猫と竜?
本日二度目の更新です
ビリビリと空気が振動して、ニーナのかぶっている三角帽子が震えた。
ニーナは、赤銅色のおっきなドラゴンを前にして、ぽかんと呆けていた。ペスは落ち着きを払っている。目の前のドラゴンなど恐れるまでもないと澄ました顔だ。
「ふふ、腕試しに地上へ降りてきたが、魔女が来るとはな……。幻想世界の宝を求めてか、ドラゴンキラーの名声を求めてかは知らないが、魔女の相手ができるのならば幻想界隈から下りてきた甲斐があるというものだ。相手にとって不足なし! 血のたぎりが抑えきれんぞ!」
ニーナの目の前で、ドラゴンが大きなお口を開けていて何かを喋っている。ずらりと鋭い牙が生えそろっている口は、ニーナとペスをまとめて一口で頂ける迫力だ。
ニーナは特にドラゴンさんを恐れる様子もなく、きょろきょろとあたりを見渡した。
猫の姿は、ない。
「さあ、それでは戦いを――」
「あの、ドラゴンさん」
さっきからなんか言ってるし、どうやらドラゴンには人の言葉を解する知性があるらしいと知って、ニーナは普通に話しかけた。
「――む、どうした、小さき魔女よ。言いたいことがあるなら聞いてやろうではないか」
なにか口上でも述べるというなら待ってやろうと、強者としての余裕をもって泰然としたドラゴンに、ニーナは問いをぶつける。
「猫は、どこですか」
予想外の質問に、ドラゴンはパチクリと瞬きした。
ドラゴンってまぶたあるんだな、とニーナは思った。人間と同じような、上から下へと下がるタイプのまぶただった。
「ねこ?」
「はい、猫です」
ニーナはここに猫がいるはずだと、まだ信じていた。
だってニーナはドラゴンに会いに来たわけではない。猫に会いに、はるばるここまで歩いて来たのだ。
第一、ドラゴンがいるからって猫がいないとは限らない。
決めつけはよくないことである。巨大生物のテリトリーに小動物がいないと決めつけるのは、可能性を狭める思考だ。
竜のテリトリーに猫がいる。むしろそれは、めったにないような素敵な光景が見られるかもしれないことなのだ。
「ドラゴンさん。あなたは、猫と一緒に、この洞窟に住んでいるのですよね。それは、とても、とっても素晴らしいことだと、私は思います」
「ふむ?」
両手を広げて熱弁し始めたニーナに、ドラゴンは「なんだこいつ」と思った。
「猫と竜。それは、素晴らしい組み合わせのひとつです。おっきくもかっこよいドラゴンが、小さくとも気高くかわいい猫と共生する。強さの象徴とかわいさの象徴とが、穏やかに大自然の中で暮らす。竜の巨体に、猫がよじ登り、背中で日向ぼっこをして、ころころと尻尾を転がったりする。おっきなドラゴンも、そんな猫をくすぐったく思いながら、間違っても潰しちゃったりしないように丁重に扱う。異種ながらも愛情の通じさせた、温かい奇跡の営みを尊いと、私は強く思います」
感情の変化が乏しい表情ながらも、ニーナは熱を込めて力説する。
「だから、お願いです。あなたと一緒に住んでいる、猫と会わせてください。願わくば、ぎゅっと抱かせてください。そして、ここにいるペスとわんにゃんさせてくれれば、無上の喜び、です!」
「ねことはなんだ?」
ニーナが停止した。
いまドラゴンさんが発した言葉は、ニーナの力説を無駄にしかねないものだった。ここまでわざわざ歩いてきたすべての道のりがふいにばってしなうセリフだった。
だが、と思い直す。
『猫』という単語を人間が知らずともドラゴンなら知っているのではと思っていたが、違うのかもしれない。目の前のドラゴンは猫という存在は知っていても、猫という呼称を知らないだけかもしれないのだ。
だから気を取り直して、必死に説明する。
「猫は、猫です。にゃーんと鳴く、四足の、とてもかわいい生き物です。毛玉のようにころころして、すらりとした尻尾が優美で、自由気ままにぴょんと飛ぶ、愛されるために世界に生まれた存在です。この世の愛が、小さな体にぎゅっと詰まった生き物、です! かわいいは、正義です! つまり、神が遣わせた正義の使者、です! 私を突き動かす、原動力です!」
「そんなものはいない。我は一匹でここに住んでいる」
「え」
ついに飛び出た決定的な言葉に、絶句した。
あまりのショックに、ニーナはよろりとよろめく。倒れそうになったところを、ペスがとっさに支えた。
ペスのモフモフに支えられながらも、どうしてこんなことになったのか、ニーナは考える。
そんな、バカな。ここに猫がいると、大人たちは言っていたのだ。その通りに洞窟までやって来たのに――と、そこまで思考がいってから気が付いた。
また、騙されたのだ。
「第一、かわいさなどなんの役に立つのというだ。かわいさが原動力だの、くだらんな。この世は強さが全てだ。愛だと。かわいさが正義だと? くだらんっ。野生が生きるためには、強さこそが生存を決めるのだ! 強さこそが正義なのだ!」
「あ、あ、あああああ」
羽を広げて語るドラゴンの言葉など、もはやニーナの耳に届いていなかった。
騙された。猫がいると聞いて――実際のところ、猫がいるとは誰も言っていないのだが――ドラゴン退治などというくだらないことをするように誘導されたのだ。
なんということだろうか。この世界は欺瞞に満ちていた。
ニーナは絶望した。猫と会えるという希望から絶望へと叩き落された感情の落差はすさまじかった。
「さあ、問答が終わったのならば、勝負をはじめ――」
「うぁああああああん! だまされたぁあああああああああ!」
「――ごふうっ!?」
ニーナの体から全方位に放たれたエネルギー波が竜の鼻面にヒットした。
希望から絶望への相転移により発生したエネルギーは、エントロピーを凌駕する膨大な規模の熱量だった。
放たれた力場はドラゴンを吹き飛ばして洞窟の奥に叩き込むでは飽き足らず、その巨体を山の中腹までめり込ませて大爆発を引き起こし、洞窟を崩壊させ生き埋めにさせた。ペスはとっさに伏せの体勢になることでやり過ごしていた。
ものすごい音を立てて崩壊する洞窟を前にして、怒りで理性を失ったニーナは「シャー! グルルルゥァッシャー!」と本能丸出しに威嚇を振りまく。
傍から見ても、手のつけようがなかった。
怒りがニーナを支配していた。このまま村に討ち入りして村長の髪の毛を残らずむしってくれると足を踏み出そうとしたニーナの裾を、ペスがパクリと加えて引っ張った。
賢く穏健なペスは、きゅうんと鳴いてニーナをなだめる。
「ぺス……」
野生化していたニーナの瞳に理性が戻った。
怒りが過ぎ去った後に去来するのは悲しみだった。
目じりに涙をためたニーナは、ぺスの首筋に抱き着いた。ペスはぺろぺろと慰めるようにニーナの頬をなめる。
「ぺス、ぺスぅ。この世界は詐欺師ばっかりだよぅ……知性を、言語を、理性を、悪意のために使うひどい人間にばっかりに会うよぉ……。どうして、こんなにも人間は愚かなのかな……?」
ニーナはえぐえぐと涙をこぼす。十歳にして、種族人間の愚かさを感じていた。
自分も愚かの一員というか、おバカの一人だと自覚できれば、その言葉にはより一層の説得力が伴ったかもしれない。ただ、十歳児に客観性を求めるのは厳しいものがあった。
「ペスだけだよ、私のことをわかってくれるのは」
愚かなる人類がはびこるこの世の中、ニーナが信じられるのはただ一匹、ぺスだけであった。
ドラゴンを吹っ飛ばしたことなど忘れて、しばらくニーナはペスのモフモフに顔をうずめてしくしくと泣いた。
アマラ先生の『猫と竜』面白いですよね。
とりあえず、あらすじ分を消化です。
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