31話 二人
断続的な爆発音が響いている。
激戦を思わせる音だが、逆に言えばそれが聞こえている限りニナはやられていない。サラカと共に音の方向に走っていくと──見つけた。
原型をとどめないほどに破壊された広間の中、未だに大暴れする悪魔の前。
全身に傷を刻みながらも、しっかりと悪魔の前に立って攻撃を捌き続けているニナの姿が。
……凄まじい。あの悪魔の攻撃を今までずっと耐えてきたのか。ニナはその特性上長期戦には向かないのではと危惧していたが、要らぬ心配だったようだ。
とは言え、さしもの彼女も限界は近い。それを悟った悪魔が醜悪に口を歪めると、広範囲の魔法を放ってくる。回避すらさせない気だ。疲労が積み重なっている彼女にそれを避ける術はない。
「──翠性遮断結界」
だが、それは俺がさせない。ニナと悪魔の間に結界を展開。それは驚くべきことに今までとは桁違いの強度でもって完璧に悪魔の魔法を防ぎ切った。
その現象に驚く悪魔の隙を突いて、身体強化のルーンを刻んだサラカが横合いからニナを掻っ攫い、ここに戻ってくる。
「貸し一つ、です」
「……なら最初に私が助けに来たことと引き換えね」
まだ微妙に険悪っぽいやり取りをする少女二人。だがお互いやるべきことは理解しているようで、ここからの戦いに支障はないだろう。
それを確認して、俺はニナに問いかける。
「お疲れ様です、ニナ。……まだいけますか?」
「そっちもよくやったわ、エルク。余力はあるけど息を整えたいところね」
「分かりました。ではそれまでは──俺とサラカにお任せを」
そう言って、向かってくる悪魔を見据える。
……うん、大丈夫だ。
視える。
今までは全く色を視認できなかったあの悪魔も、今ならばきちんと視えている。
いや、それだけではない。今までに無いほど詳細に色の変化も観察できる。恐らくは魔眼の解放に伴い、この右眼の性能が一段階上の次元に上昇したのだ。
流石にあの悪魔相手に魔眼は弾かれるだろう。だが──問題ない。
「ギギギギgエルクギガgギkgggggg!」
悪魔が金切り声の間に俺の名を叫び、魔法を放ってくる。そこから放たれる魔力はやはり圧倒的。
だが、今ならば分かる。
「見掛け倒しですね、アキオス」
確かに魔力はすさまじい。だがそれを扱う魔法の技術は、今までのアキオスと何ら変わるものではない。
いや、むしろ急増した魔力を制御しきれていない分今の方が扱いはお粗末だ。
だからこそ、と俺は指を鳴らす。
疑似魔法消去術式。
武闘祭の再現だ。魔法の術式に綻びがあれば、この右眼はそれを逃さない。己の術式を差し込んで誤作動を起こす。弾けるような音と共に魔法が消失。
「ggg──!!!」
悪魔が怒りの咆哮を上げて再度魔法を用意。しかしそれも起動させない。
流石に三回目は学習したか、出の早い魔法を次々と放ってきた。
あの悪魔にも知能はあるらしい。正しい対処法だ。単純で速い魔法なら消去されない。その分性能は落ちるが、莫大な魔力でそこは強引に補える。魔力の綱引きに持ち込まれた場合勝ち目はない。詰みの一手となり得るだろう。
──今までの俺に対しては、という条件付きだが。
俺は迷うことなく遮断結界を起動。結界と攻撃魔法の威力比べ、綱引きに持ち込んだ。
俺の右眼は魔法の制御力を上げるのであって出力は上がらない。本来ならそのような結界は圧倒的な魔法で食い破られるはずがしかし、完璧に防ぎきる。
悪魔の放った火球は俺達の方に僅かな熱すらも通さない。
「kg!?」
悪魔が驚愕し、ムキになって次々と魔法を放つが、結界はびくともしない。明らかに出力自体が圧倒的に上昇しているのだ。
どうしてこのようなことが出来たのか。その原因は──隣に立つ少女だ。
「んっ」
「っと、サラカ、大丈夫ですか?」
「え、ええ。痛くはないです。ただその、自分の外から魔力を引きずり出されるのって少し……こそばゆいですね」
今の彼女の言葉の通り。
俺は今何故か、サラカの魔力を使えるのだ。理屈は分からない。恐らくは魔眼の起動によって俺と彼女との間に疑似的なパスが通り、ある種の契約状態となっているのだと思うが詳しいことは分からない。
だが、使えるのならば僥倖だ。魔力を引きずり出される感覚に耐えるサラカが妙に色っぽいことを除けば副作用も無さそうだ。
彼女から目を逸らし、俺は悪魔に視線を戻す。
未だに結界は不落。彼女の膨大な魔力で結界を起動し、右眼によって完璧に制御する。
こうすれば最大の弱点であった出力の不足も解消どころか最大の強みとなり得る。ただ魔力を適当に練ってぶつけるだけの悪魔の魔法になど負けはしない。
そう。今の俺と彼女ならば、どんな相手だろうと恐るるに足らずだ。
「ggggガガがああああああああああ!」
一向に結界を破壊できないことに業を煮やした悪魔が叫ぶ。その叫び声は徐々に流暢なものへと変わっていき、その表情にアキオスの面影が再度現れてきた。
「何故だ! 何故だ! 僕はお前たちのような劣等種とは違うのに! 世界に選ばれた人間のはずなのに! 何故だァ!!」
返答に迷う必要はなかった。
「それはきっと、見てる世界が違ったんでしょう」
「ッ!! その眼デ! 僕ヲ! 視ルナァアアアアアアアアア!!」
再び悪魔の声に戻ったアキオスが叫び、今までとは桁違いの魔力を集め始める。
同時に魔法を起動。なるほど、消去されない単純な魔法に限界まで魔力を注ぎ込んで放つつもりだ。確かにそれならば今の結界も破れるだろう。
意図してかは分からないが、最善手だ。
弱点は当然ながら魔力を用意している間隙だらけになることだが、現在こちらにはその隙を突いて攻撃できる人間がいない。ニナはまだ回復に時間がかかるし、サラカは現在『聖者の呪い』を付与されており、俺と同じく悪魔に攻撃が出来ないからだ。
それを悟ったか、ニナが無理やり起き上がろうとするのを俺は手で制す。大丈夫だ、と言うように。
……さあ。ここが正念場だ。
未だ悪魔から感じる魔力は高まり続けている。魔法の発動を止める術は無く、またあの魔力で放たれた魔法を防ぐ術も、今の俺にはない。
ならば作ればよいのだ。防ぐための魔法を。
「サラカ」
「はい」
何も言わずとも、彼女は俺の意図を察してくれる。
どちらからともなく手を繋ぐ。二人の感覚をより深く共有するために。
俺に『聖者の呪い』を付与された副作用だろう、彼女は不完全ながらも俺の右眼と同種の視界を得ているらしい。魔力の共有だけでなく、俺とサラカは今、同じ世界が視えている。
だからこそできる、この荒業が。
まずは俺が右手を切って血を出し、己の持ちうる最強の結界を起動する。
そこに彼女が合わせる。俺の結界を覆うように幾重にもルーンを刻んで強化。綻びが出そうなところを俺が結界で繋ぎ合わせ、余裕が出てきたところで更に彼女がルーンを重ねる。その全てを結界で覆い、魔法を上乗せする。
俺の結界術と、彼女のルーン魔術。相反する二つの術利を混ぜ合わせ、捏ね合わせ、重ね合わせ、全く新しい魔法を生成していく。
まるで子供が砂の城を作るように楽しげなその作業は、しかし共有した右眼の景色によって神の御業にまで昇華される。
想像するは神話の逸品。あらゆる邪を祓い、あらゆる魔を防ぐ、鍛冶神が造り上げた至高の神盾。
完成を確信し、俺と彼女は同時にその銘を告げる。
『──擬製:神盾結界!』
言葉に従い展開される、十重二十重の防壁。幾百の機能を内包し、幾千の魔力路が通るそれは、最早一つの極小世界と言っても良い。
一瞬遅れて、悪魔がその全霊を傾けた魔法を放つ。空気が歪むほどの熱量を持った炎の壁。通る傍から迷宮が焼け爛れ崩れながら、襲い掛かって結界に激突。結界の表層を豪炎が荒れ狂い、舐め溶かさんと貪欲にその魔の手を伸ばして、溶かして、燃やして──
──されど、神盾を灼くこと終ぞ能わず。
迷宮の半分をその熱で崩壊させた悪魔の魔法はしかし、神盾の内に居る三人の元には一欠片の炎さえも届かせられなかったのだ。
「何故ダアアアアアアアアアアアア!!」
その結果に悪魔が狂乱の様子で吠える。
「僕ノ力ガ何故届カナイ! 僕ノ復讐ガ何故達セラレナイ! 何故抗ウ! 何故逆ラウ! コノ劣等種ドモガ! 卑シイ民ドモガアアアアアア!!」
……ここまでくるといっそ哀れだった。
全霊の魔法を防がれたにも関わらず、尚も往生際が悪く悪魔は次の手を放とうとする。
その執念だけは共感するが──もう俺達に出来ることは無い。
既に、勝負はついているのだから。
「マダダ! 僕ノ魔力ハ無尽! 無限! コノママ貴様ラガ力尽キルマデ焼キ続ケテヤル! マダ! マダ──」
「──いいえ、ここで終わりよ」
悪魔の背後から聞こえた、その声と同時に。
「続きは地獄でやってなさい」
キン、と悪魔の首を紫光が一閃。
そのまま何の抵抗も無く胴と頭が離れ、首がゆっくりと迷宮の床に落ちていく。
渾身の魔法を放った直後、疲弊した状態で尚俺とサラカだけに意識を向け。
自分に止めを刺しうる最も危険な相手、回復したニナを完全に放置した。
その時点で、既に勝負はついていたのだった。
「……ああ……何故……」
ぼろぼろと頭から黒い靄が剥がれ落ち、露出したアキオスの顔。それが最後に呟いたのは、やはり疑問の言葉。
結局最期まで彼は、己の間違いに気付くことが出来なかったのだ。
地面に転がったアキオスの首は、ほどなくして胴体と同時に消滅した。
「……」
それを見ると、何とも言えない感情が湧いてくる。
迷宮の化物と化していたとは言え、一応は仲間だったアキオスを、直接ではないにせよ俺は手にかけたのだ。
その事実、そもそもこの現象は何だったのか、迷宮とはいったい何なのか。
考えることは多くある。しかし今はまず──
「終わり、ですね」
「ええ。……つかれ、ました……」
この子と、生き残ることが出来たことを喜ぼう。
気が緩んだか、ふらりと横に傾きかける彼女の体を慌てて支える。思ったより彼女の体に力が入っておらず、ほぼ抱き合うような状態で支える格好になった。
普段の彼女ならその時点で謝るか離れるかしそうなところだが、しかし。
「……」
むしろ顔を赤くしながらも、こちら体重を預け胸に顔を埋めてきた。
「え、あの、サラカ?」
「…………」
返答はせず、その代わりに離れないでと言わんばかりにこちらの服をぎゅっと握ってくる。何ですその可愛い仕草。
どうしたものかと思って動けずにいたが、
「……戦いが終わった途端よくやるものね」
横合いからの呆れた声に別の意味で体が固まった。
「あ、に、ニナ、お疲れ様です」
「……何ですニナさん。何か文句でもあるのですか」
とりあえず挨拶をした俺だったが、言葉を続ける前に胸の中のサラカが顔をニナに向けて半眼でそう言った。
「これは死闘を乗り越えたことを喜び合っているだけです。何もおかしなところはありませんので」
「自分の顔を鏡で見てから言ってくれるかしら」
サラカの謎の言い訳にばっさりとニナは返すと、俺達の状態をもう一度見て、
「何がどうしてそうなったのかは激しく疑問だけど……まあ今はいいわ」
サラカの『天使の呪い』を知っていて、俺の魔眼をまだ知らない故に生じた疑問を呑み込んで嘆息する。
「流石に私も疲れたし、詳しい件は後日にしましょ。とりあえずギルドに一報だけ私が入れておくから、明日の正午辺りにギルドで合流して、今回の件の詳細報告も兼ねて色々と話をする方向で。エルク、それでいい?」
「そう……ですね。それでお願いします」
ニナも死闘を乗り越えたばかりだと言うのに既にいつものペースに戻っており、そう言う彼女もよくやるものだなと思う。
「ならまた明日──時刻的にもう今日かしら? ともかく、それまで体を休めておきなさい。それじゃ、お疲れ様。
……ああ、早くここを離れた方がいいわよ? この迷宮崩れかかってるし」
最後にそう言うと、ニナはさっさと出口に向かって歩いて行ってしまう。ある種安心するこの人らしさだ。
……ニナがいなければ、間違いなくこの結果に辿り着くことは出来なかった。明日また改めて感謝を述べるとしよう。
とりあえず今はニナの忠告に従って、この場を離れることにする。未だ俺にしがみついたままのサラカの背を叩いて、彼女と向き合う。
……そして本当に、またこの子と会うことが出来て良かったと思う。
どちらからともなく笑い合って、
「じゃあ、帰りましょうか」
「ええ」
どちらからともなく、手を繋いで。
俺とサラカはゆっくりと歩きながら、迷宮を後にしたのだった。
またも感想頂いてました。ありがとうございます!




