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ルーインシティ・ウォーキング  作者: 和泉キョーカ
潺の工房編
8/70

朝ぼらけ、夢現の境涯

秦アサヒ:実は15歳になった今でも納豆ととろろ汁が食べられない。おかめかぶも若干無理。

「きゃあっ!!」

 カナタの目前の地面が深く抉れるほどの一歩を踏み込み、スーツの男が腰から抜刀した、柄の部分にトリガー機構を有した日本刀のような武器が、アマネが素早く取り出したナイフと衝突してガツンと音を立てる。

「あんたら、抜刀すると工房長にバレるんじゃないの。」

「我らの抜刀は我が主、弘原海様の御意思の下に行われる。貴様に刃を向けている事実こそ、我らが主の怒りと知るんだな。」

「――……ほざけよ。」

 文字通りの神速。人体が出し得る速度を優に超えるそれで以て手にした刀を振るうスーツの男の猛攻を、アマネは無表情のままナイフひとつで完全に防ぎきる。さらにアマネは、カナタに被害が及ばぬよう、彼女をロングコートの裾の向こうへと庇いながら、時折袖を切り裂く刃も構わずに防御態勢を取っていた。

「アマネ――っ!」

「……『影法師』だから。余裕ないからって口滑らせないで。」

「あぅ。」

 しかし、いかに人間の身体機能を遥かに凌駕する魔術師の、それも『ルーインシティ最強』とまで謳われるアマネが徐々に押し込まれるほどに、スーツの男が振るう刀剣の速度は尋常で無かった。

「ちっ……。」

 じりじりと、切っ先を弾くナイフを握る手が、喉元の方へと引き寄せられる。

「――『影法師』、堕ちたり!」

 スーツの男が叫んだ裂帛の宣言と共に、遂にアマネの手中からナイフが弧を描きながら宙へと投げ出され、カナタの背後の地面へと突き刺さる。

「……っ!」

 咄嗟に、カナタの脚が跳ねあがる。ナイフを勝ち取らんと、理性よりも先に獣性が筋肉を動かしていた。

「やめろッ!!」

 その反応は予想していなかったのか、アマネの視線が一瞬だけ、カナタの方を捉える。その刹那を、スーツの男は決して見逃さなかった。

 アマネの眼球が再びスーツの男を視認した時、既に男の得物の先端がアマネの喉笛に喰らいついていた。

「この――!」

 ずぶ、と自身の内側が音を鳴らすのを、アマネはハッキリと自覚する。「調子に乗るなよ小僧」――そう激昂の声を上げようと口を開けても、漏れるのは断末魔の悲鳴だけ。男の凶刃は既に、アマネの首を貫通していた。

「いやっ……厭、ぁ……アマネ!」

 その光景を、カナタはその瞳孔の開き切った眼に焼き付けてしまっていた。

「わた、くし……わたし、は……!」


『大丈夫です、こんなことでアマネさんは死にません!』

 不意に、カナタの脳の中に清廉たる川水が流れ込むように、声が聞こえてくる。

『歓迎はまた後で! 今はお二人の安全を確保します! ――目を閉じて!』

 言われるがまま、カナタはぎゅっと瞼を閉じる。直後、轟と濁流の音が鼓膜を震わせ、正体不明の浮力と流れがカナタの身体を押し上げる感覚が伝わってくる。やがてその感覚は高速落下のそれとなり、重力が頭蓋を打ち動かす度に、カナタの意識は失われていった。


 洪水がアマネとカナタの姿を消し去った後、スーツの男――『延僧(えんそう)ケンサクは、戦闘行為を確認した潺の工房(ワタツミ)の工房直属兵士たちが合流するまで、その場に立ち尽くしていた。

「延僧様、お怪我はありませんか!」

「……私は大事有りません。それよりも、翠桜宮全域に勧告令を敷きなさい。」

「はっ! 内容は?」

「――。」

 延僧は少しの間押し黙り、岩場の目下に広がる古都を見つめながら、その指令について口にした。


 カナタが目を醒ました時、傍らには少女が座っていた。

「お目覚めにござるか。」

「ぅ――あ、え?」

「無理はなさらず。相浜殿から事情は聴いているでござる。相浜殿が深刻な損傷を受ける姿を目にされたのでござろう? ……凡庸な人間が然様な現実を目にすらば、相当な精神的負荷を負うことに相違ござらんでしょう。」

「ここ、は。」

「……それは拙者より、主から聞いた方が早いでござるな。暫しお待ちを、我が主を呼んで参る。」

 そう言って、口元を面頬で隠した青髪の和装少女は、カナタが横になっていた座敷の襖を静かに開閉し、どこかへと去ってしまった。

 そうして、陽光が挿し込む和室内の空気が、静寂に支配される。ぼんやりと辺りを見回せば、商人の娘としての直感が値打ち品と告げるような、古めかしくも華麗な掛け軸やその下に飾られた盆栽など、最低限だがいずれも高価な代物とわかる数々の調度品が並んでいた。

「――入りますね。」

 ふと、凛と澄んだ声が、襖の向こうから聞こえてくる。

「……初めまして、百々カナタ様。」

 物音静かに開けられた引き戸の傍に膝を折って背を正し佇んでいたのは、桜色の髪を短く切り揃えた、和服姿の少女だった。外見的な年齢は、カナタやアマネとさほど変わらないように見える。

「当方、潺の工房(ワタツミ)の工房長親衛隊、『護朝三瀑』がひとり……簡単に言えば、この工房に所属する魔術師や人間たちの中で最も高位の権力を有する三人のひとり。名を、『(はた)アサヒ』と申します。どうぞ、お見知りおきください。」

 未だに明晰な判断能力が戻らないカナタがぱちぱちと瞬きを繰り返すのを見て、アサヒと名乗った桜色の髪の少女は、困ったように微笑む。

「……まずは、我々がお二人を保護した理由や当時の状況について説明しておきましょうか。百々様は話半分に聞いておいてください。これは貴方様の意識を明確にするための念仏のようなものです。」

 膝の上で指をはたた、と揺れ動かしながら、アサヒはカナタたちの身に起きたトラブルについて語り始めた。


 ――率直に言えば、クーデターなんです。

潺の工房(ワタツミ)が発足したのは、日本がまだ貴族政治を行っていたような時代。……ほら、『この世をば』って、あるでしょう? あの辺りなんです。」

 でもそれって、実は工房の中でもかなり新しい方なんです。一番新しいのは、最後の大戦の時期に人間によって設立された煙の工房なんですけど。……話題を戻しましょうか。

 だいたい江戸時代の辺りから、現在の潺の工房(ワタツミ)の管理体制が確立されました。つまり、『八大流派』と護朝三瀑ですね。三人の最強の剣士と、八つの大規模な魔剣術道場による公平な議論に基づいた工房運営。大変日本的で、当方は結構好きなんです。

「……最近になって、その土台に亀裂が生じたのは、当方にも原因はわかっていません。」

 権力に目が眩んだか。あるいは、魔術師として――剣士としての高峰(たか)みを求めるあまりに、視野が狭まったか。

 何にせよ、現状――工房長である弘原海(わだつみ)シオミ様は、極度の衰弱状態で宮廷の結界内を徘徊する事しかできなくなっています。

「首謀者の名は……護朝三瀑のひとり、つまり当方と同じ工房最強の三剣士の一振り。――『祖慶(そけい)ハルカ』。誇張抜きに、恐らくは……健常な工房長様を抜けば、護朝三瀑の中でも……。いえ、そんな事は構うものではないのです。」

 これからは魔術師の時代だ、魔法使いには早々に隠居して頂かねば困る――そんなことを嘯いて、祖慶は八大流派のお歴々を欺き、ほぼ満場一致で工房の転覆を成し遂げてしまったのです。

 しかし、そうは言っても工房長様は今を生きる魔女そのひと。未だ、完全な無力化には至っておりません。故に、当方と八大流派がひとつ、『弘原海衆』の現頭目であるユラメちゃん――『斎賀(さいが)ユラメ』ちゃんは今なお、表面上は彼らに与しながら、水面下で羽虫の抵抗を続けているのです。


「……それで、何故アマネが襲われるような事態に?」

「『影法師』は一人いるだけで一個軍隊です。その評判があるからこそ、祖慶と八大流派は自らが招いたわけでもないのに工房へとやってきた『影法師』、つまりアマネさんを最高位の仇敵と認識しているのです。」

「そんな……。っ、そうだ! アマネは……っ!」

「アマネさんもご無事ですよ。ユラメちゃんの秘伝魔術……忍術で、十分とかけずここまで運んできましたから。それにご存知の通り、アマネさんは魔術師としても破格の存在ですからね。先程申し上げた通り、喉元を突き貫かれた程度では死には至りませんよ。」

 にこりと微笑み、アサヒはその場で片膝を立てる。

「脚は動きますか? そろそろお食事にしましょう。アマネさんもお待ちですよ。」

 カナタは恐る恐る、アサヒが差し伸べたその手を取る。

 その瞬間、闇が周囲一帯を蹂躙した。

「何事ッ――!?」

 アサヒの表情に、焦燥と悔悟が奔る。

「あっ、ああ! いき、息がぁ!」

 カナタとアサヒが触れ合ったその指先を起点に、闇が泥水のように濁り、汚濁した正体不明の物質が空間を占拠していく。その闇はカナタの口腔へと滑り込み、やがて呼吸すらをも奪い取っていく。

「――!」

「百々様、しっかり!」

 カナタの目に、一瞬だけアサヒの手が映る。しかしその手は、まるでカナタの心臓を鷲掴もうとしているように思え。

「ぃ、やぁ――っ!」

 カナタは咄嗟に、その手を振り払う。

「ま、ね……あま、ね、あまね、アマネぇ……っ!」

 名を呼べども、竜の尾のように黒髪を結わえた黒ずくめの少女は応じない。その場にいない。どこにもいない。たった数日の関係で、カナタを助ける義理が無い。契約など、依頼主が死んでしまえば終わり。もう手遅れだから、アマネは来ない。

「……――や、だ……ぁ。」


 また、目が覚める。

「う――おえっ。」

 腹の中を、巨大な芋虫でも這いずり回ったかのような得体のしれない感覚に、カナタは咄嗟に口元を押さえるも、堪えきれずに嘔吐してしまう。

「は、――ハァ、あ。」

 霞む視界には、ひとりの幼女が立っていた。

『……人間、なぜここにいる?』

「う、」

 最早、まともに言語も紡げない。だが、カナタにははっきりとわかった。これは現実ではない。何かが、誰かが、カナタに幻覚を見せている。

 しかし、それと同時に、カナタにはこれが幻覚ではないという不思議な確信すらをも持っていた。今見ているこれは、現実では無いにしろ――実在する『何か』なのだと。

『それとも、これは妾が幻視している夢幻なのか?』

「あな、た、は。」

『うおぉ喋った。ははぁ、さてはおぬし、とんだパラレルインシデントに巻き込まれたな? まったく、只人の子が、魔女の心象風景の内部に土足で入り込むものではないぞ?』

「ま、じょ。」

『然様じゃ。おぬしが今こうして対面している童女は、正真正銘の潺の魔女、ワダツミそのひとじゃぞ? ……と言っても、折角と用意した若い肉体は汚染され、こうして心のうちに引き籠る事しかできなくなった、哀れな魔女じゃがな。』

 ワダツミと自称するその幼女が手を鳴らすと、カナタの視界が瞬時に明瞭化する。そこには、桜並木に囲まれた小川の淵に腰を下ろし、湯呑を両手で握る、青系統の色が濃淡様々に次々移り変わる髪をした幼女が、じっとカナタの方を見つめていた。

「初めまして、人の子。潺の魔女の心の中へようこそ、じゃ。」

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