第百二話 アオイ家の晩御飯
ゴロゴロの厳しい修行を終えた弥勒は再びアオイ家のリビングにいた。晩御飯が完成したという事で母親の桔梗から呼ばれたのである。
バックハグ以来、若干空気が気まずかったため二人は素直にリビングへと向かったのだ。そしてアオイと弥勒は手を洗ってから席へと着く。
「今日は弥勒くんが来てくれたから張り切ってご飯作っちゃったわ。たくさん食べてね」
テーブルの上には唐揚げに、一口サイズのハンバーグ、ちらし寿司、シーザーサラダ、豚汁、肉じゃがなど豪勢な料理が並んでいた。ジャンルはバラバラだがどれも美味しそうだった。
「やったぁ! 唐揚げだ!」
しかし弥勒よりも先にアオイが反応する。彼女は普段から運動量が多いため唐揚げなどハイカロリーなものが好きなのだろう。テンションが上がっている。
「アオイが喜んでどうするのよ。そんなんだからいつまで経っても彼氏ができないのよ? 女の子ならお料理の一つでも出来ないと」
アオイの態度に桔梗が苦言を呈す。しかしアオイは得意気な顔をして言い返す。
「ふふーん。ママってば今時、女だから料理するだなんてナンセンスなんだよ!」
「でもアオイがお料理できたら弥勒くんに料理する姿を見せて家庭的な姿をアピールできたのよ?」
「な、なんだってー⁉︎」
母親の指摘によりアオイのドヤ顔が一瞬で崩れる。確かに料理をする姿を弥勒に見せていたら大きなアプローチとなっていただろう。
「女の子だから料理をするんじゃなくて、男の子を攻略するには胃袋を掴むのが手っ取り早いから勧めてるのよ?」
「ど、どーゆーこと?」
「良い? 男っていうのはいつもお昼ご飯や晩ご飯の事ばっかり考えてるのよ。心当たりない?」
弥勒を置いて桔梗によるお料理心構え講座が始まってしまった。アオイはその話を真剣に聞いている。弥勒は美味しそうな料理を前にお預け状態だ。
「……ある! クラスの男子は休み時間のたびに食堂で何食べるか話してるし。部活の男子は帰り道にコンビニで何買って食べるとかいつも言ってる!」
「そうよ。つまり男にとってご飯っていうのはそれだけ重要なのよ。もしそれをこちらが掌握できたらどうなるかしら?」
「男が……あたしの虜になる!」
ガバッと勢いよく弥勒の方を見るアオイ。その雰囲気に押されて彼は頷いてしまう。するとアオイは納得したような顔になる。そこに桔梗が更なる追撃を入れる。
「さっきアオイは女の子だからって料理する必要はないって言ったわよね? 料理をする女の子が減っている中、もしアオイが料理できたらアピールにならないかしら?」
「なる!」
アオイはショックを受けたような顔をする。それは今まで料理というものに興味を持たなかった自分に対してだろう。
「ならこれからアオイも料理を勉強しましょう」
「うん! 気合い充分だよ!」
アオイは母親からの説明によりすっかりと料理を勉強する気分になっていた。乗せられやすいというべきか、流石は母親というべきか。
「弥勒くんも試食にはぜひ付き合ってあげてね?」
「はい。俺でよければ」
そしてさらりと弥勒がこれからもアオイの家に来るきっかけを作る母親。弥勒をベッドの上でゴロゴロさせてマーキングをさせていたアオイとは大違いである。これこそが大人の女性の巧みな誘導術である。
「さて、遅くなっちゃったけど食べましょう。いただきます」
「「いただきます!」」
話に一区切りが付いた所で食事を開始する三人。弥勒はまずサラダを食べる。するとドレッシングが美味しい事に驚く。
「このドレッシング、美味しいですね!」
「嬉しいわ。自作のドレッシングなの」
市販のドレッシングよりも自作のドレッシングの方が油分も塩分も控えめに作りやすい。そうすると野菜の味もはっきりと分かるようになる。
弥勒は次に唐揚げを食べる。カリッとした衣を破ると中からジューシーな肉汁が溢れて来る。
「(俺の母さんより料理美味いな……)」
弥勒は失礼な感想を心の中で考えながらも夢中で食べ進めていく。
「弥勒くんは食べ物の中で何が一番好き?」
「そうだな……カレーかな」
「確かにカレーって最高だよね! 弥勒くんの家のカレーってどんなやつなの?」
「わりと具材はゴロッとした感じだな。辛さは辛口で、らっきょうよりも福神漬けの方が好きだな」
カレーは家庭によって大きく味が違う。弥勒の家は辛口派のようだ。また弥勒はインドカレーのようなナンで食べるタイプのカレーも好物である。
「ならアオイの料理、第一弾はカレーにしましょうか。カレーならそんなに難しくないでしょうし」
弥勒たちの話を聞いていた桔梗がそう切り出す。アオイはその言葉に大きく頷く。座ったままガッツポーズをしてやる気をアピールしている。
「よぉし! 目指せカレーマスター!」
「善は急げね。なら来週の火曜日はどうかしら?」
桔梗はアオイにではなく弥勒に対して聞いて来る。それに戸惑いながらも頷く。
「まぁ良いんじゃないですか?」
「そう、良かったわ。弥勒くんも試食役で来てくれるって」
「ほんとに⁉︎ あたし頑張るね!」
「え?」
弥勒としてはアオイが火曜日に練習するのは良いんじゃないかという意味で頷いた。しかしどうやら火曜日の練習に弥勒も付き合うという意味に取られた様だった。
アオイもすっかり喜んでやる気になっている。今さら参加しないとは言い難い空気になったので大人しく参加する事を弥勒は決める。桔梗の作戦勝ちである。
「アオイもやる気になって良かったわ。これで少しは女の子らしくなってくれると良いんだけれどね」
娘が料理に対してやる気を出した事に喜ぶ桔梗。しかし他にも色々と不満はある様だった。
「もうママってば! あたしはしっかり乙女ですぅー!」
母親の呆れた表情に対してアオイが反論する。しかしそれを見ていた弥勒はアオイを心配する。彼がこの家に来てからアオイが桔梗に反撃しようとしても全て失敗している。また同じ目に合うと思ったのだ。
「あら、最近の乙女は自分のベッドに脱ぎっぱなしの下着を置いておくのね」
「はわぁぁー!」
やはり弥勒の予想通りアオイの反撃は失敗に終わった。そして脱いだ下着を放置している事をバラされてしまう。
「それに高校生にもなって動物柄の下着はどうかと思わよ?」
「はいぃぃー⁉︎ そんなもん履いてませーん! 今日だって大人っぽい柄ですぅー!」
さりげなく自爆して自分の下着についてバラしてしまうアオイ。それを弥勒は気にしない様にしてハンバーグへと手を伸ばす。
「それは弥勒くんに見せるためでしょ。普段はそんなの履かないのに」
「…………」
アオイは机に伏して力尽きたようだ。ここまでの暴露の嵐に彼女の心が耐えられなくなったのだろう。弥勒は気まずい思いをしながらちらし寿司を頬張る。
「うまい」
とりあえず弥勒は隣の席で呻き声をあげている生物は気にしない様にする。
「でもこの子が家にお友達を連れて来るのって珍しいのよ? ましてや男の子が来るのは初めてなの」
母親も娘をスルーして弥勒と話を始める。その話に彼は驚く。
「そうなんですか? アオイさんは友達多いと思うんですけど」
「前から陸上一筋だったからねぇ。放課後は走ってばっかりだったのよ。だからあんまり友達とも遊んで無かったの」
「そうだったんですね……」
高校に入学する前のアオイについて弥勒は知らない。原作で彼女の過去について触れてはいたが、それは軽くである。そのため原作知識を持ってしても詳しくは知らない。
「高校に入って走る事以外にも目がいくようになって安心したわ。このままじゃいつか走る事を嫌いになっちゃうんじゃないかと思ってたから」
桔梗は少し遠い目をしながら話す。過去のアオイを思い出しているのだろう。彼女の目から見てアオイの走りへの情熱は良い面だけでなく悪い面もある様に見えた。
特に大会での成績などはアオイにとって負担になっている様な気がしていたのだ。彼女は走る事が好きなだけであり、競争する事は好きで無い。それは母親である桔梗だからこそ感じ取れる事だった。
「だからありがとう。娘に色々な事を教えてくれて」
「いえ、俺もアオイさんには助けられてますから」
「ふふ、それなら良かったわ」
弥勒は母親の慈愛に満ちた瞳を見て温かな気持ちになる。桔梗は弥勒の返事にくすりと笑った。
それからは復活したアオイにより再び賑やかな食卓となり、楽しい晩御飯タイムを過ごした。こうしてアオイ家への訪問は弥勒の想定よりも平穏に終わったのだった。




