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ルーインシティ・ウォーキング  作者: 和泉キョーカ
潺の工房編
12/70

揺らめく想い出の旭日

斎賀ユラメ:弘原海衆の次代頭目に任ぜられた時、まず真っ先に報告したのは両親でも兄妹でも無く、睡眠中のアサヒだった。

 翠桜宮の外縁を囲むようにそびえる八つの城塞、そのいずれよりも巨大な牙城。そして、翠桜宮と同等の広大さを誇る城下町。そこに在ったのは、潺の工房(ワタツミ)の工房領域をそっくりそのまま移設したかのような、大規模な京洛だった。

「竜神宮城……。」

「今、翠桜宮は大規模な混乱に見舞われてござる。この内に、アマネ殿のお遣いを遂行するでござるよ。」

「な、何が起こっているんですの?」

「……それは、目的地にてお話しするでござる。」

 そう言って、ユラメはその場で地面の中へと潜水(・・)してしまった。カナタがぼんやりと驚いた表情のまま硬直していると、腰に差していた脇差の鞘を地表へと露出させてくる。

「申し遅れた。拙者の魔術はいわゆる忍術と古くから口伝されてきた代物で、特に拙者の特技は斯様にして地の下を自在に遊泳する事にござる。」

 そのまま、まるで地面が水面かのように、土からではなく不可視の液体から飛び出た脇差の鞘を目印に、ユラメは半透明の古都の街並みを、奥へと泳いでいく。カナタも未だ困惑しつつも、ユラメの後を追って駆け足で進み出した。


 道中、やや速度を落としたユラメが、不意にカナタに話しかける。

「百々殿、貴殿は我が主の印象を如何に感じておられようか。」

 自身が想像した狐風美少女と化した水霊で賑わう大通りをきょろきょろと物珍し気に見回していたカナタは、その唐突な問いに吃驚して「うぇっ」と言語にも成り切れない声を吐き出してから、しばらく考えてそれに答える。

「……とても温和で、利発な方だと感じましたわ。確か、わたくしよりも一歳か二歳ばかり年下なのでしょう?」

「然様。今年で十六歳になるでござる。」

「その年齢で、……『国家(こうぼう)』を転覆しよう、転覆させて見せると決意できるのは、並々ならぬ精神力あっての事だと思いますわ。……わたくしには、到底でき得ません。」

「然り。しかし百々殿、幼き時分の我が主は……怖がりで、泣き虫で、いつも主の兄上である秦アカツキ様の脚の陰を拠り所としていたような、今のあの御姿からは想像もできぬひ弱な少女にござった。」

 顔は見えないが、その声は確かに柔らかなもので、主と仰ぐ彼女の事を心から想っているように感じられた。

「そういえば、アマネから聞きましたわ。斎賀様も、潺の工房(ワタツミ)を代表する八つの流派のうちのひとつの、最高決定権を持つお人なのでしょう? そんな方が、他の流派の人間に侍従する事なんてありますの?」

「なに、我ら『弘原海衆』は厳密に言わば流派では無く、弘原海シオミ様を護衛するお役目を抱えているからこそ、特例的に八大流派に含まれているだけの素破集団にござる。無論、所属する忍たちは、個人的に他流派の人間に仕える事も珍しくはござらん。拙者もその一例にござる。」

「それで、秦様にお仕えしているのですわね?」

 カナタの問いには、声や仕草による返事は無かったが、代わりに脇差の鞘から飛び出した水しぶきが、空中で丸印を形作ってしばらく浮遊した後、ばしゃりと地面に落ちた。

「……拙者と我が主が初めてお会いしたのは、我が主が齢数えて三つの時分にござった。とは言えど、当時は拙者も七つの歳を数えるただの子供。姉妹の居らぬ我が主の姉役として、傍付きに任ぜられたのでござる。」

 そうして、ユラメはアサヒとの思い出を、ひとつひとつの情景を愛でるように語り始めた。


 初めてお会いした際の印象は、それこそ自身の知らぬ世界の住人を目にして怯える小動物そのものにござった。

「あ、アサヒ殿。私は『弘原海衆』の門徒で、貴方様の傍付きを任ぜられた斎賀ユラメと――。」

「厭っ!」

 まぁ、挨拶は散々にござったな。

「ははは! 斎賀の娘よ、すまないな。アサヒは御覧の通りアカツキ以外の人間と関わる事を嫌っているのだ。それは乳母であってもな。気難しい奴だが、どうかよろしくしてやって欲しい。」

 当時、秦家は『神剣奉納術・秦式』と呼ばれる潺の工房(ワタツミ)八大流派の一派の総本家にござった。それだけでなく、秦の血は工房長である弘原海様にとっても縁深い一族。潺の工房(ワタツミ)の中でも特に重要な位置にある家名なれば、拙者の双肩に掛かる重圧は凄まじいものでした。

「……それが私めの務めにございますれば、当然の事にござる。」

「俺がアサヒから離れようとすると泣き出すんだ。ほら……俺たち秦家は精神の安定性が最重要視される魔術師の一族だろ? あんまりアサヒのストレスになるような事はしたくないんだが、俺だって執務があるんだ。何とかならないかな?」

 それからは、兎に角暗中模索の日々にござった。アカツキ様の御傍におられる時、如何様な児戯をしていらっしゃるのか。食事は何を好むか。アカツキ様の御傍から引き離される事の他に、嫌厭する事は何か。

 半年以上の期間、毎日毎日我が主の傍を片時も離れず、嫌がる我が主の心を勝ち得ようと必死に分析し、我が主が拙者に心を開いてくれるよう粉骨砕身の努力をしたのでござる。

「ね、ぇ。ユラメ。お昼寝……。」

 だからこそ。

「はい?」

「お昼寝……したい。」

 我が主が初めて、拙者に添い寝を所望された際には、それはもう心中にて拍手喝采祭り宴の大狂喜にござった。無論、然様な感情は曖気にも出しはしませなんだが。

 我が胸に額を埋めて穏やかな面持ちで寝息を立てる我が主の姿を目にした時、拙者の内には言い様の無い決意――使命感、崇拝、にござるか。兎角、『如何なる障碍からもこの幼子を守護せねば』という強い意志が芽生えていたのでござる。

 だからこそ。


「――なに、が。」

 燃え盛るは、今まで秦の剣技を究めんと集っていた門下生たちで賑わっていた秦城下町。聞こえてくるのは、老若男女を問わない阿鼻叫喚の断末魔。

「あ、オイお嬢ちゃん! お父ちゃんかお母ちゃんは一緒か!? 早く家族と翠桜宮まで逃げろ! ここにいちゃ危ねぇぞ!」

 呆然としていた拙者に、我が身を顧みずに忠告して下さった火消の青年に、拙者は事の次第を問うたのでござる。

「何が起きているのです!」

「わかんねぇ……今日の昼過ぎに秦城の天守近くで青色の魔力の光が見えたんだ。あいつぁ水の魔術だろうな。……城下町の隅っこからでも見えるくらい眩しい光だったから、余程天才の魔術師が魔術を使ったか、大勢でひとつの魔術を使ったか、ってトコか。」

「……あなたも、どうか達者で。」

「あっ、オイ! どこ行くんだ! 嬢ちゃん!」

 火消の青年の呼び止める声も振り払って、拙者は秦城天守へと急行しました。

 ――かつてヒトであった、無数の炭化した有機物の残骸を乗り越えて、焔の海の中をもがき泳いで天守へ駆け上がった拙者の前に立ちはだかったのは、誰あろう――。

「……おそい。」

「遅れ……ました……。」

「おそい――ッ!!」

 我が主、秦アサヒ様そのひとにござった。『神剣奉納術・秦式』は元より、神楽舞を基盤とする舞踊技術。流るる清水が如く舞い踊りながら刃を振るうその技法は、他のどの流派よりも水の魔術と親和性が高く、そして。

「おそい、おそい、おそい……おそいよっ!!」

「斎賀ユラメ、ただいま帰投致しました。アサヒ様、ご無事で何よりです。」

「厭ッ!!」

 秦家に代々伝わって来た原初の魔術――即ち、人類が最初に編み出した魔術のひとつ、『別次元斬撃痕多重再現魔術』、通称『瑠璃の魔術』を行使するに最も適した剣術。

 しかし、秦はその荒削りの魔術を身に宿すが故に不安定な精神の脆弱性を生まれ持って患う遺伝子を有しており、その精神の均衡が一度崩れれば、何が起こるか肉親でも予測できない危険性をも孕んでいたのでござる。

「……斎賀、おまえは――。」

「アカツキ様! ご無事にござるか!?」

 その場に幾人かの人間が倒れていた以上、秦家の主要人物がそこに含まれている可能性は充分にござった。しかし、この時の拙者は兎に角アサヒ様を制止しようと必死になるあまり、生存者の有無を気にしている余裕はござらなかった。

「――いいや、もうだめだ。斎賀、おまえにアサヒを託す。どうか……好き友を得て、佳き男と結ばれ、善き家庭を築き、良き最期を迎えるその時まで――。」

「ええ、ええ。委細承知致しました。ですからアカツキ様、どうか堪えてください! すぐに助けを……っ!」

「もう……遅いんだよ、斎賀。これはおまえのせいじゃ、ないんだ。いつか……秦はこうやって滅びるだろうって、先祖代々みんな、気付いていたんだ。斎賀、おまえは半年しか、秦にいなかったとはいえ……。」

「アカツキ様、喋らないで!」

「――もう、おまえは立派にアサヒの姉としてできているさ。だから……。」

「アカツキ様!」

 呼び止めども、最早意味が無い事は、八歳の小童であった拙者にも否が応にも理解できてしまった。それでも、背後で蹲って頭を抱え、泣き叫ぶ小さな命の傍に家族が――肉親がいないだ等と、そのような事は、看過できませなんだ。

「――……。」

 結果として、目の前で散り行く主君の大切な家族を救う事は叶わなかった。それでも、拙者の胸にはアカツキ様の遺言が、燃え盛る天守閣よりも明々と燈されてござった。

「……――秦アサヒ様、我が主よ。貴殿の未来は、必ずやこの斎賀ユラメが、命に代えても保障致す! だから――!」

 そうやって伸ばしたこの手が、我が主の心に届いていたかは、今でもわからぬまま。それでも、あの時主君の手を掴んだ瞬間に見た景色は、きっと我が主も脳裏に焼き付いて離れていないのではないかと――そう、思ってござる。

『何ぞ、騒がしいな。……なんじゃ、この有様は。フン、大方とうとう秦の命運が行き止まりにぶつかったのだろうよ。おい秦のひとり娘、貴様――。』

 弘原海シオミ様を初めて目にしたのも、あの時が最初にござったな。兎角、人生の全てを煮詰めたような三余時間にござった。


「――その後は、弘原海様の御便宜によって我が主は流派『霧雨一刀流』に入門し、剣を極めると同時に『瑠璃の魔術』の安定性も追究していたのでござるが……。」

 やがてユラメとカナタは、半透明の城下町を抜け、最奥に位置していた城郭へと到着する。

「さ、百々殿。お手を。」

 その一の丸関門へと、ユラメに促されるがままにカナタは手を触れる。

 刹那、今まで二人の背後に広がっていた城下町は、宙に打ち上げられた大量の水が摂理に従ってそうなるように、形を失ってばしゃりと地へ落ちて広がり、やがて地の中へと滲み消えていく。城門も城壁も天守閣も崩れ落ち、そこに残るは廃墟と化した神社の本殿。

「……百々殿、我が主は現在、『瑠璃の魔術』の暴走に呑まれ、我を忘れて鏖殺の魔獣となり、翠桜宮に混乱を招いております。」

「そんな……! 止めに行きませんの!?」

「……ちっ、こんな時に。」

 突如、ユラメは自身の右耳を押さえ、見るからに不機嫌な目つきを見せる。

「百々殿、最後にアマネ殿からの伝言を。『魔女の心に不法侵入できたあんたなら、あの子の心だってどうにかできるはずだ。……信じてる』。」

「そんなこと、自分の口から仰れば……。お待ちになって! アマネ、アマネ!?」

 いつの間にか、アマネとの通話は終了しており、携帯端末は電波の届かない状態になっていた。

 ――そして。

「ぐ――っ!!?」

 カナタは、後頭部に叩きつけられた鈍器による衝撃で、一瞬にして昏倒してしまう。最後に鼓膜を震わせた会話は、カナタにも信じられないような内容で。

「……お手柄です、斎賀さん。」

「指令通り、『影法師』の客人は捕らえた。延僧、貴殿も軽々に宮廷を離れられる身では無いでござろう。」

「いえ、秦さんの方は他流派の方々に一任してきましたので。これで『影法師』は我々の前に姿を曝さざるを得なくなった。本当に、大手柄ですよ。主君やご友人すらをも欺いて、流石は忍者といったところ。裏切りはお手の物ですね?」

「褒めても何も出ないでござるよ。さ、いざや宮廷へ戻らん。」

「ええ、そうしましょう。」

 じきに、カナタの意識は微睡みに支配され、自我の存在すらも不明瞭になり、そして完全に、その意識はシャットダウンされてしまった。

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