たたら街に吹き荒れる暴風
獅子島式魔術:獅子島式格闘術、獅子島式剣術、獅子島式射撃術の三種で構成される魔術系統。獅子島家に代々伝わる『獅子の心』と呼ばれる呼吸法で焔の魔力を励起させ、攻撃に転化する。現在使用できる継承者は獅子島レーヴェ、獅子島リオネ兄妹のみ。
夕暮れ時とは言え、陽が差し込まないせいか不安になるほど薄暗い樹木の内部。先頭にコベニと、彼女の手を握りながら恐る恐るその後に続くカナタ、そして最後尾を警戒しながら、拳銃片手に殿を務めるリオネの三人が、江戸時代のような建築様式の街並みを進んでいく。
「他の工房にも治安維持組織はあるのでしょう? どうしてここに干渉しようとしないのです?」
「治外法権ってのもあるけど……正直、軍隊規模で送り込まなきゃ、ここにいる全員はしょっぴけないし……他工房の軍事介入を、イオリさんは認可してないんだ。」
窓や扉、屋根瓦は和風だが、樹木の頂上に空いた大穴に向かって五重塔を思わせるように高く高く伸びる建造物の間には、外の樹木たちと同様に、互いを繫ぐ吊り橋や架け橋が無数に交差している。そんなほとんど明かりの無い街の中は、時折野ネズミや野犬の唸り声こそ聞こえるが、人の気配はまったくしなかった。
「でしたら、お二人は何故こんな工房にお住まいなのです!」
「ウチらは爨の工房と契約してる魔術師なの! ちゅーか、どっちかってと爨の中で暴力沙汰とかあったらウチらがスッ飛んでくガワ!」
「……それって、治安の良くないこの工房では……。」
「「恨まれるよ!!」」
ぴったりと、リオネとコベニの迫真の叫びがシンクロする。それに呼応するかのように、今まで人っ子ひとりいなかった街の中に、ぞろぞろと目つきの悪い男女が数人、三人の行く手を阻むように、路地の裏や高層階の橋の上から現れた。
「よぉよぉ自警団のお嬢ちゃん方じゃねぇの。お客人を連れてどこへ行きなさる?」
「オリバー……今はあんたらとじゃれてる暇はねーっつーの!」
「おぉコワ。でもよぉ獅子島のお嬢、お客人は見たところ人間じゃねぇか! 威勢の良いコトも言ってられねぇんじゃねえか?」
「……外のエレベーター、壊したの君たちだね。」
ごろつきたちの最前に立つ長髪の男、オリバーと呼ばれたその男は、ニヤリと笑うのみで、コベニの質問に答えることは無かった。
「狙いは……この子?」
「さあ?」
「この子はウチらの友達だ! 絶対手は出させないかんね!!」
「と、友達……?」
「家族のが良かった系?」
「い、いえ!」
呆けた顔で「トモダチ……」と反芻するカナタの目の前で、正に一触即発の警戒状況は継続している。各々が身体に密着させた得物に手を添え、一方は下卑た微笑を、もう一方は友人に危害を及ばせまいと緊迫の表情のまま膠着していた。
「悪ィな自警団の。そのお嬢様を上に渡せば、俺の罪状は免除されるんだとよ。」
「堕ちたね『神々の忘れ形見』オリバー・レギンレイヴ。そんな甘言が本当に実行されると思ってるの?」
「――うるせぇぞ小娘。俺にだって帰らなきゃなんねぇ家と故郷があンだよ!!」
「だったら富裕層狙いの通り魔強盗なんかせずに、まっとうに生きてれば良かったじゃないか!!」
「知った口をきくな、たかだか十数年しか生きてねェガキにとやかく言われる覚えはねェ!!」
竹刀袋を握り締めるコベニとオリバーの、絶叫にも近い口論の直後、オリバーがジャケットに括りつけられたホルスターから拳銃を抜いたことで、状況は瞬時に一変した。
オリバーの拳銃から発せられた、空気を破裂させるような鈍い発砲音と共に、風を切り裂く鋭い音が、カナタのすぐ横で滑るように聞こえてきた。
「眼帯を取れよ小剣士! 手加減してんのか!?」
「君ごときに使ったら、あたしの機織眼が腐っちゃうからね!」
「ほざけ――!」
オリバーが出した合図で、彼の周囲にいた他のごろつきたちも次々に拳銃や機銃を取り出し、コベニ目掛けて乱射し始める。
「カナタっち、こっち!」
流れ弾が地面や樹壁に直撃する魔術の嵐の中、リオネはカナタの首根っこを掴んで路傍に停車していた自家用車の陰に彼女を引きずり込む。
「こ、コベニさんは!?」
「ベニちはヘーキだから!」
力任せに引き寄せられた反動でその場でどすんと尻餅をついたカナタは、恐る恐る遮蔽から顔を出し、正体不明の魔術が飛び交う戦場の中心に立つコベニを目撃した。そんな、四つん這いになるカナタの指の数センチ前に着弾した魔術が、「ジュウ」と音を立てて木材の床を容易く融解してみせる。
「っ!?」
「ほら、危ないから!」
すぐにリオネに両肩を掴まれ、リオネの胸元で抱き締められるように防護されるが、その直前にカナタの視界に入ってきたのは、人間のカナタの想像を絶する光景だった。
手に握るは、物質を――人体を切断するために備えられた刃を有する太刀。それを、まるで棒切れのように軽々と振り回し、原理不明の力で自身にぶつけられる魔術の濁流を次々と斬り捨てては無力化していくコベニの姿が、そこにはあった。
「ちょっと、弾切れまだ!? そろそろ腕疲れてきたんだけど!」
「リロードタイムも絶えず味方に斉射を続けさせる、絨毯銃撃の基本だろうが!」
「知ってる!! ――ごめんリオ、そっち行った!」
「は!?」
コベニの注意喚起の声が聞こえてきたときには既に、上空の橋から痩せぎすのごろつきが自家用車のボンネットの上に着地した後だった。
「ヘヘッ――!」
「イケメンのスマイル以外いらないっつーの!!」
それでもほとんど着地と同タイミングで拳銃を痩せぎすのごろつきへ向けたリオネだったが、その拳銃を回し蹴りで叩き落とされ、モスグリーンの魔力が輝く爪で襲い掛かられてしまう。
「この――っ、きたねー手で触ってんな、ヘンタイっ!!」
しかし、リオネもただでは終わらない。
「――『獅子島式格闘』、くらえっ! 『始段』!」
リオネの背後に一瞬、焔で描かれたライオンの横顔が幻視したかと思うと、即座に出したリオネの肘撃が、オレンジ色に輝く火炎を纏って痩せぎすのごろつきの顎にクリーンヒットする。
が。
「リオネ――っ!」
その隙に、どこからともなく伸びてきた屈強な腕に肩を掴まれ、カナタがごろつきたちの手に渡ってしまう。
「しまったッ!!」
瞬時に、コベニに向けられていた凶弾の洪水がぴたりと止む。リオネに襲い掛かっていた痩せぎすのごろつきも攻撃の手を止め、一度のジャンプでオリバーの隣に戻って見せる。そして、彼ら彼女らが手にしていた銃器が一斉に、大柄な魔術師によって拘束されたカナタの頭部に向けられる。
「さて、なんだったか。このペンダントが狙いらしいな。いやはや……。」
コベニやリオネが一歩でも動けば、カナタに向けられた十数個の銃口から、人間ひとりを殺すには余りある魔術が放たれる。魔術に無知なカナタでも、それだけはよく理解できた。
「う……あっ、あぅ……うぅ……!」
眼窩からは大粒の涙があふれ、歯はガチガチと鳴り、脚には失禁した尿が伝い落ちていた。
「オリバー、その子を解放するんだ!」
「ペンダントが目的ってわかってんなら、カナタっちの身柄は渡してくれたっていいでしょっ!?」
「いーや、長崎の百々って言や、少しでも現代商業齧った事のあるヤツなら一度は耳に聞く運輸業者だからなァ。このお嬢様の命そのものだって大金になるんだぜ?」
「オリバー・レギンレイヴ!」
コベニとリオネの必死の抑止の声も無視し、オリバーはカナタの首に掛かったペンダントを指で弄り回す。
と、何かの拍子で、ペンダントの表面のガラスに亀裂が走り、ペンダントの内部に満たされていたであろう液体がぽとりと一滴、地に落ちた。
――轟風が吹き荒れる。
時間にすれば、一秒にも満たない刹那。何もない無の空間から真白く眩く輝く槍のような杭のような構築物が出現し、その場にいたカナタとコベニ、そしてリオネを除くごろつきの全員の首と脳天、そして心臓を突き穿ち、その場に静寂をもたらした。
「ぇあ――?」
「……嘘だ、嘘だ!」
光に磔にされた十数人の死体の中に姿を現したのは、漆黒のロングコートを身に纏う傭兵『影法師』、即ちアマネだった。
「貸してッ!!」
彼女らしくも無く、絶望と焦燥の入り混じる凄まじい形相で、へたり込むカナタの首からペンダントを引きちぎると、アマネはそれをじっと穴が開くのではと思うほど観察し始めた。
「嘘だ――あの時、確かにブチ堕としたハズ――! なんで、なんでコイツが……いや、コイツまさか……ううん、コイツはただの人間だ――どう考えたっておかしい――!」
「アマち……?」
「アマネちゃん、大丈夫?」
友人に名を呼ばれ、アマネはハッと我に返って周囲を見渡す。その時になってようやく、その場に三人の少女がいたことを認識したかのように、アマネの表情はいつも通りの冷淡なそれへとすっと変わった。
「……ごめん、条件反射で駆けつけてた。お嬢様、平気? 立てる?」
「あっ――え、えぇ。ありがとう……ございます。」
「ルーインの怪物。」
その場にいた全員が落ち着き、アマネの護衛でたたら街を抜け、コベニとリオネが住んでいるという居住区に到着した時、アマネがぽつりと語りだした。
「ルーインシティが設立される事になった事件の原因の名前。」
「うん、中高の教科書にも載ってるくらい、世界史上――人類史上で最大のターニングポイントだよね。」
――ルーインの怪物と称された『ソレ』は、形容に難しい不定形の、巨大な物質だった。腕がある事は理解できた。口があることも、喉があることも視認できた。何故なら、腕の一振りで首都圏の行政機能が一瞬にして壊滅し、一度の咆哮で有機物と無機物を含むあらゆる存在が灰燼へと帰ったから。
「ルーインの怪物は……未だにその正体がわかってない。ルーインの怪物そのものの存在証明は、14世紀の頃から完了していたんだ。なのに、そこから七百年近くが経っている現在でも、ルーインの怪物『とは』が一向に、兆しすらわかってない。」
「魔術師でもわかってませんの?」
「ウチらは万能の人種じゃないからね~。人間と同じで、わかんないもんはどうやったってわかんないんだよ。」
「だから、研究を子々孫々継承していくの。一万年あっても究明できないような魔術的到達点をなんとか知り得ようとする狂気こそが、魔術師が今まで絶滅していない遠因なんだよ。」
閑話休題、アマネは再び手に握り締めた琥珀のペンダントに目を落としながら、先程自分が取り乱した理由を語った。
「……私は長く――長く生きて、こういう職業をしてるから……。自然とルーインの怪物の特徴とか、当時の惨状に触れる機会もあった。……だから驚いたんだよ。」
「――このペンダントから落ちて来た液体。……これ、ルーインの怪物の表皮を構成してた神秘の力に酷似してる。」