#10 それは自分を映す鏡
気まずい沈黙の空気に心身共々が裂かれそうなので、サンドイッチを頬ばりつつ、一応の会話と接触を試みてみた。
いや『会話を試みる』って、何か人外のものに接触を謀るみたいな言い回しだけど、念の為神無月の名誉の為に訂正しておくと、神無月はれっきとした人間で、ごく普通の日本人女性だ。
少なくとも外見上はそう見える。人の皮を被ったミュータントでもない限りは、多分地球人で哺乳類ヒト科のメスであると思う。
故に日本語で話し掛ければ何らかのレスポンスがあるはず!
「なぁ、神無…月……サン?」
「何よ?」
「お前バイトは?」
「終わったわよ」
「へぇ、お疲れ様…」
「……」
は~い会話終了~。マジで会話続かねぇ。
何? オレってこんなにトーク力無かったっけ? それとも相手のせいか? 神無月のせいなのか? こちらとしては是非そうであって欲しいワケなんですけども。
悶々としているオレとは対極に神無月は飄々と尋ねてきた。ごめん嘘。気持ちどもりながら。
「アンタ……その…自己紹介しなさいよ」
コイツ、意外と他人に興味があるのか?
あくまで個人的な印象にはなるけれど神無月って『私以外の人間に興味無いわ、ふふん』って感じの態度なのに…。
別に自己紹介するのは吝かではないのだけど、ただ従順に命ぜられるままに他人に従うのは何か癪だな…。
「そういうアンタは一体何処の誰なんだ? オレが知ってるアンタの個人情報は苗字とバイト先と自殺志願者の女子高校生って肩書きぐらいだぜ? 他人に何かを尋ねるにはまず自分からだろ?」
まぁそれらから推測出来ることもなくはないのだけど、本人の口から聞ければ御の字だ。
手元にある手札は数少ないのだから、ただの思い込みである場合もあり得る。情報収集とそれらの取捨選択は大切だ。何だっけ? 情報リテラシーだっけ? 何か違う気がするがどうでも良い。
どうやったって、面と向かって話せば、オレに嘘は意味ないしね。
「それもそうね。まぁ制服を見れば分かると思うけど、アンタと同じ高校に通っているわ。学年は三年よ。姓は神無月で名は紫織。これぐらいで充分かしら?」
神無月は制服のスカートを揺らしながら一気に喋った。
何となく年上という予想はしてたけど、やっぱり一学年上か…。
って言うか、やけにあっさり話したな。もうちょっと渋ったり、駆け引きの必要があるのかと思ったのに。
そうなると、こちらとしてもそうせざるを得ないじゃないか。
サイダーでサンドイッチを流しこみ、咳払いを一つしてから話し始めた。
「えーっと…オレは斑目司。学年はアンタの一コ下になる二年なんだけど、誕生日が五月だからアンタがもしまだ十七歳なら同い年ってことになる。仮にそうでも、形式的には学校の後輩になるし、敬語とか使った方がいいですか、神無月センパイ?」
「そう。私はまだ十八歳の誕生日を迎えていないから、年齢的には同じね。そして、今更とってつけたような敬語なんて願い下げよ。あなたはそっちの方が『ぽい』し、それに…」
「それに…?」
何故かココで言い淀んだ。意味不明に溜めを作った――つーか、「ぽい」ってなんだよ! お前はそんな曖昧な根拠で人格判断が下せるほどオレに詳しくねぇだろっ!
「それに…とても気持ち悪いわ」
はい、容赦ない放射冷却来ました~。
もういっそのこと、これが快感とかに脳内変換出来ねぇかなぁ~。生憎そういった性癖を持っていない身としては、ただただ辛いだけですよ。
しかしまあ、
「そうかい、なら遠慮はいらないよな。じゃあさ改めて聞くけど、神無月……早朝の公園で一体全体何してんの?」
そういった高校生は結構稀な部類に入ると思う。
現在進行形で同類であるオレが言えることではないけれど、今この場に彼女同様にいる身分で言えることでもないけれど、相当変だろ。
「何って言われても…バイト帰りに公園で朝ごはんを食べて、そのまま登校しようと思っただけよ。後輩の子が早めに出勤してきたから交代したの」
ふーん。後輩のバイトの子も大変だな。脅された挙句の交代劇とかじゃなければいいと無責任に心配してみた。
「そう言うあなたは何故早朝の公園で、サイダー片手にサンドイッチを食しているの? お店に来た時とは格好が違うみたいだけど…」
「ん? オレも似たようなもんだよ。家で食べようと思ったけど、飲み物が無かったから自販機のある公園に来た。その後の予定は神無月と一緒」
「へぇ、朝からコンビニ弁当な挙句、家に飲み物の類が全くなくて外で食事なんて、結構悲惨な御家庭なのかしら?」
なんだ? どうしてそんなに陰のある顔をしてんだよ。棘まみれの台詞にはそぐわないだろ。
もしやオレを本気で哀れんでいるのか?
いや違うな。そんなニュアンスでは無い気がする。
まるで自嘲するような、自省するような…そんな悲しい顔をするってことは、まさか……。
様々な考えが浮かんだが、肩をすくめて何でもない素振りを見せる。
「いや、別に親父は真面目な公務員だし、母親は至って普通の専業主婦だ。色々事情があって地元から出て、その結果一人暮らししてんの。ちなみに両親とは険悪とも言えないけど、良好って訳でもない関係。至って普通だよ」
「そうそれは良かった。あなたは己の幸福を噛み締めるべきね」
「そういうもんかね…」
適当な相づちに、神無月はにが虫を噛み潰したみたいな顔になった。そして己の意見を肯定、断言する。
「…そういうものよ」
そこに嘘はない。それは彼女の純粋な思い。心から湧き出る本音。それから予測できる彼女の背景は。やっぱりそうっぽいな。
思考の果てに思い付いた結論を迂闊にも声に出す。
「神無月、お前家族に何か問題抱えてんのか?」
年上の少女の肩が大きく跳ねた。顔に手を当てて、俯いた。
しまった…何聞いてんだよ……。
人付き合いの下手くそさを露呈してしまった。他人に深入りすべきじゃない。それも浅い関係なら尚更だ。
それを除いても、他人に深く関わることがいいハズないのに。
くそっ、数時間前に確認したばかりなのに…何か調子狂わされてるな。
「……」
神無月は答えない。無言が解答。
当然だ。答える必要がない。話す義務なんて微塵も無い。
偶然に二日連続で出会っただけの後輩に家庭環境をつまびらかにするとか意味分かんない。それが当たり前だ。当然の帰結。
「いやっ…答えなくていい。オレが悪かった。ごめんっ」
頭を下げた拍子に、ベンチに置いていたサイダーの缶が地面に落ちた。土の床なので大きく音はしなかった。
神無月は先程のとは違って無言が返事ではなかった。
俯いたまま、はっきりと聞き取れない程に小さな声で何かを言った。
「…わ………か……ら…いで」
「何? もう一度言ってくれよ」
何か大事なことだと思い、聞き返した。
どうやら思った以上に動揺していたらしい。
気がつけば神無月の両肩に手を乗せて、彼女を注視していた。
彼女は俯いているのと髪が長いのとで、どんな表情をしているのかは、解らない。視えない。
彼女はゆっくりと顔を上げて告げた。
今度ははっきりと聞き取れる様な声で、昨日も聞いたようなフレーズで、きっぱりとした拒絶の言葉を。
「もう、私に関わらないで!」
そう言い残して、彼女はその場から駆け出した。
いや、その場からじゃない。多分、彼女が逃げ出したかったのは、斑目司からだ。
昨日も言われたはずの言葉が胸に刺さる。
昨日は平坦に冷静に言われたから割りと傷ついた。
でも、今日は言っている神無月のほうが辛そうだった。
拒絶されたオレよりも拒絶した神無月の方が傷ついていた。
何故だかオレにはそれが堪らなく不快だったんだよ。
「ったく…別に関わりたくないっての…でもさ…」
昨日にしろ今日にしろ、関わりたくて関わったつもりは無いし、好き好んで会った訳じゃない。
たまたま出会っただけ――再びちょっとだけ詩的に言うのであれば、運命の悪戯で二人の人生が軽く交わっただけだ。
普通ならこのまま離れてバイバイで何の問題も無いだろうよ。
でもさぁ、流石にあんな顔見せられるとなぁ…相当に辛いんだ。本当に……。
他人を拒絶して、自分の殻に閉じこもって、自分の世界だけで全てを完結して…。
まるで鏡に映った弱い自分を見ているようで酷く居た堪れない。
醜悪な自分を見せつけられるようでどうしても堪えられない。それに…
あんな風に哀しく泣かれると、少しばかり見捨て切れ無い気持ちになんだろ。くっそ。
そしてもう一つ。
オレも大概迂闊だけどさ、神無月……アンタも相当に抜けてるぜ?
『私に関わるな』って言ったって、どうやら最低あと一回は関わる羽目になるぞ。
関わるなと言うのなら、そうなりそうな因子はどんなに小さなものでも排除すべきだと思うんだけど、お前は飛びっ切り大きなものを置き忘れていきやがった。
さながら、シンデレラのガラスの靴のような一品を。
まぁ現代版シンデレラの遺失物としては妥当な代物かもな。
ったく…携帯を落としていくなよ……どうすんのコレ?
思わず頭を抱えてしまう。
この時自身に生まれた感情は覚悟と呼べるほどに上等ではないし、原動力にするには遥かに物足りない。救済と謳うには矮小であるこの揺らぎ。
全く自分に腹が立つ。他人に深く関わらないって決めたのに、放っておけばいいのに、まだこうして関わろうとしていることが嘆かわしい。身体ばかり大きくなって、中身は殆ど成長してやしない。
本当……くだらねぇ。