第9話『桜の勉強会』
乱闘騒ぎのあった、翌日の土曜日。
昼間はお弁当持参で、朝から夕方まで練習に明け暮れたよ。
兎に角今は、細かい技術云々よりも、サッカー慣れが必要かな。そうしながらも、全員の癖や長所短所を調べていく。
皆のことは、だいたい分かったつもり。後はどうやって育てていって、どうやってまとめるかが問題になってくるかな。
私一人の指導じゃ限界があるかなぁ、という不安もあるよ。
でもやるしかない。
そう強く思いつつ、今夜の勉強会の準備のために、つくば駅を超えて学校や家とは反対側にある商店街へと向かっていく。
勉強会と言っても、絶対お腹すいたとかになるよね。だから皆のお腹を満足させられるような料理を考えておかないと。
鍋かなー。鍋がいいよねー。やっぱり鍋だよねー。
片側3車線道路を陸橋で超えていく。その先は、そのまま大型商業施設へと繋がっているの。こういうの便利だよね。信号待ちもないし、何だかちょっと格好良いし。
それなりに人通りもある陸橋の上から、下を除く。車も多く走っていた。地下のつくば駅からの出口付近には帰りを待つ路上駐車が沢山並んでいたし、直ぐ傍にあるバスターミナルからは、沢山のバスが出入りしているのが見えた。
そんな時だった。
「キャーーーーーーーーーー!」
前の方で、見知らぬお婆ちゃんが、膝をついて倒れこんでいる。その前を帽子にサングラスにマスクを付けた、いかにも怪しい若い男が、女性物のバックを握りしめて走っている。
ひったくりだ!こっちに向かってくる!
人混みに紛れて私の横を通り過ぎようとする。バックからサッカーボールを出そうとしたけど間に合わない。
隣の人の手元に視線がいく。2号サッカーボールを抱えていた。
「すみません!貸してください!!」
相手の人は私と同じ桜ヶ丘の制服を着ていた。
「えっ!?あっ、どうぞ?」
ひったくり犯かもしれないという異常事態の最中、訳も分からず私の迫力に圧倒されて、無意識に渡してくれたようだった。だけど私は構わずボールを落として右足を振りぬいた。
シュッ!
一瞬の出来事だった。行き交う通行人の足元を全て避けて、逃げて行くひったくり犯の膝裏にヒットする。
ヨロヨロっとしたところで、大きな声を上げた。
「その人ひったくりです!!」
私は走って近づきながらその犯人を指さす。スーツを着たサラリーマン風の男の人達が、直ぐに取り押さえてくれた。
被害者のお婆さんの近くにいた人が110番通報して、しばらくするとこちらを注視しながら、近くの交番から警察官の人達が走ってくるのが見えた。
私はその時、陸橋下で怪しい動きをする人を見逃さなかった。
ボールを拾うと持ち主に返す。
「ありがとうございました!助かりました!」
ペコリとお辞儀をしてその場を去ろうとする。
「待って!」
私のリュックを慌てて掴んできた。おっとっととなって足止めされる。
「弁償して!このボール非売品なんだから!やっと手に入れたのに!」
あっ…。汚れたボールを突き出して、鬼のような形相で睨んできた。
「ご…、ごめんなさい…。」
そうこうしているうちに、数人の警察官が駆けつけて犯人を取り押さえた。沢山の証人と、手に持っていたバックが証拠となり即逮捕となる。
結局私も聞き取りされて、交番に連れていかれちゃったよ。
そうだよね、あんな人混みの中ボール蹴ったら危ないもんね…。案の定、ひったくり犯逮捕にはつながったけども、危険だということで怒られちゃった。
「たまたま怪我人が出なかったから良かったけれど、もしも他の人に当たったら君も罪に問われるんだよ?」
と言ってくる。
分かっていたから早目に立ち去りたかったのに…。でも仕方ないよね。それに、非売品のボール汚しちゃったし。
どうやら日本女子サッカー代表のユニフィームをデザインしたもので、なでしこジャパンの物だった。
あぁ…。やっちゃったよ…。
そこへ、聞き取りの終わった、被害者のお婆さんが戻ってきた。状況を把握すると私の横に座る。
「お巡りさん。この娘誰だか知っているの?」
その言葉に全員がキョトンとした。
「将来のなでしこジャパンを背負って立つ娘よ。ね、岬さん。」
お巡りさんと女子高生は驚いていた。
「どうして私の名前を…。」
「ごめんなさいね。こう見えても高山ホテルジャパンの会長なの。なでしこジャパンのスポンサーもやっているの。だからU-17の試合も楽しませてもらったわ。」
「え?じゃぁ、この小さい子、U-17の日本代表?」
お巡りさんは、会長さんの話を聞いても信じられないって顔で聞き返していた。
「そうよ。今年あったワールドカップでは日本は優勝。その立役者よ。得点王なんだから。」
「…………。」
「ここは私に免じて、岬さんには口頭注意ということで許してやってくれませんか?」
「………。わかりました。でも、もうやっちゃダメですからね。それにひったくり犯が激情して襲ってくることも考えられます。まずは私達を呼んでください。その為にいるのですから。」
「はい!わかりました!」
何とかお巡りさんは許してくれたよ。それにしても助かった…。
「お婆さん、ありがとうございました。」
「将来のなでしこに、私のせいで傷を付ける訳にはいきませんからね。」
「いえいえ、とんでもない!まだ駆け出しですし…。それに…、あの…、その…。」
「その様子だと、まだ克服していないのね。」
「あっ…。何でもご存知なんですね…。」
「でも、あなたなら大丈夫。自分を信じなさい。」
「はい…。今は沢山の心を許せる仲間も出来ました。今日のお礼に必ず復活してみせます!」
「そうね、楽しみにしているわ。」
お婆さんは女子高生の方へ顔を向けた。
「お嬢さん、そのボール後で私がお返しするわ。誰のファンかしら?」
「え?あの…。10番の小山選手の…。」
「あぁ。わかりました。サインも貰っておきます。ただし、特別ですよ。誰かに言いふらさないこと、それが条件です。」
「本当に!?あ、ありがとうございます!」
「だから許してあげてね。」
「はい!勿論です!」
女子高生は凄く嬉しそうな顔をしていた。
「個人的には、岬さんのサインを、今のうちに貰っておいた方がいいと思うけどね。」
「!?」
女子高生の目付きが変わった。
「さっき蹴ったボールにサインもらえますか?」
「いや…、あの…、その…。サインなんて書いたことないし…。」
「何でもいいです!」
凄く目がキラキラしている…。あぁ、これ逃げられない奴だ…。
書くまで帰してもらえなさそうだったので、名前と高校、サッカー部11番と書いた。
「一応注意しておくとね、まだ同好会なの。人数が足りなくて…。だから背番号も暫定ね。」
「あぁ!いいっす!問題ないっす!」
「サッカー好きなんですか?」
「大好きです!」
「やってみませんか?というか、やってますよね?」
さっき彼女が足でボールに触れた時、素人ではないと直感で分かった。
「…………。あの、笑わないで聞いてください。」
「ん?」
「上がり症なんです…。だから目立つスポーツはちょっと…。普段はなんてことないのですけど、大観衆というか、大勢の目に触れると上がってしまうのです。だからさっきも何も言えず岬さんにボールを渡してしまいました。」
「そうかぁ…。残念。一緒にプレー出来たらなって思ったの。」
「U-17日本代表と一緒にプレー…。」
ゴクリと唾を飲み込んでいる。
「ダメダメ!やっぱ無理!あぁ…、でも興味あるかも…。」
「じゃぁ、マネージャーさんとしてはどうでしょう?試合中でもベンチに座っているだけですし。」
「あっ、それならやれるかも!やります!」
「ふふふ。じゃぁ、早速お手伝いしてもらおうかな。」
「ほぇぇ。スパルタだね…。」
「今日はサッカーの勉強会があって、私の家に皆が来るの。だから夕御飯の材料を買い出しにこれから行くところなの。」
「時間は大丈夫なんです?」
時計を見る。
「あっ、集合時間まで1時間もないよ!」
「急ぎましょ。あっ、私は2年の三杉 可憐です。よろしくです。あっ、私も行ってもいいんですか?」
「いいよ!全然大丈夫!2年の岬 桜です。桜って呼んでくださいね。可憐ちゃんって呼んでいい?」
「いいですよ!」
二人はほぼ同時に立ち上がると、お婆さんに一礼して交番を立ち去ろうとする。
「あぁ、ちょっと待って。連絡先を聞くのを忘れていたわ。後でボール渡さないとね。」
そう言ってバックから名刺を出して渡してくれた。私はリュックからメモ帳を出して自分の携帯番号を教えた。
「『高山 とし子』さんですね。後で可憐ちゃんと受け取りにいかせていただきます。本当にありがとうございました!」
「いえいえ。頑張ってね。応援しているわよ。それに、あなたがつくばに来てくれたのも、何かの運命よ。応援しているわ。」
その言葉を受けて、笑顔で答えて交番を出た。可憐ちゃんと二人で再び商業施設へと入っていく。
鍋の材料を10人分ぐらい買って、急いで帰る。
帰宅後部長に電話すると、皆は既に中央公園に集合していたみたい。
天龍ちゃんが案内して向かってくる間に、可憐ちゃんと料理の下ごしらえを済ませておいた。彼女が料理上手でとても助かったよ。
そこへ皆がやってきた。
玄関を開けると私服姿の仲間がいた。何だか新鮮だね。
部長、いおりん、天龍ちゃん、渡辺三姉妹、福ちゃん、そして元陸上部の神崎 藍子ちゃん、そしてさっき出会ったばかりの三杉 可憐ちゃん、そして私の総勢10人が集まった。
元陸上部の藍ちゃんは、監督に退部届けを出して受理してもらっていた。特に引き止めもなくて、それも寂しかったと言っていた。
そして可憐ちゃんの紹介をしたよ。上がり症ということも受け入れてマネージャーとして入部してくれることになった。
「だがな、後一人で部活昇進可能となると、一応選手として登録しておいてくれないか?妹が桜ヶ丘に入学するから、彼女が選手として出る。だから心配はいらないぞ。それに一応来年の1年生の入部が期待出来る。どうだ?」
可憐ちゃんは部長の提案に少し考えていた。
「大丈夫だよ可憐ちゃん。」
私の声でOKしてくれた。
でも私は彼女をマネージャーとしては見ないからね。ニシシー。
でも、これで後1人。後1人で女子サッカー部が作れる。
あっ、そうだった。
「部活の顧問がいるよね。」
「げっ!?忘れてた!」
部長の言葉に笑いが起きる。
「誰に頼む?男子サッカー部の顧問に兼任してもらうか?」
「ダメダメ。聞いてみたところ男子もそこそこ実力があるみたいで、全国大会目指して盛り上がっている最中で、だからサッカーコートも2面使ってるんだもん。そんなんだから忙しくて断られるのがオチだよ。」
いおりん情報だ。これは厳しいなぁ。あ、厳しいと思ったのはコートの方ね。
「顧問はね、生徒指導部員の後藤 竜也先生に頼もうと思っているの。」
私の提案に全員が固まった。あれ?
「あの超怖い先生に?それだけはやめようよ~。」
「部活の前に頭髪チェックとかありそー。」
賛成意見は無かったよ。
「俺は賛成。」
意外なところから賛成意見が出る。天龍ちゃんだ。
「他の先公はともかく、あいつだけは信用出来る。確かに校則には厳しいかもしれねーけど、それ以上の事はいわねぇし。どうせ誰がなってもいいなら、ああいう問題がない限り無口な奴がいいぜ。」
真っ先に反対すると思っていた天龍ちゃんの賛成意見に、誰もがビックリしていた。そりゃそうだよね。つい最近まで不良していた天龍ちゃんが、天敵のはずの生徒指導教員を顧問にすることに賛成しているんだもん。
「まぁ、天龍が良いなら私も反対はしないが、だけど受けてくれるか?」
部長の意見に誰もが頷く。まぁ、そう思うよね。
「私が行ってきます。一応秘策もあります。」
「そうか、桜の可愛さを持ってすれば、世の男どもは誰でも屈することが出来るな。」
「変な言い方やめてよー。」
「取り敢えず桜に任せる。ダメなら他をあたってみよう。」
色々と意見はあったけども、とりあえず新メンバー加入の件と顧問の件は一応の方向性が見出された。
「ではこれより部活昇進に向けて勉強会を始めます!」