第四話:この世界は乙女ゲーだと夜子だけが知っていた:後
ベルセルグ王国の王城は鉄壁である。
無双の軍隊の存在故、一度も戦火にさらされたことのない理論だけの鉄壁とも揶揄されるが。
しかしそれ故、傷なしの王城はその威容を今日も王都の住民達に見せつけているのだ。
王都中心の高い丘陵の上に建ち、文字通り王都全てを見下ろす巨大な王城。
二重の城壁と巨大な堀は王都と王城の境を厳格にし、魔導技師達の張り巡らせた結界は夜に光を灯して城の存在を国民に知らしめる。
王族や登城して働く執政官達、そして、王城の高貴な資産をその内に秘めながら、今日も王城は静かに聳える。
王城の抱える高貴な資産。
それは大きく二種類に分けられ、それらを管理する王城の宝物庫もまた、二種類あった。
一つは、国の血液と呼ぶべき財貨をコントロールする、国の心臓。
換金性の高い金銀財貨の置かれた王国のもっとも煌びやかな宝物庫である。
そして、もう一つ。
王国の祭祀に必要な、換えの効かない宝具や装備の安置された祭祀宝具殿。
主神、戦神アレスや他の主たる神々を祀るために必要な、王国で最も厳かな宝物庫である。
ヨルコ=ルロワというベルセルグ王国の地方出身の平民の少女が齢12で登城した際、彼女はとある事件に巻き込まれ、その後者に閉じ込められることになった。
とある事情から、貴族の令嬢のような姿でいたヨルコ。
彼女はそこで、生まれてから初めて見た高貴な宝具の数々を前に呆けたように立ち尽くした。
普段は欠かさず背負う大鞄も持たず、いつも行動を共にしていた弟分も連れず。
何もかもが普段と違い心細さすら覚えていたヨルコは、その初めての光景を前に、まるで生まれて初めて聞いたオーケストラの音圧に圧倒されるような心地だった。
なにせ王国の端も端の辺境、土と草と虫に囲まれた田舎の片隅で育ったヨルコである。
高い天井、傷一つない白い壁。
部屋の中心に置かれた祭壇には、魔力を満たし、祝福を神にささげるための銀の聖杯が一つ。
その背後の壁、入り口から奥を見上げて一番目立つところには、戦神アレスの祝福を受ける、黄金の宝槍。
その全てが未知の異世界の光景だ。
中心の祭壇や黄金の槍だけではない。
部屋のあちこちに置かれたただの木製の祭壇でさえ、目を引き付ける彫刻や縁取りが細やかに成され、この上ない品であることが見て取れた。
そして何よりも。
ヨルコが踏み出した絨毯の先、祭壇の上に一緒にいた二人の少女達が宝石のように美しく、目を惹きつけた。
自分と同じ人間であるということが信じられない、黄金の宝剣のような美貌の少女。
住む世界が違うということを一目でわからせられた、空色の羽衣のように麗しい少女。
ヨルコは、無理して用意した絹の赤装束に逆に着られている、そんな野暮ったい平民である自分の姿が恥ずかしくさえ感じた。
目の前の彼女らは本物の王国貴族の令嬢達であった。
「貴女、何者かしら?」
黄金色の少女の鋭い誰何の声を受け、ヨルコは足をもつれさせた。
思わずぺたんと尻もちをついてから、何を言えばいいのかもわからないまま口を開く。
「あ、あのーーえっと」
その時ヨルコは、自分でも気づかぬうちに扉下の床に手を触れてしまった。
幸か不幸か、その位置は。
その場にいる誰にも用途の分からない巨大な魔方陣を刻んだ絨毯の上だった。
光が溢れる。
「え?」
「ちょっと、貴女!」
「もう嫌ぁ!」
如何なる偶然があったか、王国に秘された儀式を行う条件が完全に整い、結果として宝物庫は眩しい光に包まれた。
その儀式の光はその場にいたーー宝物庫に閉じ込められた12歳の少女たち3人を平等に飲み込み、渦を巻くように宝物庫全体に広がった。
光に飲み込まれた少女たちは皆、自分の根幹ーー魂を熱されるような激痛に苦しんだ。
激痛のためか、それとも他の要因があってか、ヨルコを含む三人の少女達は数刻の間気を失うことになる。
そして、一番最初にふらふらと立ち上がった青色の髪の少女に揺り動かされて金色の髪の少女が目を覚まし、その二人の手で最後に目覚めたのがヨルコだった。
その目覚めは、三人にとって二度とない、人生を変えるような目覚めとなった。
『痛いわね……』
「”イタイ”……エイナ様、その言葉がわかるのですか? もしかして『日本という国を知っていますか?』」
『え、貴女も? ねえ、これどういうこと? 朝子って、私が朝子って……そう呼ばれていた気がするの』
彼女たちは皆、本来なら決して思い出すはずもない、自分が生まれるより以前の記憶を思い出していたのだ。
そして、そこから三人の関係は始まった。
貴族の令嬢二人と平民一人、という間柄ではなく。
やがて、こことは異なる世界の記憶を思い出した、同士ともいえる間柄になる。
もっとも、その関係構築はすんなりといったわけではない。
それは、身分違いの相手にヨルコ=ルロワという田舎娘が委縮しすぎてしまったということもあったが、それ以上に大きな理由があった。
――朝子? 真昼? この人たち何言ってるの? 何のことばをしゃべっているの?
――どうしてわたしはこの人たちの言葉が分かるの?
――夜子って誰? 乙女ゲームって何? なんで王国の人たちのことがこんなに分かるの?
え? でもどうしてわたしは――知らないの? 分からないの?
ヨルコと同じ、日本という場所で暮らしていた前世の自分達記憶を取り戻したらしい二人の少女の会話を聞いている横で、ヨルコは言葉一つ発せられずにいた。
それは、あまりに多くのことを考える必要に迫られたヨルコが、突如自分の中に湧いた乱れた記憶と馴染まぬ価値観、そしてそれらが導き出す驚愕の事実に混乱させていたことが理由だ。
ヨルコの思考を停止させた驚愕の事実は3つ。
1つは、ヨルコ=ルロワが生まれ育った国、ベルセルグ王国について彼女が思い出してしまった事実。
この国は、彼女の前世で所属したゲーム製作チームが作り上げた同人乙女ゲーム「金の王子と銀の騎士」に登場する架空の国と、名前から歴史、姿に至るまであまりにも合致しているのだ。
最初はいきなり思い出された"日本"という国の思い出自体がありえない嘘だと思いたかった。
しかし、同じ日本という謎の国の記憶をヨルコの目の前の二人が持っているということでその逃げ道も塞がれてしまった。
2つ目は、そもそもその同人乙女ゲーム「金の王子と銀の騎士」の中身が、とても中途半端にしかおもいだせないということ。
元々そのゲームは、15歳の夜子が高校入学式を迎える数日前にDLが開始されたばかりの、夜子がキャラクター制作以外の本製作に一切かかわっていないゲームだ。
DLそのものは嬉々として当日に済ませていたし、評判を知りたくてwikiページまで参照しに行ってしまっていた。
しかし、入学式前は愛子の助けを借りて最後の心の準備・身だしなみの準備をするのに手いっぱいだった。
プレイするのは入学式で満足できる成果をあげられてから。
そのように考え、初めての高校登校を果たそうとした矢先、永遠にプレイの機会が失われてしまったわけである。
中途半端に”知っている”ことは、殆ど知りえないゲーム内容への想像を膨らませ、ヨルコの思考をかき乱した。
なにせ、知っているだけでも「革命前夜の王国」「主人公と敵対する相手の没落」「恐ろしい魔法の存在する世界」と不安要素が満載。
けれど、それらにどう対応せねばいけないかがまるでわからないのだ。
そして最後の3つ目は、目の前の高貴な二人の少女の存在そのもの。
彼女ら二人の名前と出自設定が、かつて自分が前世で作成したキャラクターのものと完全に合致しているたいう事実。
特にこの事実はヨルコに、取り戻してしまった佐藤夜子の鉄面皮さえ即座に貫通させられるほどの衝撃を与えた。
夜子がゲーム用にキャラクター作成を行った際、シナリオ作成者の自由度を上げるため、敢えてファミリーネームなどは決めないまま「公爵令嬢1”エイナ(仮)”」と「辺境伯令嬢1”アヴィ(仮)”」というキャラクターのパーソナリティを作りこんだことは忘れていない。
しかし、それが実際に生きた人間、それも自分と同い年の少女として目の前にいて、しかも自分と同じ15歳当時の日本女学生からの転生者だというのだから混乱もするというものである。
「ねえ、貴女! 貴女は私たちの言葉は分かる!? ”ニホンゴ”!」
ヨルコが事実を受け止めきれず惑う中、公爵令嬢エイナを名乗る少女に日本語で語り掛けられた。
「え? なん、て?」
呼びかけられたヨルコは咄嗟に言葉の意味が分からないふりをする。
それは、本人曰くひねくれ者であった佐藤夜子としての性格と臆病者だった元のヨルコの性格の合わせ技であったのであろうか。
ともあれ衝撃的な対面を果たした三人ではあったが、一旦は三人は宝物庫に閉じ込められた事件の終了をもって、別れることとなった。
しかし、事件から解放されたのち、ヨルコを求める二人の少女たちの計らいで次の対面の機会を得た。
ーーさ。おとなしく白状してくださいね? 貴女が日本について、この世界について何を知っているか。私たちが知りたいのはそれだけなんですから
そこで、三人の内で夜子しか知らなかったうろ覚えのゲーム知識――本製品では変更されてしまったのかもしれない初期設定やwikiの情報などを、二人の少女に提供することになる。
その際、ヨルコはある理由から自身の立場を「ゲーム自体未プレイで、友人から内容を又聞きしている同人乙女ゲームファン」と偽らされた。
まあ、知っている情報量だけで言えばおおよそ違いはない。
もっとも夜子がゲーム開発当初に聞いていた初期設定と製品版の設定で異なるところはいくつかあるようだ。
それは例えば、初期案ではベルセルグ王国の魔導学園入学式と同時に崩壊の知らせが飛び込んでくるはずだった隣国の革命騒ぎなどであり、知り合ってからの3人にとって最大のトラブルであった。
だが、しかし。
それに匹敵するとも劣らない、最大のトラブルの種が今現在存することにヨルコは気づいてしまった。
それは、先ほどまでヨルコと話していた、エイナという少女の立場について。
「朝子ちゃんと金王子だと、一見相性よさそうで相性最悪の二人なのにそれが婚約者! このままだと婚約破棄コース! そうなると多分乙女ゲームでよくある、悪役令嬢の破滅エンド……! 仮に違っても、王子の婚約者だと国が破滅したら絶対殺されちゃう! ……ああ、もうどうすればいいの!」
かくして、王国国内でも有数の優雅なひと時が満喫できるはずの香りと彩りの整えられたお茶の席にて。
特級に解決困難な問題に直面したヨルコ=ルロワは頭を抱えて唸りを上げるに至ったのである。
「乙女ゲームあるあるは伝えていたし、朝子ちゃん頭いいからって油断しちゃってたかな? でも朝子ちゃんにもそういうメインキャラ級とのイベントの種は早いうちに伝えてって言ってたのに……」
対応を悔やむが、悔やんでいても何も始まらない。
先ほどエイナとの話し合いで使うつもりだった、「悪役令嬢会議第一回議事録」に目を落とし、日本語の角ばった字体の並びにどこかほっとしながら読み進めつつ、いったん考えをまとめる。
「ここ、わたしの発言記録だよね? ……ゲームの舞台は建国から時が経ち、質実剛健の気風の代わりに華美と優雅さを手に入れた騎士の国ベルセルグ(仮)。紡がれるのは革命前夜の恋物語。隣国の火と土の国が滅び、国内にも不安の種が広がる情勢下。平民の主人公が魔導学園の一期生として入学する。ここまでは多分当初コンセプト通り……隣国が滅ぶ情報が出るのは入学式イベントのタイミングの急報だったはずだけど、それだと無駄に緊張感が高まって主眼の恋愛にプレイヤーが集中できないからあとで変えたってところかな? メインライターはtokiさんだろうから、そういうの気にするだろうし」
そういえば、とゴルドランス家の花園を改めて見直すと、その彩の多さで非日常を演出する光景にどこか見覚えがあることにヨルコは気づいた。
「irodoriさん……。自分の絵が現実になったよって伝えたらどんな反応するかな? 商業で名が売れてきても変わらず同人フリーゲームに関わってたのは見せたいものじゃなくて描きたいものを描けるからだって言ってたっけ」
やはりこの世界がヨルコの知るゲーム世界と同じ要素を持っていることは間違いない。
嬉しさと一緒に鼻の奥につんとくる痛みを感じながら、ヨルコは議事録のページをめくった。
「ゲームのジャンルは乙女ゲーム。タイトルにある金の王子と銀の騎士の二人がメイン攻略キャラ。サブキャラ数は作成開始時点で未定。キャラクター作成担当の作ったキャラのインスピレーションを受信して書きたい! という気持ちが沸き上がったシナリオ担当者に無理ない範囲で書かせる……はは、改めてみるとわたしたち無茶苦茶やってるなあ」
そのキャラクター作成担当がヨルコであったことを知らないエイナは、その説明を聞いてどんな顔をしていただろうか。
ヨルコはもう覚えていなかった。
乙女ゲームというジャンルや同人ゲーム、それもフリーゲームという特殊な文化のことに疎いエイナであったから、そんなものかと納得したのだろうか。
「そして……主人公、不明。メインストーリー、不明。12歳未満プレイ禁止にしてるから、流血とかの展開も十分あり得るんだよね」
ヨルコにとって一番の悩みどころがここである。
特に主人公が分からないのは非常に痛い。
ゲーム[金の王子と銀の騎士]に登場するキャラクターはその殆どを夜子が作っていたが、主人公のキャラ造形だけは夜子ではなくメインシナリオ担当が行っていた。
「主人公については内面の成長とか、攻略対象との相性とか、シナリオの展開に合わせたバックボーンとかが必要になるから当たり前の措置だよね。というか攻略対象キャラをシナリオに先駆けて設定すること自体変な作り方だけど」
この後、ヨルコからエイナ、アヴィの二人に向けて乙女ゲームに関する講釈が入り、三人で今後の方針について協議する展開となったことが議事録に記されていた。
まず、火と土の国の崩壊は諦める。
当時13歳の少女達で、一年後に迫った国家の崩壊を止める術は殆どなかった。
隣国であるベルセルグ王国にはゲリラ活動を繰り広げる革命軍の話が伝わってきていたし、王都以外の諸領で一部革命軍に迎合し、独立の声明を出す動きがあるなどきな臭いニュースが絶えなかった。
それでも王都は王が崩御しない限りは安泰だろうという予想が大半であったことも災いし、戦術的分析も政治的分析もない12歳の少女の忠言がそうした世論を覆す力など無いことが見込まれた。
――それでも何らかの対応はして見せますわ。せめて無辜の民の命が多く救われるように。
そう言ったエイナの努力の成果が実ったかどうか、ヨルコは知らない。
次に、主人公を突き止めるという方針が決まっている。
物語が基本的に主人公主導で進む以上、主人公の動きが分かれば物語の大きなイベントも見逃さずに済む。
主人公が選択を誤らなければゲーム紹介wikiに記載されていた「国の破滅」を回避できるのであれば、その行動を助けるのも良いだろう。
そしてこれは、三人が国を捨てて逃げ出すという方針を取らなかったという意味でもある。
前世の記憶を取り戻したとはいえ、三人は三人ともこの国で生まれ育った国民であり、土地にも親族にも友人にも愛着があった、ということだろうか。
次の方針として、主人公との敵対を避けることが決まった。
これもまた、ゲーム紹介wikiに記載されていた主人公の敵役は主人公に叩きのめされるらしいという事象を回避するためだ。
ただし、仲良くなりすぎるとそれはそれで主人公周りのイベントで”友人の犠牲”なんてものがあった日には、危ない橋を渡ることになってしまうので、主人公との距離は慎重に見極めることにする。
――なんだか国の平穏のために主人公の子を徹底的に利用しつくす悪役みたいな役どころね
議論の際に朝子が告げたその一言が印象的だったのか、真昼が記載した第一回議事録にはその一言がメモ書きで添えてあった。
――いいえ、主人公の子はただただご自分の意思で最善
の未来を目指すだけですよ。それが私たちにとって
都合がいい未来というだけで。
――真昼ちゃん、それ完全に悪役のセリフだよ……わざと?
まあそんなやり取りがその後も続く三人の定期会議の会議名のきっかけになったのだからわからないものである。
「まあ結局、やることは変わらないかな。朝子ちゃんがメインシナリオ上の悪役令嬢にならないようにだけ、気を付けないといけないくらい。……よし!」
ヨルコは、机脇の大きなカバンを勢いよく背負い、立ち上がった。
「あ、メイドさんすみませーん! そろそろお暇させていただきたく候なのですが!」
声をかけると、すぐさま公爵家のメイドがやってきた。
「かしこまりました。お荷物、お預かりいたしましょうか?」
「いいえ、お構いなく!」
ヨルコは笑顔でそう告げた。
――今日も笑顔は絶好調だ。
ヨルコは思う。
素直でいよう、明るくいよう。
ヨルコ=ルロワは計算ずくでなく、素直に笑える子なのだから。
1年ばかりの詰込みで急いで身に着けた正しいベルセルグ王国公用語。まだ危ういことは多いけど、少しばかり会話をとちっても、笑って許してくれるような子でいよう。
幼年の栄養失調で筋力が落ちて足元はおぼつかないし、貧民街で必死に勉強した知識は、昨年思い出した前世の記憶からすればひどく幼稚なものだったけれど。
それでも大切な人に向ける素直な笑顔の作り方を知っていた。
病に倒れた母を涙ながらの笑顔で看取ったヨルコいう少女は、誰かのための笑顔を、もっと多くの人に届けられる人間になりたいとこの世界で決意した。
その決意があるから、ヨルコ=ルロワは今日も笑える。
笑いながら、二人と一緒にこの国のために動くことができる。
「それと、エイナ様に感謝のお気持ちをお伝えいただきたくございます。――これからもご学友として、そして敬愛すべき先輩として末永くお付き合いさせて頂ければ嬉しいです」
ヨルコは、心からの笑顔でそう告げた。