爨の工房長と考える明日のTo do
爨の魔法使い:またの名を、フレオノア。外国から日本にやってきた魔法使いで、当時鎖国中だった日本国内で活動する際は日本人のような名を用いて生活していたという。司る魔法は『饗宴』。
今、カナタは黒いスーツに身を纏った、屈強な男たちにじっと見下ろされていた。
「……ほォ、するってェとなんだい。お嬢ちゃんが首にぶら下げてるソイツは、工房二つが水面下で動き始めちまう程、ロクでもねェ代物なのかぃ?」
カナタの前には、スチール製の作業机に脚を乗せ、革張りの椅子にどっかりと腰かける、真っ赤なシャツを着た女性が、光の無い瞳でカナタと、カナタの首に提げられた琥珀のペンダントを睨み据えていた。
「……きっと、動き出してるのは連中だけじゃない。この琥珀がそれほどまでに強大な力を秘めているとわかれば、実力主義の奴らは我先に釣り針に食いついてくるよ。」
「……どうすンだよ。」
赤シャツの女性が揺らす紫煙が立ち込める事務室の中心で、『影法師』――アマネは口元に手をあてがって思索する。その隣では依然、三人の黒スーツの男たちに囲まれたカナタが、パイプ椅子の上で小刻みに震えていた。
「お前の問題じゃねェだろアマネ。嬢ちゃんに聞けよ。」
「……確かに。どうする、お嬢様。」
「アマネに一任致しますけれど……この状況を何とかして頂けませんこと!?」
「悪かったな嬢ちゃん。アタイとしたことが、久しぶりの陰謀騒ぎにワクワクしちまってたぜ。」
ガハハと呵々大笑する赤シャツの女性の周囲へ、黒スーツの男たちが引き下がっていく。男たちは揃いも揃ってまるで堅気な職種とは思えない風貌をしており、派手なシャツを着るスタイル抜群の女性と相まって、その光景はまさしく――。
「あ、あの……失礼を重々承知の上でお聞きしたいのですが……。貴方様は一体……?」
「おん? アタイか。アタイは『獄會』三代目組長の孫娘、獄會の若頭ァ張ってる『獄イオリ』ってンだ。嬢ちゃんにわかりやすく言やァ――ヤクザもんだよ。」
「……アマネ! さっき貴方、『爨の工房の工房長に会わせる』と仰ってたじゃありませんか!」
「工房長だよ。」
慌てふためくカナタに、アマネは淡々と告げる。カナタが再び真っ赤なシャツを着た女若頭、イオリの方を素早く振り向くと、イオリは不敵な笑顔を見せながら、煙草の吸殻を灰皿に押し付けていた。
「爨の工房は今、名前だけの空洞工房なんだよ。その実態は、魔術師同士の権力争いに疲れたはぐれ者とか、魔術師のコミュニティに居られなくなったならず者が身を寄せ合って住んでいるんだ。獄會は、最後の世界大戦の直後に爨の魔法使いの末裔から工房の運営権を買収して、工房管理組織としてその名を知らしめてる。」
無口なアマネの、いつになく饒舌な口から語られる爨の工房の現状に、カナタはただぽかんとした表情でアマネとイオリの顔を交互に瞥し続けていた。
「その……魔術師にも権力争いとか、あるんですの?」
「あるよ。」
「ある。」
ほぼノータイムで、二人が即答する。
「嬢ちゃん、魔術師は元来、人間が決めた国境を境界線とは考えてなかったが……。こと工房っつゥのは、魔術師にとっての『国』だったんだぜ。……人間が国家の中でやってきたことなんざァ、人類の歴史二千年振り返っても大して変わんねェだろ。」
「それが今も何ら変わりない……と?」
こくり、と。アマネとイオリの首肯に、カナタは寂し気な顔をする。
「……勿論、あの災い以降、魔術師の存在も全世界に公になって、魔術師の人口も爆発的に増加した。それに伴う意識改革というか……世代交代で、工房の在り方も今までとは変わってきたけどね。」
そんなカナタの表情を見かねたのか、アマネは眉ひとつ動かさないまま、ポジティブなフォローを渡す。
「おっとォ、随分と話が逸れちまったなァ。」
イオリも笑顔は崩さず、新たな煙草を箱から摘まみ出しながら、話題を元に戻す。
「……まずは、お嬢様の拠点だ。」
「おう、そういうことなら爨の工房の面目躍如ってとこだろ。アマネもソイツを期待してアタイに嬢ちゃんを会わせたンだろ?」
アマネは回答を口にすることは無かったが、構わずにイオリは机の上に無造作に転がっていた小型端末を手にすると、カナタの目の前へ目掛けてその端末を向けた。
途端、「ピピ」と高い音を響かせ、カナタの目線の先に、3Dホログラムで構築された巨大な樹木がひしめく森林が投影される。
「嬢ちゃん、深窓の令嬢サマなんだってなァ。そんじゃ、あんまウチでも管理ができてねェ治安の悪い樹には住まわせてやれねェな。」
「……リオとかベニが住んでる樹でいいよ。」
アマネの提案に、イオリの目が丸くなる。
「珍しいじゃねェか、おまいさんが自分チの近所に人を住まわせていいだなんて。」
「アマネにも家があるんですの?」
「……ひどい言い草だね。私の事、根無し草とか思ってる?」
「いえ……だって貴方、その筋には名の通った傭兵なのでしょう? 本拠地が知れたら大変な事になるのでは無くって?」
「『影法師』の拠点は別の場所にある。あくまで爨の工房にあるのは相浜アマネの家だから。」
「同じ事では……?」
「……それに、好き好んでくろがね砦の城門をくぐろうとする魔術師なんて、そういないよ。」
困惑の表情で首を傾げるカナタを無視して、イオリはホログラムを消し、横に立つスーツ姿の男に端末を投げ渡すと、アマネの名を呼んで話を続けた。
「それで? 判断を一任された『影法師』サマはこの後どうすンだよ。」
「……旅に出ようか、お嬢様。」
「え?」
未だに困惑していたカナタは、新たに告げられたその提案に、さらに口をあんぐりと開いて何も無い空を掴んでは放す動作を繰り返していた。
「……魔術を知らない、魔術師を知らないお嬢様が今のままで魔術師たちの裏社会のターゲットになるのは、私にとっても不利になる。……だから、色々な工房を旅して、魔術師の世界に触れて貰うよ。――それに、工房長の連中に釘を刺しておいた方が良いだろうしね。『お嬢様に手ェ出すな』って。」
「おッ、それならもう一ヶ所はクリアしてるじゃねェの!」
「そうだね、爨の工房はひとまず制覇だ。」
「わたくしの認知していないところで、わたくしの今後の運命が着々と固められていっておりますわ……!」
「……何か意見が?」
「任せますわ!!」
「ん。」
カナタは今、完全に井の中の蛙が大海に飛び出した直後に等しいのだ。それを自覚しているからこそ、カナタはアマネの決定に反駁する事はしなかった。
「ンじゃ、最初のお散歩先はどこにすンだァ?」
「決めてないけど。」
「おゥ、なら潺の工房に行くと良いぜ。魔術師と魔法使いの関係を知るにゃ持ってこいなんじゃあねェの? それにあッこの魔女もヴェル坊よろしく商魂盛んだからなァ。ひょっとすると、嬢ちゃんの家が九州イチの豪商だってェなら、嬢ちゃんの事も知ってるんじゃねェかァ?」
「なるほどね。いいかも。」
「わたつみ……。」
その後、「少し用事があるから」とイオリと共にその場に残ったアマネから離れ、カナタはイオリの部下なのであろうスーツ姿の男数名に案内され、獄會の本部事務所を後にするのだった。
「やっ。」
事務所の外に出たカナタを待っていたのは、目を覚ました際に看病してくれた二人組――リオネとコベニだった。二人の先導で、事務所が建てられている大樹の枝から、別の大樹へと繋げられる吊り橋を渡る道すがら、カナタはイオリが口にしていた工房について尋ねた。
「――潺の工房?」
「いいとこだよ。日本人も多いしね。」
「ルーインシティは日本語が公用語なのですから、そこはさしたる問題点ではないのでは?」
「それなー。でもやっぱ、カオカタチがウチらと似てる人たちがいるとホッとしん?」
「そうですか?」
「まぁそれはともかく、さ。」
渡り切った大樹の樹皮に沿うように、らせん状に伸びる繁華街にひしめく人混みの中を下っていきながら、会話を続けていく。
「詳しい事はボディーガードちゃんに聞くと良いよ。あたしたちよりいろんなこと知ってるしね。」
「……お二人と、アマネは……どういったご関係なんですの?」
「ダチっしょ。」
「友達だよ。」
「……。」
樹の中に埋め込まれるように建ち並ぶ商店の前に停車していたフードワゴンで鶏肉とトマトソースを使ったホットサンドを頬張り、三人の少女はどんどんと樹木の根へと向かっていく。
「わかるっぜぇ~! アマちは謎だらけだもんね!」
「実はね……あたしたち、親がいないんだ。リオちゃんもあたしも、孤児なの。両親はとある工房の過激派に殺されちゃってるんだ。」
「えっ――。」
そんな衝撃的な発言をしても、二人の表情が曇る事は無かった。そのまま、コベニは何でもない事のように身の上話を続ける。
「そんなあたしたちを拾ってくれたのが、アマネちゃんなんだ。もう十年は前の話なんだけどね、アマネちゃん、その頃から外見が変わってないんだよ!」
「んまー、そういう魔術師って珍しくないから、ウチらは特に気にしてないけどね~。年単位でアマちと関わる気なら、そこら辺意識しといた方がいいべー。なんせ、体重もイチグラムすら増えんし! かー! 羨ましかー!」
やがて、視線を下へ向ければ巨大な樹根が眼前に迫るほどに地上に近付いて来た頃、一行の目の前に陸橋が見え始める。
「……んあ。んねベニち、エレベーター壊れてね?」
「えっ? ……うーわ、ほんとじゃん。てことは何、『たたら街』を通り抜けなきゃいけないってこと?」
リオネが指差す先には、支柱が途中でぽっきりとへし折れてしまった、木造の昇降機が、黒煙を吐きながら静かに佇んでいた。
「あ、事件性は特にないんだよカナタちゃん。こういう事、爨の工房じゃ割と日常茶飯事なんだ。うち、治安は全工房の中でも下から数えた方が早いから。」
あはは、と困ったように笑うコベニに連れられ、カナタは陸橋を渡っていく。
「さーて……。」
「そんなうちの中でも、マジのガチでヤバいスラム街を通ってくよ!」
いつの間にか、コベニの手には紺色の竹刀袋が握られていた。リオネの手にも、オートマチック式の拳銃が収まっている。
「『たたら街』。各地から高飛びしてきた魔術犯罪者たちの巣窟だよ。絶対に、あたしの手を離さないでね!」
そう言ってカナタの手をぎゅっと握ると、コベニは昇降機の横に空いた、これもまた巨大な幹の虚の向こう側に見える層状街の中へとリオネと共に小走りで突入していった。