第82話『可憐の挑戦』
今までとは違う、一際大きなスタジアム。
プロの試合は勿論、世界中のクラブチームによる大会の決勝にも使われている。
試合開始1時間前。
私達はハーフコートをもらい、昼食後の軽い運動で体をほぐしている。
当然反対外のハーフコートには百舌鳥校がいた。
その百舌鳥校の選手がこちらをチラチラ見ているのは知っている。
だって桜がいないから…。
あの娘は今、病院で闘ってる。
皆で待つと決めたんだ。
だから、帰って来た時に最高の状態にしておかなくっちゃ。
私の想いは、きっと皆と同じ。
だって、全員凄く気合入ってるもん。
私は、徐々に埋まっていくスタンドを眺めながら、異常なまでに冷静になっていることに気が付いた。
皆、こんな景色を見ながら試合をしていたんだ、とかね。
何故だが全然緊張していない。
「可憐、大丈夫か?」
部長が心配そうに訪ねてきた。
「大丈夫みたい。今までのような上がり症が、嘘のように発症しないの。」
「うむ。良かった。頼んだぞ!」
「了解!」
再発する覚悟はしている。
上がり症が治ったなんて思っていない。
今まで散々苦しまされてきたのに、今だけ何とかなっているなんてオカシイもん。
だけど、今日だけでもいい。
90分だけでもいい。
桜が来るまででいい…。
神様…、どうかチャンスをください。
今しか無いんだから。
私が貰った沢山の恩を返すチャンスが…。
今を逃したら、一生後悔しちゃう。
勝てせてください…、なんて言うつもりはないです。
だから、挑戦するチャンスだけ、ください…。
練習が終了し、適度に汗をかいた状態で控室に戻ってきた。
その汗をタオルで拭きながら、部長が作戦をどうするか相談し始めた。
「正直どう作戦を立てれば良いかは判断が難しいネ~。」
ジェニーが正直に答えた。
「つまり、どういうことだ?」
部長の問いかけに、小さく頷き答えるジェニー。
「例えば前半攻めて後半守るとか、又はその逆とか、そんな大雑把な作戦が通用する相手だとは思えないネー…。それに、桜が帰ってくるタイミングも重要になってくると思うよ。」
確かにこれは難しい判断だ…。
「ほんと、オメーらはバカだな。」
そこへ天龍が話に割り込んだ。
「今までだって、散々あいつが言っていただろ。俺らのチームは超攻撃的だってな。だったら徹底的に攻めりゃーいい。そんでダメなら、そもそもダメだわ。」
あぁ…。至極単純だけれど、的を得ていると感じた。
「天龍の意見はもっともネー。」
「ふむ、守備も封印を解除するしな。それで通用しないなら、ゴールを守りきる事も、そもそも出来ないって考え方だな。」
ジェニーと部長が考えをまとめた。
「よし!守備的ではなく、攻撃的にいくこととする。」
その時だった。
後藤先生のスマホが鳴る。
先生は腰を浮かし席を外そうとして画面を見ると、直ぐに戻ってきた。
「桜か?」
『………。』
何やら会話しているので、先生のスマホを取り上げて、スピーカー通話にした。
これなら全員で会話することが出来る。
『今病院を出るところです!』
第一声は元気な声だった。
「怪我は大丈夫なのか!?」
天龍の声に、彼女は反応した。
『大丈夫!骨も脳波も異常無しだよ!左肩はちょっと痛みが残っているけれど、痛み止めも貰ったし大丈夫!』
大丈夫を連呼する桜…。皆を安心させたいんだよね…。
「それで…、それで、後どのくらいで到着する予定なんだ?」
部長からだ。そこが一番気になるところ。
『早くて30分らしいの…。急いで向かってもらっているのだけど…。』
彼女の声の奥からはサイレンの音が聞こえた気もするが、ここは突っ込まないでおこう。
『診てくれたお医者さんが、女子サッカーのファンだったの!今日の私達の試合も楽しみにしていたって!看護師さんの話しだと、職権乱用して救急車を走らせてくれているみたいなの!』
その情報いる?
『あんな事があったけれど、体は何ともなかった。そして、先生が女子サッカーファンで事情を直ぐに理解してくれた。これは、運が私達に向いていると思うの!だから…、だから絶対に諦めちゃダメだよ!』
「ったりめーだろがぁ!!!俺は絶対に諦めねぞ!!!」
「勿論だ!だから桜、私達を信じてフィールドに帰って来い!」
『うん!絶対に行くから!ぜっ…絶対に!!!』
涙声の桜の声に、心が震える…。
彼女はどんな気持ちで向かっているのだろう…。
「作戦は攻撃的に行くことにした。」
『もちろん!』
皆が顔を見合わせてニヤッとした。自分達で出した結果と、桜の考えが一致していたからだ。
『それと…、もしも…、もしも大丈夫なら、可憐ちゃんに先発して欲しいの。どう…かな…?』
「私出るよ!出られるよ!」
私は慌てて叫んだ。
『良かった…。可憐ちゃんはね、相手の癖を一杯盗んできた。だから、百舌鳥校の選手の癖やパターンも見えるようになると思うの。だから、可憐ちゃんだけが出せるパスがあるの。』
私は彼女の言葉を一字一句逃さないよう、恐ろしく集中していた。
『相手の出方を見て、見えたパスコースに迷わず出して。それはきっと、桜ヶ丘の新たな武器になる!』
………。
ちょっと大袈裟な気がした。
それに、決勝にきて、新たな武器?
「み…、見えるかな…。」
『見えるよ!絶対に!自分を信じて、大丈夫!』
天龍がニヤニヤしている。
「桜の言うことを、まともに聞いちゃいけねぇ。考えるより感じろ、習うより慣れろだ。」
あぁ、なるほど、と思った。
「分かった!私やる!絶対に桜ちゃんをがっかりさせないから!」
『うん!皆…、ごめんね…。最後まで迷惑かけちゃって…。』
彼女の謝罪は、トラウマも含まれている。
「気にするな。」
「そうだ。それに、桜が居なければ辿り着けなかった場所でもある。遠慮せず帰ってこい。」
天龍と部長の言葉の後に、次々と掛けられる言葉は、彼女への気遣いに溢れたものだった。
『みんなぁ…。うぅ…、ありがと…。うぅ…。』
泣きじゃくる桜…。
本当に桜は純粋で真っ直ぐ。
嬉しい時は思いっきり笑って、悲しい時は思いっきり泣いて、許せない時は思いっきり怒る。
そういった感情を隠したりしないことって、凄く単純だけど、難しいことだよね。
誰だって自分を少しでも良く見せたいはずなのに、あの娘は格好悪いところも全部見せてくれた。
だからこそ桜は、迷うこと無く彼女のファンの子を身を挺して助けた。
これから待ちに待った百舌鳥校との決勝戦の直前に…。
私には無理…。
純粋で真っ直ぐな生き方は…、やっぱり自分には出来ないと思った。
私なら絶対に躊躇したと思うもん。
だけど、憧れる。
助けたあの子は傷一つ無かった。
凄く感謝していた。
でも、もしも負けたら、あの子も傷つくことになっちゃう。
きっと桜は、そんなことは百も承知で、全部全部、ぜーーーんぶ背負って帰ってくると思う。
私も、その大きく重たい想いに答えたい。
彼女が成し遂げたいと願う、勝利に向かって。
その時、ドアの外より運営から声がかかった。
「そろそろ通路に集合してください。」
「桜、試合が始まるぞ。」
『うん…、わかった。思いっきり自分を出して!百舌鳥校に劣っているところなんて、何も無いんだから!桜吹雪だってあるんだから!』
「よし、桜、そのまま掛け声頼む!」
『舞い上がれぇぇぇ、桜ヶ丘ぁ!!』
「ファイッ!!オオォォオォォォォォ!!!」
フィールドに向かう通路には、既に百舌鳥校の選手が並んでいた。
私達が並ぶと、チラチラ確認してくる。
「あれれー?岬先輩、本当にいないんっすかぁ~?」
さっそく、百舌鳥校の背番号11番をつけた新垣がちょっかいを出してきた。1年生だと言うのに、いい度胸ね。
「おい翼。そのガキンチョ、しっかり躾しておけって言っただろ。」
腕組をした天龍が、物凄い剣幕で翼を睨む。
こぇぇぇ…。
新垣は前にいた蒼井 翼の影にサッと隠れる。
「野蛮人は嫌い!」
「俺はガキが嫌いだ。精神的なガキがな。」
「ふん!岬先輩がいない桜ヶ丘なんて、怖くなんかないから!私がハットトリック決めて、翼先輩に恩返しするんだ!」
「お前にハットトリックは無理だ。その役目は俺だ。それに…。」
天龍が鋭い目つきでニヤリと笑う。
「サッカーってのは、野蛮人が紳士にやるスポーツらしいぜ?」
新垣が首をすくめる。
「おい、そのへんにしておけ。もう直ぐ答えは出る。」
翼が会話に割って入った。
「そうだな。」
天龍は大人しく従ったように見える。
だけど違う。
口論ではなく、サッカーで勝負をつけようという決意があるから。
「では、始めます!審判に付いていってください。」
鼓動が早くなる。でも、上がり症じゃない、心地よい緊張感…。
少し暗い通路の出口から眩しい日差しが差し込む。
そして、いよいよ決勝という大舞台へと歩みだした。
ワァァァァァァァアアァアァァァァァァァァ………
満員のスタンドからは、想像以上の大歓声が聞こえる。
スタンディングでの拍手で迎えられた。
スポーツ紙では、『無敵艦隊vs奇跡の桜』と大袈裟な表題がついていて、まぁ、要訳すると、桜ヶ丘も頑張ったけど無理だろうねって感じだった。
でも私達は封印を開放する。
この試合の為だけに1年間頑張ってきた。
この90分の為だけに色々と我慢してきた。
いっぱい負けたし、その負けた回数と同じ分、悔しい思いもした。
得意なプレーを封印して、もどかしい試合をいっぱいしてきた。
やっと全部出せる。
この試合の為だけにやってきたんだから。
そんな事を考えながら、ふと我に返ると、百舌鳥校を応援する声が聞こえた。
だけど、私達を応援してくれる声もいっぱい聞こえる。
前回の試合だって、親は勿論、全校生徒に加え、地元の人達や天龍の元チームの面々、そう言えば、つくばFCの試合で毎回見かけたラジオおじさんも居た。
見慣れた顔が心強い…。
知らない人達の応援からは勇気が貰える…。
サポーターは12番目の選手、なんて事を聞くけれど、本当にそうかも。
そしてセンターサークルに到着する。
部長と翼の握手からコイントス。百舌鳥校はボールを選択した。
そして礼。
顔を上げた時、百舌鳥校のイレブンを見た。
自信に満ち溢れているように見えた。
だけど慢心はしていないと感じた。
ウサギを狩るライオンのように。
鼓動が早くなっていく。
自陣に向かい、円陣を組んだ。
「ここまで誰も欠ける事無くこれたこと、そして、本当にこの大舞台にこれたこと。凄く感謝している。」
部長は神妙な顔付きで語りだした。
「だけど、私達の本番はこれからだ!ここから始まる、この90分の為だけに今まで走ってきた!」
鼓動が頭のてっぺんまで響いてくる。
「ここで失敗したら、全てが無駄になる。2位も最下位も同じだと思え!」
そうだ…。そうなんだよ…。
勝たなきゃ駄目なんだ…。
「最後の大一番!絶対に勝つぞ!!!舞い上がれぇぇぇぇぇぇ!!!桜ヶ丘ぁぁぁぁぁあああああ!!!」
「ファイッ!!オオォォォォオオォォオォォォォォ!!!!」
自分のポジションに移動しようとして足を止めた。
そっか。
円陣を組んでいたのは桜のポジションなんだ。
自分から離れていく仲間を見送る。
誰もが声を出し、今までにない緊張感のある空気が漂っているのが分かる。
ピィィィィィィーーーーーーーーー!!!
今、私達の最後の闘いが始まった。