第十二話:ヨルコと魔導学園の放課後
「え。じゃあ、ヴィル君とヨルコちゃんって本当の姉弟じゃないんやな。なんで姉弟っぽくしとったんや?」
「んー、でも同じ屋根の下で育ったし、感覚としては本当に姉弟だよ? 苗字同じにしたのはヴィルにその方が色々手続きとかやりやすいからって言われて」
「おい、そこの女子ども」
ヨルコが朝子の悪役令嬢レポートにショックを受けたその翌日。
魔導学園の授業は当たり前のようにやってきた。
ヨルコは眠気の残る目をこすりつつも、ヴィルに肩をゆすられ起こされたり間違ったノートを注意されたりのフォローを受けながらなんとか座学を乗り切った。
先日に引き続き行われた魔法の実践の授業でも、ヴィルとゼオンの教育の成果か、他の人にも見える”基本魔法”の発現を成功させることに成功し、放課後は同級生の女の子二人と語らう平和な放課後をなんとか得ることができたのである。
「まあまあ、同じ屋根いうてもあれやない? 私たち二人も同じなんやけど、出身領の”大屋根”の下で過ごしてたんとちゃう?」
「そうそう、土魔法の建築士さん達が頑張って作った”大屋根”。でもたぶんみんなと違うところもあってね。わたしの出身領って昔大水の災害があって、その時に色々助け合って復旧するために家と家の間の敷居は設けないようになったんだー。まあ、ヴィルとはそうやって暮らすようになる前から仲が良かったんだけど」
「おい、そこの女子ども」
今日はいつも一緒にいるヴィルが所用で早く帰ってしまい、珍しく一人になっていたヨルコに、彼女たち同級生が声をかけた形だ。
いつも大きな鞄を背負って通学してくる目立つ姿だったり、入学試験1位のヴィルや2位のゼオンと話す姿だったりを見て、前々から興味を持っていたらしい。
ヨルコやヴィル、ゼオンらは学校の教室で、貴族の子女たちの文字通りよそ者を見る棘だらけ視線を受けながら堂々と交流を深めていたが、それは特異な例である。
他の平民出身の新入生たちの内、特に後ろ盾に自信がない者達の大半は授業が終わればそそくさと教室を出て寮に戻り、同じ領の出身者やたまの休みで街に出たときに会える者達と人間関係を深めていた。
逆にいえばそれ故に同級生との会話には飢えている者が大半で、明日のとあるイベントに備えて貴族の生徒たちが少なくなっていたこの機会にヨルコを見つけたふたりは思い切って声をかけたそうだ。
久々の前世とは関係ない同年代女子との会話の機会にヨルコは笑顔で応じ、すぐさま勉強会ということで教師に話を通して放課後の学園の教室を貸し切っての女子会に臨むことにした。
「昔の大きな災害やて? あかん、ヨルコ。そういう情報は出身領がばれてまう」
「ええやんええやん。いうて、うちらが聞いたところでそないに遠く離れた領の昔の情報とか触れられへんよ。ただの平民やもん。てか、うちらかて訛りひどいやん。聞く人が聞けば分かってまうんやない?」
「調べるなら図書館あるよ、この学園」
「「図書館?」」
「あ、そっか知らないんだ。えっとね、図書館っていうのは――」
「おい! 聞こえているだろう! そこの女子ども!」
「なあに、ゼオン君? 寂しいならお話に混ざろうよ」
さて、女子会とは言ったものの、その教室の中には先ほどから雑談に花を咲かせていた三人の女子の他にもう一人、この場にそぐわぬ男がいた。
ヨルコに声を掛けられてやってきて、今は三人のすぐそばで一人教本に目を向けつつちらちら女子たちの様子を伺っていた、白に近い薄い金髪の持ち主、ゼオンである。
厳めしいながらも整った顔立ちだが、今は苛立ちのためか眉根が歪み、いっそうの険しさを感じさせる。
「混ざらん! というより、ヨルコ=ルロワ! この集まりは勉強会ではなかったのか! 専属教師の真似事以外でヴィルでなく俺にしか頼れんことだと言われたから来てみれば! やることは教室の入り口の見張りだと!? 俺の魔導の修練の時間を何だと思っている!」
ヨルコから勉強会だと言われ、しかもかなり殺し文句に近い言葉での誘いを受けてやってきたゼオン。
しかし、目の前の状況からどうやら勉強会というのは方便で、ただ女子たちが勉強と関係ない放課後トークを楽しみたかっただけらしいということに気づいてかなりいらいらしていた。
「ごめんねー。でも、代わりに今ゼオン君がまひ……アヴィ先輩に言われて探してる、ゴルドランス公爵派閥のとっつきやすいご令息ご令嬢について相談に乗るから」
「……っ!? 時々本当に驚くほど的確な対価を提示するな、お前は」
ゼオンが今一番苦労していそうな課題を昨日、その課題をあたえた人物本人から聞いているのだ。
ヨルコの対価が的確なのも当たり前の話である。
「へええええ。ゼオン=ルーダーはん、入学式のアレな印象が強すぎて近寄りがたかったんやけど、あれやね、結構おもろいひとやね?」
「せやな、これならもうちょいはよ声かけとくべきだったわ」
「今からでも遅くないよ?」
「そうみたいやねえ」
「よし、いじったるで、ゼオン。覚悟しい」
「ああ、くそ! 三人寄ると本当に鬱陶しいな女というやつは! だから勉学以外で話がしたくないんだ!」
「偏見じゃない?」「偏見やねえ」「偏見や」
「どこが偏見なものかっ!」
ゼオンは何故だか最近自分の立場が不当にとても低く見られているように思われ、甚だしく不愉快だった。
自然、口以外の動きも荒くなり、先ほどから続けていた手元の木板に教本の回答を書きなぐる動作も乱雑なものになる。
「ええい。まあいい。お前らはせいぜいそうやって、小鳥のように騒がしくしていることだ。せっかくの魔導学園という絶好の学びの場を無駄にすることをなんとも思わんというならな」
「ん~? ゼオンはん、ゼオンはん。そこ間違っとるよ。そこの魔法陣、一見簡単そうな見た目やけどひっかけやで。補助術式を三つ組み合わせんと最大効率にならへんね」
「何? ……ふん、お前、なかなかやるな。集中できていなかったとはいえ、俺がすぐに気付けなかったものを。くく、これはリサーチ不足だったようだ。どうだ? この後町でとある交流会に参加予定なんだが一緒に来ないか?」
「おー、ゼオン君ナンパ? ナンパなの?」
「んー、ゼオンはん、見た目はわるないけど、うちの趣味とちゃうなあ」
「てかこの子、娶られる約束してる相手いるで? そうやな、タイプとしてはヴィル君みたいな感じや」
「おー、ゼオン君振られたね」
「……」
ゼオンは何か言い返したい気持ちでいっぱいだったが、いい加減ここで声を荒げるのが悪手であることには気づいている。
首を振り、黙って席を立ちあがった。
「ゼオン君、どこ行くの? 帰る?」
「一度引き受けた以上、まだ帰らん。少し外の空気に当たってくるだけだ」
教室の扉に向かうゼオンは、とにかく頭を冷やしたかった。
ヨルコ=ルロワという、とにかく自分の調子を崩してくる相手との会話で乱れた頭をリセットしたい。
そのために、いっそここに誰か別の話し相手が降臨しないかと神に願うほどに。
その願いが通じたのかどうかは定かではないが、ゼオンの目の前で教室の扉が開き、一人の男が教室へ侵入しようと姿を現した。
「うおっ!? き、貴様、例の平民のゼオン=ルーダーか。なぜここに……いや、邪魔だ! 退け!」
男は扉を開けてすぐ、自分より背の高いゼオンがいたことに驚いたようで、左手を振ってゼオンへの退去を命じてきた。
その男が一年生の男爵令息だということに気づき、ゼオンはすぐさま感情を切り替え、恭しく腰を折った。
その際、すぐその場で膝をつき、男をこれ以上教室に入れないようにすることも忘れない。
「おお、これは失礼しました。どういったご用件でしたでしょうか? 忘れ物でしたらわたくしが代わりに探しに伺いますが」
「ふん! そのような用件ではない! そこの女どもが栄えある魔導学園の教室を我が物顔で占拠していると聞き、注意しに来ただけだ!」
がなり散らす男爵令息の言葉を聞き、ゼオンは自分の対応が間違っていなかったことを知る。
どうやらこの令息は後ろの少女たちにいちゃもんをつけに来たようだ。
青い顔で席を立ち、平伏の姿勢で膝をついた二人の少女と、ワンテンポ遅れて同じ姿勢になったヨルコを横目で見つつ、ゼオンは男の目を低い姿勢からまっすぐ見据えて答えた。
「お言葉ですが、この教室の正式な使用許可が教師のミスタ・レイモンドから出ております。決して不当なものではないかと」
「教師が何だ! ただの一代限りの名誉男爵ではないか! 栄えある王国の正当な男爵家の長男である私に向けて命令など!」
その自称偉大なる次期男爵のご令息の発言に、ゼオンは心中で笑みを深めた。
――なるほど、自分が唯一知っている爵位の高低以外に測りを持たない、程度の低い相手か。ああ、実に与しやすい。
ゼオンにとってこの学園の教師への評価はとても高い。
ベルセルグ王国の中央も中央、最も格式の高い学園たる魔導学園に、実力でのみ獲得できる「名誉男爵」の位を得て教職についている担任とあれば、当たり前の話だ。
最上級貴族たる公爵はおろか、王族にすら教鞭をとることが許されるほどの人間が持つ社会的信用。
さらにその立場で培った太い人間関係という資産を鑑みればなおのこと。
目の前の、ただ国内に領を持つこと以外に力を持たなかったはずの下級貴族の令息など問題にならない。
もっとも、ゼオンはそうした感想はおくびにも出さず、顔面にはさも偉大なる王国貴族を前に意見しなければならぬことへの沈痛さそのものの表情を浮かべているのだが。
「ああ、その通りです、ご子息様。私のような者が貴方様に意見するのも本来であれば身を弁えぬ行い。ですが、入学式でエイナ=
ゴルドランス公爵令嬢様がおっしゃったことは王国民として無視することはできませぬ。エイナ様は今回の我々平民上がりの入学を受け、学園の規律の維持のため、我々の処遇を教師の決定を中心に管理をするよう特に言葉を重ねておられました。よって、教師からの求めはエイナ様の求めともいえましょう」
「貴様、まるでエイナ様が貴様らの味方であるかのような物言いだな? はははは、エイナ様が貴様らのような下賤なものらの肩など持つものか! あれはな、公爵家ご令嬢という立場から、王がお決めになった方針に沿う姿勢を見せねばならぬが故のもの。我々正当な貴族の人間たちを縛らねばならぬことにエイナ様は心苦しさを覚えているとおっしゃったのだぞ!」
得意げに笑う男爵令息に、ゼオンはそろそろこのどうでもいい相手の言う言葉を聞き流すのは面倒になってきたなと思い始めた。
ゼオンは現在の自分の飼い主である真昼経由でそうした朝子の発言は既に知っていたし、それらの発言は貴族令息令嬢が大半を占める新入生を掌握する目的で行ったパフォーマンスの要素が多いのだろうと察していた。
令息の発言を遠くから聞くヨルコは、「あー、やっぱり朝子ちゃん悪役令嬢の親玉になってるよー、やっぱり今度直接会いに行きたいな。というかあれ? この子の今の発言って王族批判発言にはならないのかな? 議会の決定を王が追認した形だから問題ないんだっけ? 今度朝子ちゃんか真昼ちゃんに聞いてみよう」と別のことが気になりだした。
「その証拠にどうだ? 貴様らは明日の学園社交界に参加を許されていないというではないか! エイナ様は、貴様らが王子様と同じ新入生という立場で参加してしまっては恥さらしになると仰せだ! マナーも身についておらず、碌な衣装も用意できぬ貴様らがいては、伝統ある我が校の社交界に泥を塗るところだ。もしみすぼらしい格好で参加でもしていようものならとんだ笑いものになったことであろうよ!」
ヨルコはその言葉に、「うん、朝子ちゃん、グッジョブ! そんなの参加したくないし!」と心中で朝子の判断をほめたたえる。
ゼオンはそういえばこの男爵令息、一人で教室に来たようだがもしやまだ親しい友達ができていないのだろうか可哀そうに、と心中でまったく関係のない憐れみを覚え始めた。
「なるほどご慧眼です。確かに我々はそうしたマナー知らず故、学園のラウンジへの出入りや社交室の借り受けなども禁止されております。寛大なお心で、どうかせめて、エイナ様の生徒会もお認めになった教室の借り受けだけでもお許しくださいませんか」
とりあえず、目の前の哀れな令息に適当な追従と一緒に「寛大な心」なる逃げ道をあたえておくことにした。
「生徒会……まあ良かろう。たしかに弁えている者に時に寛大な心を見せるのも貴族の務めだ。貴様ら、注意に来た者が私であったことに感謝するんだな! ふん!」
男爵令息の男が去っていく。
公爵令嬢エイナ=ゴルドランス、第一王子アルト=ベルセルグ、他にも錚々たるメンツの揃う生徒会の決定に異を唱えていることに今まで気づかなかったのかと、ゼオンは男が閉めずに去った扉を閉じながら、心中で呆れ果てた。
「ゼオン君ありがとー。やっぱり男の人がいてくれた方がいいね」
軽い感じでゼオンを労いながら立ち上がったヨルコの脇で。
先ほどから緊張に震えていた二人の少女が体勢を崩し、床に手をついた。
「……貴族のご令息様とまともに論戦しようとするゼオンはんも大概やけど、ヨルコはんも結構図太いなあ。うち、心臓が魔力爆発するかと思うたわ」
「いや、本当。二人とも肝座りすぎやで。機嫌損ねたらアカンとか思わなかったん?」
「ふん。いつまでお前たちは自分が無力だと思っているんだ? この教室で学べること、その環境を自分の手で勝ち取ったこと、その意味を考えてみろ」
こともなげに言いながら席に着き、早くも再度教本に取り掛かり始めたゼオン。
その様を見て、二人の幼馴染の少女たちはお互い顔を見合わせた。
「そういえば、ヨルコ=ルロワ。今の男はたしかランポッサ=ランポート嬢の取り巻きと交友がなかったか?」
「ん―? 交友の方は分からないけど、出身は近いし、趣味の狐狩りつながりで話が弾んで仲良くなったってことはあるかも」
「相変わらず良くわからん偏った情報を持っているなお前は。ちっ、ならばやはりお前ら兄妹の客か。兄の方が外で女と遊んでいる隙にと送り込まれたんだろう。まったく、良い迷惑だ」
「え、待って待って! ヴィルが!? 女!? どういうこと!?」
「ほう? その反応ということは、ヴィルはやはりお前に隠していたか。くくっ、ならば本当に奴の良い相手の可能性もありそうだな」
二人が学園に来るまでは知り合えなかった人たち。
学園に来たことで触れることができた新しい価値観。
思わぬ情報に慌て、ゼオンに詰め寄るヨルコと、久々にそのヨルコにマウントを取れたことで楽しそうな表情を浮かべるゼオン。
「なんか、これから面白い生活になっていきそやな?」
「そうやねえ。うちらももっと楽しんでいこか」
長い付き合いの友人同士で笑顔を交わし、そのまま二人は新しい友人二人との会話の輪に加わった。