春巡(卅と一夜の短篇第12回)
冬の間に降り積もった竹の葉を踏みながら歩く。山道というほど明確な道ではない、明るくゆるやかな山の斜面。その乾いた土にわずかなひび割れを見つけ、二太郎は鍬で土をかく。
「あったか、にたろう!」
弾んだ声とともに、近くの草むらから幼児が飛び出してくる。二太郎が足を止めたのがわかったのか、それとも土に鍬を立てた音がきこえたのだろうか。まるで子鹿のようだな、と思いながら二太郎は手を止めて返事をする。
「うーん、どうやらはずれのようですね。一姫はありそうなところ、見つけましたか?」
掘り起こした土を戻しながら二太郎が聞くと、一姫はにっかり笑って両手に持った戦利品を見せてきた。
小さな腕にあふれんばかりに抱えられたのは、丸い葉の蕗、くるくると丸まった葉先が特徴的な蕨などの食べられるものから、すんなりとした葉の洋種山牛蒡や見るからに怪しい色形をした蝮草などの有毒植物まで、種々様々な植物だ。
春の早い季節によくそれだけ集めたものだ、と感心しながらも、二太郎は苦笑いする。
「……一姫、それは食べられないものもけっこう混じっていますよ。それに見つけたものを手当たり次第にとるのはいけない、と言ったでしょう」
ため息混じりにの二太郎の言葉に、一姫はぷうっと頬をふくらます。とたた、と足音も軽く二太郎に駆け寄ると、その側に置かれた竹の背負いかごに腕の中の収穫物を放り込むが早いか、再び草むらに消えていった。見えなくなる寸前、二太郎に向けてべっ、と舌を出すのも忘れずに。
「まったく」
一姫の揺らした枝を見て困ったように笑う二太郎は、ふと彼女のそばにいつもいる相棒の姿が無かったことに気がついた。
黒い髪が乱れるのも構わずに野山を駆け回る小さな彼女の肩を定位置にしている相棒、茄子と割り箸でできた精霊馬の紺。ひょんなことから一姫、二太郎と共に暮らすことになった紺は、小さななりをしているが、これでなかなかしっかりした茄子なのだ。
雨さえ降らなければ暑さ寒さに関わらず、すぐに家を飛び出し野山を駆け回りたがる一姫のお目付役のようになっている。手伝いも率先して行うため一姫に良い刺激を与えていて、二太郎からの信頼も厚い。
その紺の姿が見えなかったので二太郎は首をかしげた。けれど、きっと近くでまともな山菜を探してくれているのだろう、と考えて、かごと鍬を手に取り旬の味覚探しを再開する。
さて次はどこを探そうか、と二太郎が山肌を眺めてあたりをつけていると、不意に近くで枝葉を踏みしだく音がした。
「にたろうー!」
音のほうを向いた二太郎の元へ、駆け出して行ったばかりの子どもが自分の名を呼びながら走り寄ってくる。
「どうしたんです、一姫。もしかして筍を見つけたんですか」
のんびりと声をかける二太郎の袖を握って、一姫はぐいぐいと引っ張る。
「紺がたいへんなんだ! いそぐぞ、にたろう!」
慌てる一姫に連れられて、二太郎は山道を駆けていく。足を止めた場所で二太郎が見たのは、地面をぐるぐると走り回る紺の姿。それだけであれば遊んでいるのかと思うところだが、その実がどうにも常よりも二倍ほど膨れて見える。いつもは千両茄子らしいすんなりとした体をしているのに、今は賀茂茄子の仲間かと思えるほどに丸々としており、その実にいつもの艶がない。
「な、たいへんだろ!」
それを指差して言う一姫は真剣な表情をしているが、二太郎はどうにも状況がよくわからず、困って頬をかいた。
「ええと……紺、太りました?」
紺のいちだいじになにを言うか、と怒る一姫をなだめながら山を下りた二太郎は、家に着くと玄関先で紺を入れた背負いかごを降ろす。そしてかごの中を覗き込んで首をかしげた。
紺の体のいつもより膨れた部分が、その実から浮いているように見える。そう思ってよくよく眺めてみると、どうやら紺が太ったのではなく、丸くて黒っぽい何かが茄子の背にくっついているようである。
「紺、背中になにをつけているんですか?」
声をかけながら二太郎がかごの中に手を入れ、紺を手のひらに乗せたそのとき。
帰り着くなり家の中に駆け込んだ一姫が、どたばたと足音を立てて玄関に戻ってきた。
「今たすけるぞ、紺!」
鼻息も荒くそう言う一姫の手に握られているのは、ゴム鉄砲。先日、山向こうの街の春祭りを見物に行った友人の晴が土産に買ってきたものだ。
ひと月近く行われる祭りの初日に勇んで出かけたものの、見もののひとつである花の蕾はかたく身を縮めていたという。風も温んできたからひとつふたつくらいは綻んでいるかと思ったのだけれどね、と肩をすくめながら土産を手渡してくれた友人の姿を思い出す。
そんなことを考えて二太郎がぼんやりしているうちに、一姫は輪ゴムを装填し終えたらしい。
「さあ、にたろう。紺を下ろせ。その背中のふとどきものをうちおとしてくれる!」
眉をきゅっと吊り上げた一姫が力強く言うのに、二太郎は呆れてため息をついた。
「一姫、あなた自分の狙撃の腕を考えてください。まっすぐ前に飛ばせないでしょう」
ここ数日、二太郎を悩ませている問題を口にする。
土産をもらった一姫が大層喜んだのは良かったのだが、幼児ゆえかはたまた生来のものか、彼女は大変に狙撃の命中率が低かった。
並べた的に当たらないどころか、見当違いな方向に飛んで行くことは当たり前。一姫の後ろで見守っていた紺に当たったり、彼女の横を通った二太郎に当たることのほうが多かった。あまりの酷さに鉄砲の作りが悪いのかと二太郎が撃ってみると、問題なく輪ゴムは真っ直ぐに飛んで行く。
では何が悪いのか、と一姫に撃たせれば、やはり周りにいる紺や二太郎に当たる。痛くはないが迷惑なのを我慢して見ていれば問題はやはり一姫にあって、彼女がろくに狙わずに発射しているためにおかしなところに輪ゴムが飛ぶようだ。けれども本人にその自覚はなく、四方八方に輪ゴムを飛ばす彼女に二太郎も紺も辟易しているのだった。
そんなわけで、勇んでゴム鉄砲を構える一姫をあてにせず、二太郎は紺の背に手を伸ばす。茄子にしがみつくものを軽くつまむと、案外と簡単につまみ上げることができた。
背中の荷物が無くなった紺は、犬猫がするようにふるふると体を揺すって伸びをする。その実は、いつものゆるい曲線を描く体に戻っていた。
そして紺の背に乗っていた何かは、二太郎の指先でおとなしくつままれている。
「……これ、なんだ?」
二太郎がつまむものを見つめて、一姫がつぶやく。
紺にしがみついていたのは、煤けたような黒褐色をした丸型のもの。顔もくびれもない体に短い枝のようなものがいくつか、申し訳程度に生えている。ときおりかさかさと動くところを見ると、手足なのかもしれない。この丸っこい何かが背中に乗っていたから、紺が太ったように見えたのだ。
だがしかし、乗っていたこの物体はなんなのか。
「うーん、なんでしょうね」
しげしげと眺めて、二太郎も首をかしげる。
茄子をかじりに来た虫ならば、草むらにでも投げておけばいい。けれども、虫かどうかもわからないものを放り投げてしまうのは、どうにも躊躇われた。
「晴ならわかるかもしれないから、聞いてみますか」
対処に困った二太郎は、変人だけれど物知りな友人に尋ねることにした。そのためにまず一姫に、虫かごを持ってきてくれるように頼む。
「にたろう、持ってきたぞ」
「ありがとうございます、一姫。どこかに行かれても困りますから、ひとまず虫かごに入っていてもらいましょうね」
そう言って二太郎がつまんでいた黒褐色の丸を虫かごに移そうとしたとき、不意に丸いものが身じろぎして、指先からぽてりと落ちた。地面に落ちた丸いものは小枝のような手足をのそのそと動かして、庭のほうへと進んで行く。
逃げる、というほど素早い動きではなかったため二太郎はぼんやり見ていたが、一姫はおとなしくしていたものが急に動き出して驚いたのだろう。慌てて腰に差していたゴム鉄砲を構えて、二太郎が止める暇もなく撃った。
狙いを定めもせずに放たれた輪ゴムは、どういうまぐれか、ひょろひょろと飛んで黒褐色の丸に当たった。
ぺちり、と大した威力も無さそうな輪ゴムの攻撃であったが、突然の衝撃に驚いたのか、もぞもぞ動いていた丸はよろりと転がり玄関脇に生える小さな木にぶつかった。
ぶつかったところに花が咲く。
咲いたのは沈丁花。
のんびりと蕾を育てていた小木に花が開き、手毬のような姿と甘い香りが広がった。
「おお?」
一姫が驚きの声を上げる間に、二太郎は転がる丸いものに歩み寄ってその身を持ち上げる。
「これはまた、なんだか変わったものを拾ってしまったみたいですね……」
書き物をする二太郎の前に、芽吹いたばかりの柔らかい毛をした猫柳が飾られる。その横には白い花弁をひらめかせた辛夷、咲き残りの紅梅、日陰で咲き遅れていた黄色い山茱萸が花瓶の中に先客として活けられている。
「次はこれだ」
賑やかになった花瓶を見つめる二太郎に、一姫が次のひと枝を差し出してくる。小さく透き通ったような白い色をした鈴型の花が群がるそれは、馬酔木だろう。可憐な花枝を受け取った二太郎は、早くも次の枝に手を伸ばそうとする一姫に声をかけて止めた。
「一姫、そろそろやめましょう。花瓶もいっぱいになってしまいましたし、無理に花や芽を開かせるのは、なんだか悪い気がします」
二太郎の言葉に、一姫は口を尖らせる。
「ほんのちょっとずつしか枝はとってないのだから、いいじゃないか。それに、こいつも嫌がってないみたいだし」
言いながら、一姫は落ちていた蕾を拾って虫かごの中にぽとりと落とす。黒褐色の丸いものにぶつかった蕾は、ほろりとほどけて花弁を開く。落ちていたのは白木蓮の蕾だったようだ。毛むくじゃらの蕾がほどけて、眩しいくらいに白い花弁が姿を見せた。
晴という友人は、変人ゆえに妙な知識も豊富に持っている。そんな友人なら何か知っているかもしれないが、彼はいつも居場所が定まらない。そのため、彼と連絡をつけるために二太郎は手紙を書いている。その二太郎のそばでは、さっきから一姫が花を咲かせて遊んでいるのだった。
黒褐色の丸いものに触れた蕾が花開くことがわかるとすぐに、一姫は庭の木の枝を集めてきた。そして、書きものをする二太郎のそばであれやこれやと虫かごに入れては、咲かせた花を花瓶に挿している。
手紙を綴る邪魔をされないのはありがたいことだけれど、その遊びがどうにも気にかかる。無害かどうかもわからないものを相手に遊ぶのはやめなさい、と言ったのだが、彼女は聞く耳を持たない。紺も心配しているのか、うろうろと一姫の周りを歩き回って何か言いたげだ。
けれど、言ったところで聞かない幼児に言葉を重ねても無駄だと、二太郎は急いで手紙を書きあげる。手紙には、捕まえたものの絵姿と簡単な説明を書き、無害なものなのか教えてほしい、と綴って封筒に入れた。
「お待たせしました。手紙を書き終わりましたよ。山向こうの郵便入れに持って行きましょう」
二太郎が声をかけると、外遊びの大好きな一姫は喜んで立ち上がる。肩に紺を乗せて、右手にゴム鉄砲、左手に虫かごを持っている。
「……それ、全部持っていくのですか?」
手紙を懐にしまい手ぶらで出かけようとする二太郎の問いに、一姫は大きく頷く。当然だ、と言わんばかりのその顔に呆れながら、二太郎は手を差し出した。
「虫かごは俺が持ちますよ。両手が塞がっていると山道を歩くのも大変ですし」
転ぶと危ないしその拍子に黒褐色の丸いものに逃げられても困りますし、という本音をそっと包み、ゴム鉄砲を持った一姫と虫かごを持った二太郎は、茄子をお供に山を登り始める。
乾いた土色をした山道を進むと、竹が生い茂るあたりで一姫が落ち葉に足を滑らせた。ずるっと重心のずれた体が倒れてくるのを後ろにいた二太郎が受け止め、事なきを得たかと思いきやそうはいかなかった。
咄嗟に差し伸べた二太郎の手から虫かごが落ち、中身の丸いものが転げ出る。丸いゆえによく転がるそれは斜面をころころと下り、転がった後には緑や黄色の若芽が線を描く。
慌てて駆け出した紺が追いつくよりも早く、黒褐色の丸は誰かのつま先に当たって止まった。竹の合間から姿を見せたその人は、丸いものをつまみ上げて嬉しそうに口を開く。
「おやおやおや、これはまた、珍しいものが転がってきたね。いや、珍しいと言えば珍しいけれども、居て当然と言えば当然なのだろうね。だって季節はもう春だ。風はぬるみ、陽射しが暖かさを増している。土も柔らかく春の香りをさせているとなれば、少し出遅れていると言ってもいい。いやいや、それにしても、これはいいものを拾ったよ」
突然現れてべらべらと喋るその人に、一姫と二太郎は呆気に取られる。紺も戸惑っているのか、よく喋るその人の足元で動きを止めていた。
そんな一同に今、気がついたのかどうなのか。顔を上げたその人は、にこりと胡散臭い笑顔を浮かべる。
「おや、一姫と二太郎。それによく見ればなすびくんじゃないか。こんなところで会うとは奇遇だね。それともあれかな。わたしに会いにきてくれたのかな?」
「そうですよ。ちょうどあなた宛ての手紙を出しに行くところだったんです、晴」
いつもであれば流される軽口に素直に返されて、晴は珍しく驚いた顔をする。そして、驚いた拍子に指の力が抜けたのだろう。その手につまんでいた丸いものが地に落ちる。落ちた先には茄子がおり、黒褐色の丸はいつになく素早い動きでその背によじ登る。そして短い枝のような足で紺の尻を蹴って走らせようとしたところで、再び晴につまみ上げられた。
「おやおや、この芽吹は精霊馬に乗ってどこへ行こうと言うのかな。うん? 芽吹がなすびくんに乗りたがっている。二太郎の足元には空の虫かごが落ちている。うーん、もしかして君たちは、芽吹のことを聞きたくてわたしを探していたのかな?」
首をかしげる晴に、逃げ出してきた紺を肩に乗せた一姫が大きく頷いた。
「こいつが山で、紺にしがみついてきたんだ! 枝でつつくと花が咲くへんなやつだから、へんじんのはるにききにいくところだったんだ」
一姫の言葉に二太郎は苦笑して、虫かご片手に晴の元へ歩み寄る。不要になった手紙を懐から出して、ひらひらさせながら説明をする。
「概ね一姫の言う通りです。その丸い、芽吹、ですか。それが何なのか、その辺に放して害はないのか聞くためにあなたに手紙を書いて、出しに行こうと思っていたところなんです」
二太郎の返答に晴は満足げに頷く。
「そうだね。わたしが物知りなのは周知の事実であるから、君たちの判断は間違っていない。正体のわからない拾得物を軽々しく扱わない姿勢も大変けっこう。けれども、これは別段、害のあるものではないのだよ」
そう言って二太郎の虫かごに芽吹を入れた晴は、ふむ、とひとつ頷くと虫かごを手にとって歩き出した。
「ついておいでよ。これを放すのにちょうどいい場所があるから」
迷わず進む晴の後について歩くと、竹やぶを抜けて尾根伝いに山を登っていく。
春の陽射しが降り注ぐ山道は暖かいが、落ち葉と裸の枝ばかりが続く景色はどうにも寒々しい。こんなにも春らしい陽気なのに、草木にはまだ春が来ていないかのようだった。
「さて、着いたよ」
ぼんやりと歩くうちに、目的地に着いたらしい。足を止めた晴が、虫かごを目の高さに持っていく。かごの中には黒褐色をした丸い芽吹が入っている。晴によってつまみ出された芽吹は、枝のような短く頼りない手足をちょこちょこと動かして精一杯の抵抗をしているようだ。
そんなささやかな抵抗など気にも止めず、芽吹をつまんだ晴は足を進める。その先にあるのは、山桜の大木だ。
「こんなところにこんな立派な桜があったなんて、知りませんでした」
高い木を見上げて言う二太郎に、晴が頷く。
「そうだねえ、そうだろうね。この木は随分と立派だけれど、ここのところあまり花をつけなくなってね。桜の季節になっても、数えるほどにしか花を咲かせない。少ない花も葉に隠れてしまうから、君たちが気づかなくても当然だよ」
言いながら、晴はその数少ない花の蕾をめがけて芽吹を差し出す。必死に暴れる芽吹を見て、晴は桜の木を見上げた。
「この木はもう寿命で、今ある蕾を咲かせたら次の春を迎えるだけの力は残っていないだろう。そして芽吹がこれだけ抵抗するということは、この木を枯らしたくないのだろう。この木に何やら思い入れがあるんだね。だから君はなすびくんに乗って、逃げようとしたのかい。彼岸に行って春から逃れようとしたのかい。それで寿命から逃れられると思ったのかい」
途中から芽吹に向けられた晴の言葉に、黒褐色の丸は暴れるのをやめて小枝のような手足をだらりと垂らす。抵抗しなくなったことを確認した晴が再び芽吹を山桜に近づけると、ぽつり、ささやかな花が開く。
次の蕾がぽつりと綻び、花の合間に柔らかな赤茶の葉が開く。薄く頼りない葉は陽光に透けて、白い花弁よりもどこか儚く見えた。
わずかな花がぽつりぽつりと枝を飾る様に魅入っている一姫と二太郎の耳に、晴の声が届く。
「君が咲かせたこの木は、次の春を待たずに枯れるだろう。けれども、気に病むことはないよ」
言いながら、芽吹を手のひらに乗せた晴は花をつけた桜の枝をそっと撫でる。
「この木の枝を挿し木にしよう。大木の桜は枯れてしまうけれど、小さな木になってまた蕾をつけるだろう。そうしたら、また君が撫でて咲かせてあげるといい。またいつか大木になる日を楽しみにするといい」
晴は芽吹を地に下ろし、その尻を優しくつついた。
「行っておいで。君の訪れを待っているものがたくさんいるんだよ。この地に春を芽吹かせておくれ」
促されるままに数歩、足を進めた芽吹は、ふるりと体を震わせて走り出す。
一歩進むごとに、その身を包む黒褐色が綻んでいく。走る体はだんだんと暗い色を脱ぎ捨て、やがて淡い黄緑や柔らかい赤色の若葉に覆われる。速さを増して行くごとに若葉はほろり、ほろりと解けて舞い、落ちた先では草木が芽吹く。若葉を脱ぎ捨てた後には薄く透き通る花びらが現れて、色とりどりに風に舞う。
体を覆うものが散るたびに、芽吹の体は小さくなる。それでもその足は歩みを止めず、いつしか姿は見えなくなった。ただ、芽吹の走った後に色づいた蕾や頼りない新芽が顔を出し、春が来たことを知らせていた。
「……あれは、散って消えたのですか」
春めいた山を見つめて二太郎が呟く。その横に立つ一姫は、二太郎の袖を握って不安げな顔をしている。
そんな二人に微笑んだ晴は、くすくすと楽しげに笑いながら山道を下りはじめた。
「花が咲き、散ってしまえば終わるのかい? いいや、そうではないだろう。花の後には実ができる。実りはやがて芽吹くだろう? ならば散ったものもまたいつか、形を変えて芽吹くだろう。次の春にはきっとまた、野山を駆けているはずさ」
歌うように言った晴は、嬉しげに続ける。
「これでもうじき春祭りの会場にも花が咲くねえ。だったら今度は君たちも一緒に行ってみるかい。そうだね、いいねえ。花見をしよう。一姫、君の好きそうな出店もたくさんあるんだよ。敷物を持って、出店で食べ物を買って、春を愛でながら食べるのさ。さあさあ、わくわくしてきただろう」
晴の中で勝手に花見の予定が決まり、一姫も乗り気にさせられている。
明日にも行こうと言いだしかねない雰囲気に二太郎が口を挟むよりも早く、晴がそうそう、と話し出す。
「その前に、ちょっと鍬を持って来なけりゃならないよ、二太郎。さっき芽吹が転がったところに、筍の頭がひょっこり出てきていたからね」
言って、晴はすたすたと山道を進んで行く。
「さあさあ、場所を忘れないうちに君たちの家に行こう。そして鍬を持って、筍を掘りに行こう。掘ったらすぐに茹でて灰汁抜きをしよう。今夜は若筍の土佐煮かな。味噌汁もいいねえ。筍ごはんも捨てがたい。悩んだときは全て食べればいいんだよね。久しぶりに二太郎の作る夕飯を食べたいと思っていたところだよ。そうと決まったら急ごう、君たち。もたもたしていては旬の味わいを逃してしまう!」
またしても勝手に予定を決める晴に、まんまと乗せられた一姫が慌てて山道を駆けていく。その後を晴がくすくすと笑いながら歩いている。
その様子を苦笑いしながら見ていた二太郎は、暖かい陽射しの中、小さな若芽や色づいた蕾に囲まれた道に目を細め、騒がしい二人のあとを追うのだった。
春の植物をたくさん詰め込みました。少しでも季節を感じていただけると嬉しいです。