップにサインを書き込む。そしてそれを彼女へと返す。
「ありがとうございます、大切にします! 毎日祈りますから!」
「いや祈らなくて良いわ!」
小舟はストラップを嬉しそうに受け取る。弥勒は彼女の言葉に思わず否定してしまう。忘れかけていたが、彼女もまたセイバー教の信者なのだ。
「教祖様なのに……」
「いや勝手に教祖扱いしないで欲しいんだが……」
「でも本当に魔法を使って人を助けてますよね? それに天使についても全部、本当ですよね?」
「いやそうなんだけどさ」
小舟の言い分は確かに正しい。弥勒はセイバーとして人を救っているし、セイバー教の教えである神は敵というのも事実だ。
「だったら祈られる資格は十分にあると思います。それに私がセイバー様に祈りたいんです……」
小舟から真剣な表情でそう言われる。彼女が愛花や麗奈と違うのは純粋にセイバーへ祈りを捧げようとしている所だろう。あちらの二人はどこか邪な想いを抱えている。
「わ、分かった……でも程々にな……?」
「はい……!」
弥勒の肯定の言葉に小舟は嬉しそうな表情をする。それから二人は愛花や凛子の学校での話などをして盛り上がる。そして陽が傾いてきたのをみて解散するのだった。