第百二十六話 部室でダラダラ
火曜日の放課後となった。本来なら火曜日はアオイの家で料理の味見役をする予定だったのだが、今日は中止となった。
事前にアオイからチャットでキャンセルの連絡が来たのだ。弥勒としてはまだ気まずい状態のままだったため素直に受け入れた。
お陰で時間が空いた弥勒は部室へと顔を出す事にした。
「お疲れ様です、ツキちゃん先輩」
「ええ」
部室へ入ると月音はPCを弄りながら返事をしてきた。魔女裁判で色々と言われていたが、この様子を見る限りあまり気にした様子は無さそうだった。
「何してるんですか?」
「ちょっとしたデータの編集よ。それよりも今日は特に手伝って欲しい事はないわよ?」
「え、そうなんですか……?」
部室に入った途端に戦力外通告をされる弥勒。月音としては今日は彼に用が無いらしい。
「それよりも貴方の方こそ副作用を中和させる方法は見つかったのかしら?」
「えーと、それは……」
弥勒は月音から副作用の件を突っ込まれて言い淀む。ヒコとの話し合いでは「大人のキス」をすれば副作用をある程度、緩和できるという話だった。
しかしそれをそのまま月音に告げる訳にはいかない。もし魔法少女たちのキスが日常化したら、弥勒を取り巻く環境が更に複雑になるのは目に見えている。
「今のところは何も……」
「…………ふーん、まぁいいわ。私ならある程度の副作用は自分で何とかできるもの」
月音は弥勒の発言に少し考え込むような仕草をした。
「自分で何とか出来るんですか?」
「あくまで対症療法よ。前に使ってた香水や写真、音声を使えば副作用はある程度、緩和できるわ。それに副作用があるって自覚もあるのだし」
副作用で精神が不安定になるのなら安定させるために必要なものを作れば良い。その考えで月音は様々な精神安定化グッズを自作していた。
一つは以前にも弥勒に見せていた彼の匂いのする香水だ。さらに少し前に腋の臭いも記録していた事もあり、もう一つ上のレベルの香水も存在している。
次は部室に仕掛けられたカメラによる弥勒の盗撮写真だ。それに少し前にグループチャットで写真の交換も行ったため素材は大量にある。
そして音声というのも部室に仕込んである録音機で弥勒の声を録音したものがあるのだ。また弥勒の声を編集して自分の好きな台詞を言わせたりしている。
そういった自作をアイテムを適宜、使う事により月音は精神の安定を保っているのだ。
「何か不穏なワードが聞こえてきましたが、聞かなかった事にします……」
深くツッコむと疲れると判断した弥勒は月音の話を流す事にした様だ。それに彼女も頷く。
「貴方は将来、どんな道を歩みたいとか決まってるのかしら?」
月音からの唐突な質問に弥勒は面食らう。しかし彼女の表情を見るとわりと真面目な顔をしている。
「特にこれといった事は考えてないですけど……」
弥勒は素直に質問に答える。彼にとって天使を倒す事が最優先だ。正直、それより先の事はほとんど考えていない。
「そう。なら私の秘書なんてどうかしら? 給料もそこらの大企業よりも良くするわよ」
「凄いお誘いですね……考えておきます」
「ええ、必ず考えておいてちょうだい。必ず」
月音はそれだけ言って再びPCと向かい合う。そして作業を再開する。弥勒はそれを見ながら少し考える。
「(俺が想定してたよりツキちゃん先輩の副作用は進行してるのか……?)」
月音はあまり恋愛的な雰囲気を表には出さない。それは彼女にとって恋愛よりも研究の方が優先度が高いからだ。
しかしそれだけが精神の全てではない。心の奥底には誰かと触れ合いたいという気持ちが人には眠っている。それは人間が群れを成している生き物である事からも明白だ。
月音の奥底にも誰かと触れ合いたいという本音が眠っている。そしてそれに一番近いところにいるのが弥勒である。
研究対象であるというのは月音の研究欲を刺激する。その研究対象への執着が、誰かと分かり合いたいという彼女の本音へと繋がっている。
そのため一見、恋愛感情は無いように見える月音でも弥勒の事が必要となっているのだ。副作用緩和の自作グッズもその穴を彼女が無意識に埋めようとしているためのものである。
麗奈のセイバーグッズ作り、アオイのスパイアプリ、みーこの妄想SNSと本質は同じである。ただ弥勒の代わりになるものを用意しているだけ。
弥勒はその事に薄々気付きつつも、敢えて触れようとはしない。それは突っ込んだところで解決策が無いからである。
仮に大人のキスが出来たとしても、それも対処療法だと言うのには代わりはない。副作用自体を消せる訳ではないのだから。
月音がその副作用を自分で解決できると思っている内は弥勒が口を出す必要はない。大人のキスは刺激が強いため副作用の緩和は出来るかもしれないが、弥勒を求める気持ちを増幅してしまう可能性もある。つまりは諸刃の剣だ。使わないに越した事はない。弥勒はそう考えている。
「隣の部屋、借りて良いですか?」
「ええ、もちろん。コーラも好きなだけ飲みなさい」
弥勒の提案に快く頷く月音。彼は返事を聞いてから隣の休憩室へと入って行く。そしてソファに座る。
冷蔵庫にあるコーラは取り出さない。単純に弥勒がコーラの気分では無いからだ。彼は鞄の中からエリスから貰った手紙を取り出す。
「とりあえずコレを読んでおくか」
月音から用が無いと言われたが、それですぐに帰るのも勿体ないと考えた弥勒は休憩室でエリスからの手紙を読む事にした。
封を切って中の手紙を取り出す。今回はネコのイラストが描いてある便箋だった。やはりエリスは可愛いものが好きなのだろう。
『夜島弥勒様』
エリスの字は綺麗なため自分の名前が書かれているのを見ると弥勒としては気持ちが良い。この辺りにも育ちの良さが滲み出ている。
『お返事ありがとうございました。ふと思ったのですが、せっかく文通をしているので二人だけのあだ名とかあったら素敵かなと思います。ぜひわたくしのあだ名をお決めになって下さい』
手紙の前半の文面を見て、弥勒はエリスのあだ名を考える。
「ルーちゃん……でもこれは名字だし。エリちゃんとかじゃありきたりなのか……? 外国風ならエリーで良いのか……」
しかしあだ名といってもすぐに思い浮かぶ訳ではない。そこで弥勒はとりあえず手紙の続きを読む事にする。
『ちなみにわたくしの方でも夜島くんのあだ名を考えてみました。「みろーくん」か「ミロック」、「ナイトアイランド将軍」のどれが良いでしょうか?』
『わたくしとしては「ナイトアイランド将軍」がオススメです。ポイントは将軍の部分がわたくしたちのリーダーというのを示しているところです』
「やべーあだ名考えてやがる⁉︎」
「ナイトアイランド将軍」という名字をもじったとんでもないあだ名に弥勒は驚く。そしてよくよく考えると「ミロック」の方もシンプルにダサいという事に気付てしまう。
『それとメリーパンジーについてご相談があります。次のぬいぐるみ技をどんな子たちにしようか迷っています。良かったらアドバイスをいただけると嬉しいです』
後半にはわりと真剣な悩みが書いてあった。エリスが現在使えるぬいぐるみ魔法はテディベア、猫、カメである。ちなみにカメは観賞用である。
「うーん、これは重要な選択だな。流れでいったら上空を見て回れる鳥が良いのかもしれないけど……ツキちゃん先輩のドローンもあるしな」
あまり役割が丸かぶりしてしまうとせっかくの新技の意味がない。最もメリーアンバーが必ずしも戦闘に参加しているという訳でも無いので、無駄にはならないのだろうが。
「地中に潜れるモグラ……いや天使は空飛んでるからあんま使わないか。だとするとやっぱり鳥か。鷹とかの動きが素早いやつとか」
一瞬だけ虫というのも選択肢に浮かんだが、エリスにそれを作らせるのは可哀想だと思い返事には書かないようにする。
弥勒はそれから手紙の返事を一時間ほど掛けて書いてから家へと帰宅するのだった。