第百四十四話 夜の校舎
バレー部の活動時間は18時30分まである。練習が終わりシャワーを浴びる。その後、荷物を持って学校を出た。部活の仲間たちと喋りながら駅へと向かっていく。部活後でちょっぴりお腹が空いていた彼女たちはコンビニでお菓子を買って、近くの公園で食べていく。
しばらくそこでお喋りして、そろそろ解散というタイミングで日菜乃は自分が忘れ物をしている事に気付いた。
「数学のプリント、机の中だった……」
「うーわ、数学の花井めっちゃ怖いからやばいんじゃない?」
机の中に数学の宿題であるプリントを忘れて来てしまったのだ。それを告げると友達が日菜乃に同情する。彼女たちの数学の担当教師は厳しい事で有名だった。
「だよね……取りに戻ろうかな……」
「え、もう時間めっちゃ遅いけど……?」
「うん、でも怒られたくないし……」
そう言って日菜乃は学校へ戻る事にした。部活仲間たちとは公園で別れた。すでに最終下校時刻は過ぎているものの、忘れ物を取りに戻るくらいなら問題ないと考えたのだろう。
彼女は来たばかりの道をUターンして学校へと戻る。日はすでに落ちており、辺りは暗くなって来ている。
学校へと戻ると校門はすでに施錠されていた。公園でお喋りしながらお菓子を食べていた時間が思ったよりも長かったのだろう。
「閉まってる……」
その光景を見て日菜乃は諦めかける。今日は曇っている事もあり、校門の周辺はとても暗かった。普段見ている学校とは違う雰囲気に彼女は少し後ろ向きな気持ちになる。
「でももうここまで来ちゃったし……プリント取って帰るだけだから……」
日菜乃は自分に言い聞かせるように呟く。そして校門をよじ登って校内へと侵入する。運動部に所属しているだけあって難なく校門を乗り越えていた。暗がりだったためスカートが多少めくれても気にならなかったのだろう。
無事に校内へと入った日菜乃は急いで校舎へと向かう。そして校舎内へ入ろうと扉に手を掛ける。
「あれ、開かない……」
彼女は気付いてなかったが校門が施錠されていると言う事は当然、中の出入り口も施錠されているという事だろう。
「どうしよう……」
ここまで来てしまった彼女にはもう引き返すという選択肢は無い。どうにかして校舎の中に入ろうと考えている。
それから校舎の周りを回りながら窓や扉を一つ一つ確認していく。すると偶然、鍵が空いている窓を見つける事に成功した。
「空いてる……! ここから入ろう」
日菜乃は窓から校舎内へと侵入する。床に着地するとカツーンとやけに靴音が響いた。静かな場所だったから余計大きく聞こえたのだろう。それに彼女は驚く。
「わっ、びっくりした。革靴だからかな」
普段、校舎内は上履きで歩く事がほとんどだ。下駄箱が校舎の入り口にあり、生徒たちはそこで革靴から上履きに履き替える。そのため校舎の中を革靴で歩くのは新鮮だった。
「早くプリントを取って帰ろう……」
ここは一階で一年生たちの教室がある場所だ。日菜乃は二年生である。そのため教室は二階にある。彼女は少し歩みを早めて階段へと向かう。
カツカツカツと自分の靴音がリズム良く刻まれていく。それに彼女は少し怖い気持ちになる。曇っているとは言え窓があるお陰で、暗くても足元が全く見えないという程では無かった。
「ちょっと怖いなぁ……」
夜の校舎という非日常的な場所で日菜乃は一人である。その事に不安な気持ちが溢れてくる。しかしやはり彼女に今すぐ帰るという選択肢は無かった。何故なら後少しで教室まで辿り着くからだ。
階段をトントントンと登っていく。自分以外の物音がしない状況というのは中学生の少女には怖いものなのだろう。校舎に入ってから日菜乃はずっと険しい表情をしている。
「ようやく着いた……」
日菜乃は自分のクラスである2年1組へと辿り着いた。普段、歩いている範囲とほぼ変わらないはずなのに彼女は教室に着くまでをやけに長く感じた。
教室の中へと入り自分の机へと向かう。しかし廊下と違って教室内は真っ暗だった。カーテンが閉まっているのが原因かもしれない。日菜乃はスカートのポケットからスマホを取り出してライトを付ける。
教室の電気を付けないのは、当直の教師がいた場合に自分の侵入がバレてしまう可能性があるからだ。
彼女の机は窓際の後ろから三番目だ。この時期はまだ良いが、これから暑くなってくるを考えると窓際というのは憂鬱だった。
友人たちには窓際の列の後ろの方という事で羨ましがられる。その理由の多くは寝ていてもバレなそうという事だった。
しかし実際はそうでも無い。端の列という事で目線を向けやすいのか教師の視線はよく日菜乃を捉えている。そのため居眠りすればすぐにバレるだろう。
カツーン
不意にそんな音が聞こえた。それに日菜乃は身体をすくませる。そして少ししてから周りを見渡してみる。
「な、何……?」
周りを確認したものの不自然なものは何も無い。もしかしたら家鳴りのようかもしれないと日菜乃は自らを納得させる。
「プリント……」
自分の机から目当てのプリントを探し出す。それを鞄へと仕舞う。するとそのタイミングで彼女がスマホが震えた。
「ひっ……⁉︎」
先ほどの物音もあって彼女は過剰に反応してしまう。しかしすぐに音の原因は自分のスマホだと気付く。ライトとして使っていたスマホの画面をつけてみる。
「なんだ……ママからか……びっくりさせないでよ、もう……」
母親からのチャットであった。帰りが遅い娘を心配して連絡して来たのだろう。
『帰り遅いけど何かあったの?』
母親からの心配のメッセージを見て日菜乃は少し恐怖が薄れる。チャットをする事で日常に戻ったように感じられたのだろう。
『ちょっと忘れ物して学校に戻ってただけ。今から帰る!』
そう書いてすぐに返信を送る。それから彼女はスマホをスカートのポケットへと仕舞う。あとは教室から出るだけなのでもうライトはいらないと思ったのだろう。
「プリントも回収したし早く帰らないと」
日菜乃は教室から廊下へと出る。やはり先ほどと同じような雰囲気に彼女の中に恐怖心が戻ってくる。
カツーン
再びそんな音が日菜乃の耳に入ってくる。先ほどの音は遠くから聞こえたが、今回は彼女の背後から聞こえて来た。
「な、なに……?」
日菜乃は後ろを振り返るもののそこには何も無い。当直の教師がこちらに向かって来ている様な雰囲気もない。もしそうなら音は連続して響いてくるはずだ。日菜乃の靴音の様に。
「早く帰ろう……」
彼女は校舎から早く出るべく小走りで階段へと向かう。暗くて視界があまり良く無いが、勝手知ったる校舎である。何かにぶつかったりすることも無い。
ガンッ
「ひっ……⁉︎」
今度は背後ではなく少し先の教室のドアが叩かれたかの様な音が聞こえた。それに彼女は思わず悲鳴を漏らして足を止めてしまう。
「さ、さっきから何なの……?」
彼女は恐怖を押し殺しながらも、その教室の前を急いで通り抜ける。幸い何か起こるという事は無かった。そして彼女は階段の所まで戻ってくる。
ガタガタガタガタガタ
すると今度は踊り場の窓が一斉に震え始める。それに彼女は耐えきれず、その場にしゃがみ込んでしまう。両腕で頭を抱きしめるように。
「い、いやぁっ……!」
その場でしばらく動けない状態のまま時間が過ぎる。日菜乃は目を瞑って、歯を食いしばっている。
そしてどれだけの時間が経っただろうか。それは十秒かもしれないし、あるいは三十分かもしれない。彼女にとってはとても長く感じたため正確な時間は分からなかった。
「…………」
そしてしばらく何も起きなかったため日菜乃は恐る恐る顔を上げる。するとそこにはいつも通りの光景が広がっていた。揺れていた窓も元に戻っている。
「お、終わった……?」
この不気味な現象が本当に終わったかは日菜乃には分からなかった。またすぐに同じ様な事が起きてもおかしくはない。そう思った彼女は急いで立ち上がる。
そして歩き出そうとした瞬間、倒れてしまう。まるで何かに足を掴まれたかのような。日菜乃は視線を反射的に足元へと向けてしまう。
すると彼女の右足にはいくつかの手がまとわりついていた。足の甲に一つ。踵に一つ。足首に一つ。それは手が床から生えているような光景だった。
「あ」