第百話 アオイの家
木曜日の放課後、弥勒は家に一度帰ってから待ち合わせの公園へと来ていた。今日はアオイの家に行くと言う約束をしていたのだ。
弥勒としてはてっきり授業が終わってから一緒に行くものだと思っていたが、アオイからいつもの公園で待ち合わせにしたいと言われたのだ。
そのため弥勒は事前に準備していた手土産を持ちながら公園で彼女が来るのを待っていた。手土産にはクッキーを用意した。学校のある大町田の駅には百貨店も存在している。そこでクッキーを買ったのだ。
「お待たせー! ごめんね、待った?」
しばらくするとアオイがやって来る。その姿は制服では無くなっていた。黒い短めのスカートに白いブラウスを着ている。
「いや大丈夫。というか着替えてきたんだ」
「うん、もし汗臭いとか思われたらショックで立ち直れないからね!」
「いや散々一緒にランニングしてるのに」
「それはそれ! これはこれ!」
アオイとは毎朝この公園で一緒にランニングしているのだ。弥勒としては今さら汗臭いなどと考えるはずもない。しかしそこは乙女心。運動している時とデートの時では考えが全く違うのである。
「そうなのか」
「弥勒くんもまだまだだね! そんなんだからセイバーの仮面は臭いって言われるんだよ?」
「マジで⁉︎」
「うそ〜!」
セイバーが身につけている仮面が臭いと言われて焦る弥勒。それにアオイは舌を出して嘘だと告げる。
「ビビったわ……」
「さて、弥勒くんがお漏らしした所でうちに行きますか!」
「いや漏らしてないから!」
合流していつものアオイがボケて弥勒がツッコむという流れになる。彼女は上機嫌なようでいつもよりもボケのペースが早い。
「女の子の家って行くの初めてだな」
歩き出したところでポツリと弥勒が呟く。それにアオイがジト目を向けてくる。
「いやこの前、エリス先輩の家に行ったじゃん」
「そう言われるとそうだったな。でもあれって女の子の部屋っていうか……屋敷の一室……?」
「まぁ確かに気持ちは分かるかも……」
ちなみにさらりと月音の家に行ったことも忘れている弥勒。あそこも女の子の部屋というよりも離れのラボといった感じなので仕方ないかもしれない。
そんな事を話しているとアオイの家へと辿り着く。公園から近いところにある一軒家だ。家自体の大きさは弥勒の所とそんな変わらないだろう。
「到着! ささ、入って」
「お邪魔します」
家に着いたのでアオイは玄関を開けて弥勒を招き入れる。彼は言われた通り、玄関に入って靴を脱ぐ。もちろんきちんと揃える事も忘れない。
「ただいまー!」
アオイはリビングへと通じる扉を開けて中へと入っていく。弥勒もそれに続く。すると中にはアオイの母親がいた。
身長はアオイと同じで低めである。長い黒髪に優しそうな瞳。アオイと大きく違うのは主張の激しい胸だろう。服の上からでも分かる程のボリュームだ。ロングスカートを履いており、まさに清楚な人妻といった雰囲気だ。
「あら、おかえりなさい」
「ただいま! 弥勒くんを連れてきたよ!」
「初めまして、夜島弥勒と言います。こちら母からです」
弥勒は自己紹介をしてから手土産のクッキーを渡す。
「初めまして、アオイの母親の桔梗です。弥勒くんの事はアオイからたくさん聞いてるわ。わざわざありがとう」
アオイの母親、桔梗は弥勒から手土産を受け取った。母親の言葉にアオイが怒る。
「もうママ! 余計な事は言わないで!」
「あらだって本当の事じゃない? 毎日毎日、弥勒くんの話ばっかり」
「わああぁー!」
母親の言葉に被せるようにアオイは悲鳴を上げる。余程、普段から弥勒の話をしているのを知られるのが嫌だったのだろう。
「弥勒くんも座って。ゆっくりお話しましょう。アオイのエピソードならたくさんあるのよ」
アオイを揶揄うモードになった桔梗は弥勒に席に座る様に促す。そのまま桔梗は冷蔵庫の方へと行って飲み物とお菓子の準備をしている。弥勒はとりあえず言われた通りにイスへと座る。
「ちょっと弥勒くん! これからあたしの部屋に行くんだからママの言う事聞かなくて良いんだよ⁉︎」
「はい、サイダーどうぞ」
「ありがとうございます」
「うふふ、男の子だから炭酸ジュースの方が良いかと思って買っておいたの」
しかしアオイの話を聞かずに弥勒と桔梗は席に座って話し始めてしまう。それにアオイは頬を膨らませる。
「むぅー!」
唸りながらも仕方なく、弥勒の隣にアオイは座る。さりげなくイスの位置を弥勒の方へと寄せている。
「あらアオイ、貴方は自分の部屋に行ってて良いのよ? わたしは弥勒くんと楽しくお喋りするから」
「行かないもん!」
「全くワガママな子ね。そういう所が子供っぽいのよ。おねしょも11歳くらいまでしてたしねぇ」
「ぎゃあぁぁー! な、何言ってんの⁉︎ 嘘だからね! あたしそんな歳までおねしょなんてしてないから!」
予想外の暴露にアオイは女の子らしからぬ声を上げる。好きな人におねしょしてた時の事なんて知られたら乙女としては自殺ものだろう。
「弥勒くんは何歳くらいまでおねしょしてたからしら?」
「俺は確か5歳くらいまでですかね」
「何でおねしょでトーク広げてるの⁉︎ 弥勒くんも普通に答えてるし!」
桔梗の話にツッコミを入れるアオイ。どうやら彼女が弥勒に対してボケたがるのは母親似だからの様だ。
「アオイ、あんまり騒ぐとはしたないわよ」
「誰のせいだと思ってんの⁉︎ もう弥勒くん、早くあたしの部屋に行こう!」
「ちょっとサイダー飲んでから」
アオイは何とかして弥勒を自分の部屋へと連れて行こうとするが断られる。弥勒はマイペースにサイダーを飲んでいる。
「ダメ!」
するとアオイは弥勒の飲んでいたサイダーを奪い取り一気に飲み干した。そして飲み終わった缶をテーブルにドンと置く。
「アオイ!」
さすがにマナーが悪いと思った桔梗はアオイを注意する。しかしアオイはプイッと顔を背ける。それに桔梗はため息を吐く。
「揶揄いすぎたママが悪かったわよ。ごめんね、弥勒くん」
「いえ、俺もアオイを揶揄いすぎました。それじゃあ部屋行くか」
「……うん」
桔梗の謝罪に対して弥勒も反省する。そして不貞腐れているアオイを促して彼女の部屋へと向かおうとする。
「晩御飯は腕によりをかけて作るから楽しみにしててね!」
「ありがとうございます」
桔梗は晩御飯を作るのが楽しみだったのか力こぶを作るポーズをしながら宣言する。それに弥勒はお礼を言ってからリビングを出る。
そのまま無言のアオイに廊下の奥へと案内される。そして彼女の部屋の前に着く。扉の前には可愛い水色のプレートが掛けられている。そこには「AOI」と書いてある。
「ここ」
「そんなに怒るなよ。お母さんのちょっとしたお茶目だろ」
「……怒ってないもん」
そう言ってから彼女は扉を開ける。そして部屋の中に入る。そこには勉強机とベッドがあった。カーテンは水色で、部屋には何個かぬいぐるみが置いてある。そしてベッドの上にはいつぞやのナマズのぬいぐるみがいた。
「ベッドに座って」
「え? 俺がベッドに座るのか? 床に置いてあるクッションじゃなくて」
弥勒は普通にクッションに座ろうと思っていたのだがアオイからストップが掛かる。彼女としては弥勒にベッドに座って欲しい様だ。
「うん、あたしはこっちに座るから」
そう言って彼女は勉強机についているイスを引っ張ってくる。
「ま、まぁアオイがそれで良いなら良いけどさ」
弥勒としては女の子のベッドに男が座るというのは嫌じゃないのかと思いつつも言われた事に従う。するとアオイは満足気に笑う。
「弥勒くん、ママと一緒になってふざけすぎ!」
「悪かったよ、反省してる」
「ほんとに? 次やったら恐ろしい罰ゲームが待ってるからね」
アオイは弥勒にジト目を向けながらも一応は納得した様だ。罰ゲームというのは聞かなかった事にする弥勒。
「それで今日は何をするんだ?」
「うーん、色々と弥勒くんの事を聞きたいかなぁ。生まれた時から」
「生まれた時から⁉︎」
「あはは、うそうそ。ようやくあたしのターンになった!」
弥勒にツッコミを入れさせる事に成功したアオイは喜ぶ。母親のせいで振り回されていたが、ようやく自分のペースに持ち込めた様だ。こうして二人は部屋でお喋りをするのだった。