第七話:アヴィ=シルヴァアクスの入学式
アヴィ=シルヴァアクスはベルセルグ王立魔導学園入学式を楽しみにしていた。
市街区の賑やかなお祭りがあるから――ではない。
普段は中々お会いできない国王陛下の挨拶があるから――ではない。
新入生監督役としての仕事を任せてくれた生徒総代の期待に応えたいと……思っていないわけではないが、仕事大好き人間というわけでもない。
入学・進級記念に開催予定の騎士武道大会は……かなり心が躍っていたが、入学式そのものに感じている喜びではない。
何よりも、今日この日をもってベルセルグ王国が大きく変わるのだということを実感と共に味わえることが何よりも素晴らしかった。
去年になかったものが今年はあり、去年にはあったものが今年なくなる。
常識の大改変。
それは、退屈を嫌う性格だと自認するアヴィ=シルヴァアクスという少女にとって、とても刺激的で喜ばしいものだった。
「ランポッサさん、聞いてますか?」
「は、はい。聞いておりましてよ。その、シルヴァアクスさま……先輩は、先ほどのあの平民達のお知り合いだったのですか?」
そして、覆った常識に翻弄される目の前の知り合いの少女も、アヴィにとっては実に見ていて面白い相手だった。
「ふふ。今日からはアヴィ先輩、でいいですよ。それと、まだまだですね。ランポッサさん。そんな聞き方をされても、私はどっちともとれる風にしか回答しませんよ?」
「ええと、それはどういうことなのでしょう?」
アヴィにとって、このランポッサという少女は、可愛がっている相手の一人だ。
彼女とその双子の妹、クラリッサとの付き合いはまだお互い文字もかけなかった頃からのものであるし、貴族として初々しい彼女が失敗しかねない様子を見かけたのであれば、それを助けてあげたいとも思っている。
「そうですね。では、私が今こちらに来ている理由……顔見知りの新入生の子に呼ばれたからなのですけれど、その役目を果たしに行くので、それを見ていてください」
「見ていればよろしいと? わ、分かりましたわ。アヴィ先輩のおっしゃることですもの」
「ふふふっ。良いですか。今から私が会いに行く彼。私は彼と初対面ですし、彼もたぶん私のことは初めて見るでしょうね。それをよく覚えていてください」
良くわからない、という風に首をかしげるランポッサのフォローを、その後ろの大きな影――彼女の取り巻きの中では一番適任であろうルークに目線で託してアヴィは新入生席の最前列席に向かった。
「あ!アヴィさま! こちらです。あの不敬な男子をどかしてくださいまし。あんな男を王女様の隣席になど、とてもおいては置けませんわ!」
「お久しぶりです、フローラ。状況は聞いています。対応してきますから、ここで見ていてくださいね」
「ああ! ありがとうございます!」
アヴィの制服には、一回生となる新入生とは一目で異なると分かる箇所がいくつか存在する。
一つは、首元に着けられた紐ネクタイだ。
一回生は何もなし、二回生は青いネクタイ、三回生は赤、四回生は緑、といった具合で学年ごとに色分けがなされている。
二つは、毎年の成績上位十名に配布される三角帽だ。
魔道具でもなければ特別上等な縫製という訳でもないそれだが、毎年末の学力・実技試験においてその三角帽を獲得することは学園に通う人間にとっては憧れのステイタスとなる。
アヴィは主に動きやすさの阻害になるという理由でこうした式典の場以外で装着しないことに決めているのだが、入学を果たしたばかりの新入生の貴族子女にさえ知れ渡っているその三角帽の威力は中々のものだった。
「え、三角帽? なんでここに。あ、家紋……シルヴァアクス伯爵家の方じゃないか!」
「馬鹿。アヴィ様だよ。かなり有名人だろう。さてはお前、武道をまじめに嗜んでなかったな? 俺は一度アヴィ様との試合でぶっ飛ばされたことがあってだな……」
「あの男に注意しに来てくださったのでしょう。お手を煩わせてしまって申し訳ないですわねえ」
今年度生徒総代の発案で作られた腕章――「新入生監督役」と書かれたそれに目を向ける者がいないのはアヴィとしては僅かばかり悲しかったが、三角帽が代わりの役目を十分果たしてくれた。
最前列のとある席の前で、腕を組んで凄む新入生の男女と、それらの主張にどこ吹く風、まったく悪びれる風もなく席に座り続ける男とのやり取りの場まで、皆が道を開けてくれ、一直線にたどり着くことができた。
「だから君の方が異常なんだと何度言ったら分かるんだ!」
「はっ。知らんな。何度言わせるつもりだ。お前みたいに何もわかっていない奴の相手などしているだけ無駄だ」
「何もわかっていないのは貴方のほうでしょう! どこの下町の常識を携えてきたのか知りませんけれど、ここにはここのルールがあるということを――」
「ああ。今日この日のルールのことなら把握してきてるつもりだよ。俺は」
「話になりませんわ!」
そこは不思議な空間だった。
数人がかりで取り囲まれ、責め立てられながらも、不遜な態度をまったく崩さない男。
まぎれもない家紋無し――平民の新入生であるはずだが、その姿はまるで市民の陳情を握りつぶす暴君のようでさえあった。
「ああ、おい貴様。いい加減にしておけよ」
とうとう頭に血が上った一人の男がその男の胸元に掴みかかった。
しかし、首元を掴まれて尚、不遜な男が態度を変える様子はない。
「そこの一回生の貴方。はしたないですよ。交渉事は優雅に、理性的にするものです」
そしてその手元が男を引きずり上げる前に、アヴィは争いに割って入った。
「え。あ。その……申し訳ありません」
「ふふ。元気なのは良い事です。さ、貴方達も解散してください」
アヴィが手を叩くと、先ほどまで男に食って掛かっていた者達も頭を下げて引いていった。
それでもそれから先のことが気になるようで、遠巻きにこちらのことを伺っている。
「おや」
取り囲んでいた男女たちが離れたことで、アヴィと不遜な男が一対一で対峙することになった。
そして、対峙する寸前、男の目がさりげない風を装ってアヴィの肩元の家紋を見ていたことと、丁寧に押し隠した僅かの歓喜の色が瞳の奥に宿るのをアヴィは見届けていた。
男が居住まいを正し、口火を切る。
「お久しぶりですね(・・・・・・・・)、アヴィ=シルヴァアクス様」
「そうですね。ゼオン君。随分とひどいやんちゃをしたものですね」
一見するとどうということのないこの会話。
しかし、アヴィがランポッサに告げた通り、二人にとってはこれが初対面にあたる。
ゼオンと呼ばれた不遜な少年が嘘の会話を始め、アヴィがそれに乗った。これはそういう構図だ。
ゼオンは予め頭に叩き込んでいた学園の貴族の名前の一覧から目の前の先輩の名前を引っ張り出し、アヴィもまた、実家から密かに伝えられた新入生の記録の中から、このようなやらかしをしかねない人間を特定していた。
「いえ、我々はマリジーニー宰相閣下肝いりの、平民としては第一陣に当たる生徒ですからな。いかに偉大な貴族の方々の前だとしても嘗められてはいけない、とあの方にも言われているのです」
「なるほど、確かに言うでしょうね。といっても、きっと武芸の場面における心構えの話だったのではないかと。きっと、菊のお茶でも飲みながらの話だったんじゃないですか?」
初対面の相手が告げる「あの方」など、アヴィは本来知るべくもなかったが、見当はついていた。
菊の花が咲き乱れる地で有名な、とある小さな男爵領の現当主の顔がアヴィの脳裏に浮かぶ。
「ふむ、菊のお茶。もしかしたらそうだったやもしれません。あるいは――」
「寒稽古直後の、良く頭が回っていないときだったのかもしれませんね」
念のためとばかりにゼオンが続けようとした質問に、アヴィは先手を取って答えを返した。
北の地にあるその男爵領では、武道家達が年末の寒稽古の場として利用する。
アヴィの実家……武芸で有名なシルヴァアクス辺境伯の領内でも頻繁に実施されているが、アヴィの知り合いにも、最も過酷な年越し稽古を求めてそちらに向かう者も少なくない。
そしてその回答は、アヴィが正しくゼオンの出身地を知っていることを、周りで聴いている者達に知られない形で伝えるものとなっていた。それは、ゼオンの望む100点満点の回答だ。
「ははっ! そうだったやもしれません。だとしたら私の勘違いと意地でとても失礼なことをしてしまったことになる。迷惑をかけたシルヴァアクス様にも、先ほどの方々にも心から謝罪をしなくては」
「はい。もし貴方がまた迷惑をかけるようなことがあれば私が止めに行きますからそのつもりで。せっかく第2位の高成績で入学したのですから、無駄にしないことですね」
「シルヴァアクス様、そのことは……」
「本日付で情報解禁のはずですよ? 副代表挨拶も楽しみにしておきますね」
「かしこまりました。では私は今から謝罪に行って参ります」
会話を終えるや、揚々とと立ち上がり、先ほどまでの不遜な態度を置き忘れてきたかのような丁寧な謝罪を始めたゼオン。
苦々しい目でそれを見る者も多かったが、多くの者は不承不承それを受け入れ始めた。
というより、受け入れざるを得なかった。
なぜならゼオンは、国内有数の名家、シルヴァアクス伯爵家の推薦権で入学した者である――その可能性が非常に高いと今の一件で思われていたのだから。
ここで、改めて新入生たちの状況を整理しておきたい。
ヨルコやゼオン達平民新入生に陰口をたたいていた貴族の子弟たちは気づいていない、ある重大な事実がある。
宰相マリジーニーの努力で入学と相成ったこの初年度の諸子入学生たちは、場合によっては下手な貴族の子たちよりも手を出してはいけない存在の可能性があるのだ。
例えば、とある侯爵家の推薦で入学することができた、実に身目麗しい少女達であったり。ある子爵家の専属商人の息子として、王都でも顔の広い少年であったり。ヨルコの横に座る、圧倒的な成績トップで学園入学を果たし、宰相マリジーニー自らお忍びで応援の言葉を伝えに来た少年であったり。
貴族たちの利権として宰相から手渡された「推薦権」は入学した少年少女らの見えない後ろ盾として機能を始めており、家を継ぐことのない貴族家次男よりも喧嘩を売ることが危うい相手であることを、式に参列する中でも賢い者たちは既に理解していたし、あるいは親から言い含められている者もあった。
そして、マリジーニー宰相の計らいで、入学した新入生が在学中、どの領の推薦を受けているのかを調べることは禁止とされていた。
その制度は、貴族たちが、自身の推薦した学生が不始末をしでかした際に累が及ばないようにするためと説明されていた。
実際に影響を皆無にすることはできないだろうが、学生の不始末を理由にその出身領を非難する行為自体が王国法によって咎められることは大きい。
そしてこの制度が存在することにより、平民の入学生は自身が弱小男爵家の庇護を受けているのか、国内有数の公爵家の後援を得ているのか、傍から分からないようになったのである。
それは全ての平民生徒が切られるまで中身の分からない鬼札を持っていることを意味し、その鬼札が強力なカードであるという疑いを持たせることができれば、実際のカードの強さと関係なく、強気に振舞うことができるのだ。
ゼオンは今回の一件で、まさにその鬼札を得た。
ベルセルグ王国の平民で、自由に複数領を渡り歩くことができるのはほとんどいない。
一部の限られた商人なども通行税が人頭割りとなる関所を通るのに、商売の戦力にならない子供を連れていくことは稀で、それはつまり、ある貴族と面識を持つ平民がいる場合、その平民はその貴族領在住の可能性が高いことを意味した。
ゼオンは特に、先のやり取りで、シルヴァアクス伯爵家の令嬢と面識があるだけでなく、その令嬢から直々に注意をされる立場、つまりシルヴァアクス伯爵家の令嬢が責任をもって対応をしようとしている相手とみなされたため、その可能性はますます高くなっていた。
固有名詞を伏せてやり取りされた、本来の推薦役――現男爵に関する会話も、その色眼鏡で見れば、名門シルヴァアクス伯爵家の現当主の話にしか聞こえない。
王国法に反さず入学生の出身地を知る手段は限られる。例えばその情報を勝手に調べた他領の貴族が訪問に来た際、部屋で大声で独り言を呟いていたのをたまたま隣の部屋で聞いてしまったり。あるいは、王都の重要政務書類に王城所属の事務員の不始末で紛れさせてしまった名簿をたまたま目にしていたり。それはゴルドランス公爵家やシルヴァアクス伯爵家を含む、ごく一部の有力貴族だけが可能な方法だった。
ゆえに、二人のやり取りを目の当たりにした多くの少年少女たちの多くはその誤解を事実として受け取っていた。
もっとも先の根拠は、アヴィ本人が簡単に否定できる程度のものだ。「実は初対面だったけれど勘違いしていた」「縁の出来た問題児だから念を入れて注意をしただけ」と言えば通るであろう。
そして、王国法では平民入学生の出身地を調べる行為は禁止されていても、ある入学生が自分の領の推薦ではないと否定する行為は禁止していない。
つまりアヴィの行った行為は、いつでも取り上げることのできる鬼札の貸し出し。
そして、ゼオンが行った行為は、そうした鬼札の貸し出しが行えることを理解している貴族から、欲している鬼札を受け取ること。
鬼札の対価は、ゼオンに着けられた見えない首輪。
アヴィの気分一つで取り上げられる鬼札は酷く不安定なものではあるが、ゼオンはアヴィが度を越えた要求をその首をを通じて命じてくるほど愚かではないだろうと理解していたし、その首輪を通じた繋がりでさえ自分にとって有益になるだろうと確信していた。
「あ、ランポッサさん、お疲れ様です。今のやり取りの意味は分かりましたか?」
「ルークから解説を受けましたわ。その……私にはまだとても真似のできないことだなと。……先ほどの、あの後列に座っている平民についても同じなのでしょうか?」
「ふふ。言ったじゃないですか。そういう質問には答えられませんって。さあ、王女様がお見えになったら、すぐに式が始まりますよ、早く席についてください」
ランポッサ達を見送り、先ほど挨拶できなかった顔見知りの入学生たちに挨拶をして回りつつ、アヴィは一人の友人に思いを馳せた。
――さて、ああは言いましたがヨルコさんは私にとってどんな立場なんでしょうね?
14年の二倍以上の年月をとある華族の名家、或いはとある貴族の名家として過ごした記憶を持つアヴィは、自分の友人感覚が他の人のそれと乖離していると認識していた。
――アヴィ=シルヴァアクスとしての立場としては、ランポッサさんに伝えた通り。ある程度平
民に親しい――ように思われなくもない、でもその一方で貴族の子女たちの面倒見がいい風
に見える、そんな立場がきっと理想です。
――竜ヶ峰真昼としては、まあ前世の思い出を好きに語って話せる、良き友人ですね。
そして、そんな立場はそのまま維持した上で、アヴィにはもっと大事なことがあった。
――まあ、楽しくなるなら大歓迎ですよ、ヨルコさん。
この世界が前世で作られた乙女ゲームの世界そっくりだという話も、「アヴィ=シルヴァアクス」という自分の存在が、ヨルコの脳内で作り出されたものだという、衝撃的過ぎてエイナに伝えることは止めさせた話も、アヴィにとってはある意味些細なものだった。
――主人公を見つけ出すゲーム。国の崩壊を止めるゲーム。革命思想の流入した王国に、平民という異物を飲み込んだ学園の変遷。うん。良いですね。とても楽しそう。
アヴィ=シルヴァアクスは退屈が嫌いだ。
だから、何かを変えてくれそうな面白そうな人がいれば声をかけるし、そんな人たちを友人だと思っている。
エイナやヨルコ、そして今日出会ったゼオンのこともやがて心の中でそう呼ぶようになることだろう。
――悪役令嬢。ふふ。今の私はまさにそれですね。
使命を持っているわけでも、崇高な目標を掲げているわけでもなく、ただ自分が楽しいと思うことをする権力者。
そのためならば誰かを利用することも厭わないし、それは自分の友人が相手でも変わらない。
――ヨルコさん。そしてエイナさん。貴女たちとは仲良くしていたいですから、……ずっと面白
いままでいてくださいね?
新入生席の去り際、ヨルコとその隣の少年に向けて会釈を返しながら。
アヴィ=シルヴァアクスは本心からそう願った。