花は桜、集うは八大剣豪
『秦の撫斬り』:かつて、潺の工房で起きた大量殺人事件。
ふぅ、とアサヒは短く息を吐く。ここは翠桜宮工房長宮廷、即ち工房長の弘原海シオミが鎮座していた――今や幽閉されている、工房内最大の宮殿の、八大流派が集結する円形議場。真っ先に到着したアサヒは、会議場の景色を右から左へ眺めていく。
内部は絶え間なく空中を水流が移動しており、アサヒが座する高台の周囲にも、古式の魔術呪文が浮かぶ水流がまるで池のように漲っている。
「主、そろそろ他家の長たちが。」
アサヒの次に議場に着いたのは、青髪を結い、赤黒い面頬を身に着けた、八大流派『弘原海衆』の頭目、斎賀ユラメだった。幼い時分の主従関係を律義に貫こうとするユラメに対し、アサヒは苦笑してその呼称を訂正する。
「その呼び方、他の家長たちの前でしないでよ? 今の貴方はあくまで、弘原海様の……ううん、今は工房に仕える素破なんだからね。」
「心得てござる。」
そのやり取りの直後、議場に浮かぶ櫓のような高台のひとつから、りんと鈴の音が響く。
ユラメの次に議場へ現れたのは、金髪の中にちらほらと黒髪が混じった軟派な出で立ちをした青年だった。アサヒとユラメの姿を目視すると、ニカッと笑って手を振る。
「ぃヨッ! 秦殿に置かれてはご機嫌麗しゅう! ユラメちゃんも相変わらずかわいーね!」
――『大胡イソロク』。八大流派『伝承無敵剣術』、現当主。型と技を何より重視する他の流派と違い、より実戦に際して効率的な動きを追究する、通称『無敵剣』。
「ぃやー、おれちゃんが一番乗りだと思ったんだけどなぁ! やっぱ秦殿は職務に真面目だねぇ!」
「……これからは我々八大流派と護朝三瀑が工房を牽引していくのですから。より一層、心持を堅くせねばなりませんでしょう。」
心にもないことを呟き、アサヒはイソロクが座するのを確認する。直後に、イソロクの二つ右隣りの高台から鈴の音が鳴った。
「……なんだ、ひと、いたの。」
――『滸我マサムネ』。八大流派『犬牙天然流』の現当主であり、他流派と違って様式美やおまけとしてのそれではなく、戦闘の主軸として二刀流を極めんとする、『護人剣』の使い手。
「こういうこと、ふまじめなひとたち、ばっかかと。」
「お前がぃっちばんこういうことに不真面目そうなツラぁしてっけどな!」
「としうえにむかって、しつれいな。ぼくは……つねに、おおまじめ。」
長い髪で目元を隠した若き天才は、冗談のつもりなのか、フンと鼻息を荒げながら嘯く。そこへまたひとつ、シャンと鈴の音。
「あら、アタシが一番乗りだと思ったのだけど……って、このメンツだったらこのセリフも二回目、いえ三回目ってところかしら?」
「オッ、姐さんにしては遅かったじゃねぇの!」
「議会開始三十分前なのだから、社会人としては至極常識の範疇、なんならちょっと遅刻ぐらいなのよ?」
――『霧雨ユキノジョウ』。八大流派『霧雨一刀流』現当主。体術や魔術に頼らない、純粋な一刀流の極致に挑む流派の長であり、本人は最早刀にすら頼らない一刀流を見極めた『天降剣』と呼ばれた男。
「おはよう、あねさん。」
「そうね、おはようマサちゃんにイッちゃん、ユラメちゃん。アサヒちゃんもおはよう。」
「……はい。おはようございます、霧雨殿。」
「そんな畏まらなくていいのよ! アナタだって、元は『霧雨一刀流』の門徒だったじゃない! お姉さまとか、お姉ちゃんでいいのよ!」
「畏れ多い限りです……。」
「もう、最年少の護朝三瀑とは言っても、アナタだって潺の工房のいち剣士じゃないの! あんまり他人行儀にしてると、モテないわよ? 護朝三瀑たって、アタシたち当主と立場は何も違わないんだから!」
「――若い連中はまったく五月蝿いな。我々爺ぃ婆ぁ共には鼓膜に響く音害でしかありゃせんわ。」
「――言いなさんな、デンスケ。儂らがぎゃんぎゃん騒ぐより幾倍もましだろ。」
そこへ、鈴の音がふたつ。ほとんど同時に議場へ現れたのは、どちらも白髪を揺らす壮年の男女だった。
「だがな婆ぁさん。少なくとも、俺たちが若い頃の『歌祭』は厳然であり、静粛であり……。まるでこれでは巷の路上と同等ではないか。」
――『藤原デンスケ』。八大流派『月影殺人術』の現当主。すなわち、『伝承無敵剣術』と原理を同じくするものの、よりヒトを殺すに確実な術を学ぶ門下の、『無己剣』と呼ばれ恐れられる主。
「そういう物言いを老害と言うんだよデンスケ。祖慶の嬢ちゃんも言っていたじゃないか。これからは魔術師が手を取り合って生きる世界なのだろ。儂らみたいないつおっ死んでもおかしくない奴らがでらでら文句を垂れるもんじゃないよ。一言で言おうか? 見苦しいってんだ。」
――『碓氷ユウ子』。八大流派『碓氷徒手剣』現当主。刀を用いず、そして刀を用いるという、矛盾を流派の命題とする、徒手空剣を修める流派の長。そして、こうして機会があれば集う八人と三人の中で現時点最高齢の、『取捨剣』と呼ばれている女性。
「おはようございます、藤原殿に碓氷殿。」
「む、秦殿。これはお見苦しいところをお見せしましたな。」
「デンスケ、目が気色悪いぞ。……アサヒ、あまり気張るなよ。年頃の女子には年頃の女子のキャパシティがある。それを無理に超えようなどとは、努々思うものじゃないぞ。」
「お気遣い、感謝致します。」
心の内を見透かしているような物言いに、アサヒの背筋には冷汗が浮かぶ。残るは二人の流派当主と、二人の護衛三瀑のみ。果たして誰が先に来るか――と呼吸も徐々に深くなっていくのを自覚しながら、アサヒは空いている四基の高台を睨み据える。
そして、鈴の音が鳴る。
「……どうも。」
「あらぁ、ケンちゃんじゃない!」
「どうも、どうも。霧雨様に置かれても元気そうで、ええ。何より。」
そこに現れたるは、本来ならば工房長である潺の魔女を守護する三人の最強格剣士、即ち護朝三瀑がひとり、『延僧ケンサク』であった。この場にあって、唯一の非魔術師、つまり人間ながら、恐らくはどの八大流派当主よりも強力な魔剣術を操る侍。
「……ふむ、私の後に来るなどと、随分と時間にルーズな当主が二人ほどいるようですね。」
「はいはーい! 僕らのことでーす!」
鈴の音が、またしてもふたつ。
「はいっ! はいはい! 沖田と南郷! 現着でーっす!」
「ギリセーフみてぇなフインキしてるけどよ、ふつーに五分前だぜ。」
「とししたに、じこかんりで、まけてやんの。」
「うるさいぞーこのジャリガキどもめ!」
――『沖田ソーヤ』。八大流派『沖田式無明秘剣術』の現当主であり、握る刀に重きを置くのではなく、斬る『位置』に重きを置く流派を束ね、『明星剣』と渾名されている女流剣士。
「カイちゃんも言ったれ! 言ったれ!」
「……ソーヤが路傍の野良猫を愛でていなければ、某もあとニ十分は早く到着していた。」
――『南郷カイデン』。八大流派『南郷破砕流』現当主。一撃必殺、二撃自殺を地で行く過激な剣術を掲げる、大柄な女性。『破壊剣』と謳われるその一撃は、正しくすべてを打ち砕くに容易い威力を誇る。
「まさかの味方いないっ!? 僕に救いの手はないのっ!? たすけてアサヒちゃーん!」
(……これで、八大流派と、二人の護朝三瀑が揃った。あとは、足りないのは……。)
沖田ソーヤの嘆願も無視して、アサヒは思索に耽る。
『霧雨一刀流』霧雨ユキノジョウ、『犬牙天然流』滸我マサムネ、『弘原海衆』斎賀ユラメ、『碓氷徒手剣』碓氷ユウ子、『月影殺人術』藤原デンスケ、『伝承無敵剣術』大胡イソロク、『南郷破砕流』南郷カイデン、『沖田式無明秘剣術』沖田ソーヤ。以上八名の、工房を代表する流派の長たち。
『神速剣』延僧ケンサク、『鏖殺剣』秦アサヒ、そして――。
「お待たせしました。どうやら、私めが最後の入場者のようですね。」
――『退廃剣』、祖慶ハルカ。恐らくは、八人の流派長、加えてアサヒとケンサクの二人が束になって挑もうとも、数時間とかからずに全員を完膚なきまでに叩き潰すに足る実力を誇る、名実ともに『最強』の護朝三瀑。
「……それでは、桜花歌祭を始めましょうか。」
確かに、弘原海シオミが封印されてからの桜花歌祭――つまり、八人と三人の対面会議は、弘原海シオミが健常であった時のそれよりもずっと、退屈で無くなった事は認めざるを得ないと、アサヒは内心歯噛みする。
「――だってよ! 聞いてくれよ祖慶さん! 犬牙天然流の連中が先に喧嘩フッかけてきたって、俺ちゃんトコの門弟たちは言ってんだぜ!?」
「すぐ、ひがいしゃヅラするの、かっこわるいよ。」
思えば、弘原海シオミが権力を有していた時の桜花歌祭はと言えば、弘原海シオミが「やれ」と言ったことを、八人と三人で声を合わせて「はい」と言うだけの、相互関係もあったものじゃない我儘放流会だったような、とアサヒは思う。
「――いやー、僕の城下町は今あんま、そんな事やってる余裕無くってさ!」
「……ソーヤがそんなだから、誰も牙城周辺の自治に取り組もうとしない。」
祖慶の言う事も、わかる。ずっとあのままは、確かに鬱屈する。「やだやだ」「でもでも」「だってだって」と繰り返す潺の魔女の幼稚な姿を思い出すと、今でもやっぱり少しだが、頭痛がする。それでも。
「――俺としては、米の価格についてだな。昔は……。」
「デンスケ、今ユキノジョウが喋ってんだろ。口を閉じろ阿呆。」
それでも、アサヒにとって潺の魔女と言うのは、弘原海シオミと言うのは、他の魔術師たちが言うような印象ばかりではなく。
「――秦さん。」
やはり、尊敬すべき人。あの時、ひとりぼっちのアサヒに手を差し伸べてくれた『ふしぎなともだち』の存在を、アサヒは忘れることができない。
「秦さん。」
だからこそ、祖慶ハルカの理念には賛同できても、その強硬策を是とすることは、アサヒにはできない。
「秦アサヒさん。」
「は、はいッ!」
はっと我に返ると、八大流派の当主たちと延僧ケンサク、祖慶ハルカの視線が、アサヒに集中していることに気が付いた。ぼんやりしてしまったことに首を振り振り、陳謝の言葉を述べる。
「大丈夫ですよ、貴方はまだ若い。退屈な会議ですみませんね。」
「いえッ、そんなことは。」
「……本題へ戻りましょうか。先日、『影法師』が不当に翠桜宮に侵入しました。その際延僧が応戦しましたが、『影法師』は逃亡。今も翠桜宮内部に潜伏しています。」
「私の判断で、『影法師』とそれに加担している勢力の指名手配を勧告しました。」
祖慶ハルカが議題を再度読み上げ、それに延僧ケンサクが補足をする。
「ぃちおー、俺ちゃんらも城下町に手配書は出してんだがよ。」
「……かおをわすれる、まじゅつ。」
「厄介よねぇ。」
「顔も思い出せない、声も思い出せない。」
「さながらに『影法師』ってわけかい。」
「ほーんと、どこの誰が匿ってんだかねー?」
「……顔も声も背格好も不明の魔術師を追及するなど、小川の中から最も丸い礫を拾えと言われるようなもの。」
不穏な動きをすれば、即座に露見すると心得、アサヒは膝の上に置いた拳にぎゅっと力を籠める。そんなアサヒを横目に、七人の当主が首を捻る中で。
「――ああ、大丈夫ですよ皆さん。」
祖慶ハルカが、不敵な笑みをこぼす。
「私めの忠実な間者のご協力のお陰で、裏切者の名前は既に判明していますから。」
心底嬉しそうに、心底愉快そうに、悪魔はにっこりと嗤う。
「ええ、本当に……ご協力、ありがとうございます――斎賀さん。」
アサヒの視線がユラメのアメジストのような瞳を捉える。ユラメの目は申し訳なさそうに下方へと向けられ、その背中は小刻みに震えていた。
時間が、とてもゆっくりに感じる。額を伝う汗が、瞼で逸れ、鼻筋を通り、顎からぽたりと滴り落ちる。さらさらと流れる魔力の水流が、しんと静まる議場の中で唯一の聴衆。
「ね、『影法師』を匿っているんでしょう?」
――ユラメちゃん、どうして。
その一言を、ぐっと呑み込む。逃げる手段はない。闘う手段もない。抜刀すれば、すぐさまに殺される。捕縛されれば、アマネとカナタに危害が及ぶ。アサヒのせいで、アサヒの大切な人に危害が及ぶ。
「――め、だ。」
ここから逃げおおせて、アマネに事態を告げて、カナタを連れて逃げて貰う。今ここから、弘原海シオミを救う手段など、最早存在もしない。ならば。
「だめ、だ。」
この一瞬を即座に脱出する方法など。
「だめだ、だめだ、だめだ!」
「ね、――秦アサヒさん。」
――こいつらを全員、鏖殺しなきゃ!!
『秦の撫斬り』:世間的に、その犯人は秦家に恨みを持つ者とされているが、その本当の実行犯は、当時四歳だった秦家の長女だったという。