それは本当に猫だろうか
「ふう。今日はここまででいっか、ぺス」
街道を歩いていたニーナは、日が赤く染まったのに合わせて歩みを止めた。
大人ならば半日歩けば次の村に着く道だったのだが、子供の足ではそこまでたどりつけなかった。
歩き通しで疲れていたニーナは、そっと街道わきに寄って座り込む。
もう日も暮れ始めている。今日はこの辺りで寝ようかな、お腹空いたな、のどが渇いたな、とぼんやり考えながらお散歩用のポーチにごそごそと手を突っ込む。
何か飲み物でも入っていないかと思ったのだ。ちなみに、この段になっても「帰る」という選択肢はニーナの中に存在していなかった。
そうしてポーチに手を入れると、なぜかポーチの中にニーナの腕が肩口まで入った。
「……?」
ポーチの容量を明らかに超えている気がした。
不思議に思ったニーナは、いったん手を引っ込めてからポーチの中をのぞき込む。
そこには結構な内部空間が広がっており、中に犬の散歩に使うための小さなシャベルと紙袋はもちろん、水筒とお弁当、ぺス用の犬皿とぺスのご飯。さらには毛布と三角帽子、そして手紙が入っていた。
ニーナは翡翠色の瞳をぱちぱちとさせる。
なんだろう、これはと思ったが、答えは出なかった。
「ま、いっか。ご飯、食べよ、ぺス」
「わふ!」
考えてもわからないことを考えても仕方なしと割り切ったニーナは、水筒とお弁当を取り出し、ぺスと一緒に夕食を食べ始める。お弁当の中身はサンドイッチ。ニーナの気分はピクニックだった。
「うん、これは、なかなか」
誰かの手作りのサンドイッチにざっくりと寸評を下しながら、ぺスのご飯も用意する。ぺスは、犬皿に盛られたご飯を尻尾を振りながらがつがつと食べ始めた。
大型犬の食事風景は、豪快ながらもなぜか心安らかになるものだ。
しかし不思議なポーチである。サンドイッチを食べながらもごそごそとポーチをあさったニーナは、一通の手紙をつかみ取った。
そこには、流麗な文字がつづられていた。
『こんにちは、ニーナちゃん。あなたの師匠の魔女です。このポーチは、ちょっとした魔法がかかっていて、拡張された内部空間が私の家とつながっています。だから、こうして君に手紙を出すことができます。町を出ようとした君に、ぺスがこれを渡してくれたおかげですね。さすがぺスです。一人でどっか行こうとする君を放っておけず、付いていくことにしたんだと思います』
どうやらあの暫定師匠さんからの手紙のようだった。
ポーチの謎が解けた。どうやらこのお散歩ポーチは魔法のポーチだったらしい。
だから中が広かったのかと納得したニーナは、ご飯を食べ途中のぺスを撫でながら二枚目をめくる。
『君が町を出て行ったと聞いて、正直、とても焦りました。なにが気に入らないで私に殴りかかったのか、なんでぺスと一緒に旅に出ることにしたのか。嘘を吐かずに告白すると、私には君のことがよくわかりません。君を引き取っておきながら、この体たらく。ふがいない師匠だと思います。無理やりでも連れ帰るべきか、とも思いました。常識的に考えれば、そうするべきだとはわかっています』
意外と長い手紙のようで、二枚目が終わっても本題に突入しなかった。
『でも、よく考えてみれば、私も君くらいの歳に町を出て、いろいろとやんちゃをしているうちに、いつの間にか世界最強の魔女なんて呼ばれるようになっていました。そんな私が、君のことを止めるのも変かなと思います。詰め所で暴れてすっきりしたら、そう思えました』
「暴れて……?」
暴力ですっきりなんて乱暴な人だなぁと自分のことを棚上げにしつつも四枚目に突入。ぺスがご飯を食べ終わっていたので、銀皿を下げてポーチに放り込んだ。
『私は君の引き取り主だし、君の師匠でもあります。このポーチは家の空間とつながっているので、ご飯とかお水とか、他にも旅に必要そうな品、月々のお小遣いも用意します。魔女の印の三角帽子も入れておくので、それはきちんとかぶってください。それさえかぶっておけば、ちょっかいを出すバカは激減すると思います。ぺスが一緒にいるので安全だとは思いますが、一応、自分が魔女だと主張するのは重要です。見かけ相応の年齢の魔女は少ないので、三角帽子さえかぶっておけば見かけで判断するやつは、そんなにはいません』
なるほど。子供の一人旅では舐められることもあるだろう。
ニーナは言われた通りに三角帽子を取り出し、被る。
先っぽがへにゃりと折れている三角帽子だった。ちょっとかわいいデザインだったので、ニーナの機嫌が上昇した。
『魔法の使い方は、これから手紙で教えようと思います。君は出会った初日で感情エネルギーを拳に乗せて私が常時展開させている障壁を破ったくらいに才能あふれたすごい子ではあるけれども、私はあなたの師匠だから、伝えることは伝えたいと思います』
「師匠は……意外と、いい人だった……?」
手紙の内容が、思っていたよりずっと親身な内容だったので、ニーナはちょっぴり師匠の評価を上昇修正した。
そういえば師匠の名前を知らないなと思ったが、特に知りたいとは思わなかったので続きを読む。
『魔法とは、感情エネルギーの操作で力を引き出していろんな現象を顕現させることです。魔力を引き出すために、おへその内側をぐっとやってみてください。それを、わーって感じで放出しながらメラメラをイメージすると、ぼわって感じになります。それが火の魔法です。それができたら、次の段階に進もうと思います。だから、とりあえず、ぐっとしてぼわっとです』
「……?」
教え方が恐るべきレベルでへたっぴだった。
『続きは、また明日、手紙に書こうと思います。それじゃあニーナちゃん。元気に旅をして成長し、いつか無事、帰ってきて下さい。あなたの親愛なる師匠、ツェーヅルフォ――』
魔法講座がただの感覚論で何を伝えたいさっぱりわからなかったので、ニーナは末尾の締めを読むことなくこんな手紙なんて燃えてしまえと思いながらおへそをぐっとしてわーっとしてメラメラをイメージしたら、手紙がぼわっと燃え上がった。
「これが、魔法」
ここまで感覚的に魔法が使用できるのは前世も関係あるのだが、その記憶もないニーナはふーんと思っただけだった。
猫と出会えない魔法に何の価値があるのか。猫を見つけ出せない魔法に何の意味があるのか。猫と意思の疎通ができない魔法に何の存在価値があるのか。ニーナにはさっぱり理解できなかった。
「寝よっか、ぺス」
ニーナの呼びかけをくみ取ったぺスが柔らかい地面を見つけてせっせと穴を掘る。そして、掘った穴をぐるぐると回って地ならし。寝心地を整えてから、ごろりんと伏せる。
「ありがとう、ぺス。ふふっ。本当に賢いね」
即席の寝床の完成である。三日月形になったぺスを枕に、異次元ポーチから毛布を取り出したニーナは寝転がる。
初めての野宿ではあるが、不安はなかった。
なにせぺスが傍にいるのだ。
毛布よりも心地よいぺスのもふもふな温かさに包まれて、ニーナはすやすやと眠った。
***
「あなた……ね、起きて。あなた、大丈夫?」
「ううん……?」
翌日、ニーナはゆすられて起床した。
ニーナの目の前には、見知らぬ旅装の女性がいる。
起き抜けのニーナは、目をしょぼしょぼさせながら、寝起きの声で答える。
「どなた、ですか」
「ええっと、ただの通りがかりなんだけど……あなた、こんなところで寝てて大丈夫? 見た通りの子供、じゃないわよね?」
ニーナをゆすり起こした女性は、心配そうな顔をしている。
ニーナはぺスを確認。ぺスが敵意を示していないので、この人も害意はないなと判断した。
「大丈夫です。私は、旅の途中なのです」
「あ、やっぱりあなた、魔女だったんだ」
ニーナの言葉に、旅の途中の女性はほっと安堵したようだった。
「よかった。三角帽子をかぶってるし、使い魔っぽい犬もいるから魔女だとは思ったんだけど、見かけが十歳ぐらいの女の子だったから思わず声をかけちゃったのよ。家出をした女の子が街道わきで寝ていたとかだったら大変じゃない? だから、起こしちゃったことは許して?」
「そうですね。それは、大変なことだと思います。許して、あげます」
女性の言葉に、ニーナは大真面目に同意する。
ニーナは家出などしている自覚は全くなく、旅をしているつもりなので嘘を吐いているつもりすらなかった。
「それで、魔女さんは何で旅をしているの?」
「私は――」
猫を探している、と言いかけて口を閉じる。
他人に対して『猫』という固有名詞が通じないことには、さすがのニーナも身に染みていた。
だからこそ、ニーナは彼女なりの想いを込めて、できるだけ具体的に言い表す。
「偉大な存在を、探しています。とても、すごい存在です。見るだけで、思わず膝を折りたくなるような、大いなる存在です」
「ああ、なるほど。そっか、魔女さんもアレを見に来たんだ」
意外なことに、女性には心辺りがあるようだった。
きらっとニーナの瞳が輝いた。
「アレ、ということは……あなたは、知ってるの、ですか!」
「ええ。魔女さんのお目当ての相手は、この先の村の近くにいるわよ」
あっさりと肯定した。
「最近、幻想界隈からおりてきて住み着いたらしいのよね。私は遠目で見るので満足したけど、詳しいことは村長に聞けばいいわよ。普通の人じゃ手に負えないし、魔女が来てくれたっていうなら歓迎してくれると思うから!」
「はい!」
幻想界隈だとか細かい単語はわからなかったが、大まかにはニーナの探しているものが村の近くにいるということだけは伝わった。
「じゃ、私は行くから。さよなら、小さな魔女さん」
「ありがとう、ございました!」
思ったより、ずっと早く猫に会える。やっぱり旅に出てよかった。
そんな希望に目をきらきらさせて、ニーナは親切なその人に感謝した。