25話 天使
本日二話目の更新です。
「…………え?」
なにが、おきた?
あまりに不可解な状況に混乱しつつも、この五年で染みついた動きはこの状況に対して的確に対応する。
まずはバックステップで距離を取り、患部を確認。熱線が貫いているのは左肩だ。左腕は動かないが、激痛が走っているということは感覚はある。神経まではやられていない。
思考を乱す痛みに歯を食いしばりつつ、ポーチから保険用の上級ポーションを取り出して肩に振りかける。完治はしないだろうが応急処置にはなる。ひとまずはこれでいい。
……危なかった。
あの瞬間、サラカの動きが右眼で視えたから咄嗟に熱線を受ける場所を致命的ではない所に変更できたが、そうでなければ間違いなく──心臓を撃たれていた。今更ながらその現実に血の気が引く。
ともあれ、応急処置が済んだところで離れたところに居るサラカを見やる。何が起きたのかを、この眼で確かめるために。
そして、彼女は。
「──あ……」
先とは打って変わって、血の気が引いた顔。俺の肩の傷と自身の右手を見て、目を見開いて肩を震わせ、唇は動くものの言葉は出てこない。
まるで、自分がやったことをたった今認識したような顔。
その顔を見て、一つだけ確信した。
今の行動。サラカが突如として俺を殺害しようとした行動。それは、彼女が意図してやったことではない。
ならば一体なぜ。その疑問を解消すべく俺は彼女に向けて一歩踏み出そうとするが、
「だめですっ!!」
両手を前に突き出した彼女によって、それは止められる。
「だめです、だめなんです」
「す、サラカ。一体何が」
「それ以上近付いたら、今度こそ殺せてしまいます。あなたの眼を用いた回避は今のでもう考慮に入りました。次は躱させてもらえません。分かるんです。できるって分かってしまうんです!」
いよいよ困惑が極まる俺に、彼女は泣き笑いのような顔を向け。
あまりにも端的に、理由を述べた。
「だって──そういう『呪い』なんですから」
「──」
衝撃が、全身を伝った。
彼女がこの状況でこの言葉を発するならば、それが指すものはただ一つ。
『原呪』。原初の呪い。人類すべてが持って生まれた行動の制約や強制で、逆らうことは不可能なもの。
そのほとんどは効果が弱いため日常で気にすることは無い。しかし稀に、俺の『聖者の呪い』のように強い縛りを持って生まれてくる人間がいる。
まさか、彼女も。
「わたしの──」
その先の答えは、彼女が自ら述べた。
「わたしの原呪は、『天使の呪い』。
殺人衝動を強制する。そういう呪いです」
…………それは。
端的でありながら、俺の知るどの原呪よりも残酷で恐ろしい、呪い。
傷つけることを封じる俺の呪いとは、対極に位置する原呪。
「エルク、あなたは悪くありません」
胸を手で押さえ、息を荒らげながら、切実な様子で彼女は言葉を絞り出す。
「悪いのはわたしです。わたしが『条件』を満たしてしまったから、この呪いが発動した。大丈夫だと思ったけど、耐えられなかったんです。ごめんなさい、だから──ッ!」
言葉の途中で、びくっと彼女は体を震わせ、更に一歩下がる。
そしてサラカは、最後に俺に、今にも涙が零れ落ちそうな顔を向けてから。
背を向けて、一直線に走り出し、洞の入口へと消えていった。
◆
唐突に急変した状況に、訳も分からず立ち尽くしていた俺だったが。
しばらくの後我に返る。そして、まだ分からないことは多いがとにかくこのままではまずい。そんな直感に従い、彼女を追って駆け出す。
しかし、彼女を追う以前に。
まず、迷宮からの脱出。これが困難を極めた。
理由は言うまでも無く俺の最大の弱点、聖者の呪い。魔物を傷つける手段を持たず、また傷つけるような行動は強制的にキャンセルされる。それによって威嚇用の攻撃魔法もリスクが高すぎる為出来ない。
故に、相手が余程弱くない限り、俺は魔物に遭遇した時点で窮地に立たされる。人間相手と違って交渉や脅しも効かないからだ。必然、迷宮の進行も慎重にならざるを得なくなる。
それでも、焦りそうになる心を押さえ、右眼を駆使して魔物をすり抜け、長い時間をかけながらもどうにか脱出に成功した。
彼女も実力からすれば脱出するだけなら問題ない。そう思った俺は、まず迷宮の外での彼女の足取りを掴むために、自分の宿に戻る。
時刻はもう、深夜になっていた。
そして、宿の自室で見つけた。
サラカ自身──ではない。しかし戻ってからサラカが急いで書いたと思われる、やや粗い字体での置き手紙を。
『多分あなたは、迷宮を出てから闇雲に私を探したりはせず、一旦自室に戻っていることでしょう。だからここに置いておきます。わたしだってあなたの行動くらい読めるのです』
そんな彼女らしい書き出しで、その手紙は始まっていた。
『まず謝ります。すみませんでした。あなたを……殺そうとしてしまったこと。そしてあの場で酷く取り乱し、満足な説明が出来なかったこと』
「……」
『あの場で説明したとおり、私の原呪は『天使の呪い』。殺人衝動を強制する原呪です。
そして、その衝動が発現するきっかけは──誰かと、一定以上の絆を結ぶこと』
どくん、と心臓が跳ねた。
『つまりこの原呪は、仲良くなった人ほど殺したくなる。そういう呪いなんです』
ひょっとして俺は、想像以上に残酷なことを、彼女にしてしまっていたのではないだろうか。
そんな俺の心情を読んだように、続きが書いてあった。
『これも迷宮で言いましたが、あなたは悪くありません。あなたは純粋にわたしのことを気遣って、必要以上に距離を詰めることもありませんでした。……だから悪いのは、そんなあなたの優しさに必要以上に甘えてしまった、わたしなんです』
繋がっていく。今まで彼女に対して抱いていた違和感全てが。
彼女が俺と距離を取ることを心掛けていたのは、そうしないと呪いが発動してしまうから。
俺を拾ってくれ、呪いに対しても高い理解を示してくれたのは、自分も酷い原呪を持っていたから。
『本当は、このことを最初に明かしておけば良かったのかもしれません。でもごめんなさい、それは怖くてできませんでした。初めて出会った、わたしと同じくらい強く原呪で苦しんでいる人を、手放したくなかったのかもしれません』
彼女は、本来非常に人懐っこい性格をしている。それは心を許した人間への態度を見ていればよく分かる。
そんな彼女が持っていた原呪が、よりによってこんな。
……なんて、ひどい。
『それに、きっとわたしが話してあなたが許してくれたとしても、この結末は変わらなかったでしょう。今では、そう思います』
そして、遂に手紙は終わりを迎える。
『一度衝動が発現すると、もうどう頑張っても抑えることは出来ません。今後わたしは、あなたが目に入るたびにあなたを殺そうとするでしょう。
……だからわたしは、冒険者をやめます。これ以上、あなたの迷惑にならないように』
「っ」
『あなたは、わたしと出会った時とは比べ物にならないほど強くなりました。そしてこれからもそうでしょう。あなたならばいずれあなたの夢である、素晴らしい冒険者になることも不可能ではないと思います。
そんなあなたと一時でも冒険を共に出来たのは、とても楽しかったです。だから、ありがとうございました。そして、さようなら、です』
読み終えた手紙を、ゆっくりと折り畳む。
彼女の事情は分かったし、彼女の意志も確認した。
……ならば俺は、その意志を尊重すべきなのだろう。もとより俺は彼女に拾われた身だ。彼女がそれを望むならば、離れることも辞さないつもりだ。
そうだ、そもそも俺はこれまで二十八回も捨てられてきた。それが今また一回増えただけ。それだけだ。
それだけの、はずだったのに。
手紙の裏にあった涙の染みを見た瞬間、そんな思いは吹き飛んだ。
「……いやだ」
そう思った。
彼女の為を思うならば彼女の要望通り会わない方がいい。そんなことは百も承知だ。その上でも尚、心の奥底が嫌だと叫んでいた。
あんなにも強くて、あんなにも優しくて、あんなにも綺麗な心を持った彼女との旅路が、こんな形で終わるのは、認められなかった。
……せめて、もう一度、彼女に会いたい。
その結果どんな結末になろうとも──たとえ彼女に殺されようとも。
伝えたいことがある。言いたいことが、あるんだ。
手紙を懐にしまって。
顔を上げ、俺は宿を飛び出した。
第一章ラストエピソード、開幕です。
ここからは一日二話更新も交えつつ、一気にクライマックスまで駆け抜けていきます。
評価も何と二件、頂いてました! ありがとうございます!
どうか彼らの迎えるエンディングを最後まで見届けていただけると幸いです。




