第二話:エイナとお茶会
巨大大陸パンギア大陸、その西に強き武人たちの国あり。
ベルセルグ王国の幼年教科書を開くと、建国の志の代わりにまずその文言が目に飛び込んでくる。
ベルセルグ王国の歴史は、その前身となる旧王国が王族暗殺事件を発端に巻き起こった凄絶な内乱から始まる。
国が乱れ、民の惑う大内乱時代を憂いたとある騎士達の歴史だ。
旧王国の特権階級の者達が次期元首の座を巡り争い始めた当初のこと。
ベルセルグ流と呼ばれる戦闘流派に属する騎士達は、どの派閥にも属さなかったという。
内乱で国が乱れるのを、血涙を流す思いで座して見守り、諸外国から持ち込まれた魔獣兵や魔導兵器が戦火を広げていくのを、歯を食いしばって耐え忍んだ。
それらは、彼らが持つ強大な暴力を正しく扱える次の王を見定めるためだったとされる。
建国より長い歴史、そして諸外国からも一目置かれる強さを持つ、ベルセルグ流の騎士達はあまりに大きい存在だった。
彼らを陣営に引き込めれば勝利ーーそれが内乱時に乱立した多くの諸侯達の共通認識だったというほどだ。
故に彼らは、賄賂や勝利後の褒美の約束ではなく、国を正しく導く志を見せ、それをもって臣下を魅了する者が現れることを待ち続けた。
しかし、彼らが支えるにふさわしき王の器を持つ者はついぞ現れなかった。
いるのは、国土を踏みにじりながらながらただ己の利益のために争っている者たちばかり。
それらは、かつての主君に捧げた剣を次に預けるべき存在として相応しいのだろうか?
自国を他国に売り渡してでも己の所領を増やし、富や権力を得ようとするあさましき者たちばかりであるというのに。
そしてついに忍耐の限界が来た。
一人のベルセルグ流の騎士が、王たる器を持たぬ王などいらぬと立ち上がったのである。
内乱を憂える騎士達を纏め上げ、膠着状態で悪戯に犠牲を増やすだけの戦場に、勇ましい鬨の声とともに現れたという。
荒廃したかつての王城を背に現れ騎士達の先頭には後に黄金の獅子とも称された、勇ましき美丈夫がいた。
その騎士は、戦火より眩い金の髪と国賊を鋭く射抜く眼光を備えて戦場を駆けた。
泥沼の戦いに寡兵で切り込み、瞬く間に首魁の首級を上げ、彼の進撃は始まった。
涙を流す民達を庇い、押し寄せる大軍を真っ向から跳ね除け、苛烈な火神の如き勢いで国を平らげていったという。
そして、彼が立ち上がってから一年とかからず、国には平和が訪れた。
その彼こそが今も続くベルセルグ王国の初代王となる。
初代ベルセルグ王を中心として再構築された武人たちの国は、建国から間もなく、騎士の国として勇名を馳せることになる。
内乱で国内が疲弊していた建国当初のベルセルグ王国にちょっかいをかけてきた国々は多かった。
とりわけ、旧王国の有力派を裏から支援していた国からすれば、新王は忌々しい怨敵である。
国の乗っ取り、あるいは恫喝外交、様々な意図を裏に含んで繰り出された軍隊に、ベルセルグ王国は正面から立ち向かった。
ベルゼルグ流の薫陶を受けた騎士団はその勇猛さ、千変万化の対応力で数に勝るはずの他国軍の悉くを打ち破り、やがてすべての侵略戦争を退け切ったと言われている。
その栄光ある騎士団の中でも特に、ベルセルグ魔導騎士隊と呼ばれる、すべての兵士が魔道具で武装した精鋭部隊は常勝の怪物兵団であった。
世界初の魔法術式を多く開発し、個人研究が当たり前だった魔法研究を組織で行うノウハウの多くを築き上げたという功績のある騎士隊だ。
彼らはまさに自国にとっての英雄、敵国にとっての悪魔。
戦士の国たるベルセルグ王国の象徴ともいわれる騎士隊である。
そのような戦乱と英傑らの歴史と共に産声を上げたベルセルグ王国ではあったが、時は経ち、今年で建国から200年を迎える。
王国を支えるかつての武人たちを祖とする新貴族の者達も、時を経てかつて剣を振っていた手で筆を持ち、かつて馬を駆ぅた足で社交界のダンスを嗜むのが当たり前になっていた。
かつては清貧を唱えなければ立ち行かなかった財政も、世界有数の魔法研究国家として多くのアイディアを他国に売り出すことで多くの富を得て改善した。
華やかなドレスを新たな鎧に、身に着けた教養と資産を剣にして戦える者達が増えたのである。
武から生まれ、華やかなる文化を発展させた国。
それが現代の武人達の国、ベルセルグ王国である。
そして、現代のベルセルグ王国のそのような発展を形にしたかのような壮麗な庭園があった。
王国有数の大貴族であるゴルドランス家。
その当主が所有する、見事な庭園である。
その庭園には、王国五本の指に入る庭師らが議論を重ね、魂を込めて作り上げた12の花園が存在した。
空に浮かぶ虹を地上に、という心意気で作られた花園は、赤から紫へと続く彩の帯で構成される。
12の花園の位置取り、差し込む陽の明度、庭園を飛ぶことを許された小鳥の種類まで全てが計算・管理され、園は一つの芸術品として成立していた。
そしてその花園の一角、清廉を表す白と貴さを示す紫の花が咲き乱れる場所に、賑やかな声が響く。
「そんな訳で。第20回悪役令嬢会議を始めたいと思いまーす。えっと、最初のころ以外大体1月に1度のペースでやってきたよね? もうそろそろ一周年?」
「正確には361日ね。一年365日はこっちも変わらないから、たしかにもうそろそろ一周年。ま、そこそこ付き合いが長くなってきたといえるんじゃないかしら。あ、聞いていると思うけれど今回の会議はまた真昼さんが欠席よ。王都に呼ばれたり、最近忙しいみたい」
賑やかではなく、姦しいといった方が適切であったかもしれない。
少なくとも、庭の優美さ、時の止まったような優雅さにはそぐわない声だ。
「そだねー。つまりわたしと朝子ちゃんの夜朝コンビ結成から一周年。とてもめでたい。あ、言い忘れてたけど、今日はご招待ありがとうね、朝子ちゃん」
「構わないわ。ただ、いい加減朝子って呼ぶのはやめて頂戴」
「えー、じゃあエイナ様? ゴルドランス家のご令嬢様? 普段通りにしたらわたし、敬語しか口にできなくなるんだけど。というか、既にこうして同じ目線で向かい合っていること自体だいぶ不敬って言われちゃわないかな?」
花園のただ中に置かれた鏡のように磨かれた大理石の敷石。そしてその上に設えられた四人掛けの小さな机。
そこでは今日、ゴルドランス公爵家が次女、エイナ=ゴルドランスと、そのごく最近できた友人として招かれた少女が談笑していた。
巨大な鞄を背負って朝早くに公爵家の門を叩いたその少女は、エイナ=ゴルドランスの翌月からの学友、ヨルコ=ルロワである。
この場の主人たるエイナ=ゴルドランスは、国内最上位に美しい庭園の主にふさわしい、見事な姿で彼女を歓待した。
嘗めされた絹の麗しさを目指して漉かれるという彼女の金髪は、今日も朝の陽ざしを照り返して見事に輝いている。
知性を感じる青い瞳に、彫りの深い鼻筋、小さいながら艶やかな紅色を保つ唇。
洋風の庭園とは一見ミスマッチな緑を基調とした東洋の着物も、エイナが着こなすことで庭園を彩る上品な色合いを添えていた。
エイナが醸す麗しさは、容姿や衣装以外からも伺える。
湯気の立つカップを机に置く動作。友人であるヨルコに対し、如才のない笑顔で応対を返すその所作の一つ一つ。
14年の倍の年月をかけて磨かれた、貴き者のかくあるべき振舞いは見事の一言である。
――ああ、今日も大変お美しゅうございます。エイナ様。
そしてその優美さを誇らしげに眺める眼差しもまた、この場にあった。
エイナの後方に控える公爵家のメイドのものだ。
彼女の知らない言語で流暢に紡がれる主の言葉。聞きながら、その言葉が神を祀り四季を愛でるがごとき詩的なものであろうとメイドは確信していた。
「日本語だから大丈夫でしょう。今も使用人には聞かれているけど、どうとでも言い逃れができるわ。砕けた言葉の方が私も楽よ。それより今日の議題だけど」
「あ、この紅茶美味しい。クッキーってもう手を付けて大丈夫なの?」
「ああ、はいはい。いつも通りマイペースな貴女で安心するわ。まあ、食べ飲みしながら聞きなさい。先々月の例の滅んだ国の件についてあなたに聞き直しておきたいこともあるのだけれど、その前にやっておきたいことがあるの」
「ひゃっへほひはいほほ?」
「ああ、もう。貴女も来月からあのベルセルグ王立魔導学校に通うんだから、最低限のマナーくらいは覚えなさい。食べられるときに食べなきゃいけないって生活でもなくなったんだから猶更」
もっとも、そのエイナはというと、ゴルドランス家という文字通り自身のホームにありながら、アウェイを気にせずマイペースを貫く相手に苦戦を強いられていた。
ここがヨルコと二人きりの場であれば、頭の一つでもひっぱたきながら講釈を垂れたいところであるが、今はそれができない。
――使用人が見てるんだもの
隣で笑顔を浮かべるメイドは朝子に仕える使用人ではあるが、同時に本来の主であるエイナの父への報告の権限を持っている。
友人を堂々と招待する理由ができたからと、早々に家に招待したのは早計だったかもしれない――朝子は、友人を見つめる笑顔の仮面の下でひくひくと空想の口元を引きつらせていた。
「……まあ、良いわ。それよりも今日の会議よ。お願いしていた第一回の議事録、持ってきているわよね? 今日はそのあたりを見直そうと思ったの」
「持ってきてるよー。ああ、一周年だから初心に戻るとか、そんな感じ?」
「それもあるけど、一度整理しないと、何か私たちが勘違いしていることや認識の相違があった時怖いでしょう? 特に私と真昼さんは、この世界に関する知識を貴女に頼りっぱなしになっていたわけで。ついこの前のプロティアラ王国陥落の時期みたく、貴女の勘違いやうろ覚えが元でどうにかなってしまうのは避けたいの」
「来月から始まるメインシナリオ部分は大丈夫だと思うけどねー。分かった、大丈夫。今広げるね」
「ああ、それにしても貴女も、最初会ったときからは信じられないほどふてぶてしくなったというか自由になったというか……いえ、話しやすくなったのは良い事なんでしょうけど」
朝子は目の前の友人の顔をじっと伺う。
赤毛の短髪を肩に流すヨルコの、あか抜けない、どこかぽやんとした印象の目鼻立ちに、そばかすだらけの肌。
悪く言えば野暮ったい、良く言えば素朴な印象を受けるその顔。
「これでもなくて、こっちでもなくて――」
小首をかしげながら机脇に置かれた巨大な鞄の中身を漁るその横顔は良くも悪くも何も考えていなさそうな、実に素直でとっつきやすい純朴な少女のそれだった。
一年前の初対面時にはまるで想像もしなかった姿ではあるのだが、今となっては話していて落ち着く友人のいつもの姿でもある。
「あったー! じゃあ、第一回から。えーと、これはわたし達三人が出会ってから一月後に書いた奴だよね。王子様の暗殺? 誘拐? 事件に巻き込まれて、城の宝物庫に人質扱いで閉じ込められた私たちが前世の日本の記憶を思い出して、それからなんやかんやあって情報交換しようよーって集まった時の」
「そうね。何か知ってる風だったのに全然情報提供をしようとしなかった誰かさんの口を割らせようと、真昼さんと私とのタッグで大捕り物をやったときの尋問記録ね」
51%の皮肉と、49%の善意を混ぜた表情で朝子は微笑んだ。
朝子が前世から得意とする威圧的な表情を見て、ヨルコはすっと目をそらした。
「あー、うん、そんな感じだったよね。真昼ちゃん凄かったなあ……。大魔王からは逃げられないって言葉を思い出しちゃった。真昼ちゃん、魔法とか要らないくらい人間離れしてない?」
「魔法のある世界でそれを言う? まあでも、夜子さん。たぶんあなたはまだ真昼さんの凄さの半分も知らないと思うわ」
「あ、出た。わたしの知らない二人の前世での交友? それとも直接の面識はあまりないから噂話? 真昼ちゃん、なんだかんだ中々会えないからあまり良く知り合えてないんだよね。正直今の真昼ちゃんの貴族令嬢としての本名もぱっとは出てこないくらい」
「それは早く何とかしておきなさい。んん、ヨルコさんには言ってもいいかしら。真昼さんには言わないで欲しいのだけれど、私、彼女の凄さにあこがれていた時期もあったのよ。日本の社交界……というと時代錯誤だけれど、まあ、彼女とその家はそういった場でも有名だったから」
ほんの少しのため息と共に告げられたエイナの言葉に、ヨルコは頭上に?の文字を浮かべるのみ。
首をかしげるヨルコに、エイナは詳しい説明の代わりに微笑を返した。
話の対象となっている少女を欠いたまま、今日ここで説明する必要はないだろうからだ。
エイナにとって竜ヶ峰真昼という存在は大きいものだった。
14と1年の間、エイナとその前世、鳳凰院朝子という少女は彼女を意識して育ってきたといっても過言ではない。
そして今、そんな存在の生まれ変わりが何の因果か、自分とまったく同じような経緯で、自分と同じ世界の近しい場所に生まれていた。
そのことは未だ、公爵令嬢エイナ=ゴルドランスとしてもその内なる鳳凰院朝子としても消化しきれていないのである。
具体的な話ができずとも、思いの丈を言葉にすればきっと今日一日では語り切れないくらい弁を振るうこともできるだろうが、特に生産性のない語りにしかならないのは目に見えた。
生産性のない省けるものは諦めて省くのが朝子の信条である。話が脱線する前に本来の道筋に会話を戻そうと試みる。
「ま、夜子にもそのうち分かるわ。……それより話を戻しましょう。第一回の会議で話し合った内容についてだけど――」
と、唐突に庭園の入り口から先触れの鐘の音が聞こえ、朝子は言葉を切ってそちらを仰ぎ見た。
『エイナ様、お客様。ご歓談中失礼いたします。エイナお嬢様、玄関にアルト王子がいらっしゃいました。進級祝いの挨拶を改めてお伝えに来られたとのこと。それと恐らく、お嬢様が隣国に行かれていたのではないかという噂を気にされているのではないかと』
庭園の入り口には朝子が良く見知った顔が恭しく頭を下げていた。ゴルドランス家がメイド筆頭、老齢のメイド長である。
『……分かりましたわ、今すぐ伺います』
朝子は頭の中の言語を友人と会話するための日本語から『ベルセルグ王国共用語』に切り替え、言葉を継ぐ。
「心配していただけるなんて、婚約者として嬉しい限りですわ。アルトさまに今すぐ伺うとお伝えなさい。それとベル、私の装束はこのままで問題ないと思いますが、部屋でお迎えするための羽織を用意して。それとこちらのヨルコ様のおもてなしを続けて頂戴。お帰り頂く際は何かお土産を持たせた上でお送りするように」
次いでエイナは、とても驚いた表情をしているヨルコに向けて小さく頭を下げた。
「そしてヨルコ様、大変申し訳ございません。あらかじめ約束しておりました貴女との歓談の場を私の都合で潰してしまうことに心より謝罪申し上げます。今後何か埋め合わせは致します『それはそれとして、第一回の見直しはすぐにやらせなさい?』」
「え、あ、い、いえ、まったく問題ございませんでしてよ。おほほ。王子様とどうぞ大変お仲良く、でございまするわ」
短く告げた日本語がエイナがヨルコにもっとも伝えたかった言葉だった。
しかし、表の”エイナ=ゴルドランス”の言葉にも裏の”鳳凰院朝子”の言葉にも、ヨルコが十分な返答を返せるだけの時間さえ与えず、朝子は席を立っていた。
その背中は既に門を抜け、朝子はメイド長と言葉を交わしながら完全に入り口の方へ足と気持ちを向けている。
エイナにとってこの切り替えの早さは武器であると同時に、自他ともに認める弱点の一つだった。
今回も、ヨルコに対しもう少しばかり時間を割いて様子を見ていれば、彼女にとって必要な情報を仕入れるのをもう少し早めることができたかもしれない。
「お客様。お茶をお入れします。どうぞ、お好きにお寛ぎください。よろしければこの庭の花についてご紹介などいかがでしょうか? 本庭園に咲く花を摘むことはいたしかねますが、お望みでしたら同じ種類の花束などご用意いたします」
「あの、いえ、その……大丈夫でございましゅる!」
「分かりました。私はこちらに控えておりますので、何かございましたら好きにお申し付けくださいませ」
ゴルドランス家のメイドの気遣いを受け、残されたヨルコは大混乱の真っ最中だった。
それは、エイナがいきなり席を立ったから――ではない。
そんなことがどうでも良くなるくらい、ヨルコにとって決してありえないはずの出来事が目の前で起きたことに起因する。
「あ、えと、大変失礼申し上げさせていただき恐縮つかまつるのですが、しばらく、この場をわたし一人にさせてくださ……くださりませんこと?」
「かしこまりました半刻しましたら戻って参ります。庭園の入り口脇に控えておりますので、好きにお申し付けください」
流石公爵家のメイドというべきか、ひどく胡乱な姿を見せるヨルコの要望に少なくとも表面上は眉一つしかめることなく鷹揚に受け入れ、綺麗な一礼をして去っていった。
その姿が花の壁の向こうに見えなくなると、ヨルコは机の上に突っ伏して頭を抱えた。
「アルト王子? 婚約者? どどどど、どうしよう……。ああ、どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう! 朝子ちゃんそれはだめな"フラグ"なんだって―――――――――――!」