3話 ボス戦
「な……なん、ですか……これは……」
傍らにいる黄金の少女が、打って変わって呆然とした表情で呟く。
俺も同感だ。
二人の眼前に現れたのは、様々な魔物を継ぎ接ぎ合わせて作られた四足獣。ひどく歪で冒涜的な印象を与えるシルエットだ。
右眼に映るものも、今までの魔物のような単色の靄ではない、極彩色の何か。
そして、その右眼に映る気配が──膨れ上がった。
直感に従って咄嗟に俺は叫ぶ。
「ッ! 来ます!」
少女が反応して瞬時に飛び退く。直後、彼女がいた地面が爆ぜた。
前方には、前脚を出した体勢の怪物。その体勢と、不自然に伸びた前脚を見れば何をしたかは理解できる。触手のように足を変形させ、しならせて地面を叩いたのだ。
「そんなの……ありですか……ッ!」
驚愕の表情で少女が呟く。
想定以上のリーチを持つその攻撃方法に戦慄しつつも、彼女は反撃を繰り出す。触手攻撃を警戒して距離を取りつつ、中空に何らかの文字を描いた。
あれは──ルーン文字だ。この子が扱う技能はルーン魔術か。
炎のルーンを刻み終わると同時、彼女は魔力を込める。同時に、そこから一条の太い熱線が発射。キマイラの肩口に突き刺さる。
黒々とした風穴が空き、キマイラが苦悶の声を上げた。
手応えあった──と思った次の瞬間。
ぎゅるり、という音と共に。
傷の周囲の肉が盛り上がり、傷口が塞がった。
「んな──!?」
再び驚愕の声を上げる少女。一方のキマイラは今の攻防で完全に彼女を敵と定めたのか、量前脚を振り回して触手の連撃を放ってくる。
それを何とか回避しつつ、それなら、と言わんばかりに今度は風のルーンを刻む。魔力を込めると、今度はすさまじい突風が前方に吹き荒れた。
再生されるなら、面攻撃で根こそぎ削り取る、と言わんばかりに、無数の風の刃が怪物を切り刻む──が。
「……グルルゥ……」
キマイラは、健在。面積を広げた攻撃では怪物の表面を削り取るにしか至らず、それも同様瞬く間に再生してしまう。
続いて彼女が放ったのは一条ではない多数の熱線。しかし、穴だらけになった怪物はやはり、次の瞬間には何事も無かったかのように再生してしまう。
「そんな……どうすれば……」
他にもいくつかの攻撃手段を試した。頭部を消し飛ばしたし、心臓当たりの部分を集中的に狙いもした。だがそのことごとくが再生によって無効化される。それを見た少女の顔に本格的な焦りが浮かび始め──その瞬間。運悪くも、地面の出っ張りに足を引っかけてしまう。
その隙を逃さず、キマイラの一撃が迫る。
「──!」
それを確認した瞬間、俺は走り出していた。
今までの俺ならば考えられないことだ。
だって意味がない。魔物を傷つけることが出来ない俺に、戦いに参加する意味はない。邪魔にしかならないから引っ込んでいろ。五年間、そう言われ続けた。
でも。それでも。今は新しい力を手に入れたとかは関係ない。
目の前で窮地に陥っている人を見捨てるような人間は、俺がかつて憧れた冒険者ではないのだから。
横合いから少女に飛びつき、射程から外れる。それと同時に触手が肩口を掠める感覚。灼熱の痛みが走る。皮膚が持っていかれたか。
だがともかく、この子を守ることは出来た。
安否確認は後回しだ。まずはキマイラの追撃を防がなければ。翠性遮断結界ではだめだ。謎の出力上昇を鑑みても、あの程度ではキマイラの膂力を考えれば足止めの効果すらあるかどうか怪しい。
ならば俺の今可能な中で、最も強度の高い結界を放つ。今しがた一撃を受けた肩から流れる血をすくい、キマイラの方に飛ばす。同時に手をかざし、叫んだ。
「──呪血封印結界!」
言葉に反応して、キマイラに付着した俺の血が輝き。
キマイラの表皮を赤雷が走って、動きを封じる。
「ガ────ッッ!」
声を上げるキマイラ。血を触媒としたこの結界の効果はあくまで動けなくするだけだが、効いている。
どうやら眼の恩恵はこの結界にも適応されるらしい。これも長くはもたないだろうが、体勢を立て直す時間は稼げる。
それを確認したと同時、後ろから声がした。
「あ……ありがとう、ございます」
やや驚きを宿した表情で少女がこちらを見ていた。鈴を転がすような非常に可愛らしい声だが、それに意識を向けている余裕はない。俺は答える。
「……いえ。こちらこそ申し訳ない。俺の事情に巻き込んだばかりか、こんな厄介な奴の相手までさせてしまって」
「それより……あなた、戦えたんですか?」
なるほど。俺を非戦闘員だと思っていたらしい。そしてその見立ては実のところ間違っていないのだ。だから俺は答える。
「いいえ。護身術の延長で結界は張れますが、直接攻撃は一切できません」
「な、なんでそんな──」
「そういう呪いなんですよ。人間や魔物を一切傷つけることが出来ない。そういう原呪なんです」
言葉を選んでいる余裕はないので、正直に伝えた。それを受けて少女が瞠目する。その先の疑問は容易に想像がつくが、それを聞いている時間もない。故に結論だけを先に告げる。
「だから、あの化物は貴女に倒してもらう必要がある」
「!」
少女が驚き、直後に困惑する気配がする。
「で、でも。何をやっても再生されてしまいます。あんなの、どうやって」
「大丈夫です。倒す方法は先ほど見つけました。貴女が粘ってくれたおかげで、目が慣れたので」
目が慣れた、というのは、勿論俺の右眼のことだ。
現れた当初は極彩色の何かに見えたが、よく見れば何と言うことは無い。ただここにいた大量の魔物が単純に寄り集まっただけだ。見た目通りの継ぎ接ぎ。混じり合ったり溶け合ったりしているわけではない。
それとこのキマイラの特性を鑑みれば、導き出される結論は一つ。
「再生能力持ちを倒すには、核を破壊するのが定石です。だが恐らく──奴の核は、一つじゃない」
そう。俺の右眼は捉えている。
魔物が寄り集まっただけで、個々の特徴は変わっていない。靄の色も、そして、靄の色が違う場所も。
相変わらず、『そこが弱点だ』と右眼は示し続けている。
つまり──その全てが、奴にとっての核なのだ。
もとになった魔物の分だけ撃たないと死なないとは、何ともキマイラらしい性質と言えるだろう。
それらのことを、少女に説明する。
呪血封印結界が歪み始めた。残り時間はもうない。
「核の場所は俺が指示します。向こうの攻撃も可能な限り捌きます。なので、貴女は核の破壊に専念して欲しい」
「…………」
少女の顔に、今までに無かった警戒が見える。
あまりに出来すぎていると思ったのだろう。俺が、あのキマイラの倒し方を瞬時に看破した件から、何か怪しいと感じたのかもしれない。当然だ。何せ俺も分からない。この右眼は何なのかについて、納得いく説明を出来る気がしない。
その警戒はもっともだと、俺も思う。だから。
「……わたしが、そこまでする義理は無いと言ったら?」
その少女の質問に、間髪入れず答えた。
「仕方ありません。その時は逃げて下さい。俺が奴を可能な限り足止めするので。その後で何とかして切り抜ける方法を探します」
「な──」
少女が思わず顔を上げる。直接攻撃が出来ないと今しがた告白したばかりなのだ。自殺する気だとしか思えない、と思ったのかもしれない。
勿論違う。確かに今この少女がいなくなれば俺の生存率は大幅に下がる。だがゼロではない。この右眼という可能性もあることだから、あがくには十分だ。
今の言葉を言った理由は単純に、意志の無い他人を危機に晒すような人間は冒険者ではない、と思うからだ。
この子を助けた時と同じだ。俺は、俺がかつて憧れた冒険者像に背くような真似はしない。
その上で、生き残ることも含め、夢を叶えるために全力を尽くす。
そう、決めているだけ。
言葉を失う少女に向けて、俺はやや苦笑気味に言葉を重ねる。
「……まあ、出来れば逃げた後に救援を呼んでいただけると助かりますが」
「…………、いえ、それには及びません」
一度考え込むように俯いた後、彼女が面を上げる。
「分かりました。あなたの考えに賭けます。わたしは何をしたらいいですか?」
◆
ばきん、と音を立てて結界が破れ、怪物が数分ぶりの自由を取り戻す。
意に沿わぬ制約を強いられていたことに対する怒りか、キマイラはひときわ大きく吠え、敵意を持って俺達を睨みつける。
怖気がするほどのプレッシャー。しかし恐怖は無い。
この眼には、勝ち筋がきちんと見えている。
「では手はず通りに、右側から行きましょう。まずは右端の『トロール』だった部分、眼のところを撃ち抜いてください」
「はい」
俺の指示に従って、少女がルーンを刻んで熱線を放つ。それは寸分違わず一つ目の巨人の目を撃ち抜く。
すぐにそこは再生する。この前後で通常の視界では変化が無いように見えるから、一見無尽蔵の再生に見える。それがこの怪物の厄介なところだろう。
だが、通常ではない視界。つまりこの右眼にははっきりと移っている。
先ほどまで赤く輝いていたその部分が、色を失っている。核のひとつを射抜いた。手ごたえありだ。
「次。その下の『イヴィルスライム』、中央部を。さらにその下、『ゴブリン』の頭部」
反撃の触手攻撃を避けつつ続く指示をして、彼女に的確に核だけを撃ち抜かせる。それを数回続けた時、キマイラの反応に変化があった。
「グ……グルァアアアアアアアアア!」
先とは違う、焦りを含んだような咆哮。今まで自身のダメージに無頓着だったキマイラが、雄叫びを上げながら攻撃の手を強めてくる。
彼女の方は核の狙撃に意識の大半を費やしているため、激しくなった攻勢を捌き切るだけの余力がない。故に、俺が少しでもそれを減らす。
「──分霊阻害結界」
呟くと同時、彼女の前に複数の小さな結界が現れる。一つ一つの効果は小さい代わりに多数展開することを目的とした結界術だ。
無論、あの触手の威力の前では一撃で壊れてしまうが、それで構わない。出力が上昇した今の俺ならば、触手の軌道を逸らすことぐらいは可能。そして、攻撃と攻撃の合間に晒した隙、そこに彼女の狙撃が更に突き刺さる。それを何度も繰り返す。
──恐ろしく、静かな戦いだった。喚き散らすキマイラとは対照的に、こちらの音は俺が指示を出す声のみ。それ以外は、彼女の方は狙撃に、俺の方は右眼に。それぞれ意識を集中して、何度も何度も針に糸を通すように核を壊し、反撃を防いでいく。
右眼が燃え上がりそうだった。弱点の看破と結界術の底上げ。現在発見している眼の二つの機能を休むことなくフルに使用する。視界から脳に送り込まれる通常を遥かに超えた情報量に、酷い頭痛がしてくる。
……だが、不思議と。
激痛と同時に、俺は奇妙な昂揚をも味わっていた。
きっとこれまでには、こんなことは出来なかったからだろう。
これまで邪魔だからと戦いの場から遠ざけられてきた俺が今、文句なしの強敵を相手にギリギリの戦いを繰り広げている。繰り広げることが出来ているのだ。
命の危機なのに何を悠長な、と思うかもしれないが、この状況に心のどこかでワクワクしてしまうのは、冒険者ならば──いや、男の子ならば、分かってもらえるのではないだろうか。
そして、長い時間の末、遂に。
彼女の放った熱線が、キマイラの核をすべて破壊する。
「ガアアアアアアア!」
ようやく命の危機を自覚したのだろう。これまでよりもさらに多い触手を体全体から展開して、外敵を葬らんと差し向けてくる。
ここだ、と思った。
向こうは間違いなく追い詰められている。最後のために温存していた魔力、その全てを絞り出して、詠唱。
「──呪血封印結界!」
奴の触手には、付着している。この攻防で捌き切れなかった攻撃による俺の傷、その返り血が、そこかしこに。
それに含まれる魔力を起点に、赤雷が起動。一瞬、動きを封じる。
あとは──と、祈りを込めて俺は叫ぶ。
「もう再生はしません! 特大の一撃を!」
「──分かりました」
凛とした美しい声で、彼女は応えた。
「炎。力。加えて、炎、力、力」
歌うように、踊るように、都合五つものルーン文字を紡いでいく。
「複合ルーン、起動。全魔力装填──喰らいな、さい!」
放たれたのは、要望通りの特大の熱線。
それは狙い数多ず怪物に正面から突き刺さり、その頭部を消し飛ばす。
悲鳴すら呑み込まれ、胴体だけになったキマイラが、どう、と倒れ。
間もなく、灰となって消えていった。
だが、俺の視線はもう、そちらを向いていなかった。
目を奪われていたのだ。
高まった魔力の輝きが白磁の肌を照らし、熱線の反動である風圧に晒され、ブロンドの髪を靡かせながらも、凛とその場に立ち続ける、彼女の姿に。
天使のようだ、と思った。
最初に会った時は可憐さと神々しさから、人間離れした美しい存在として。
今は、魔に属する敵を倒すため勇敢に戦う、気高くも凛々しい戦士として。
同じ言葉で表せる二つの印象を、その少女からは受けた。
そして、それが限界だった。
勝利の確信が、張り詰めた緊張の糸を解く。
それに比例するかのように、急速に意識が霞んでいく。
仕方ない。むしろ今まで良く持ったものだ。体力魔力精神力、全てを限界を超えて使い果たしたのだから。何かきっかけがあればこうなるのは当然だ。
俺の様子に気付いた少女が、慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる。
──そう言えば、あの子の名前を聞き損ねたな。
そんなふとした思い付きを最後に、俺の意識は完全に闇に沈んでいった。
この件に関して、未だ分からないことは多い。
何故ああまで俺が魔物に狙われたのか、あの魔物が合体した現象は何なのか、そして何より──この右眼は、一体どういうものなのか。
けれど、一つだけ確信していることがある。
きっと、これが始まりだ。
ここから、楽しくて、素敵で、少し不安で、でも最高にワクワクする──
そんな『冒険』が出来る、予感がした。