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30話 聖者が天使を迎える時

 幸いと言うべきか、サラカの居場所自体はすぐに突き止められた。


 この屋敷型の迷宮はさほど広くないし、構造も単純だ。片っ端から部屋を調べていけば程なくして見つけられた。


 とある小部屋の一つに、無造作に打ち棄てられて転がっている金髪の少女の姿があった。微かに体が上下しているので息はある。それを確認して一先ず胸を撫でおろした。


 サラカの周りに、あの影の魔物はいない。しばらく目を覚まさないと思っているのか、目を覚ましてもどうせ逃げられないと思っているのか……


 恐らく後者だろう。この屋敷自体に魔物の気配は無い。つまりあの膨大な影の魔物は全て、現在屋敷の周りを取り囲むために使われているということだ。


 その状況をどうするかは後回し。まずはサラカを起こすところから始めなければ。そう思って俺が一歩近づいた、その瞬間。


 サラカが突如として跳ね起き、そのまま流れるような手つきでルーンを刻み──

 ──その動きが、俺の結界によって阻害される。


「読んではいたけど……やっぱりか」


 天使の呪いによる、殺人衝動。それが彼女を強制的に動かしたのだ。


 意識が無くてもお構いなしとは恐ろしい。が、読んでいれば右眼の行動予測によって簡単には殺されない。


 ここからどうしようか、と思っているところで、虚ろだった彼女の瞳に光が戻る。今の動きによって彼女の意識が覚醒したのだ。


 目の焦点が合うと同時、俺の姿を認めた彼女が目を見開く。


「……エルク……!?」


 しかし続いて、苦しそうに顔を歪め、複雑な視線を向けてきた。


「……どうして、ここに来たんですか」


 殺人衝動に耐えているのだろう。このように俺が戻ってくることは彼女にとっても不都合なのだ。だが……


「助けに来ました」


 まず俺は、真っ直ぐにそう宣言した後。


「ですが、現状を一言で説明するのは難しい。少し離れますから、まずは話を聞いていただけますか?」


 そう問いかけ、彼女が無言でいるのを肯定と取らせてもらい、少し距離を取った上で話を開始した。



「……なるほど、状況は分かりました」


 可能な限り簡潔に説明した。俺達三人が標的にされていること、元凶を叩きにここに来たこと、けれどあの悪魔が強すぎて、俺とニナの二人ではどうしようも無いこと。


 それを理解して、サラカは頷き。


「でも、答えは変わりません。……どうして、ここに来たんですか?」


 悲しそうに、彼女はそう告げた。

 予想外の対応に、俺は少しばかりの驚愕と焦りを覚える。


「どうして、って、当然貴女に死んでほしくないからで……」

「そうですか。それはありがとうございます」


 そう言う彼女の瞳には、今まで見たことの無いほどの、深い絶望と──



「でもねエルク。……わたしはもう、生きていたくないんですよ」



 ──諦観が、宿っているように見えた。




 ◆




「生きていたくない……って」


 思わぬ言葉に思考が止まる俺に、彼女は更に唐突に告げてきた。



「エルク。わたしはね、あなたのことが好きですよ」



「え」


 今度は別の意味で衝撃を受ける俺だったが、


「マキリのことも、最初は少し怖かったですけど本当はいい人で、今は好きです。ニナさんも正直今は嫌いですけど、信念を持ってる人だっていうのは分かります。こうやって助けに来てもくれましたし、ちゃんと話せば好きになれそうです」


 続く彼女の言葉に、そういう意味ではないのだろうと分かる。


「家族のことは、勿論大好きです。お父さんとお母さんはわたしが魔法を習いたいって言った時に応援してくれました。弟妹には構いすぎて疎まれる時も多かったですけど、やめられませんでしたね。可愛かったので」


 そう穏やかに語るサラカ。彼女について何も知らない人が見れば、さぞ幸せな独白に見えることだろう。


「そんな好きな人たちと一緒に過ごすことが、わたしにとってはきっと一番の幸せなんだと思います」


 ……ああ、でも。



「──それを。この呪いは、最悪の形で全部踏みにじるんですよ」



 彼女の『天使の呪い』を知る者にとっては、それはあまりに残酷で。


「ねぇエルク。仮にこの窮地を脱して、アキオスを倒して生きて帰ることが出来たとして。……その後は、どうするんです?」


 悲しみと諦念に満ちた目で、彼女は俺に問いかける。


「わたしはもう、あなたとは一緒に居られません。どこか遠いところでやり直して、必然的にそこに居る人たちと触れ合って、きっとその人たちの何人かが好きになって。──そうするとまた、そこに居られなくなって。

 それを何度も何度も繰り返すのが、この先のわたしの人生です」

「っ」

「もしくはあなたと会った時のように、本心を押し殺して距離を取って、誰とも深く関わらずにずっと生きていくか。……でも、それは無理でした。出来なかったです。出来るわけがなかったんですよ!」


 思いが溢れるように。

 彼女の口からは強い言葉が、彼女の瞳からは透明な雫が、こぼれる。


「わたしは悪い人になれるほどの度胸も無かった! かと言って呪いには絶対に逆らえない、この先の未来は全部呪いのせいで駄目になる! じゃあもういいですよ、こんな呪いを抱えたまま、生きている意味なんて無い!!」

「……」

「エルク、本当に、なんで来たんですか。わたしはここで死ぬつもりしかなかったのに。あなたが来てしまったら、分からなくなるじゃないですか。どうせ死ぬんだから一緒に死んで欲しいと思えばいいのか、わたしのことはいいから早く逃げて欲しいと思えばいいのか。

 ……本当にもう、何も、分からないですよ……だから……わたしは、何も、できない、です」


 その言葉を最後に、黙り込んでしまうサラカ。

 狭い部屋の中、彼女の涙が床を叩く音だけが響く。


 ……天使の、呪い。


 それは呪い自体の強さだけを見るならば、強力だが最上級というほどではない。行動の縛りの度合いならば俺の『聖者の呪い』の方が上だろう。


 だが。言うまでも無くこの呪いの本質はそこにはない。



 これは俺の見てきた中で最も、人の心を壊すことに特化した呪いだ。



 好きになった人間を、自らの手で殺めることを強制する呪い。

 それは、普通の人間に耐えられるような代物ではない。その残酷さを、俺は理解しきっていなかったのだ。


 ……腹が立った。


 俺自身の見識の甘さに対してもそうだが、それだけではない。

 こんな酷い呪いを、よりにもよって彼女に授けた存在に。いるかどうかも分からないその存在に対して、どうしようもないほどの怒りをぶつけたくなった。


 生まれた時から当たり前にあって、逆らうことなんて考えられなくて。


 いつの間にか、抗うことを諦めてしまった。そんな『呪い』という存在(システム)そのものに対しても、頭が真っ白になるほどの憤怒を抱いた。


 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。


 生きることを諦めてしまうほど、彼女を苦しめるものに。そして、それに対して何もできない自分に。


 何かをしたい。何かをしてあげたい。何かをぶつけてやりたい。

 そんな狂おしいほどの『思い』を、俺は抱いて──




『そして、その手の力のトリガーは──人の、思いであること』




 ふと。エステルに言われた言葉が、脳裏によみがえった。


「──あ」


 まるで、その一言が引き金となったかのように。


『天眼も魔眼も超越した──』

『本当に、ただ見え方が変わるだけなんですよね』


 エステルの、そして俺の言葉が、


『この眼は、呪いが視ている景色を視るモノ』

『眼そのものの内包する世界が他者に影響を与える技能』


 更にこれまでの考察が、次々と繋がって。

 ある一つの光明を、形取った。


「……まさか」


 思わずそう呟く。何せ思いついたはいいが、突飛な要素が多すぎる。辻褄は合っているものの、不確定な部分が無数にある。賭けるにはあまりにも──


(──いや)


 俺は思い直す。いずれにせよ、この状況を突破する方法があるとしたらこれを置いて他にない。

 だから俺は覚悟を決めて、彼女に話しかける。


「サラカ。貴女の思いは分かりました。……その上で」


 俺の声に反応して、涙に濡れた顔を上げるサラカ。そんな彼女の瞳を意志を込めて見つめ返し、告げた。


「今一度。俺に命を預けてくれませんか?」

「……え?」


 サラカが目を見開く。


「先に言っておきますと、この方法は不確定です。貴女にどんな影響があるか分からないし、可能性も低い。そして失敗したら、俺は高確率で命を落とします。

 ……でも、万が一成功したら。貴女の呪いをどうにかできるかもしれない」

「!」


 彼女が信じられないと言った顔をする。


 当たり前だろう。これから行うのは、逆らうことが不可能だと言われ、それが当然だと思われてきた呪いというシステムそのものへの反逆だ。


 だが、それがどうした。

 ここで泣いている女の子一人救えないのなら。俺は、俺の憧れた冒険者を名乗る資格は無い。


 そんな決意を込めて、俺はサラカを見据える。

 彼女はしばし戸惑ったように視線を彷徨わせ、一瞬目を伏せかけたが、それでも。

 最後には俺を見返して、困ったような笑みを見せた。


「今のあなた、武闘祭決勝の時と同じ目をしてます。何とかするって言って、実際に何とかしちゃう時の目。

 ……不思議ですね。あなたの言うこと自体は到底信じられないのに、その目を見ていると、何とかなりそうな気がしてくるんです」


 そう言った後、彼女は委ねるように腕を広げた。


「分かりました。好きにして下さい」

「……ありがとうございます」


 それを確認すると、俺は自分の内面に意識を潜らせる。

 彼女を救う。エステルのアドバイス通り、その思いを高めるために。


 呪いがどうした。今まで破られていないからどうした。そんなもので俺達の歩みを止められると思ったか。俺は『聖者の呪い』があっても冒険者を止めなかった。それを今また、繰り返すだけだ……!


 そんな風に。自分を洗脳する勢いで言い聞かせ。意志を強め。思いを高めて、高めて──



 ──そして、また。自分の奥底で、何かが壊れるような音を聞いた。



 目を開け、俺は真っ直ぐに歩き出す。サラカの方に向かって。


「っ!? エルク、どうして──」


 天使の呪いの衝動は距離に反比例する。これ以上近付けば、彼女は自分の衝動を抑えられなくなることだろう。

 だが、百も承知で俺は声を掛ける。


「サラカ。俺の右眼を見て下さい」


 言いながら、俺は更に歩み寄る。


 分かるのだ。今、俺の右眼が急速に変化していくのが。そしてその力を十全に発揮するには、更に近付く必要と、サラカに右眼に集中してもらう必要があることが。


『天眼も魔眼も超越した、世界を変え得る真正なる神性の瞳』


 エステルの言葉を思い出す。これからも分かる通り、エステルはこの眼を天眼や魔眼よりも上位のものだと認識していた。


『本当に、ただ見え方が変わるだけなんですよね』


 俺の言葉を思い出す。この通り、一方で俺はこれまでこの右眼を、天眼や魔眼よりも劣る、不完全なものだと認識していた。


 だが、逆だとしたら?


 エステルの言う通り、この眼はより上位の何かであり。

 この眼は不完全ではなく……未完成(・・・)なだけだとしたら?


 もしこの眼が天眼、魔眼よりも上のものなのならば。

 この眼は天眼や魔眼の(・・・・・・)機能も包括して(・・・・・・・)いないとおかしい(・・・・・・・・)


 ならば次の疑問。この眼による天眼や魔眼の機能とは何か?

 これは、俺が以前サラカにした解説がヒントになる。


『『魔眼』は眼そのものの内包する世界が他者に影響を与える技能を指し、『天眼』は逆に内包する世界が自分に影響を与える技能ですから』


 天眼魔眼いずれも、『内包する世界』がキーワードになる。そしてこの眼の内包する世界とは何か──と考えれば、すぐにその答えに辿り着く。


 そう、『聖者の呪い』だ。この眼は呪いが視ている景色を視るモノ。つまり内に原呪という世界を内包している。



 だとすれば、最後の疑問。

 この眼をもし『魔眼』として使用したら?



 そこまで再確認した時に、辿り着いた。この眼の機能を最大限発揮できるギリギリの距離に。

 そこで一度瞑目して、ふと思う。


 もし、魔眼の効果が俺の予想通りだとしたら。


 俺はひょっとすると、ここで彼女を救うためにこの呪いを授かったのかもしれない──なんて、ひどく運命的なことを。


 いや違う。今から俺がそうするのだ。彼女を救うために、意志の力でもって呪いを利用し、この右眼を作り変えるのだ。


 さあ、やるぞ。眼を開き、右眼に力を込めて──起動。


 そして、遂にその効果が発動する。互いの視線を触媒に、俺の眼の魔力が彼女の魂に新たな性質を付与する。


 俺はそこで右眼を通常の状態に戻し、サラカの様子を確認する。

 よし。

 そう俺はある確信を得て──サラカに更に歩み寄る。


「ッ!?」


 思わず後ずさろうとするサラカへ、俺は穏やかに声を掛ける。


「大丈夫ですよ」

「え……?」


 その言葉で、彼女もなんとなく気付いたのだろう。サラカが足を止める。


 一方の俺はそのまま彼女の元へと歩み寄り……なんとなく、感極まって。柔らかく彼女の背に手を回して、囁く。


「ほら、どうぞ。殺せるものなら殺してみてください」


 今、俺と彼女の距離はゼロだ。彼女の両手は俺の背中で空いており、その気になればルーン魔術で俺を焼き尽くすことも首を刎ねることも容易だろう。


 だが、彼女はそれをしない。いや、できないのだ。


「な、なんで」


 本来ならばこの距離だ。『天使の呪い』の衝動に耐えられるはずがないのは彼女が一番よく分かっている。それ故、今の自分の状態に彼女が一番戸惑う。


 俺は端的に、種明かしをした。



「今、俺の魔眼で──貴女に(・・・)聖者の呪い(・・・・・)を付与しました(・・・・・・・)

「──な」



 サラカが体を跳ねさせるのが感じ取れた。


 そう。『魔眼』は眼の内包する世界が他者に影響を与えるもの。

 ならば、原呪の景色を視る俺の眼が魔眼として機能したとしたら。



『原呪の付与』こそが、その魔眼の効果となるはずだ。



 彼女の『天使の呪い』が消えたわけではない。

 ただそれによる殺人行動が、『聖者の呪い』でキャンセルされているのだ。


 原呪の効果に逆らうことは、絶対に不可能。


 だが同じ原呪の効果ならば、その例外足り得る。

 その考えは、どうやら上手くいったようだ。


 原呪を二つ持つという前代未聞の状態になったサラカに思わぬ副作用が、などということもなさそうだ。それを右眼で確認すると、俺は安心させるように彼女の背を叩く。


「……大丈夫ですよ。少なくとも俺の眼の届くところであれば、あなたはもう誰も意図せず傷つける必要はない。誰かと触れ合うことを、我慢しなくてもいいんです」

「あ……」


 その言葉に後押しされるように。

 サラカの手が、おずおずと俺の背中に触れる。


「強い思いと、ほんの僅かなきっかけで。見える世界は、びっくりするほどに変わるものです。それこそ魔法のように。……だから、どうか、生きたいと思って下さい。きっと、諦めるにはまだ早いですよ」

「…………、これが」


 言い終わると同時、彼女の囁きと共に俺の肩が濡れる感触がした。


「これが、あなたの見ている世界なんですね……すごく、綺麗」


 暖かく湿った声で、サラカが呟く。


「……いいんでしょうか」

「いいんですよ」

「こんな、奇跡みたいなこと。まだ信じられません」

「不思議でもないと思いますよ。だって──」


『聖者』が『天使』を迎えに来たんだ。

 それなら奇跡の一つや二つ、起こらない方が困るでしょう。


 そう言った俺に対し、彼女は返答代わりに。

 背中に回す手に、さらに力を込めたのだった。




 ◆




 さて。

 彼女の気が済むまでこうしていたいのはやまやまだが、生憎と俺達には時間がない。


「すみませんサラカ、今も向こうでニナが奴を抑えてくれています。早く向かわなければ」

「そっ、そうですね」


 背中を叩いてそう告げると、サラカがぱっと俺から離れる。

 その顔は涙に濡れているし、多分別の要因でも真っ赤だったが。

 それでもその瞳には、今までになかった光が見えた。


「これから、奴を──倒しに行きます。貴女の力も必要です。ついてきてくださいますか?」

「……ええ。あなたとなら、どこへでも」


 思った以上に力強すぎる返事にちょっと息が詰まったが、何よりだ。


 これから待ち受けるは、あの桁違いの力を持つ怪物。

 だが、不思議と負ける気はしなかった。右眼に漲る力が、そして隣に立つ少女が、そう思わせてくれるからだろう。


 さあ、決着を付けにいこう。

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