26話 学者の幕間、怨念の末路
別視点です。
エルクがサラカを追って宿を飛び出したところから、少し時は遡る。
「……それで、話とは何だい?」
鬱々とした声を出したのは、紫髪の青年アキオスだ。
場所は町はずれのとある廃墟。ひどく胡散臭い顔の、研究者の格好をした少女に連れられるままに、彼はここにやってきていた。
とはいえ、今ではアキオスの顔も酷いものだ。
目の下には濃い隈が出来て、髪も乱れている。普段の自信に満ちて整った彼の風貌は今や見る影もない。生気の無い中、眼光だけが行き場の無い怨念を宿してぎらぎらと輝いていた。
あの、武闘祭の後。
多くの者が予想した通り、彼は瞬時に転落した。
あれだけ噂を流して観客を煽り、極限までアキオスの勝利を期待させておいて、最後の最後にそれを裏切る形となったのだ。
極め付けはその直後に起こったパーティー解散。あの状況では誰もが、アキオスの実力に失望したニナが彼をも切ったと思うだろうし、事実そうだ。
最早あれを見ていた者の中に、アキオスを擁護する者はほとんどいない。
『外面で実力の不足を覆い隠していたんだ』
『卑怯者はどっちだ。ニナに寄生していたのはお前の方じゃないのか』
『どこか他人を見下している態度が気に食わない』
そのような、これまで彼の名声で押さえつけていた不満があの敗北をきっかけに一気に噴出した。
普段ならばただ一回の敗北でここまで評価が覆ることは無い。
だがあの時は、敗北の状況、やり方、そして負けた相手。何もかもが悪すぎたのだ。
今までの評価が良かった分、その落差は際立つ。この数日だけで有象無象、有形無形の悪評価や嫌がらせを受け、彼は精神的にも肉体的にもぼろぼろになっていた。
「僕は今酷く忙しい状況なんだ。つまらない用件だったら許さないよ」
それでも、最後に残ったなけなしのプライドを振り絞り、彼は高圧的に眼前の白衣を羽織った少女に告げる。
それを受けた少女──先ほどエルク及びサラカと出会った学者風の少女エステルは、笑みを張り付けたまま単刀直入に用件を述べた。
「ちょっとね。エルク=アンシャールについて聞きたいことが──」
その固有名詞を聞いた瞬間、アキオスの態度が豹変した。
「その名をッ、僕の前でッ、出すなぁ!」
一気に魔力が高まり、怒りのままにそれが荒れ狂う。
「何だ、貴様もあの決勝戦を笑いに来たのか! ふざけるなよ、あれはエルクが不正をしていたんだ! 真っ当に戦っていれば確実に僕が勝っていた! どいつもこいつも事の真相を理解できない平民の低能がッ! 僕を笑うな!!」
まだ何も言っていないに等しいにもかかわらず、名前だけでこの反応。この数日彼がどんなことを言われてきたのか、それだけで推し量れよう。
だが、その言いがかりに近い怒りを受けても尚、彼女は笑みを崩さない。
「『エルクが不正をしていた、真っ当に戦っていれば確実に僕が勝っていた』ね」
どころか、こんなことを告げてきた。
「うん、ボクもそう思うよ」
「な──に?」
アキオスの怒りがその一言で止まり、訝しむような視線を向ける。
「ボクは武闘祭での全ての戦いを見ていたんだけどね。彼の動きはどうも不可解だ。明らかに視えてはいけないものが視えている。ボクの知るどの天眼にも魔眼にも当てはまらない、『見える世界が変わる瞳』。彼が得たものは恐らくそれだ。その眼を不正というならば確かに不正をしていたと言えるだろうね」
すらすらと告げられた言葉、その最後の部分を聞いて。
「──はは」
アキオスは、久々に笑った。
「ははははは! そうか、そうだ、やはりそうだろう! 僕の目に狂いは無い! エルクは劣等種の卑怯者だ! ニナも何だ、あんなに自信満々に不正は無いと言っておいて事実は違うじゃないか、力ばかりで頭の伴わない小娘が! やはり僕が全て正しいんだ、はははははははは!」
我が意を得たとばかりな様子のアキオス。
当然だが、今の言葉は矛盾だらけだ。エルクの『眼』が不正かどうかなど、前例が無い以上誰にも決められる場所ではない。
不正と言ったところで『アキオスは不正と思っている』ということ以上の意味は無く、絶対的に認められるものではない。
だが、アキオスはそれに気づかない。人間とは、信じたい情報だけを信じる生き物なのだから。
「なるほど。君は他の平民どもとは違う、見る目のある人間なのだね。いいだろう、話を聞いてあげてもいいよ」
そして、分かりやすいほどに気を良くしたアキオスがエステルに話しかける。そんな様子の矛盾を彼女は指摘せず、どこか外見に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべ。
悪魔のように、告げる。
「エルク=アンシャールが突如として得た力。それと同種の力を、キミにも得て欲しいと思ってね」
あまりにも、アキオスにとって抗いがたい誘いを。
「彼の力はね、恐らくボクの研究していたものの先にある力だと思うんだ。その実物を見たことでインスピレーションが湧いて、ついさっき完成まで漕ぎ付けた。その成果は真っ先に、キミに使って欲しいと思ってね。実力があって、強い意志を持ち、そしてなによりエルクに煮え湯を飲まされたキミにこそ、この力は相応しい」
アキオスにとって耳触りのいい言葉を並べ立てるエステル。追い詰められて視野の狭窄したアキオスにとって、それは麻薬のように染み込んでいく。
「……その力とは、どんなものなんだい?」
「まず、単純に魔力量が跳ね上がる。今までとは比べ物にならないほど多くのものを従えることが出来るだろう。きっと世界もキミを無視できない。そんな力さ」
僅かに残った理性が発した言葉も、更なる都合のいい返答によって掻き消される。
エルクによって追い落とされた自分が、エルクと同種の力を得てエルクに復讐する。そんな甘美な未来像に、アキオスは完全に囚われていた。
「……ふむ、いいだろう。実験対象の真似事をするのは気に食わないが、確かに君の言う通りその力は選ばれた僕こそが得るべきだ。
それで、どうすればその力を得ることが出来るんだい?」
こんな状況でも高圧的な物言いを崩さず、しかし内心では待ちきれない様子を最後の台詞に表して、アキオスは問いかける。
返答の代わりにエステルが取り出したのは、朱色の液体が入った薬瓶。
「直接的な方法はこの調合した薬剤を飲むことだけど、その前に説明しよう。
……今から得る『力』の根源はね、原呪だよ」
「原呪……だと?」
アキオスが顔を歪める。
「『同一根源仮説』って知っているかい? 原呪、魔法、そして迷宮。これらの要素は、全て同じ『呪い』の力を根源としている、という仮説さ。
迷宮の力を応用した結果出来た力が魔法だ。だけど、あくまで迷宮の力は迷宮のもの。人間が使う上では十全の力を発揮できない。その点──」
「──原呪の力。人間の持つ呪いを基にした力ならば、より人間に合っている。だからより優れた力になる?」
「ご名答。比べ物にならないほど優れた力、とも付け加えておこうか」
エルクが得ていたものはそれか、とアキオスは納得する。
同時に、その力に対する期待が高まってくる。
「いや、しかし。僕に原呪は……」
「あるよ。原呪は全ての人類に対して例外なく存在する。無いように見えるのは、その影響が分からないほど小さいだけなのさ」
そしてエステルは、アキオスに対して薬瓶を差し出す。
「この薬は、その眠れる原呪の力を呼び覚ますもの。そして、その力に指向性を持たせるのは──キミの意志だ」
「意志……?」
「そう。だからボクはキミに声を掛けた。憎いんだろう? エルク=アンシャールが。憎しみというのは最も強い意志の一つだ。そういう人間をボクは探していた。さあ、その憎しみを高めながら、この薬を飲むんだ。そうすれば原呪は、必ずキミの意志に応えてくれる」
眼前に差し出された、朱色の薬剤。
遂にそれを、アキオスは高揚感と共に手に取る。
「……分かったよ。君の研究、僕が使ってあげよう」
瓶の栓を開けつつ、アキオスは言われた通りに自身の感情を高める。
アキオス=セルジアは、ニナと同じく元貴族の人間だ。
相当に地位の高い家に長男として生まれ、能力も申し分ない。通常なら、家を継ぐのは間違いなく彼になっていたことだろう。
──その立場と能力によって不自由を知らず育ってしまったが故の、あまりにも傲慢すぎる性格さえなければ。
アキオスは家を追放された。彼の弟が、彼と同等の能力に加えて非常に聡明な性格を表し始めた頃に。
「貴族は神ではなく、民は奴隷ではない。その意味をよく噛みしめると良い」
放り出される際の父の言葉を、アキオスは最後まで理解できなかった。
アキオスは思い出す。自身の過去を。
(僕はこんな冒険者風情に身をやつしたままで終わるような人間じゃない。愚鈍な父に、軟弱な弟。あんな奴らがなまじ権力を持っていたせいで僕は追放された。冒険者として成りあがって、いつか高貴な身分に返り咲いてやる。僕の価値を分からない無能どもに、僕を切ったことを後悔させるんだ)
アキオスは思い出す。自身を軽んじる少女たちを。
(ニナも同様に後悔させてやる。力ばかり優れた脳筋の小娘が。僕と同じ境遇だからという理由で使ってやっていたが、もう限界だ。あのサラカとかいう小娘もそうだ。エルクに誑かされる頭の弱さもさることながら、この僕に向かってあの暴言の数々。許しがたい。力を手に入れたら、真っ先に惨い目に遭わせてやる)
そしてアキオスは思い出す。この状況の元凶となった少年の名を。
(エルク=アンシャール……! 奴は誰よりも許されない。武闘祭で僕の価値を更に広く認めさせ、領主とのパイプも繋ぐ予定だったのに。それが全てあの男のせいで台無しだ! ふざけるなよ、お前のような劣等種が、この僕の邪魔をするなんてあっていいはずがないだろう! 奴には死よりも恐ろしい罰を与えてやる……!!)
そうして、十分に己の憎しみを再確認したアキオスは。
期待と愉悦に満ちた笑みで、薬剤を一気に流し込んだ。
すぐに効果は表れた。
体内に染み込んだ薬剤が、己の魂の奥底にある何かと反応するのが分かる。そこから、溢れんばかりの力が迸るのも。
全能感が体を包む。溢れる魔力が言い様の無い高揚を与える。
(素晴らしい! やはり僕は選ばれた人間だ、これだけの力を得るのにふさわしいのは僕だ!)
そんなアキオスの心に応えるかの如く、力は更に溢れて、溢れて──
──ぱきり、と。何かが壊れる音がした。
「……え?」
違和感に気付くアキオスだが、既に手遅れも手遅れだ。
「『同一根源仮説』には、続きがあってね」
アキオスの様子を黙って見ていたエステルが、ここで口を開く。
今日の午前にエルクと会った際、彼が話していた内容をなぞるように。
「原呪と迷宮の根源は同じ力。ならば──人間の原呪が何かしらの理由で暴走して、その成れの果てが迷宮なのではないか。そういう学説なんだ」
まるでそれが合図だったかのように。
「言ったよね? 『原呪』と『迷宮』は同種のものだと」
「か──あ──が──?」
メキメキと、アキオスの体が変質を始める。溢れ出る魔力に耐えられるよう、作り変えられていくかのように。
「ああ、やっぱり」
エステルが、感情の見えない笑顔で告げる。
「キミは、呪いに負けたか」
変質を続けるアキオスが目を見開く。
「うーん、こうなると『原呪が強い人間ほど魂も強い』っていう仮説も現実味を帯びてくるなぁ。まだこれは検証が必要だけど──」
「ま、待て! 騙した……のか……?」
必死の形相で言い募るアキオスに、エステルは肩を竦める。
「騙すの定義によっては騙したのかもしれないけど、少なくともボクは嘘は吐いてないよ。
『単純に魔力量が跳ね上がる』だろう? キミの体が耐えられるかはともかくとして。
『今までとは比べ物にならないほど多くのものを従えることが出来る』よね。だって魔物は全て迷宮のものなんだから。
『きっと世界もキミを無視できない』。当然だよね。キミはこれから、人類の脅威そのものになっちゃうんだから。
──ほら。ボクは一言も、『人間をやめない』とは言っていないよね?」
先の台詞をなぞりながらエステルが告げる。
「あ──ぎぁ──なんで、こんな、ことを」
変質が顔にまで訪れて、舌すら回らなくなってきたアキオスの問い。
それにも彼女は、用意していた答えを告げる。
「そういう呪いだからさ」
アキオスがまだ固まっていない左目を見開く。
「最後に教えてあげようか。ボクの原呪は、『賢者の呪い』。『未知を解明しなければならない』呪いだよ。
……ごめんね? 本当はこういう人体実験は悪いことなんだけど、これが解明の近道になると分かったならボクはこうしちゃうんだ。うん、そういう呪いだからね。絶対逆らえない呪いだから仕方ないよねぇ。……だからさ」
白々しく言い捨てた後、エステルはアキオスを真正面から見据えて。
変わらぬ笑顔で、こう告げた。
「ボクの呪いのために死んでよ。アキオス=セルジア」
その一言が、止めになった。
「あ──あぁ、た、助け──」
「さあ、神々よご照覧あれ! 貴方達が自分だけの特権だと奢る迷宮の創成、それは今この瞬間ボクの手で人の業に堕ちる! 世界初の、人造『アラヤの迷宮』だ。ボクは生憎神の存在を信用はしているが信仰はしていない。だから告解の言葉はこう告げよう。──ざまあみろ、とね!」
アキオスの最後の言葉は、彼女の高らかな宣言に掻き消され。
ここに、新たな迷宮がまた一つ、世界に刻まれた。
◆
「これはまた、悪趣味な迷宮だなぁ。……おっと。ここでぼさっとしてると魔物に襲われちゃう。流石にデータも無しに未知の魔物に挑むのは危ないからね。退散退散っと」
完成した迷宮を見据えて、エステルはそう告げ身を翻す。
走って迷宮から遠ざかりつつ、彼女はくすりと笑って告げた。
「……安心すると良い、アキオス=セルジアさん。キミ自身は迷宮になってしまったけれど、ちゃんとその力はキミの意志を反映する。エルク=アンシャールに復讐するため、迷宮はその機構を存分に果たすことだろう」
そこで彼女は一旦言葉を区切り、美しい満月が輝く空を見上げ。
今日会った興味深い少年のことを思い出し、最後にこう言った。
「まあ、とは言え。『彼』が大人しく復讐されてくれるとは、ボクには到底思えないけどね?」
その言葉とともに、謎の研究者の少女は、夜の街に消えていった。
こうして、サラカを追うエルクを取り巻く現在の状況は、思わぬ混沌を見せていく。
また評価を頂いてました! ありがとうございます<(_ _*)>
クライマックスまで一気に駆け抜けますので、お付き合いいただければ幸いです。




