第百七話 エリスの教室へ
月曜日になり弥勒は学校へと登校した。日曜日は一日中ぼんやりとしながら過ごしていたため彼の体感としては急に休みが終わった感覚だ。
「…………」
弥勒はノロノロと廊下を歩く。油断すると頭に思い浮かぶのは土曜日の出来事だ。
「(柔らかかった……はっ⁉︎)」
月音とのキスは弥勒にとってファーストキスであった。本人としてはキスをしたからと言って自分がどうこうなるとは考えていなかった。
しかし今は月音の顔を正面から見れそうに無かった。幸い部室にさえ行かなければ学校での彼女との接点はない。その事に密かに安堵している弥勒。
ちなみに今日の朝はアオイとのランニングが無かったため彼女にこの様子をつっこまれる事は無かった。もし一緒にいたら確実に彼女から探りを入れられていただろう。
「おはよう」
「ええ、おはよう」
教室に入り弥勒は気持ちを切り替える。いつも通り麗奈へと挨拶をする。それに彼女も短く応える。
自らの席に座って授業の準備をしていると教室がややざわついている事に気付く。そこで弥勒は教室の会話に耳を澄ます。
「葛西の家、引っ越したんだって。それで転校ってことみたい」「やっぱり最近の騒動が原因?」「みたいだな。そのタイミングで父親の転勤の話が出たとかで」「怖いよなぁ……」
話はクラスメイトの一人である葛西が急に転校したというものだった。しかし直前まで彼が引っ越すという話は出ていなかった。急に引っ越したという事だろう。
そして最近の騒動とは天使についての事を指していると思われる。この街は何度も天使の襲撃を受けている。そしてつい先日には魚型の大天使によりビルごと消失するという大事件まで起きてしまった。これでは引っ越す人間が出てきても不思議では無いだろう。
「(これから街の人たちの引っ越しが増えるかもな……)」
もし自分が何の力も持たない一般人だったらやはり大町田市に住み続けるのは怖いだろう。弥勒は葛西が座っていた席をぼんやりと眺めながらそう考えた。
「でもちょっとワクワクするけどな、非日常って感じで」「呑気ね。あの時、学校に残ってたら絶対にそんな悠長な事言ってられなかったわよ」「やっぱ学校を襲ったのは例の化物って訳か」
中には人型の大天使と蜻蛉の天使による襲撃時に学校にいた生徒もいる。この学校の生徒は街にいる人たちよりも天使の危険性が分かっているのだろう。ただ中には天使による襲撃をあまり信じていない者も一部いるようだが。
「あの化物って天使って言うらしいぜ」「何でそんな事知ってるのよ?」「これ見てくれよ」「なにこれ? 救世主チャンネル……?」「そう、このチャンネルがこの街での騒動について色々教えてくれるんだよ」
「(救世主チャンネル……?)」
弥勒は聞きなれない名前に違和感を覚える。天使について語っていると言う点が気になった。放課後にでも確認しようと心に留めておく。
それから弥勒は鞄からとあるモノを取り出して立ち上がる。授業が始まる前にやっておかなければならない事があるのだ。すると彼が立ち上がったのを麗奈はジーッと見ていた。
「エリス先輩……」
その言葉に弥勒はビクッとなる。彼はエリスに文通の返事を渡すために3年の教室に行こうとしていたのだ。それを麗奈に看破されたらしい。
「ふぅん。文通の返事、渡しに行くんだ……」
麗奈はそれだけ呟いてから机に顔を伏せた。授業が始まるまで寝るつもりなのだろう。弥勒は麗奈の勘の良さに恐怖しながらも教室を出る。
そして3年のエリスのいる教室を目指す。3年のいるフロアに行くと弥勒が下級生だからか周りから注目されている様な気がした。それをなるべく気にしない様にして彼女のクラスである3年1組を目指す。
弥勒は教室の前で深呼吸をする。それから扉を開ける。中へと入りエリスを探す。すると教室の窓際の奥の方に彼女がいた。弥勒はそっちに近づいて行く。
3年1組の生徒からの視線を感じつつエリスの席へ向かうと途中で彼女が弥勒に気付く。エリスはとても嬉しそうな表情をした。
「おはようございます、夜島くん。お手紙を持ってきてくれたんですね!」
「おはようございます、ルーホン先輩。俺なりに返事を書いてみましたが、上手く書けてるかは自信ないです」
「ふふ、大丈夫ですよ。手紙に大切なのは気持ちですから」
「そう言って貰えると助かります」
弥勒は懐から手紙を取り出してエリスへと渡す。彼女も嬉しそうにそれを受け取る。
「あら意外に可愛い封筒ですね。今日はお家に帰るのが楽しみです!」
エリスはうきうきしているが、弥勒の方はそろそろ周りからの視線がキツくなってきている。やはり男子からは恨みのこもった視線を向けられている。
「あとヒコちゃんがそろそろ夜島くんの家に泊まりに行きたいって言ってましたよ」
「そういえば最近、あいつ見かけないですね。ずっとルーホン先輩の家に居るんですか?」
「はい、毎日のんびりとお菓子食べたりしてますよ。とっても可愛いです」
どうやらヒコはエリスの家が相当気に入った様だった。家は広い上に草木のある庭があって、お菓子も食べ放題。妖精としてはたまらない環境だろう。
「仕事しろよ、あいつ……」
弥勒はヒコのぐーたら具合を聞いて呆れる。エリスは全く気にしていない様だが。
「それと今度、麗奈ちゃんとアオイちゃんとコスプレ会をやるんです。良かったら夜島くんも参加しますか?」
いつの間にか麗奈とアオイへの呼び方が「〜さん」から「〜ちゃん」へと変わっている。彼女たちは彼女たちで交流を深めているという事だろう。
弥勒はコスプレ会に誘われて困惑する。どう考えても麗奈とアオイの二人は彼が参加する事を想定していないだろう。弥勒としても女子会に参加するのは気まずいため避けたい。
「いや……遠慮しておきます」
「そうですか……残念です。ぜひ夜島くんのコスプレも見たかったのですが……」
弥勒が誘いを断るとエリスは落ち込んだ様子になる。彼としてもそう落ち込まれると罪悪感が芽生えるが、後の事を考えるとやはり安請け合いするべきでは無いだろう。
もちろん彼女たちのコスプレを生で見れるのは思春期真っ盛りの弥勒としても魅力的だ。しかしすでに麗奈から巫女のコスプレ写真は送られる事が確定している。つまり無理をして参加する必要はないのだ。
「すいません。ちなみにルーホン先輩はどんなコスプレをする予定なんですか?」
弥勒は彼女がどんなコスプレをするのか少しドキドキしながら聞く。これには話に聞き耳を立てていた周りの男子たちもにんまりである。
「わたくしはからかさ小僧のコスプレをします!」
「か、からかさ小僧……?」
予想外の答えに弥勒は戸惑う。そんなコスプレをする人間なんて聞いた事もない。妖怪をチョイスするにしてももっとマシなものはいくらでもあるだろう。
「からかさ小僧って何だかチャーミングですよね。わたくし昔から好きなんです!」
エリスは独特な空気だけでなく、独特な感性もある様だった。こうなって来ると普段、美術部で彼女がどんな絵を描いているのか弥勒としては気になって来る。
「そ、そうなんですね」
「正直、雪女とどっちにするか迷ったんです。でもからかさ小僧の方が可愛いかなって」
「「「(絶対に雪女だろ……!)」」」
この時ばかりは弥勒とクラスの男子たちの心の声が揃った。何故その二択でからかさ小僧の方を選ぶのか不思議である。
「参加はできないですけど、今度写真でも見せて下さいよ」
「そうですね! 夜島くんのためにも写真をいっぱい撮っておきます!」
さらりと写真を要求しておく弥勒。からかさ小僧とは言え、コスプレするのがエリスならそれなりの絵になるだろう。もしコスプレ写真が見れるならそれに越した事はない。
「待ってます。それじゃあそろそろ授業始まるので」
「ええ、またお返事書いたら教室へ持って行きますね」
弥勒は短く挨拶だけして3年の教室から出る。エリスがまた手紙を持って彼の教室に来るのは確定のようだ。それに少しどんよりとした気持ちになりながらも授業を受けるために教室へと戻るのだった。




