ゴイノヒ・エクスプレス殺人事件
ニード・ハイスタッファー:創立200年を超える老舗の複合軍需企業。各工房の政府所属ガードマンたちにも広く支給されている、小型で精密性や整備性に優れつつも、一撃で発砲対象を戦闘不能へ陥らせるに足る威力を持つ拳銃を販売している事で有名。
もう長い事、青空を見ていない。いいや、語弊があった。人工物ではない青空を見ていない。この巨大地下空洞に引き籠るようになってもう何年経っただろう。何十年か、何百年かももはや曖昧だ。
「おいらの真円を乱すな――って、トコだにゃあ。」
だが、こうして自分の作業場で寝食を繰り返す日々の中でも、自己の輪郭は年々明瞭になっていくのを実感している。真っ暗な閉鎖的エデンの中、煌々と輝くディスプレイ画面の光と、各種製造機器や研究機材が漏らすサイバネティックで無意味な装飾光が我が双眸を焼き焦がし、今日もありがたく享受させて頂いている日常を映し出していく。
「もしもしぃ、アマネ? 20時23分翠桜宮右京中央駅発の寝台特急に乗ったんならそろそろ穿蒙洞外郭ターミナルステーションに着いててもおかしくねーと思うんだけどー? お客さん連れて寝過ごしてるとかやめれよ~?」
電話先の相手の声が、背後で鳴り響く爆音で掻き消されてしまうのもいつものこと。
「あんん?」
聞き直す手間も煩わしく、足元で無様に転がり息絶えた襲撃者たちの死骸を踵で弄びながら、彼女の言い分に耳を傾ける。
「……位置が割れた?」
車掌の声が、車内放送によって拡大されて響き渡る。
『――繰り返します。武装勢力の襲撃を受け、当車両は現在緊急停止中です。ご乗車いただいているお客様におかれましては、ご自身の命の安全を最優先に心がけ、避難をお願い致します。』
「あ、アマネ! 動きませんの!?」
鎚の工房の工房領域へと、アマネたちが乗る寝台列車が入国して一時間と経たず、そのハプニングは発生した。アマネとカナタが座っている座席から少し離れた車両からは、ひっきりなしに銃声と悲鳴が継続して聞こえてくる。
「……どうせ狙いは私たちだよ。逃げたって無駄。」
途中停車駅の売店で購入した駅弁をちまちまと食べながら、警報ベルが鳴り響く客席車両から微動だにしないアマネが通路側に座っているせいで、焦るカナタは逃げ出すことができずにいた。
「わたくしたち……!?」
「そ。」
やがて駅弁を完食し、格納式の簡易テーブルを収納すると、アマネは隣に座るカナタに向かって掌を差し出して見せた。
「は、はい?」
その行動の意図を測り切れず、カナタは怪訝な顔で問うてしまう。
「そこに私のウエストポーチがあるでしょ。その中からメイク道具取って。」
「はい!?」
「いちいち驚かないでよ。この姿でいると連中を欺けないの。」
自身が身に着ける漆黒のロングコートの袖をぐいと引っ張りながら、やや不機嫌そうな声音で脅しながら差し出す掌を強調するように揺らし、おっかなびっくりカナタが探し出した化粧品をひったくるように奪い取る。
「……その外套を脱げば、機密保護魔術とやらもあるんですし、『影法師』と露見する事も無いのでは……?」
カナタの疑問に、アマネは自らの顔面を手で覆うように掴みながら答える。
「――これ、外皮。」
「は?」
本日何度目かももはや数え切れない呆れたような驚愕をスルーして、アマネは顎の部分の皮膚を無造作に掴むと、それを強引に剥がすように頭頂部へと引っ張り上げる。するとそこには、カナタもまったく知らない顔の女性が座っていた。無論、服装や体格まで瞬時に切り替わっている。
「……充分眉目秀麗ですけれど、メイクする必要……あります?」
「寝台列車に乗って遠出するような女がファンデすら付けずにいたら、怪しさ満点でしょ。」
その声はアマネのものとは程遠く、声帯まで完全に別人へと成り代わっていた。
「いえ、そもそも避難勧告が出ている車内で未だに居座っている方が、よほど不審ですけれど。」
「……そこはなんとでも言い訳できる。」
チューブからクリームを捻り出し、両頬と額と顎の四か所に乗せてから顔全体に延ばしながら、人物像が変貌しても変わらない無表情でアマネは嘯いてみせる。
「というかアマネ、人並みにメイクとかできるんですのね。なんだか意外ですわ。」
「スパイ稼業も請け負ってるからね。……変装はできなきゃ命取りだよ。」
「いえ、そうではなく。」
アマネの余裕が伝播したのか、カナタもやがて暢気な声に戻り、アマネの化粧ポーチの中に詰め込まれたコスメをひとつひとつ手に取って見比べていく。
「下地に使うものは定番アイテムを、色付けに使うものは新作やシーズンに合わせたカラーリングを。……普段から女性的な側面を一切感じさせないアマネが、メイクにこれだけ繊細になっているのが意外ですのよ。」
「……リオとベニに叩き込まれた。」
「あぁ……。」
爨の工房や潺の工房でカナタの命を救ってくれたアマネの自称友人にして『影法師』のメンバー、獅子島リオネと紅緒コベニの名を聞いて、合点がいったとばかりにカナタは目を細める。
「――来るよ。狸寝入りは得意?」
薄手の毛布とアイマスクの隙間から差し込む光が、外の世界で起きている状況を細く霞んだ視界に映し出す。しかして客車へと物々しい銃器を提げて入って来たのは、一見するとそれまでカナタたちを襲撃してきた虚の工房のフルフェイスヘルメットを被った武装集団にも似た兵士たちだった。
しかし、黒ずくめの襲撃者たちと違う点が多く散見できる。ヘルメットの形状はより鋭角的であり、機能性もさることながら、まるで『誰か』へと外見的圧力をかけるための用途もあるような、ある種古来から伝わる兜の様相を呈していた。
「――こちらAクラス第四車両。"ビショップB"、未だ退避していない魔術師を発見した。これより接触を試みる。」
身に着ける防護服も機動力しか重視していない虚の工房よりも防御力に注力した緩衝材が各部に取り付けられている。様々な点において、この襲撃者たちは明らかに虚の工房の手の者ではないと、素人目にも判断できた。
「もうひとりは……寝ているのか? 魔力検知ができない。人間か……? おい、避難勧告が出ているんだぞ。なぜ動かない?」
「あら、開口一番にレディに向かって『おい』などと吐き捨てるごろつきを相手に……答える義理は、ないわ。」
ぞっ、と。その背筋に鳥肌が一気に湧き立つのが、カナタ自身ハッキリと体感できた。今まで会話する中で、声も体格も纏う雰囲気すら一変していようとも、確かに隣に座っているこの女性はアマネなのだと確信できるに足る実感があった。
「あなたたちこそ、あたしが大枚はたいて買ったAクラス車両で行く気ままな列車旅を邪魔しておいて……。目的。あたしに話すべきなんじゃなくって?」
それが、一瞬にして完全に別人へと成り代わったのだ。最早この場にいるこの女性はアマネでは無く、『アマネ』としてアマネの職務を受け継いだ、別個の魔術師としか言いようが無かった。
「……確かにな。いささか礼を欠いたようだ、陳謝しよう。おい、"ポーン3"と"ポーン7"に暴れ回るのを止めるよう説得して来い。ここは俺一人で対処する。」
同行していたもうひとりの兵士に指示を出し、銃の安全装置を手動で切り替えると、アマネに話しかけてきた男は自身の目的についての概要を口にした。
「詳しくは任務上伝えられないが、我々は現在、とある危険人物を捜索している。事前に収集した情報によれば、20時23分に翠桜宮の右京中央駅を出発した寝台列車『ゴイノヒ号』に乗車しているとの事だったからな。」
「ふぅん。ニード・ハイスタッファー社のお抱え傭兵が血眼になってまで探さなきゃならないお方なのね。」
「ほう、我々に関する知識が?」
「ご冗談を……ニードハイスタ所属アルビオン・ゲームプロプレイヤー、"ビショップB"。ルーインシティで魔術師を生きる以上、一度は耳に入る名前よ。それとも、ご自身の名声に関心は無いのかしら。」
「あぁいや……。うん、すまない。職業病だな、もっと物騒な方向で考えていた。」
幾分か、"ビショップB"なるコードネームを持つその男性の態度が軟化したように思えた。
「だがしかし、俺としても手放しであなたをこのまま乗車させるわけにもいかない。我々が捜索している最重要指名手配者は変装魔術の達人だ。あなたがターゲットでは無いという確証は未だに無い。何か、身分証明に足るパスポートなどは持っているか?」
"ビショップB"の鋭い嗅覚を前にしても、アマネが動じる様子はない。まるで手慣れているかのような所作でポーチから一枚のカードを取り出すと、それを"ビショップB"へと手渡す。それを一目見た途端、"ビショップB"の喉から言語にも満たない呻き声が漏れ出た。
「『淡墨鐡道同志社』……爨の工房の巨大輸送企業のご令嬢、でしたか……。」
それまで一切付随しなかった、取って付けたような敬語を用いて、"ビショップB"はアマネのその偽りの肩書に戦慄する。
「そっ……ちらの、就寝中の少女――お嬢様は、ご友垣でしょうか。」
どうやら"ビショップB"というこの魔術師は、普段から目上の人物や相応の地位を有する人物と接する事態に慣れていないようだった。
「そんなとこね。ほら、わかったならさっさとどっか行きなさい? この子、昨日からはしゃぎっぱなしで疲れてるのよ。」
「おーい、人ひとりに職質するにゃあ時間かけすぎだぜぇ、坊主?」
その時、車両端の自動ドアが音も無く開き、"ビショップB"と同型式の装備を身に纏った兵士が、セミオートマチック式のショットガンで肩をトントンと叩きながらアマネたちの元へと歩み寄ってきた。
「"ルークW"……。それが思いの外、要人と遭遇してしまってな……。」
「あーん?」
"ルークW"――そう呼ばれた近距離制圧用の装備を身に着けた老獪な声音の男は、"ビショップB"の隣にまで寄ってくると、彼が手にしていた免許証カードを覗き込む。
「ほぉ、『淡墨鐡道同志社』の。」
「なによ、あたしの免許証が偽造だとか思ってるわけ?」
アマネの声色に、若干の焦燥が滲み出る。どうやら、一般人に偽装している間は感情もわかりやすくなるようだ――そんな風に、カナタが場違いに暢気な事を考えていると、"ルークW"が呆れたような笑い声をあげながら再び口を開いた。
「いんやぁ……? 『淡墨鐡道』のお嬢ちゃん――もとい兄ちゃんの性自認、いつの間に女に戻ったんだぁ? ――っと、思っただけだぜ。」
凄まじい速度で振り抜かれた健脚が、"ルークW"が自身の頭部を庇うように持ち上げたショットガンの基幹部を、朽ち木でもへし折るかのように破壊しながら老兵へと迫ったのは、その発言から一秒と満たない刹那の瞬間だった。
「きゃあっ!」
あまりの事態に思わず悲鳴を上げてしまうカナタの目前で、普段のポニーテールにロングコート姿へと変身したアマネが、"ビショップB"が掃射するライフルの銃口を床へ向けて蹴り飛ばすことでその射線を逸らし、強固なヘッドギアに護られた彼の頭蓋を比較的小さな少女の手を用いて掴みかかる。
「想定外のアクシデントにめっぽう弱いタチは変わってねぇなあ、『影法師』!」
「性格の悪いガキは性格の悪いジジイにしかならないって事がよく理解できた――よっ……!」
啖呵を切りながら、恐慌し拒絶の言葉を喚き散らす"ビショップB"の大柄な体躯を、頭部のみを掴んだまま振り回し、車両の壁面に叩きつけることでおとなしくさせる。
「また、おれにゃあ勿体ないくらい新型ぴっかぴかの拳銃一挺であんたに挑む……か。どうやら、運の巡り合わせってのはおれが思っているより随分と奇妙にデキ上がってるらしいな。」
「……サモトラキ村の、たったひとり恐怖心であの蹂躙から生き残った洟垂れ小僧が、たった六十年でどれだけ強くなったのか……。サモトラキの森で私に向かって言ったあの言葉、もう一回聞かせてよ。」
「上等だバケモノめ、何度だって言ってやらぁ!」
足元に転がる、粉々に破砕されたヘルメットから滲み出す脳漿と血液と肉塊にブーツを濡らしながら、"ルークW"は腰のホルスターから拳銃を抜き、スライドを引き抜き叫ぶ。
「――おまえのハラワタ焼いて土と混ぜて、オヤジやアニキや、村のみんなの墓の肥やしにしてやる! 骨は洗って墓標にしてやる! 皮と肉はきれいに戻して何度も何度も使ってやる――妖怪の命なんざぁ、この銃に入った弾丸八発で充分なんだよ――!!」
「……ん、もしもし。あぁ、ミチコ。――うん、『ピースセット』の連中に位置が割れた。到着、遅れるから。……じゃ、よろしく。」
誰かからかかってきた電話連絡も早々に切断し、アマネもロングコートの内側から大型のマシンピストルをずるりと取り出し、勇猛果敢に突進してくる老兵に向かって仁王立ちで待ち構えるのだった。




