悲しみの夜は共に
今日の催し物は皆で見ようねって、楽しそうに話していたはずだった。
でもいざ会場に行ってみれば、皆は集団で移動して、私一人から逃げるように遠ざかっていく。
まるで邪魔だと、不快だと、そんな目を向けながら。
──ちょっと何?
ついてくるよ?──
どうして……? どうして、そんな言葉を、そんな目を。さっきまで一緒にって話をしてくれていたのに。
意味が分からず、また一歩と踏み出した足は、また皆から引き離されるだけの一歩になってしまう。
──どうする?──
ああ待って、そんな顔をしながら行かないで。
伸ばした手は、私を不快そうに見る沢山の目に気圧されたように、また胸元で握り締めるしかなくなった。
私が何かをして──?
──いいや、私の存在そのものがだめなんだ。
酷く、胸を締め付けられるような、この上ない悲しみを感じて目が覚めた。どうして今更こんな夢を見てしまったのだろうか。
私の意思とは関係なく涙が頬を滑り落ちていく。拭っても溢れ続ける涙はどうしても止めることができず、寝間着の袖口をただただ、温かく濡らすばかりだ。その間ずっと締め付けられるように痛む胸は、私の心の奥底までに残った記憶のせいか。もう大分そういう環境からは離れたと思っていたのに、残るものは残っているらしい。
右に寝返り鼻をすする。涙はまだ止まらずに溢れ続け、私の顔を伝って枕までも濡らしてしまう。じんわりと広がっていく生温かい染み。私はこの感覚があまり好きではないけれど、勝手に溢れてしまうのはどうしても止められない。それでも、耳に涙が流れていくのはもっと嫌いだから我慢する。
だから、こんな状況だったから気付けなかった。
音もなく私へと伸ばされた手が、頬を軽く撫で涙を拾い上げていったのを。
「っ! き──」
「騒ぐな、俺だ」
条件反射で叫びそうになったところ、すぐさま口を塞がれ悲鳴はかき消された。私の口どころか顔半分も覆ってしまいそうな程大きなその手は、私を自らの屋敷に置いてくれているジェフレッドさんのもので。私は正体が分かったと、大丈夫だという意をこめて頷いた。
「もう、完璧に気配消して入ってくるのやめてくださいって言ったじゃないですか」
「──ミルキ」
「ひやっとするんですよ」
「ミルキ」
「……」
私は起き上がり、ベッドの端に腰掛けていたジェフレッドさんと、やや開いている後ろの扉を見ながら、いろいろとごまかすように喋りだしてしまう。平常心を示したい時ほど饒舌になってしまうのは自然なことか、合間合間で冷静に私の名前を呼ぶその声に、私はやっと口を止めた。
そっと、まだ濡れかけの頬に手が添えられる。驚いたせいか涙はもう止まっていた。
「どうした、何があった」
「何もないですよ……もしかして、唸り声とか出しちゃってましたか?」
「いいや、俺が勝手に夜這いに来ただけだ」
「嫌だなぁ、もう」
いつもなら夜中の今でも、寝ている皆さんのことなんかお構いなしに大声を張り上げただろうに。今日ばかりはそんな気にもなれずに、私は困ったように笑っているような、そんな自覚があった。
「怖い夢でも見たか」
「怖い夢ではなかったんです、ただ……」
「あぁ」
私は、添えられたジェフレッドさんの手に頬擦りでもするように、目線をつ、とずらした。夢、夢。さっきまで見ていた、勝手に涙が溢れてくるような、悲しくて痛い夢。
「なんだっけな……遠回しに存在を否定されるような、どうしようもないくらいに悲しくて、起きても胸が痛むような、そんな夢です」
「そうか」
夢の内容は頭からすっかり抜け落ちていた。起きた直前までは、それが頭の中に映像として見えてしまうくらいには覚えていたのに、もう忘れてしまった。どうしてあんなに泣いてしまったのか、今ではよく分からないくらいだ。夢とはそんなものか。
ジェフレッドさんの手が少しだけ離れ、寝起きで乱れた私の髪を一房だけくすぐるように指に絡める。そうして、自嘲気味にふっと笑んだ。
「全く、お前を迫害していた奴らは全員殺してやったってのになぁ……」
まるで後悔のない行動をしてきたというのに、今は後悔しているというような声音で、表情に合わない言葉が落とされる。
私は当時を思い出し言葉が喉に詰まったようで、う、と変な声というより音を発してしまった。そして今度は、ジェフレッドさんの手から髪ごと逃れるように、反対方向へと顔ごと視線を逸らす。
「……助けていただいておいてこんなことを言うのも失礼ですけれど……あれはやりすぎです」
「何、お前をあの場所にいさせないための最高の手段だったろ?」
冗談めかして言っていても、この人は本当に最善だとして、私を傷つけた人たちに見せしめとして手を上げたのだ。一体、私の何が目に留まったのかは今も知りえないことなのだけど、ジェフレッドさんはそうして、孤立していた私をさらに孤立させ、たった一つの行き場へと絞った。
そして言い返せないのが悔しいけれど、実際救われたのは事実だ。いさせない、というよりはいられなくする、というのが正しいところだけど。
「でも……」
「何だ、今更文句があるか?」
「いえ、やっぱりいいです」
何かしらの反論はしたかったけど、何を言っても無駄だと思った。あの時、ジェフレッドさんはどうしたって私を手中に収め連れ帰るために、手段としてあの事件を起こしたのだから。きっと私は、この人に見つかった時から退路を塞がれてしまったんだ。彼と共に行くしかなくなるように、また、私を傷つけようものなら最悪な目に遭うと、一人にしかなれないというように。
私は毛布ごと膝を抱えた。
「私の存在自体が悪影響だって知ってますから……」
「人種とただ容姿が白すぎるってだけだろ、まだ言うならその口縫いつけるぞ」
「ごめんなさい」
愛するも、迫害するも自由。私自身、自分が何者かも理解しないままに、人種としての定めの中に囚われ、あの場所では人並みに愛されたり酷く迫害されたりを繰り返した。言い伝えでは、その扱い方ひとつで運命を左右するほどの出来事が待っているのだとか、何とか。そうして私の周囲の人たちは、伝承に振り回され、私と両極端に接した。
悪夢を見た弱気の内、悪い思い出も蘇ってしまい、目を伏せる私の頭や髪、頬までをも包み込んでくれるように、ジェフレッドさんの手が再び温かく撫でてくれる。
「さすがにもう落ち着いたか」
「はい、ありがとうございます」
小さな子供を寝かしつけた達成感でも感じたように、鼻で笑ったジェフレッドさんの手が離れる。そしてベッドからも離れてくれる──と思いきや、その体は私の頭よりも下に落ちた。
「さて──」
「あ、あれ、ちょ、ジェフレッドさん……?」
自分の部屋に帰るだろうと思っていたジェフレッドさんは、あろう事か私の隣に入って布団を被り、片方を開けて待っていた。その顔は先程までのように柔らかい笑みではなく、いつものような悪いにやり顔に戻っている。夜這いしに来たって当初の目的を果たすまでか。
どうにかして自室に戻ってもらいたい、とは思うものの、この人は一度決めて行動を起こしたのなら、どうあがいたって我を押し通すので、諦めた。大人しく、空いている隣に潜り込む。
「てっきり帰るのかと……」
「馬鹿が、何のために来たと思ってるんだ」
「知りませんよ」
けれど、暖かい。私はすっかり安心してそのまま眠ってしまった。ジェフレッドさんは夜這いだとか言いながらも、このあと私に悪戯なんてしてこなかった。仲良く二人床に就いた、といった感じ。今このような夢を見てしまったところに、添って寝てくれる人が居ることを、私はこの上なく幸せに思った。