28話 天使の幕間
サラカ視点。
本日もう一話投稿します。
サラカ=ロステラント、十七歳。
職業は冒険者。所持魔法はルーン魔術A。
そして原呪は、『天使の呪い』。
これがわたしの全て。……いや。もう一つ、普通でない情報を付け加えるならば。
わたしは、弟を殺しかけたことがある。
理由は言うまでも無く、この原呪。
この『天使の呪い』は不思議なことに、わたしがある程度成長するまで発現することは無かった。
原呪は生まれつき持っているはずだから、きっと衝動が発生する条件である『絆を深めた人間』というのが関係しているのだろう。
そのような理由で成長するまで自分の原呪は分からないほど弱いものなのだと思い込んでいた私は、かなり健全に育ったと思う。
両親は非常に優しくわたしの自由にさせてくれたし、弟妹はとっても可愛かった。
……少し、お姉ちゃんのことを甘く見すぎな節もあったけど。でもそれを指摘すると何故か呆れたような顔をされた。
ともあれ、わたしはそれなりに裕福な家で、十分に幸せな生活をしていた。十二歳くらいの時には魔法に興味を覚え、街の先生にルーン魔術を教わった。
すると、この子は天才だーなんてちやほやされて、全力で調子に乗った。調子に乗りすぎてお母さんに怒られた。ぐぬぬってなった。
でも、その後は割と真面目に勉強をして、三年も経つ頃には街で一番の魔法使いと言ってもいいくらいになった。
流石に今度は調子に乗らなかったけど、それでも自信はついた。将来は街の衛兵になって、家族を守る仕事をしよう。
そして街にやってきた人たちに、この街はいい所だよって全力で自慢してあげるんだ。そんなちょっと女の子っぽくない、けれどきっと楽しいばかりの未来像を思い描いたりして。
そんなわたしの思いを、嘲笑うかのように。
十六歳のある日、突然、何の前触れもなく。
わたしは鍛え上げた魔法を、人殺しに使った。
それも、守るべき弟を殺すために。
殺人衝動に支配されている時に、わたしの意識はほとんどない。
それでも残る理性の一片でどうにか踏みとどまることが出来たらしく、弟は一命を取り留めた。
けれど勿論大騒ぎになって、その過程で『天使の呪い』が判明して。
わたしは悟った。わたしがルーン魔術を覚えたのは、この時のためだったんだと。意識していなくてもこの呪いが、その時により効率よく殺せるようにわたしを誘導していたんだと。
わたしの人生は結局ずっと、呪いに支配されていたんだと。
わたしは家を出た。当たり前だ。こんな呪いを持って家族の傍に居られる訳が無いし、家族だってそれを望まない。
いっそ死のうかとさえ思ったけど、臆病なことに死ぬ勇気さえ、わたしには無くて。
ずるずると彷徨うように、生き続けた。生計を立てるための手段は限られていた。その中で一番真っ当な収入が見込めそうなのが冒険者だった。皮肉なことに、人殺しのために鍛えていたはずの魔法が本来の形で役に立ったのだ。
でも、苦難は続く。
冒険者という職業はその性質上、実力主義だ。だが実力なんてものを見ただけで分かる人間は一握り。それ以外の人は、すぐに分かる情報でそれを判断する。
そしてその情報とやらで有力な候補に挙がるのが──外見だ。
わたしはどう贔屓目に見ても強そうには見えないらしい。確かにわたしは背も高くないし、力持ちにも見えないだろう。
でも、実力はある。Aランクの魔法を持っている人間はこの業界でも希少だと知ってそう確信したし、その実力を見せれば大丈夫だ、と思っていた。
しかし、その考えも甘すぎたようだ。
どう見ても強そうに見えない、しかも冒険者初心者の人間が、高い実力を見せてベテランよりも活躍する。
その状況は、わたしの想像以上に嫉妬心を煽り立てるものだったらしい。
だから周りの人間の多くは、わたしに酷いことをしてきた。無知なことをいいことに騙して金銭を巻き上げられたり、なまじ実力があるのをいいことに負担を過度に押し付け、それなのに取り分はわたしの方が少なかったり。
これまで、家族との暖かな関係しか知らなかったわたしにとってそれはひどく、嫌な体験だった。
勿論いい人だっていた。でもいい人かそうでないかを見分けるには、わたしは経験が足りなさすぎた。
それに仮にいい人でも……わたしはその人と、仲良くできない。
原呪が発動する境界がどこにあるのか知らないわたしにとっては、どんな人間とも一定の距離を取らざるを得ないのだ。
多くの人間からは負の感情を向けられて、残り少ない人間とは深く関わることを禁じられて。
少しずつ、少しずつ。わたしの心は、削れていった。
仲の良い冒険者を見ると、気分が悪くなった。わたしはあんな風に出来ないのに、という黒い感情が沸き上がってきた。
自分に近づいてくる人間は、警戒するようになった。笑顔の裏に何を抱えているのか分からないのが怖かった。
それに耐えられず、壊れてしまう寸前に。
わたしは、彼と出会ったのだ。
正直最初は、都合がいいと思った。
適度に弱くて、純朴そうな男の子。お互い様とは言えわたしに命を助けられたという恩義もあるし、決め手は彼の『聖者の呪い』。
利用してやる、という意気込みで近づいたことは間違いない。
別に戦ってもらう必要はない。
迷宮攻略に当たるこまごまとしたことだけやってもらって、後は邪な思いで近づいてくる人間を避けるための案山子ぐらいになってくれればいい。女の子一人よりも、誰かと共にいるだけで随分違うと学んだことだし。
必要以上に近づけさせないようにして。万が一裏切ろうとしたなら……力ずくで、どうとでもできるし。
そう思って、声を掛けた。感謝はされても、心を許す気にはならない。そんな感じの、冷徹な印象を心掛けて。
予想外だったのは、彼がわたしの想像より遥かにいい子で。
すごくわたしに感謝してくれてて、わたしの意志を尊重してくれて、そして……びっくりするくらい真っ直ぐな。
そんな、今まで見てきたどの冒険者とも、違う感じの子だったこと。
……どうして、と思った。
あなただって、呪いで苦しんでいるはずなのに。わたしと同じくらい……ううん、冒険者歴を考えればそれ以上。ひどい目に遭ってきたのは間違いないのに。
どうしてそんなに、まっすぐでいられるの、と。
そしてすぐに気付いた。彼は、諦めていないだけなんだと。
幼い頃に夢見た理想の冒険者。そう在ろうとすることを諦めていない。
例えそれまでの過程でどれほどの挫折に襲われようと、どれ程の悪意に苛まれようと。夢だからという理由だけで、どこまでも歩いていける子なんだと。
事実、彼はすぐ驚くほどに強くなった。そのきっかけがあの時に覚醒したらしい右眼だという話だけど、その力に溺れることなく、使い方をきちんと考えて応用して。あそこまで強くなれたのは、彼のこれまでの積み重ねがあったからこそなのは間違いない。
急に、自分が恥ずかしくなった。
きっと彼がこれまで遭ってきた何分の一くらいの酷い目しか経験していないのに、真っ当であろうとすることを諦めて。
悪意のある相手には相応の対応をして、善意のある相手には相応の意志を返す。それでよかったはずなのに、彼を嫌な感情で利用しようとしていた自分を恥じた。
そして同時に、この子に何かをしたい。そう思うようになった。
でも、それも空回ってばかりだった。迷宮では彼にお世話されっぱなしだし、戦う上でも彼はどんどん強くなっていったし。
せめて彼の欲しいものをあげようと思って、強引に参加した武闘祭でも。わたしの見識の甘さから悪意を受けてしまって。遂には目的の優勝すら果たせなくなりそうだった所を、彼に救われて。
それなのに、彼は参加して良かった、と言ってくれて。
……いつの間にか、わたしの方から。彼に近付くようになっていた。
どうしようもなく真っ直ぐで。悲しいくらいに優しくて。普段は春風のように穏やかなのに、一度こうと決めたら嵐のように苛烈にもなる、彼に対して。
大丈夫、もう少しだけなら大丈夫と。少しずつ、少しずつ、手探りで距離を詰めて。それでも彼は受け入れてくれて、それに甘えて。また距離を詰めて。
──そして、また繰り返した。呪いの末路を。
あの時は、弟の時と違って抗う猶予すら与えられなかった。気が付いたら完全に、呪いに促されるまま、衝動のまま殺すための行動を完了していた。彼が躱してくれなかったら手遅れになっていた。
その時の彼の驚いた顔。そして呪いを聞いた時の悲しそうな顔が、頭にこびりついて離れなかった。
ああ、ばかだ。わたしはばかだ。
彼はきちんと、わたしのために距離を保ってくれたのに。
わたしのほうが、我慢できなくなるなんて。
でも、気付いていたとしてもどうしようもない。
だって、あんな。あんなにいい子と、あんなに楽しい冒険をして。
その上で、好きになってはいけないなんて、むごすぎる。
だからわたしは逃げた。あの日と同じように。
今度はもう、何もかも終わらせようと、決意して。
◆
『サラカ! 見ツケタ! 見ツケタ!』
それを見た時には、確かに驚いた。
喋る魔物。おぞましい、不完全な悪意を持つ魔物。
普段のわたしならきっとびっくりして、彼の影に隠れてしまうかもしれない。
でも、今は。
『”フウシュウ”ダ! “フクシュウ”セヨ!』
この魔物も、わたしに向けられた悪意も。その理由も。
何もかも、どうでも良かった。
「……へぇ、そう」
自分の声とは思えないほど、冷たく震えた声が出た。
「あなたたち、わたしに『復讐』したいの」
その悪意に呼応するように、わたしの中にも黒い感情が。
彼と出会って溶かされたと思っていた思いが、どろどろと胸の内から溢れる。
「じゃあさ」
どうしてわたしに、こんな意地の悪い呪いがあるの。
どうしてわたしが、こんな思いをする必要があるの。
どうしてわたしだけ、こんな目に遭わないといけないの。
「お返しに──わたしはあなたたちに『八つ当たり』するけど、いいよね?」
それが、合図となって。
理由も意味も無い、ただ怒りをぶつけるだけの戦いが始まった。
◆
「あああ──ッ!」
叫んで、魔法を放つ。
ルーン魔術。わたしの自慢だったはずの魔法。でも実際は呪いに促された、人を殺すための魔法。
本当は使いたくなかったそれを、今だけは心底望んで振るう。
戦いが始まってから、十数分が経っただろうか。
倒せども尽きぬ影の魔物に、ルーンを刻む指先にも疲労が見え始める。
『ギャギャギャギャギャ! 負ケルナ! 負ケルナ! “フクシュウ”ダ!』
耳障りな声に対する怒りのままに指を振るう。
あの影人間だけが、どうしても倒せない。倒そうとしても周りの魔物に邪魔される。
それだけじゃない。体が思うように動かない──いや。それは錯覚だ。今まで思うように動かせてくれていたのだ、彼が。その反動でそう感じるだけ。
……今更ながらに、彼の貢献がどれほど大きいものだったのか思い知らされる。
『ギャーシャシャシャシャシャ!!』
その一際大きな哄笑が、そんなわたしの現状を、末路を、全てを嘲笑っているように感じられて。
「うるさい──!!」
怒りに任せ、強引に複合ルーンを刻もうとして──失敗する。
疲労、そして魔力切れ。遂に限界が来たのだ。
そして現状でそれは、致命的な隙となる。
「──っ!」
背中に強い衝撃。一瞬息が止まる。
いつの間にか忍び寄られていた影の獣の体当たりを喰らって、前のめりに倒れ込む。
この物量相手に一度隙を晒せばそれは詰みと同義。今度は頭部に衝撃を受け、成す術無く意識が暗転する。
──ああ、これで終わりか。
視界が途切れる寸前、完全な諦めの思いが胸中を満たして。
──たすけて、ください。
脳裏によぎったそんな思いも、意識と同時に闇に閉ざされたのだった。
また評価、感想頂きました。感謝です(・ω・)ノ




