第三話:この世界は乙女ゲーだと夜子だけが知っていた:前
ヨルコ=ルロワがゴルドランス家で頭を抱え、取り乱すに至った経緯を知るために、ここで一人の少女について理解を深めたい。
その少女の名は、佐藤夜子。
ヨルコ=ルロワにとっては前世に当たる少女だ。
佐藤夜子は笑顔が苦手な子供だった。
周りの子供たちや家族が盛り上がっている中でも愛想笑いができず、ふわふわと遠巻きにそれを眺める女の子。
彼女が子供のころの写真を見ると、一人だけ笑顔を浮かべないで女の子として悪目立ちしていた。
両親の帰りが遅い一人っ子の家庭で、常に家の鍵を持ち歩く”鍵っ子”だったことだとか、幼い時から肌が弱くて外で遊ぶことができなかったとか、そうなった言い訳に使えそうな外部環境はあったけれど。
似たような環境で元気に育った友人たちと巡り合った夜子は、それを理由にしたくなかった。
――ようは、ひねくれ者なんだよね。わたしは。
地元小学校からほぼ持ち上がり同然に公立中学校への進学が決まり、友人が少ない生活がこれからも続くのだなと考えていた頃。
夜子は、学校を終えて図書館へ向かう道すがら、ランドセルを投げ出した川辺に寝転がり、そんなことを思っていた。
義務教育の学校にすら通えないような大きな不幸を背負った身ではない。
かといって、大人や社会に嫌気がさして煙草や酒、暴力や性に手を出すほど非行に惹かれていたわけでもない。
他所から見れば、日本の一般家庭に生まれ、なんとなく周りになじめないまま成長し、なんとなく落ち着く場所である図書館にこもる生活を続けているだけの友達の少ない女の子。
敢えて普通と違う点を挙げるなら、なんとなく妄想を絵や文章にしてノートに書き連ねることに快感を覚える性癖に目覚めていたことくらい。
たぶん、他の人より、見知らぬ人を自分の中に受け入れられない方だったんだろうなーって。
そしてたぶん、思いやりのコミュニケーションツールとしての笑顔を、変なプライドで素直に使おうとしなかったんだろうな。
あと、自分が上手く振舞えないことを普段構ってもらえない親のせいにして考えるのをやめちゃぅてたんだろうな。
そうした具合に、駄目な自分を客観的に見つめなおすことができるようになったのは、川辺に寝転がったその日から大体4年後のこと。
短いようで長いその年月を超えた先、そしてそれがまさかの自分の最期の瞬間、ーー日本を去る直前の走馬灯を見ながらのことだったとは、この時のランドセルを背負った夜子には予想だにしないことだったろうが。
さて、そんな佐藤夜子だったが、まったく笑顔を浮かべない子供という訳でもなかった。
笑顔を浮かべないのは基本的に誰かが見ていたり、写真に撮られる時だけ。
何かに夢中になっている夜子は時々笑みを漏らしていることもあったらしい。
特にそれが顕著になったのは、夜子がそろそろランドセルともお別れという時期、数少ないネット上の友人の勧めで見始めた、同人フリーゲーム製作掲示板での活動でのこと。
その活動にのめり込んだ中学生時代では、友人から「嬉しそうすぎてキモかったぞー」とまで言われたほどの笑顔を浮かべて精力的に活動に取り組んでいた。
同人フリーゲーム製作。
それはつまり、PC等で動くゲームを趣味でを作りたいと考える同好の士が集い、これをネット上に無料でプレイできるように発表するという活動だ。
5分で終わる簡単なものであれば、プログラミングの知識などがあまりなくても、「ゲーム」としてプレイするのに問題ないものを素人でも作れる。
夜子が活動していたネット掲示板では、RPG、ホラー、恋愛ものなど、様々なゲームを作成する、あるいは作成計画を練っているグループが無数にあった。
その掲示板の一番の特徴は、初対面の人同士での分業製作やそれらの製作に関する意見交換を推奨、あるいはメインコンテンツとしていたところだった。
つまり、飛び込みで適当な誰かと、何か思いもつかないゲームを作成できる場所だった。
そして夜子は、運命と出会った。
夜子がふと目にとめた掲示板の一つ。
時間あたりに交わされたチャット数が異常に高くなっており、検索エンジンの上位に浮上してきた、とある同人ゲームサークルの掲示板。
リンクを開くと、ゲームの製作リーダーに当たるaikoという人物が、サークルの一人と連絡がつかなくなったというお知らせを出し、その情報にざわつく他の製作者達が凄い勢いで言葉を交わしていた。
製作メンバーが製作作業中にいきなり音信不通になるというのは、この掲示板ではそれなりによくある出来事であるらしかった。
同人フリーゲーム製作はあくまで趣味活動としての参加である。参加者には給与もなければ製作を滞らせた時の責任もない。
夜子がログを追って確認すると、このサークルではゲーム世界観に合わせた登場人物20人の設定作成と一部シナリオ製作を担当していた参加者が仕事を投げ出したということらしい。
とはいえ、サークルリーダーのaikoも無理やりその参加者に責任を取らせることなどできはせず、他の参加者を募るかメンバーに仕事を割り振りなおすかでサークル内で話し合っているようだった。
その会話を見た佐藤夜子に、ふと魔が差した。
掲示板を表示するウィンドウを最小化すると、デスクトップにはいくつものテキストファイルや、それらを整理した無数のフォルダが置かれていた。
それらは、趣味でPC上に書き溜めていた、色んな世界観に登場する人物の設定集。
イメージする。
先程見ていた掲示板で求められていた20名の端役。
それに当てはめられそうな、今まで自分が作り上げてきた架空の人物たちの候補。
気づくと夜子は掲示板のウィンドウを立ち上げ、そのコメント欄に文字を打ち込み始めていた。
「は、じ、め、ま、し、て。夜子……はまずいからええっと……yoru、と申します。横からすみませんが、私をあなた方の製作チームに加えていただけませんでしょうか。こちらの製作予定ゲームに使用できそうなキャラクター設定原案もすぐにご用意できます――」
夜子の手がキーボードを叩き、掲示板に1人の部外者のコメントが色付きで表示されたことで掲示板の参加者たちはそれぞれが反応を示し出しーー
それから、瞬く間に時は過ぎた。
――はじめまして。リーダーのaikoです。ブラウザゲーム
は初めてですか? ん?ゲーム作成自体初めてと。
あー、物書き志望とかそっち方面? 大丈夫、テキ
スト書ければ十分戦力ですので。ただ、こちらのチ
ームに合わないと私が判断した場合はすみませんが
参加をお断りさせていただきます。
まずは掲示板参加可能頻度とかを教えてください。
――よし、という訳で本製作なわけですが。yoruさん、
他の人と文体合わせとかできる? お、昔書いたサ
ンプルね。…………うん、悪くない。最初のうち、
あたしがサポート入るからとりあえずやってもらっ
ていい? とりあえず何かSNSアドレス交換しよ
うか。
――おー、良い仕上がりじゃん。本当に中学生? もし
サバ読んでる高校生かつ東京の子で大学どこでもい
いってタイプなら今すぐうちの大学目指して欲しい
な。そして来年あたり入ってくれるとマジ助かる。
うちの女子ゲーム研究会で即戦力だよ。あー、でも
yoruっちあたしより地頭良さそうだしなー。
進学校とか行ってたり? んなこたないって?
――完・成! 超短編だけどこれがyoruっちの初同人ゲ
ームだーっ!
で、で、今ここに二本目の製作計画あるけどyoruっ
ちも参加するよね? 参加しようぜ!
――もうyoruっちとの付き合いも一年なのか。……ねえ、
もしよければだけど、オフ会とかする? あと、無
いとは確信してるけどyoruっちがもしネカマだった
らあたしは憤死するからyoruっち、そんときはちょ
ん切ってから来てね。
――うわ、まじで中学生だった……。え、本当にあの時小
学生だってことじゃん。
はーーっ、やる気なくすわー。ま、いいや。今日から
はオフでもよろしくね。yoruっち。あたし、愛子。愛
してもらえる子って書いて愛子。苗字はどうしてもっ
ていうなら教えるけど、あんま好きじゃないからでき
れば無しで。
あの日、夜子が掲示板で出会った同人ゲームサークルリーダーの愛子主導で、多くの同人ゲームが世に出た。
そのサークルでの同人ゲーム作成に、夜子はどっぷりとはまり込んだ。
RPG、ノベルゲーム、時には簡単なアクションゲームまで。さまざまなものを作ったが、どのゲームでも共通するのは、キャラクターたちの物語がその中にたっぷり詰め込まれていることだった。
夜子は布団の中に持ち込んだノートPCでシナリオを描き、一人の朝食や夕食で食べ物を口に運ぶ間、頭の中では愛子の語る世界観にかっちりハマるキャラクター達を夢想した。
塾に通えと言われないよう学校成績の保持と受験勉強用参考問題集だけは必ず進め、そうして手に入れた時間を同人ゲーム製作のために注ぎ込む。
フリーゲームゆえ報奨金などは出ないが、プレイしてくれる人たちがいるということは夜子の大きな励みになった。
作ったゲームのDL数ランキングで上位になるたびに仲間たちと喜び合い、僅差で月次ランキングで2位が確定してaikoに悔しさをぶつけて慰められた。
オフ会で会ったメンバー達に未プレイ名作ゲームの山を押し付けられ、両親に隠れて夜のプレイを進めながら、自分もこんなゲームと同じくらい人の心を動かすものを作りたいと思った。
喜びも悲しみも苦労も成功も、夜子にとって大事な経験の多くをその活動の中で得ることができた。
それは夜子にとって、人生で一二を争う楽しい時間だった。
そんな充実した日々の中で、特に夜子の記憶に残っている会話がある。
それは、佐藤夜子がその人生で一番最後に製作に携わったゲームに関する内容だった。
「そういえばyoruっち、次回の新作なんだけど」
「あ、そうか。今の作品もそろそろ仕上げですもんね……」
夜子が初めて愛子と顔を合わせた特にも使用した、都内の格安イタリアンファミレスでのことだ。
背が高く、目が大きい美人と言える顔立ちをした愛子と同席するのに夜子が気おくれを覚えなくなってからもうずいぶん経つ。
「製作期間半年くらいで、夜子ちゃんの持ち味が良く出た大き目のゲーム作ろうと思ってるんだけど、やらない?」
茶目っけたっぷりな口調だったが、愛子から注がれた、自分の目を貫く真剣なまなざしに、夜子はどきりと胸が跳ねた。
「え、わたし、ですか?」
「そうそう。yoruっちの持ち味って、キャラクター作成能力かなって前から思っててね。細かなキャラクターにもめちゃくちゃ細かく設定入れて、でもそれがシナリオ書く側の邪魔になるかというとそうじゃなくて。こう……なんていうか、そう、キャラクターたちが自分で動き出してくれる感じというか! それがすごい心地良くて。だから今回、それを活かしたシナリオゲームを作りたいわけ」
「その、でもわたし、高校受験が」
「分かってる。だから、本作製はyoruっち以外のいつものメンツと、あたしのリア友引っ張ってきてやるつもり。というか、yoruっちが本製作に居なくてもあ、これyoruっちの作品だーってなるゲームを作ってみたいってのが今回の提案のきっかけなんだよね」
「……」
その言葉を聞いた時、夜子は生まれて初めての歯がゆさを感じたことを覚えている。
それは、愛子に褒められた――そう気づいて、心の底から喜びが湧き上がっていたのに、それを笑顔で表現できていなかったからだ。
ゲーム製作の腕を愛顧に褒められたのはこれが初めてという訳ではない。それでも、夜子の持ち味、ヨルコだけの技能にフォーカスして持ち上げられたことによる喜びはひとしおで。
それだけに、持ち上がりそうな口角を反射的に抑え込んだ自分が久々に嫌になった。
愛想笑いをしないこと。
それは、作り笑顔をしないだけでなく、自然と出てくる笑顔も無意識のうちに抑えられるようになってしまってようやく成り立つものだ。
誰かとの対面であれば反射的に出てしまうその癖。いつもだったら自分の中で「わたしだからしょうがない」で済ませていたであろうそれを、夜子はそう済ませたくないと思ってしまった。
けれど、少し不安そうに眉を顰めた愛子を前に、黙っているのは良く無いと、正直な気持ちを伝えた。
「やってほしいです」
「お、ありがとう。じゃあ、いつもどおりゲーム概要と世界観説明、最低限欲しいキャラクター配置を来週までに送るからよろしく。yoruっちのキャラ原案楽しみにしてる」
手をぽんと叩いて笑った愛子は、夜子の微妙な雰囲気を知ってか知らずか、上機嫌そうに言葉を続けた。
「……そういえば、今だから正直に言うけどさ、一番最初夜子ならぬyoruさんがあたしらの掲示板にキャラ設定投下したとき。あのめちゃくちゃ書き込まれた設定を見てマジ勘弁って思ってたのよ。『うわ、もしかしてこいつ自分の設定固めて、シナリオに駄目出しするタイプの地雷じゃない? よそのサークルで追い出されてうちに来てるとか系だったらどうしよ』ってね」
「それはその……お恥ずかしい限りで」
「あーいいのいいの、結果的にこうしてうちの主力ライターを手に入れられたわけだし? いやあ、あの時はバックレやがったボケ男を縊り殺してやろうかと思ってて、その怒りのエネルギーをyoruっちのあの膨大なキャラ設定資料を読むのに費やしたんだけど。これがもう大・正・解。あの時作ってたゲームのさ、患者ヒロインの出自なんて、ああこの子こういう出自だから無口キャラになるべくしてなるんだなー、とか一読で思わされてたし。……だから今回はいつもみたいに設定決めてからキャラ造形じゃなくて、キャラ造形を夜子ちゃんにしてもらってからそれを活かせる形でゲームを作ろうと思ったわけ」
「あの、愛子さん――。話を遮るようでごめんなさい、私……」
そして夜子は。いつも通りのスーパースマイルで夜子との出会いの喜びを嬉し気に語る愛子に、話の流れを遮る形で相談を持ち掛けた。
それは自分が、笑顔ができないということについてだ。
笑顔を抑える暮らしに慣れたことで、どのタイミングで笑顔を出すのが自然かわからなくて不安だ。自分の笑顔が他の人にどういう影響を与えるかが怖い。
訥々と語る夜子に、愛子はこう返した。
「ん-、なるほど。yoruっち……夜子はさ、一回そういうのが上手い人に生まれ変わってみた方がいいかもね」
「え……」
今生ではもう無理なのか、そう絶望しかけたところに愛子は言葉を続けた。
「あ、実際に死んで生まれ変われってわけじゃないからね? 例えば高校入学。高校デビューなんて言葉があるけど、あれだって一種の生まれ変わりでしょ」
「そんなに簡単に、変われますか?」
「変われる変われる。変に難しく考えないで、そうね、例えばまず友達になりたい子をイメージするか実際に見つけるのがいいかな。で、その子が喜んでくれる自分を作っていくの。他にもね――」
夜子は愛子の言葉を真摯に受け止めた。
――女の子なら化粧や髪型もきっかけにすると良いかも。
高校が決まったら制服を着た自分を想像して、色々考
えてみましょっかね。
――仮面というより、演技をイメージする方がいいかな。
良い演技には心からの理解が必要だから。そしてだん
だんその演技が自分のものになって、自然に自分の一
部になるの。
ーーあ、おすすめな方法で、言葉の最後がイ行だったら
最後に「っ」、てつけてみ。自然に笑顔になるから。
愛子の言葉は夜子の心の中に吸い込まれるように入っていった。
夜子は聞きながら、少し斜め下を向いて口角を上げようと試みた。
すると、愛子が悪戯げに下から覗いてきたので慌ててそっぽを向く。
そのまま、赤い頬を隠すように咳払いし、頭に浮かんだ疑問を思わず愛子に尋ねる。
「……そういえば、凄い今更なんですけど」
「ん。なあに?」
それは、目の前の大切な友人にずっと訪ねて見たかった質問。
「aikoさん、初オフ会の時、わたしがもし男だったらその……ちょん切ってきて欲しいって言ってましたけど、あれって、もし私が本当に男で、そうしてきてたら私が女の子だった時より嬉しかったのかなー、とかって」
「んー?」
「そしたら、もっといいお友達だったのかなーっ、て」
aikoが少し困ったような表情になる。
「yoruっちがあたしと同じだったらってこと? 確かにyoruっちがその、あたしみたいに家族と喧嘩してでも自分のなりたい自分になることを貫いてる子だったら、嬉しかったかな。でも、こうして友達になるのに、相手が自分と同じ境遇とか、気持ちを抱えているかとかは大きな条件じゃないと思うんだ。きっかけにはなるけどね。あたしは女の子の夜子が好きだよ。変な意味じゃなくてね」
「愛子さんなら、変な意味でも良かったな」
「うん、それはあたしがちょん切る前に言うべきだったね」
それを聞き、夜子は自然に笑っていた。
冗談めかして大切な決断の記憶を夜子に晒した愛子も、楽しそうに笑う。
そうして笑いあった記憶を、夜子は文字通り、生涯忘れることはなかった。
「じゃあ、愛子さん。きょうはさようならですね。ゲームの完成、楽しみにしてます。全部完成したらプレイするのでネタバレ禁止で」
「うわ、難しい注文つけるなあ。ま、OK。夜子ちゃんの作成キャラの完成度なら、あまり逐一尋ねなくても行けるだろうしね。高校受験の勉強頑張って」
「はいっ!」
そして時が流れ、夜子は無事志望の高校への入学を決めた。
高校入学を控えたあの日、夜子は鏡の前で口角を上げ、事前に何度も袖を通して体になじませた制服を着て家を出て。
青信号の交差点の横断中、突然激しい痛みと衝撃を受けて目の前が真っ赤に染まっていくのを見ながらも。
脳裏を駆けていく愛子達との思い出は、最後の時まで夜子の痛みを和らげ、その口元に安らかな表情を残した。
そしてその、一旦途切れた佐藤夜子の記憶。
それを異世界のヨルコ=ルロワという少女が思い出したのが齢12、祖国ベルセルグ王国の王城に生まれて初めて入城したその日のことであった。