真夏のキス
都内に築30年2階建て、5畳一間、風呂なし、トイレは共同。その他の設備は一切なし。家賃月3万5千円なり。新山幸太がそのアパートに住みだして2年目になる。
「ええっ、マジでクーラーとかついてないの?」
2階に続く階段を昇りながら、アーモンド型の瞳を見開いて驚く友人をふり返った。
「やからお前が来るようなところやないと言うたろ。狭いし暑いし蒸し風呂や」
それでも行きたいと言うから連れてきたというのに。
日ごろバイトで土方をやっていてがっしりとした体型の幸太に比べ、友人の丹羽千郷は日焼けとは無縁のような白い肌と華奢な体の持ち主だった。
「風呂もないんやで。信じられんやろ」
自分の部屋の前で鍵を取り出しながら言う。
「でも家賃安いんだろ?ならしょうがないよ」
ドアを開けると篭っていた熱が外に流れ出し、二人は思わず目を閉じた。
8月に入ったまさに猛暑という日中。部屋の中はサウナと化していた。
「まあ上がり。なんもないけど」
「うん。お邪魔します」
最奥の窓を開け、唯一の冷器具である扇風機を最大にしてつける。大量の風が千郷の柔らかな髪を仰ぐ。
「…熱風がくるんだけど」
「我慢しろ。これ以上はどうにもならん」
幸太は押入れの中からタオルを2枚取り出し、1枚を千郷に放った。そして自分はそれを頭に巻きつけ後ろで結ぶ。
受け取った千郷は顔を拭ったりシャツのボタンを外して首の辺りを拭いている。
光に当たる肌を見て幸太は思わず目をそらした。
千郷との出会いは大学の入学式だった。クラスで席が隣同士だったのだ。はっきり言って幸太の一目惚れだった。しかも声をかけてきたのは千郷のほうからで、すぐ友達になった。
それからずっと淡い恋心を抱いている。
「しかし幸太はよく平気だねー。夜とか寝られるの?」
千郷の声に慌ててふり返る。
「あ、ああ、窓は開けて寝てるから」
「えー、危ないよ〜。泥棒とか入ってきたらどうすんのさ」
「ここに住んでるのはみんな同じような貧乏学生やぞ。取るもんなんかなんもあらへんて」
「物騒だなあ。あ、アイス食べよ。溶けちゃうぜ」
近くのコンビニで買ってきたアイスを取り出す。二人とも60円の棒アイス。
やかましい蝉の鳴き声と扇風機の作動音をBGMに、壁に寄りかかって二人は無言で食べ始める。
しばらくして千郷がぽつりと言った。
「――アイス食べると少しは涼しくなるよね」
「せやな。そんな気ぃするわ」
「口とか冷えるよね」
「まあな。冷たいモン食うとるからな」
「幸太の口、冷たい?」
「まあ、他のところに比べれば冷たいやろな」
「じゃあほんとに冷たいか、キスしてみない?」
「せやな・・・・・・はい?」
普通に聞き流してしまってから、幸太はまじまじと千郷を見つめた。真顔の千郷が自分を見つめ返している。
何を言っているのか分かってんのか?固まってしまた幸太の手から溶けたアイスが流れて腕を伝う。それを目で追った千郷はおもむろに幸太の腕を掴むとその後をゆっくりと舌でなぞった。
瞬間幸太は鳥肌立った。嫌悪ではない、欲望に似た感覚だった。
「ちさ……」
熱を帯びた千郷の瞳が幸太を捕らえる。二人は引かれるようにお互いの顔を近づけていった。
唇が重なったとき、幸太の頭の中でやばいという言葉が浮かんだが、うっすらと冷たい唇を感じた瞬間何かが弾け、千郷を押し倒していた。舌を伸ばして千郷の口腔を探る。千郷も遠慮がちに幸太の舌を絡め取る。
熱のせいでなければなんと理由をつければいいのだろう。千郷も自分のことが好きだというのか。
急に冷静になって幸太は唇を離した。身を起こして千郷に背を向ける。目を閉じていた千郷も半分起き上がった。
「――自分、熱でもあるんちゃうか」
「……あるよ。暑いもん。だからおかしくなっちゃったんだ」
幸太の背中にもたれかかり、足を投げ出す。
「幸太にキスしたいって思ったんだよ」
「――俺のこと好きなんか?」
千郷も俺のこと好きて、そう思ってええの。
「…好きだよ。ずっと好きだった」
千郷の告白に、にわかに信じられない思いがしたが、嬉しくて顔がにやけてしまう。後ろ向きで良かった。だらしない顔が見られなくてすむ。
「でも、幸太はそうじゃないだろうから、今のキスは熱のせいにしといて」
「アホか。誰がそんなもったいないことするかい」
「え?」
幸太は勢いをつけてふり返り、千郷の体を抱きしめた。
「おかしくてええねん。俺もおかしくなるくらい千郷のこと好きやで」
暑くて熱に浮かされるほど――君に焦がれていた。
「こうた……」
照れくさそうに微笑む千郷がとてもかわいくて、幸太は俯きがちな恋人の唇を情熱さでもって奪い取った。
サイトに掲載しているのを若干修正しました。
さくっと読めると思います。
青春を感じていただければ幸いです(笑)
幸太の関西弁は間違ってるかもしれませんすいません!